Candy Halloween

文字数 6,126文字

 閉店後の店内には、まだ数名のスタッフが残っていて、ハロウィンの飾りつけの準備をしていた。一階のフロアには、店長と社員が二人。社員の一人は男性の橋口君で、二十七歳。もう一人は女性の天乃さん。年齢は一応非公開となっているが、確か私と同じ二十六歳だったと思う。二人とも、このカフェの働き心地がよくて、長く勤めたいと言っている。店長は、妻子持ちで。確か、今年三十半ばになるとか。二年程前に子供が生まれたと、鼻の下を盛大に伸ばして奥さんが抱っこしている赤ちゃんの写真を披露してくれたっけ。男の子ですか? 髪の毛の薄さからそう思ったのか、屈託なく訊ねた橋口君は、女の子だよっ。と勢いよく店長に言い返されていて、それをみんなで笑った。
 二階では、新人君こと黒木君が私とハロウィンの飾り付けをしていた。
 上から順に階段を下りながら、手摺りや壁にキラキラのモールやジャックオーランタンなどを飾っていく。元々コピー用紙の収まっていた空の箱に、数々の小物や雑貨の飾りつけを入れたものを手に持ち、飾り付けながら下っていく私のあとを新人君がついてくる。“HALLOWEEN”と書かれた、ポップな字体を壁に貼り付け。手摺にはジャックオーランタンにキャンディステッキやお化けの形のフエルトを飾っていく。
 イベントごとは、忙しいけれど楽しい。飾りつけをするのも、自然と心がワクワクしてきて笑みがこぼれる。自分には縁遠いバレンタインや恋人同士が集うようなクリスマスにだって、自然と心は踊った。
 このハロウィンだってそう。ほんの少し前までは、まだこんなに賑やかに祝うような雰囲気でもなかったけれど、渋谷で仮装する人たちが集まるようになってからは、このカフェもとても盛り上がりを見せていた。
 ハロウィンの一週間前からは、スタッフも軽く仮装をする予定だ。去年は、カボチャのカチューシャをして、腕や足に包帯を巻いたり、エプロンには血のりを付けてみたりした。店長はフランケンシュタインに出てくる怪物に扮装したのだけれど、あまりにリアルすぎて、やって来た小さなお客に怖がられていたっけ。それを踏まえて、今年はもう少しリアルさは抑えるんじゃないだろうか。
 去年の賑やかで楽しかったハロウィンイベントを思い出しながら、鼻歌交じりに飾りつけをしていたら、楽しさに気を取られて中央の広い踊り場から右に折れる角で足を踏み外しそうになってしまった。
 危ないっ!
 咄嗟に手摺に掴まろうと伸ばした手を、新人君が握り支えてくれてなんとかセーフ。
「危ないなぁ。気を付けてくださいよ、瞳子(とうこ)さん」
「ごめん、ごめん。去年のハロウィンを思い出してたら、踏み外しちゃった」
 階下では、賑やかな笑い声が聞こえてくる。向こうも飾り付けを楽しんでいるのだろう。
「重いでしょ」
 自虐的に言って、新人君に握られた手から逃れると苦笑いを浮かべられた。
「今の、はっきり否定するところね」
 笑って言い返すと、新人君はすみませんと笑っている。
 新人君こと、黒木(くろき)愁(しゅう)君は現役の大学生二年生だ。夏休みの間だけ、とアルバイトにきたのだけれど、どうやらここの仕事が気に入ったようで、夏休みが終わった今でもシフト数は減ったものの働き続けてくれている。仕事が慣れた頃に辞められてしまうと、こちらとしてもまた新人君を一から教育し直さなくてはいけないから,新人君の存在はとてもありがたい。
「僕がやりますよ」
 持っていた箱を手渡されて、今度は新人君が飾り付けをしていく。可愛らしいお化けの三兄弟を壁からぶら下げ、三日月やキャンディを張り付けていく。小さなカボチャは、至る所に点在していた。
