-vana- 第8話「匣の外」

文字数 2,767文字

「――また、あのガキのとこ行くんか?」
出る間際、十六夜にそう尋ねられた。
「ああ。そうする心算だ。」

「…あのガキ、村の奴らと同じになってしもうたけど」
「もう一度だけ、会いに行ってみる。――いずれにせよ、私とはあまり会わぬ方がいいだろうからね。」
不快そうに眉をひそめる十六夜に、――あと一度だけだから、と、ちいさく笑った。

「――まぁ、好きにし。…気ぃつけてな」
「有難う。――行ってくるよ」
呆れたように息を吐いた十六夜に、心配するなと微笑み、私は山をおりた。


『銀翅さま。ようこそお出で下さいました。』
その足で村長の家に赴くと、ひとまずはにこやかに迎え入れられた。
「朱鳥殿。――忙しい中、度々訪ねて申し訳ない。」

『いえ、とんでもございません。どうぞごゆっくりなさって下さい。』
「有難う。…葵殿は、どちらに御座すかな?」

『どうぞ、此方です。』
「…。」
朱鳥に通されるままに部屋に入ると、すこし緊張した面持ちの悠と葵が揃って座っていた。

「失礼するよ。…お元気そうで何よりですよ、悠殿」
『銀翅さまもお変わりなく。』――私が声をかけると、悠はようやく少し緊張が解れた様子で、ふ、と微笑んだ。

「お陰様でね。…葵も元気そうだね。何よりだ。」
『お気遣いありがとうございます。』――此方は相変わらず仏頂面。元より、あまり表情を表に出さぬようだけれど。

「――お養父上や悠殿とは上手くいっているかな?」
『はい。お陰様で』

『生意気な口を利くもので、少々手を焼くこともありますよ』
――愛想がよくない葵を気にしてか、朱鳥は取り繕うようにそう言い、笑った。

「ほう、そうなのかい。」
ちらりと葵を見ると、気まずそうな表情になり口籠った。
「…けれども、子供のうちは元気すぎるくらいが愛らしいものですよ」

『まぁ、そうなのですが。――』
どうにか笑みを保った朱鳥は、何やらちらりと葵に目配せをした。

「…」
どこか微笑ましいようにも見える親子のさまに、私はひとり、思わず頬を緩ませた。

暫し、世間話に興じた。穏やかな時が流れる。――無論、私にとってだが。
朱鳥は時折、何かを気にする様子を見せた。私がいるせいか、落ち着かないのかもしれない。


半刻ほどを、そうして過ごし。
「――さて。そろそろ私はお(いとま)しよう。…葵はまだ何かと大変だろうが、頑張るんだよ。――悠殿にあまり迷惑をかけぬよう。」
あまり長居をするのも迷惑だろうと、頃合いを見計らって、帰ることにした。

『…あの、銀翅さま』
すると、葵はおずおずと、何やら重そうな口を開いた。

「うん? 何かな」
『…。』
しずかな目を向けると、葵は何故か言葉に詰まったようだった。

「…? 何か言いづらいことでもあるのかな?」
そう言いながら、ちらと朱鳥を見る。――眉をひそめ、怒ったような様子から、何やら口止めをされている(こと)があるらしいと分かった。

傍らの悠にも目をやると、彼女も何やら焦っていた。
――ふむ、悠殿は我が病のことを葵にお話しになったのだな。とくれば次は、かの噂のことか。

「過ぎたるはなお及ばざるが如し。――過ぎた好奇心は、ときに人を殺める。」
確かにこの場では話しづらい内容。ゆえに軽く諫めたが。

『…いえ、その。大したことではないんです。――この前お会いしたとき、外の話をしてほしいと仰っていたので、おれの村の話をしようと思ったんです』
「ああ、――」其方もか。と頷いた。

『外の話?』――僅かに身構えていた朱鳥は、唐突な話に目を丸くした。
「――そうだったね。…私は兄上と違って、あまり外に出たことがないので。せっかく外から来たのなら、何か話をしてくれないかと頼んだのさ」
『そうだったのですか…。』――朱鳥は、(はた)から見ても分かるほど、ほっとした様子で胸を撫で下ろした。

「せっかくだから、たくさん話が聞きたいね。…とはいえ、これ以上長居をしては、朱鳥殿にご迷惑になるかな」
『いえ、そのようなことは。』

「…けれど、つとめはせずとも良いのですか?」
『…。』――朱鳥は暫し考える様子を見せると、溜息をついて言った。

『心苦しいのですが、私はこれで席を外しましょう。――銀翅殿はお気になさらず、ごゆっくりなさって下さい』
「ああ。長居をしてしまって申し訳ない。有難う。」

くれぐれも失礼のないようにと言い残して、朱鳥は立ち上がる。
――どちらが失礼なのだか。
そう苦笑しながら、去っていく朱鳥の足音を聴いていた。

それが遠ざかるのを確かめてから、しずかに口を開く。
「――それで、話とは?」
『? えぇと、ですから、外の話を。』

「ほう…、ほんとうに聞かせてくれるのか。」
――てっきり、話しづらい内容(こと)を尋ねるための、詭弁(きべん)だと思っていたが。

『いまのおれが貴方にできることは、これくらいだと思うので。』
「…、ふむ。しかし、…なにか――聞いたのだろう?」
話をしてくれるのは言うまでもなく嬉しいが、今しか話せぬこともあるのではと思い、悠と葵をとくと見比べる。

『はい。――もちろん、聞きたいこともありますが…。銀翅さまにだって話したくないことくらい、あるでしょうし。』
「…。」

『だから…と言うとへんですが。…まずはおれの話を、聞いてください。』
「…なるほど。」
――先手を打たれてしまったか、と、私は僅かに苦く笑った。

***

こちらから話をしては、何かを問われる。
それを繰り返すうち、気付けば陽が傾こうとしていた。

『おや。もう陽が傾く頃合いか。――まだまだ興味深いけれど、流石にお暇するよ』
長く伸び始めた影に気付いた銀翅は、名残惜しそうにそう言った。

「…あ、はい。山の麓まで、お送りします」
『え? いやいや、悪いよ。君が帰るときに危ないし。』

「近いですから、大丈夫です。」
おれの家は、最も山の麓に近い。

『…。』
――銀翅は、困ったようにちらりと悠を見た。

しかし、悠はといえば。
「…父上にはわたしから言っておく。気をつけて、帰ってくるんだぞ。――それと」

悠はおれの袖を引っ張り、銀翅から少し離れてから、急に小声になって続けた。
「どんな話をしたのか、わたしにも教えるんだぞ」

「ああ。」
もちろんだ、とおれが頷くと、悠も、よし、と頷いて、おれの背をぽんと叩いた。

『…。』
――やれやれ、と言った風に、銀翅はすこし笑っていた。
『では、私は行くよ。…長居してしまって申し訳なかったと、朱鳥殿にお伝えしておくれ。』

「はい。またいつでもお出でくださいね」
――銀翅は悠の言葉にも、薄く笑うだけだった。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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