かぐや姫のすれ違い:ニアミスの3000字

文字数 2,986文字

 僕は頭がおかしいらしい。みんながそう言っている、まあ僕もそれを否定できないなとは思っている。何故なら僕が言っていることは常識的におかしいからだ。

『僕の彼女は月に行きました。だからいつ帰ってくるかわかりません』

 任意の事情聴取で僕はそう答えた。彼女が月に行ってからおおよそひと月ほど経った頃。刑事さんは一瞬ぽかんとしてから、僕に真面目に答えろとか嘘をつくなとかどなった。けれど、僕はそれ以外にこたえるすべをもたなかった。
 結局のところ僕は嫌疑不十分。そもそも僕は彼女を殺してなんかいない。おそらく誰も。何故なら彼女は月に行ってしまったのだから。

 嫌疑が晴れてからも彼女について尋ねられるたび、僕は彼女は月に行ってしまっていつ帰るかはわからない、と答えた。
 僕の両親も友人も、悲しくて僕は頭がおかしくなったんだろうと囁いた。
 けれどもあの日、彼女は確かに僕にこう言って姿を消したんだ。

「私はかぐや姫なの。だからもうすぐ月に帰らなくちゃぁいけないの。でもきっと帰ってくるから毎晩お団子を作って待っていて。お腹がすいた私はお団子を目指して帰ってくるから」

 あれは確か中秋の名月。
 満月の月明かりの下で彼女はそう言い、僕が瞬きしている間に姿を消した。慌てて見回し途方に暮れて見上げると、そこにまあるく浮かぶ黄色い月に小さな黒い点があつた。あの黒点はきっと彼女で、彼女は月に帰ったのだ。

 それ以来、僕は彼女のためにお月見団子を用意した。
 雨の日も、風の日も。毎晩。

◇◇◇

 困った。困ったな。
 私は動けなくなった。何故あんなことを言ってしまったんだろう。
 たしかに私はいわゆるかぐや姫。月の裏側には月帝国があって高度な文明を誇っている。私はそこから送られた。

 地球人には月帝国の存在を知られてはならないことになっている。月は嘘が存在しない特殊な国で、嘘にまみれた地球人の侵入を許すわけにはいかないから。けれども地球人の技術は日進月歩。放置するわけにはいかない。だから月人は記憶を封印して地球世界に赤ちゃんとして送り込む。そして20歳になったら月に戻るのだ。
 私は19歳と半年経った時、当初の予定通り私が月人であることを思い出した。地球での私はあと半年で店じまいをして月に帰る。だから本来であればその間に人間関係を精算するのだ。学校や会社に行っていれば退学退職し、親しい友人や恋人がいれば別れてどこかに引っ越して、月人としての性質を取り戻しながら一人でひっそり迎えが来るのを待つ。

 けれども私は地球での暮らしが楽しすぎて、恋人ときっぱりわかれることは出来なかった。だからずるずるずるずると先延ばしにして、とうとう月に帰る日が来てしまった。
 地球人に月のことを知られるわけにはいかない。けれどもこの期に及んでどうすればいいのだ。追いかけてこないようにするにはどうすれば。月に戻るにはその縁をキッパリ切ってしまうしか無い。それに月人の性質をほぼほぼ取り戻した私は嘘もつけない。
 やむにやまれず、苦し紛れにこう言った。

「私はかぐや姫なの。だからもうすぐ月に帰らなくちゃぁいけないの。でもきっと帰ってくるからお団子を作って待っていて。お腹がすいた私はお団子を目指して帰ってくるから」

 最後は罪悪感の苦し紛れ。
 折しもその日は15夜。
 まんまるの月がこちらを見下ろしていて、ぺらぺらとそう口から出てしまったのだ。
 どうせこんなことを言っても信じやしないだろうけれど、その瞬間、私は20歳になり、私にかけられた魔法が発動して私は月人に戻り、月の光に牽引されてあっという間に月に登る。そして月の入り口で追い返された。

