三、

文字数 5,071文字

「なぜ、なのだ」

 部屋に集まっていた蜘蛛の、最後の一匹を塵に返した平蔵は刃に絡んだ邪気を振り払いつつ、そちらを向いた。
 意識を失っていたはずの正目(まさめ)が起きており、屈辱と羨望のまなざしで平蔵と抜き放たれた刃を見ている。

「なぜっお前が刃を抜けるのだ! なぜ魍魎を倒せる!?」

 怒りと悲鳴が入り交じった叫びに、平蔵は姿を消しているさやがおびえるのがわかった。
 未だに、彼の刃をうまく作ることが出来なかった記憶が勝るのだろう。

「俺はずっとずっと修行してきたのだぞ。虚神狩りになるために、どれだけ苦労してきたと思っている! 俺ほど術をうまく使える同胞もいないのに、なぜ俺は選ばれな……ひっ!?」

 たがが外れたようにわめきちらす正目の横に、平蔵は刃を突き立てた。
 正目の表情が恐怖に染まるが、拘束していた蜘蛛の糸がぼろぼろと崩れ去るだけだった。
 自由となった正目が唖然とこちらを見上げてくるのに、平蔵は鼻を鳴らした。

「他の鞘神がどうかなんて、そんなもん知らねえよ。ただこいつに関しては、てめえが選ばれなかった理由はわかるぜ。てめえもうすうすわかってるんじゃねえか」

 腰の鞘に触れながら言えば、正目はわなわなと唇を震わせた。
 平蔵は見えていた。正目の腹にある虚は、豆粒ほどの小さなものだ。
 健全に暮らしていれば、ふさがってしまう程度のものである。
 そこはさすがに修行してきた人間だと言うことなのだろう。
 さやの言葉が本当ならば、正目は一度この鞘神を抜かせてもらっているのだ。

 彼女が不適格な人間を壊さぬように、抜かせなかったのであれば身を以て理由がわかったはずだ。

「た、ただの浪人風情が偉そう……あだ!?」
「へーぞーわるくいわないで」

 明らかに虚勢とわかる憎まれ愚痴を叩いた正目の頭を、さやが叩いていた。
 正目は痛みよりも、ぷうと、不機嫌に頬を膨らませるさやに絶句している。

 平蔵も、まさか出てくるとは思わず、あきれたまなざしでさやを見おろした。

「お前、わりと口より手が先に出るな」
「ことばはなすのめ……むつかしい」
「面倒くさがるな」

 平蔵が突っ込めばさやは恨めしげではあったが、黙って消えていった。
 ともあれ、平蔵の刃が抜き手の普通なのかはわからないが、彼女の刃に関しては、はっきりと言える。

「こいつは、俺みてえな大馬鹿野郎じゃねえと使おうとも思えねえ代物なんだよ。そういうことにしておけ」
「なんだと」

 気色ばむ正目に、これ以上言葉をくれてやる気はない。
 目的は達成した。
 平蔵は一旦、刀をおさめると、塗りの禿げかかった鞘を拾ってほうってやる。

「後は好きにしろ」

 元々正目は次いでなのだ。ここで朽ち果ててもかまいやしない。
 ぞんざいな扱いに、正目は顔を赤黒くしたが、意外にも文句は言わなかった。

「おまえはどうするのだ。ここがどんな場所かわかっているのか」
「来たんだからわかってるに決まってんだろ。鎬と合流して、元凶ぶっ倒さなきゃなんねえからな」
「鎬まで来ているのかっ!?」

 血相を変える正目に、平蔵は違和を覚え。
 反射的に横っ飛びに体を逃がす。

 刹那、壁の一部が吹っ飛び、何かが部屋を転がった。
 もうもうと立ちこめる土埃がおさまったあと、そこに倒れていたのは、二手に別れたはずの鎬であった。
 辛うじて大太刀の柄を握りしめているが、全身に傷を負って疲労の色が濃い。。

「鎬っ!?」

 正目が愕然と声を発する中で、平蔵は崩れた壁の外にたたずむ人影を鋭く見やる。

「人の屋敷に無断で侵入するとは、虚神狩りは度しがたい連中だな」

 抜き身の刀を片手にさげてたたずんでいたのは、この屋敷の主である、砥部貴盛であった。
 武家らしく袴を履いた姿は、家でくつろいでいるところを出てきた、と言わんばかりであったが、異界と化しているこの場では、異質でしかない。

