やりたい人がやればいい(心の叫び)

文字数 2,890文字

*今から人生を振り返り、どこにもぶつけようのない怒りを書きます(⁠•⁠ө⁠•⁠)⁠♡


頼まれる。

最初に頼まれた記憶。

幼稚園の年長の頃、何かで幼稚園を休んでいた私が登園したとき、先生が泣きそうな顔で言った。

「すいちゃんがおやすみしてた間にね、発表会の役を決めたんだけど、すいちゃん鹿の役になったんだけど、いい?ごめんね、ごめんね」

私はその先生のことがものすごく好きで、40代になった今でも年賀状のやり取りをしている。
そのくらい好きな先生が泣きそうになっているのだ。
断るという選択肢はない。

けれど本当は私はお花の妖精がやりたかった。
お花の妖精の衣装がかわいかったからだ。
鹿は鹿なので茶色だ。
今見ると鹿もなかなかかわいいけれど、あの頃はお花が良かったなぁと思いながら鹿になった。
ちなみに舞台ウラで書いた私の憧れのハルちゃんはおサルで、おサルも今見ると可愛くて、やっぱりハルちゃんてセンスあるなぁと思った。

とにかくそれが私の頼まれ①だ。

そして②。
小学2年。
またもや発表会。
3びきのこぶた。
男子はオオカミもけっこういたが、もちろんみんな末っ子のブタを狙っている。
私も狙った。
ジャンケンで勝ち抜いた。
末っ子は何人かいるのだ。
そして決まったとき、私は1人、先生に呼ばれた。

「お母さんブタ、やってくれない?」

え?
先生、私、今、末っ子になったんですよ?
主役ですよ?
わかってます?

とは言えず無言になった私に、先生は「お母さんブタさ、1人だけなんだよ」と言った。
そう言えば特別感があると先生は思ったらしかったが、私はうんとは言わなかった。
そこで先生はまだ説得を続けた。
「セリフがいっぱいあるから、覚えられる人じゃないとできないんだ。夕記さんにやってほいんだけど」

お母さんブタは「お母さんブタ」という響きのせいか、やりたい人がいない。
もちろん私もやりたくなかった。
当時の私にはどう考えてもお母さん感もブタ感も全くなかった。

しかし私はこの時の先生のことも好きだった。
たぶん歴代の学校の先生の中で最も好きだった。
その先生の頼みなのだ。
ん?
この流れは…。

どうして断ることができようか。

しかし先生、なぜそれを末っ子を勝ち取った私に…せめて決まる前に言ってくれよという未練とともに、私の抜けた枠に繰り上げブタとなったコへの羨ましさはあったものの、とにかく私は母ブタになった。

そしてみんなブタらしい衣装の中、母なのでお気に入りのワンピースとピンクのヒラヒラエプロンが着られたため、まあまあ満足した。
ここで好きな人が父ブタだったら大満足だっただろうけど、そんな奇跡は起こらなかった。

頼まれて嫌だったけどやって良かったな、と思えたのはそのくらいだった。

その後、中学生になれば委員長をやってくれと先生に言われ、それが嫌で私は編集局に入って地味に活動をした。
局に入れば委員にはなれないという情報を得たからだ。

高校ではわりとノリの良い人が委員になっていたため、地味に過ごしていた私は頼まれることなく無事に過ごすことができた。

そうだ。やりたい人がやればいい。

ところが、社会に触れ始めるとまた私の頼まれ人生が始まった。

大学生の時のバイトでなぜか私だけ事務仕事をやれと言われた。
私はレジがやりたかったのだ。
なんで事務所の金庫の管理を私がしなければならないのだ。
しかも、初のバイトで社会というものが全くわかっていない状況でろくな引き継ぎもなく、仕事を覚えていない状態で任せられたので即やめた。

大学卒業後もレジとか品出しとかが好きだったのに急に事務系の仕事に異動させられそうになり、バイトの一件で全く事務向きでないと知っている私は「異動になったらやめる?やめないよね?」という店長の言葉に「やめるかもしれないです」と即答しながら100%やめると決心し、仲間たちに「異動になったらやめるから」と伝えたが、その後異動の話はなくなったのでそのまま続けた。

そして現在の職場でもまた事務に誘われ、年齢的にそれもいいのかなぁと思い始めた私は一旦受け入れたものの、やっぱり向いていなくて元に戻った。


もう人に頼まれたことはやらないぞ!
と決めたのに子ども関係の役員になり、やって良かったと1ミリも、0.1ミリも、0.01ミリも思えず、再び「もうこれからは断る、絶対にやらない」と決めた。


なぜ今こうしてこんなことを振り返ることになったかというと、私の決心など知らない先生から、ツー(2番目の子ども)が小学生になり、クラス役員をやってくれないかと言われたからだ。

本気で嫌すぎてその日は眠れなかったが、無事に他の人に決まった。



なんで私が。

これまでの人生、何度そう思っただろう。
私はやりたくないのだ。
責任を負いたくないのだ。
わずかな自由時間を犠牲にしたくないのだ。
ひっそり自由を満喫したいのだ。
頼まれて引き受ける人生はもうやめたいのだ。

昔「あなたにしか頼めない」と言われたことがあるけど、その時も思った。
私でなくてもいいだろ、と。
私でなきゃダメなことなんかない、みんなやればできる、と思った。
「私でなきゃダメ」なことって、私が生み出すものだけだろう。

何より無駄な時間を過ごすのが私は嫌いだ。
面倒なのは集まるということだ。
コロナで集まらなくてもできると証明されたはずなのに、また無意味な復活。
家で仕事して、できたよ、と渡すなら良い。
新しい環境と自己紹介と会議が、もんのすごく嫌いなのだ。
PTAになんて向いてる要素は皆無。
新しい出会いがあっていい、と言う人はそういうことを求めているからで、私にはそれは引き受ける理由にはならない。

だから私は今年度の終わりで聞かれるであろう学校への意見書に書こうと思っている。

周りの学校でPTAが無くなっているのに、なぜまだ誰もやりたがらないし先生にも負担のかかるものを残すのか。
絶対になきゃ子どもにとってマイナスなら1人1役の中に組み込めばいい。
私にとっては外部委託か、それがみんな嫌なら「お金を出すか時間を出すか」を割り切って全員どちらかを出すことにするのが最善だと思う。
やってくれた人に報酬を、と思う。
私は絶対やりたくないのでお金を出すし、やって時間がとられるならせめて給料がほしい。
報酬が出るならやってもいいよ、という人だっているだろう。
今までにそれくらい嫌な思いもしたし、そうすればまだ割り切れる。
他のやりたくない人がイヤイヤ引き受けざるを得なくなるのを見るのも嫌だし、その状態で引き受けざるを得なかった人がやって結局何もしなくて「あの人そういう人」みたいに言われるのを聞くのもおかしいと思う。
最初っから押し付けられただけなんだから、おかしいのは言ってる方だろ、と思う。
「やったけど全然たいしたことないよー」と言える、学校との繋がりがないと困ると感じている、心に負担のない人にやってほしい。
というか、なくて何が困るのか明確にして、なくていいならなくしてほしい。
考えればやり方はいくらでもあるのに惰性で続けるほどムダなことってない。

とにかく私はひっそりと、もう頼まれないように生きていきたい。

もう一度。


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