 一階まで並んだ小さなカボチャたちを満足そうに見てから、再び階段を上った。今度は、二階の飾り付けだ。
 新人君の大きな背中を眺めながら、二階へと階段を上っていく。
 中肉高身長の新人君は、顔とスタイルがいい。原宿辺りに出没したら、モデル事務所にでもスカウトされるんじゃないかって、秘かに思っている。今度、連れて行ってみようかな。
 新人君、当日の仮想はどうするんだろう。スタイルがいいから、スマートなジャックオーランタンなんてどうだろう。スリムなスーツを着て、細身のステッキを持たせたら、カッコよすぎて女性客が放っておかない気がした。それで回転率が上がるなら、店長は万々歳かな。去年のフランケンシュタインの怪物騒ぎで客足が減ったとは言えないけれど、少なくとも新人君がいれば客足が増えることは確実だと思う。
 スマートでカッコいいジャックオーランタンに扮する新人君の姿を想像しながら階段を上りきると、クルッと彼が振り向いた。
「背中に強い視線を感じるのは、気のせいですか?」
 真顔で言われて、気のせいだというように首を勢いよく振ったらなぜか笑われた。もしかして、からかわれた?
 二階のテーブル席に置かれた大きなバスケットには、さっきの飾りよりも大きいジャックオーランタンや、窓ガラスに貼り付ける、ゼリー状のジェルジェムが収まっている。それ以外にも、ステッキにコウモリ。オバケにキャンディ。勿論ジャックオーランタンもある。見ているだけで、楽しくなってくるような飾りがたくさんだ。
「こういう飾りつけするのって、楽しいよね」
 窓ガラスに「HALLOWEEN」のジェルジェムを貼り付ける準備をする。HALLOWEENのОの文字は、可愛らしいカボチャになっていた。窓ガラスを綺麗に拭いてから、どの辺りに貼り付けるか考えた。
「やっぱ、HALLOWEENの文字は、真ん中がいいよね」
 中央の窓ガラスに、まだセロファンにくっ付いたままのジェルジェムを貼り付かないように当てて位置を確認商品た。腕を伸ばし、この辺りかな? というところで背後にいる新人君を振り返った。すると、どうしてか新人君が笑みを浮かべていた。
「ん?」
「いえ……」
 訊ねるような顔をしても、口角を上げたままで何も言わない。
「なーによ。言いたいことがあるなら言ってよね」
 不満気に漏らしても、何でもありませんと口元に手の甲を軽く持っていき、笑みをかみ殺しているみたいだ。笑われる理由が思いつかなくて首を傾げたあとで、ハッとする。もしかして、スカートのジッパーが開いてる?
 慌てて左サイドにあるジッパーに触れてみたけれど、しっかり閉じていた。そんな私の行動を見て、新人君は、更に笑いをかみ殺している始末。
 なによ、もう。と思ってみても、そんなやり取りが楽しいのは否めない。
 何を考えているのかよく解らない新人君のことはさておき、再び窓の方を向いてセロファンに付いた文字を当ててみる。
「この辺りでいいかな?」
「右を少し上で」
「こう?」
 言われるままにしたら少し上げ過ぎたようで、「もう少し下で」と指示が出る。
「どう?」
「大丈夫です」
 オーケーが出たので窓にペタリと貼り付け、セロファンだけをゆっくりと剥がしていく。貼り付けた窓から少し離れて眺めてみても完璧だ。
「上出来です」
 腕を組んだ新人君が隣に並んで頷いているから、偉そうにと笑ったら慌てて頭を下げた。
 面白い子。
 味を占めたように、今度は左側に「Trick or Treat」の文字を。右側には、賑やかなジャックオーランタンやお化けを貼り付けていった。他にもキャラクターのジェルジェムを窓に散りばめ、賑やかに飾った。各テーブルには、カボチャのナプキン入れ。壁には飾りをつけもしていく。