 何より平蔵は、砥部にまとわりつく濃い邪気に気付いていたが、あくまで気安く片手を上げて見せた。

「よう、邪魔してるぜ」
「招いた覚えはないな」
「招かれた覚えもねえや」

 軽口で返していれば、げほ、と咳き込む声と共に、背後から鎬が声をかけてきた。

「へいぞう、さん、逃げて、玖珂へしらせて、ください。あの男はもう。手遅れです」

 大太刀を杖に、なんとか立ち上がろうとする鎬だったが、うまく体が動かない様子で手こずっている。

「なにがあった」
「それがしの毒を受けてもなおしゃべれるとは、百姓は丈夫だな」

 これ見よがしにため息をつく砥部の言葉に、体を震わせながらも鎬は悔しげに唇をかみしめていた。

「再三陳情を上げていると言うのに。市井の者を武士とするなど恥ずべき行為だ。聞けばその娘も、元は口減らしの百姓の子だと言うではないか。このような質の低下があるからこそ、虚神憑きが減らないのだろう。刀は武士だけが持つべき特権としておけばよかったものを」
「何を、言うんですか。力を持たぬ民草を守るために刀を取った身、そこに違いなどあるはずがありません」
 
 力を振り絞るように叫ぶ鎬に、砥部は顔色一つ変えなかった。

「貴賤があると思うておった男もいるようだがね」

 砥部の視線を受けた正目が、顔をこわばらせる。
 これが砥部貴盛と言う男の本性であったのだろう。
 ぎしりと邪気が這い上るような重い空気がはびこる中、平蔵はごくごく気軽に言ってやった。

「よお、砥部さんよ。土竜からだいたい話は聞いたぜ。こんなことを起こしたのもてめえがお上に出世させてもらえねえ腹いせだってよ」

 ぴくり、と砥部の歩みが止まったのを良いことに、平蔵は世間話のように続ける。

「市井で火盗(かとう)といえば花形なんぞと言われてるが、武家にとっては通常の仕事に加えて持ち出しも多い、苦労と報酬が見合わねえ仕事らしいな。だが負担が重いだけに配置換えも早ええ。けど、あんたは四年たっても火盗のままだ。出世欲が強えあんたは、許せなかった」

 由右衛門が言うに、今回の事をもちかけたのは、砥部からだったそうだ。
 見逃す代わりに、薬をばらまくこと。
 どういう売り方をして、どれだけ稼いでもかまわない。
 ただ、薬を売った人間を教えること。中毒者を密かに砥部の屋敷に運び込むことが条件だったという。

「虚神憑きが暴れた時に、てめえはいの一番に駆けつけていた。当たり前だよな、あらかじめ誰が危ねえか知っていたんだからよ」
「それがしはただ、将軍様の治世を乱す屑どもを一掃したに過ぎぬ。どうせいつかは転ぶ輩だ。遅かろうと早かろうと変わらなかろう」
「あなたは……っ」

 砥部の身勝手な言い分に、声を荒げる鎬だったが、あまりの怒りに言葉が続かない。
 鎬の怒りなど目に入らぬように、砥部は淡々と続けた。

「そもそも、今の町方の構造そのものが間違っておるのだ。教養のない町民どもを管理するのに、なぜ町民を起用する。そもそも武士の役目は虚神を断ち切るもの。にもかかわらず、なぜすべてのそれがしのような優秀な人間が、たかが火盗程度に留められているのだ」
「だから、虚神狩りを狩ろうとしたか」

 平蔵の指摘に、砥部は初めて表情を動かし、にたりと笑った。

「陳情してもわからぬと言うのであれば、わかるように示してやるのも忠義というものであろう。ちょうど、未熟で不適格な虚神狩りが居たからな。虚神憑きとなった宗家をそれがしが召し捕らえれば、それがしを正しい地位へと付けてくださる事だろう」
「それで自分が虚神憑きになっちゃ世話ねえな」

平蔵が独りごちる言葉に、意外にも砥部は反応した。

「なにを言っている。忌まれていたとしても強大な力であることは変わらぬ。有効活用すればよいだけのことだ」

 鎬が砥部のあまりの言い分に絶句するが、火盗の男はあくまで平静である。
 骨の髄までそれが正しきことだと信じぬき、疑問にすら思っていないことが見て取れた。

「ただそやつ、自ら乗り込んで来たまでは良かったが、虚神が憑くほどに落ちていなかったのでな。少々手間をかけようとしたところであったが」

 引き合いに出された正目は、自分がはめられた事はわかっているらしく、唇をかみしめている。
 だが砥部はそのような正目には毛ほども興味は持たず、ただただ平蔵を映していた。