「有効な約束が一つ残っています。解消しなければ帰月が認められません」

 入月管理官は困惑しながらそう述べた。
 地球とのつながりがあれば月には帰れない。そのために半年の猶予を得て全てのつながりを断つのだから。
 どうして、何故。私は彼氏以外の繋がりは全て切っていた。私はすでに誰とも約束をしていない。そしてそれは昨夜予め確認していたはず。
 あ。

「毎晩お団子を作って待っていて。お腹がすいた私はお団子を目指して帰ってくるから」

 まさか、さっきのこれ?
 お団子を作ったら私は地球に帰る。その約束が有効だとでもいうの? 彼はそれを信じているとでもいうの? まさか。
 そうだ、月人は嘘を付くことが出来ない。相手がそれを信じている限り、一方的に約束を反故にすることは出来ないのだ。ともあれこの約束が解消されれば私は月に帰ることができる。彼がこの約束を忘れ去る、それまでの辛抱だ。どうせこんな馬鹿な約束、すぐに破られ忘れられるだろう。本気にしているわけもあるまいし。私はそう覚悟を決めた。
 私は姿を地球人に見られるわけにもいかない。だから私の姿は光学処理され、光は私の後ろにまわり、私の姿は隠された。声も出せなくなった。もう誰にも認識されない。

 最初の夜。彼は月見団子を用意した。まあ、そんなこともあるよね。
 二日目も、月見団子を用意した。うん、2日くらいは。
 そして三日目も。正気かこいつ。

 まさか本気で信じているの? 月から来たという戯言を。
 そして私は重大なことを認識していた。私はおなかがすいていた。
 トイレは彼氏の家で借り、夜は彼の部屋の隅っこで眠る。ただ食べ物は如何ともし難い。店で注文するにしても姿は見えないし第一お金を持っていない。スーパーに食べ物はあるけど私が持つと弁当が浮く。そんな不自然なことはできなかった。
 食べ物を求めて夜をさまよい、疲れ果てて彼氏の家に帰宅してふと窓縁を見れば月見団子が置いてある。
 少しならいいかな、そう思ってその一つを口に含む。久しぶりの食物はとても美味しかった。シンプルな白い団子だったのに涙が出た。美味しい。

 翌日、彼は空になった団子の皿に驚いて私の名前を何度か呼んで見回した。けれども私は声を返すことは出来なかった。
 それからずっと、夜になると月見団子が置かれている。彼は時折団子の様子を観察していることもあるけれど、私の存在を気取られるわけにはいかないから私は彼が寝ないと動けない。そのうちきな粉やアンコ、みたらしも用意されるようになり、そのうち小さな団子とラップに包まれた夕飯が用意されるようになった。

 私は彼が約束を忘れるまで月に帰ることはできない。
 けれども約束が忘れ去られる兆候はない。
 けれども私は彼が好きだった。彼が寝るとその寝顔を覗き込む。彼が仕事に出てから私はゆっくり眠りにつく。
 だからこの、彼の家での暮らしをそれほど悪いものとは思っていない。

◇◇◇

 僕の彼女は月に行ってしまった。
 けれども晩飯はうちに食べに戻っているらしい。
 最初はお団子を用意していたけど、お団子ばかりじゃつまらないなと思っていろいろな味を用意した。そうしたら順調に減っていった。
 お団子ばかりは飽きるだろうからおかずを付けた。翌朝おかずは見事になくなっていた。

 きっと彼女はこのお団子の香りをたどって戻ってきて、晩御飯を食べて月に帰るのだろう。そう考えるとななかちょっと面白い。

 僕はきっとこの習慣を続けていくだろう。
 そうしていくと、いつか彼女を取り巻くいろいろなものが彼女を諦めて、きっと本当に彼女が帰ってくるんじゃないかな、と思っているから。

Fin
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