 手が届かない高い場所は、わざわざ脚立を持ち出してこなくても新人君が代わりにやってくれるから助かる。腕を高く伸ばして壁の上の方にカボチャを貼り付けている背中を眺めながら、背中、広いなぁ。なんて見惚れてしまった。
 ダメダメ。仕事中だよ、瞳子。新人君相手に、何を考えてるんだか。
 自らに溜息を吐き、気持ちを切り替える。
「かんせーい」
 賑やかに彩られたフロアを見まわし満足げに言ったら、今度は遠慮することなく新人君が笑った。
「瞳子さん、子供みたいですね」
 大人びたように笑われて、急に恥ずかしくなってしまった。
 なるほど、そんな風に見られ、笑われていたのね。
「年上をからかわないの」
 年上の威厳というわけでもないけれど、若干ふざけて窘めたら、肩をすくめながらもまだ笑っている。どうにも、先輩扱いされていない気がするな。
 彼の横に立つと高い身長のせいで、少しだけ見上げるように話すようになる。今はヒールを履いているから少しで済むけれど、スニーカーだったら首が痛くなるかもしれない。身長が高いわりに猫背ということもなく、彼の背中はいつもピッとしていて姿勢がいい。口数は少なく、はしゃぎすぎるというところがないから、年齢差はあるもののあまり幼いイメージはない。
 専属教育係というわけではないけれど、新人君には普段から何かにつけて瞳子さん、瞳子さん、と頼られていた。そうなると、つい可愛くなってしまい情も移るというものだ。情以外の感情については、今は置いておこう。
「瞳子さんて、いつも楽しそうですよね」
「そう? イベントがあると、盛り上がるしね。明るい気持ちになるから、好きよ」
 情以外の感情を端に置いたというのに、この子はなんて屈託なく懐いてくるのだろう。その辺の猫なら、モフモフしちゃうところだよ。
「瞳子さんの笑ってる顔、好きです」
 サラリと言われて、「そう」なんて同じようにサラリと返してみたけれど、内心では少しドキドキしていた。深い意味なんてないと思っても、「好き」なんてダイレクトに言われてしまっては、乙女心が反応してしまうというものだ。端に置いてきたはずの感情が、チラリ、チラリと顔を出したがっている。
 しかし、二十歳そこそこの学生相手に、何をドギマギしているのか。しっかりしなさいよ、瞳子。
 乙女心は再び置いといて、飾り付けの後始末をしながら、新人君が手に持っていた残りの飾りを受け取った。
「遅くまで、ありがとね。下で、お茶でもしよっか」
 店長に美味しいカフェラテでも淹れてもらおう。
 飾り付けの入っていたバスケットを持ち上げようとしたら、その手を握られ驚いた。突然のことに目を見返すと、さっきまで笑ってばかりいた表情はもうそこにはない。とても大人びた瞳でまっすぐ見つめられれば、端に置いてきたはずの感情が容赦なく暴れ出す。
 バクバクと騒ぎ出した心臓の音を抑えつけ、なんとか平常心を保とうとしていたら、真剣な眼差しのまま彼の口が動き出した。
「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうよ」
 新人君が手を握ったままで囁いた。手を握られたこともそうだけど、潤んだような恍惚とした瞳に、乙女心は黙っちゃいない。びっくり箱的な箱の蓋を開けてしまった時のように、何度も弾む落ち着きをなくした心臓は、新人君に反応してやまない。
 階下からは、店長の笑い声や橋口君の盛り上げるような話声が聞こえてくる。天乃さんの、楽し気な笑い声も時折聞こえてきていた。和気藹々としたこの雰囲気が、閉店後だというのにこのカフェを明るくしてくれている。日常にあるこの場所の雰囲気を体に取り込み馴染ませて、新人君に気づかれないよう、そっと息を吐き出した。心の平静を取り戻そうと、誤魔化すように普段以上に笑ってみせる。