「そう、貴様らが入り込んできて好都合だったのだよ。それがしの計画をことごとく踏みにじった、虚斬り侍よ」

 喜色のような、憎悪のような表情で睨む砥部の周囲に漂う魍魎が震えた。

「そなたが虚神憑きを狩ったおかげで、読売では連日虚斬り侍ばかり。火盗の働きが知れ渡らない所か、それがしの功績が減ったのだ」
「いやそれ俺に言われても」
「だがまあよいのだ。予定外だが貴様が飛び込んできたのだからな」

 平蔵は素に戻って言い返したが、砥部は聞く耳持たず、刀を持ったまま両手を広げた。
 周辺にある魍魎が、砥部の言葉に呼応するようにざわめく。

「筋書きはこうだ、虚斬り侍は実は虚神憑きであり、近頃の虚神憑き騒ぎの元凶であった。鞘神を穢し、虚神狩りを殺めたために、火盗であるそれがしが成敗したのだ」
「ずいぶん、都合のいい話だな」 
「それがしを疑う者など、誰一人おらぬよ。虚神狩りの娘ですら気付かなかったのだからな」
「ここにすべて知っている人間が三人も居るんだがねえ」

 平蔵はいいながら、じっとりと嫌な汗が噴き出すのを感じていた。
 背後には動けぬ鎬と正目が居るため、砥部の得体の知れなさに動けずにいた。
 虚勢を張る平蔵を知ってか知らずか、砥部はにたりと笑った。

「なあに、それがしの巣から生きて出る者はおらぬよ」

 言葉と同時に、砥部の額がめり、と盛り上がる。
 めきめきと生々しい音をさせて生えるのは、二本の角。
 平蔵には見覚えがあった。
 それはかつての主君が帯びていたもの。
 砥部の腹に空いた虚からぞぶりと魍魎が吹き出した。

「見よ、これがそれがしが手に入れたちか、らあ!?」

 砥部の哄笑が驚愕に途切れた。
 理由は銀の剣線を引き連れた平蔵が、問答無用で斬りかかったからだ。

 平蔵の上段からの切り下ろしを、自らの刀で受け止めようとした砥部だったが、鋼で創られた刀は断ち切られ、砥部の額を割りかける。

 しかし、寸前で砥部の背面から現れた八つの足が防いだ。
 砥部だけではなく、鎬と正目まであっけにとられる中、いったん距離をとった平蔵は、砥部背から生える蜘蛛の足にあきれた声を漏らした。

「へえ、もう十分化け物じゃねえか。それじゃあ出世は絶望的じゃねえの」
「貴様どこまで愚弄すれば気が済むのだ! 仮にも武士であれば、正々堂々挑むのが通りであろう! 不意を打つとは卑怯ではあるまいか!」
 
 支離滅裂な砥部の主張だったが、思わず、と言った様子で鎬と正目までうなずく。
 しかし平蔵は、なにを馬鹿なことを鼻を鳴らして応じた。

「てめえの話が長すぎるのがいけねえんだろうが、それによ、てめえの面が気にくわねえんだ」
「な、」
「さっきからぐだぐだうるせえんだよ。出世してえだけならそう言いやがれ」

 あまりのことに絶句する砥部に、鼻を鳴らす平蔵だったが、肩口に現れたさやまでが非難めいたまなざしで平蔵を見ていた。

「へーぞーあんまりかっこよくない」
「生き残るにゃ、出来ることはなんだってしなきゃなねえんだよ。――鎬をはやく医者に診せなきゃなんねえしな」

 続けられたそれに、さやの表情も引き締められる。
 そして二人そろって砥部に視線を投げた。

「それによ、俺は武士じゃねえ、侍でもねえ」

 すう、と平蔵は刀を構え、目をすがめて言い放つ。
 名乗るにふさわしい名なぞ、元より持っていない。
 しかしあえて言うならば。

「虚斬りとでも名乗ろうか」
「そしてさやがへーぞーのさやがみだ」

 平蔵の肩から顔を出し、誇らしげに胸を張るさやに、砥部は爆発した。

「貴様ァァァ!!!!」

 激昂する砥部が、自ら引きちぎった足を刀として、平蔵に襲いかかる。

「さや、行くぞっ」
「あいっ」 

 紅い童女の姿が溶け消える。平蔵は己の魂を握りしめ、砥部の蜘蛛足を迎え撃ったのだった。
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