「もう、ふざけて」
 新人君のおふざけをかわそうとしたのだけれど、さっきみたいな笑顔は返ってこない。
「僕、ここで働き出して二ヶ月以上経ちます。瞳子さんには、ずっと“新人君”て呼ばれてますけど。僕、黒木です。黒木愁です」
 自身の存在意義を訴えかけるように、彼は私の手を握ったまま放さない。
「そ、そうだよね。ごめん、その……黒木君……」
 名前をちゃんと呼ばなかったことへの不満を述べられて、すぐさま頭を下げた。だけど、うまく呼べない理由もあったりするのだけれど。そんなの彼にわかるはずもなく……。
「働きながら、ずっと瞳子さんのことを見てきました」
 握った手はそのままに、黒木君は目を逸らすことなく私を見つめてくる。
「明るくて、仕事もできて。周りに気を配ることも忘れない。僕はそんな瞳子さんが好きです」
 強引に手を握り、告白じみたことを言い出した彼を思わず凝視してしまった。
 いや、じみたではなく、これはれっきとした告白なのだろう。動揺し過ぎて、ちょっと理解に苦しむ。いや、苦しいというよりかは、嬉しい?
 こんな年上相手に、告白なんてしてくるなど思いもしていなかったし。何よりモデル並みの黒木君が、好意を持ってくれるなんてありえな過ぎて嬉しすぎる。いや、それは違うか。モデルとか、そういう以前の問題なのよ。
 だって好意を持っていたのは、私も一緒だから。うまく名前で呼べなかったのは、自分の気持ちが先走るのを止めるため。学生相手に恋心を抱いて撃沈なんてしたら、立ち直れないもの。気持ちを抑え込み、新人君と呼ぶことで、上下関係を自身に言い聞かせてきた。
「トリックオアトリート」
 彼が再び口にした。
「お菓子をくれなきゃ、キスしちゃうよ」
 イタズラな笑みが憎らしいのに、嬉しくてたまらない。
 大人びた顔つきで迫る顔が、愛しさに染まっていく。
 残念ながら、お菓子も甘いキャンディも持ち合わせていない私は、黙って瞳を閉じた。
「瞳子さん。ずっと好きでした」
 階下の賑やかな笑い声に交じり、もう一度囁かれる言葉にとろけてしまいそうだ。イベントごとには無縁だったのに、今年の後半は忙しくなりそうだ。ハロウィンのあとは何だっけ。読書の秋? それは、あとじゃなくて、平行線上か。それに、私の場合は、読書よりも食欲が勝ってしまうだろう。新人君じゃなくて、黒木君は私の食欲についてきてくれるだろうか。一緒に美味しいものを食べに行けたらいいな。
「何考えてるんですか?」
 触れていた唇を少しだけ離して、瞳の奥を覗き込むように訊ねられ対応。
「一緒に美味しいものが食べたいなーって」
 素直に答えたら、ふって笑われてしまった。
「なーによぉ」
 少しだけ頬を膨らませたら「可愛すぎですよ、瞳子さん」と抱き締められた。
 大きな背中に手を回すと、広い胸にすっぽりと収まって、トクントクンという彼の心音が、聴き心地のいいメロディみたいに気持ちを穏やかにしていった。
「クリスマスも大晦日もお正月も。一緒に美味しいもの食べに行きましょう」
 抱きしめられた胸の中で頷くと、少しだけ体を離した黒木君から再びキスが降りてきた。
「トリックオアトリート。欲しいのは、お菓子じゃなくて瞳子さんです。ずっと一緒にいてください」
 ジャックオーランタンやお化けが見守る中、キャンディのような甘いキスが続いた。階下からは、まだ賑やかな笑い声が聞こえてきている。
 Trick or Treat。
 お菓子をくれなきゃ、キスしちゃうぞ――――。
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