第2話 2-2.外科女医 笹山ゆみ 

文字数 3,122文字

 高校生の時、私は不覚にも本当の意味での恋と言うものを知ってしまった。

 年は私より3つ上。そして同じ高校の先輩だった。
 私がこの高校に入学した頃はすでに卒業していた。

 元、バスケット部のキャプテン。そして今はとある医大の医学生。
 このバスケ部を全国大会まで押し上げた実力のあるあいつ。
 卒業してからもバスケの指導によく姿を見せていた。

「笹山、笹山」

 生徒玄関で外履きを取ろうとした時、私の後ろから声をかけるあいつ
 振り向くと

「よう」と軽い声を上げ
「今帰りなのか? 随分急いでいたようだが」
「そ、そうですか? でも先輩には関係ない事でしょ」
 1年生の頃の私はちょっとその先輩……あいつが苦手だった。

 私の家は『笹山総合病院』と言うこの地域でも割と規模の大きい病院を経営している。そして、あいつの家はこの街にある小さな個人病院だった。

 まぁ、病院同士のつながりもある事ながら、あいつの父親ともう死んでいないけど、私の本当の父親とは仲が良かったらしい。
 だからあいつは私の事をよく知っている。でも私は? それ程その頃はあいつの事を知ろうともしなかった。

 むしろ避けていたのかもしれない。身長は180センチ、高い身長に色白で切れ長の眉にちょっとシャープな目。鼻はスッと伸びて、男子にしてはちょっと薄ピンク色が目立つ唇。それに全国大会まで伸し上げるほどのバスケットの才能に満ち溢れたあいつを、女子たちが騒がない理由はないだろう。

 いつもあいつのまわりには私と同じ、同性の女と言うものが付きまとっていた。

 ERの扉を開けるとすでに患者は搬送され処置台に寝かされている。

 私の姿を見た奥村優華(おくむらゆうか)
「ごめんね。オペ終わったばかりなのに呼びつけて」
 珍しく彼女らしくない言葉を私に向ける。

 不意に寒気がするような気がしたが、処置室の状況を見れば彼女言った意味が理解できた。
 その場にいたのが奥村先生と、先日配属になったばかりのフェロー
 上原卓(うえはらすぐる)笹山歩佳(ささやまあゆか)の3人だけだった。
 しかも患者は二人、奥村先生は一人の患者の対応で手が離せない。

「笹山先生もう一人の方診てくれる? めだった外傷はないんだけど、意識がないの」
 そう言いながら彼女は患者へ向けてを動かす。

 バイタルは安定している。彼女の言う通り目につくような大きな外傷は見受けられない。
 一応輸液のラインは取られていた。処置をしていたのはフェローの上原卓。
 まぁ、ここまでは適切な処置? まぁそうだろう。最低限の事は行われていた。

 多少瞳孔の拡散がみられる

 即座に頭部を診察する。思った通り、頭部に打痕後がある。
「まずは頭部のCTを。上原先生、この頭部の打痕は確認したのか?」

 返事はなかった。
「だろうな……」

 患者をストレッチャーに乗せCT 室に移動させた。
 操作室で送られてくる造影を見つめる。

 その画像の一つに映し出されたもの。「出血しているな」と一言いう。
 その部分を見つめ「脳外へ連絡してください」
 言われるままに上原先生が脳外に連絡をする。およそ5分後脳外の先生が少し息を切らしてやって来た。

 すぐにCT画像を見て
「ああ、血腫がある。運が良かった、ここなら何とか今すぐオペをすれば助かるだろう」
 まず優先する処置は頭部の血腫を取り除く事。念の為全身のCTを取ったが目立った損傷はない様だ。

「患者のご家族は?」
「もうすでに来ています」
「そうか、じゃぁオペの承諾書とIC『インフォームド・コンセント』は上原先生に任せる」
 オペの方は脳外に引き継いでもらう事にした。

 処置室ではようやく奥村先生が処置を終えていた。
「原因は?」
「交通事故だって」ガウンを脱ぎ、処置報告を電子カルテに書き込みながら言う。

「そっちはどうだったの?」
「脳内血腫があった。オペ適応範囲だったからあとは脳外に振ったわ」
「そう、こっちは酷かったけどね。心タンポナーデ起こしていたから手が離せなかったのよ」
「それで患者は助かったの?」
「取り敢えず止血は出来たから、これから心臓外科で緊急オペ。ICと承諾書は歩佳先生に行かせてるけど」

「そうか――って、大丈夫かあいつら二人でIC?」
「さぁね。どうでしょう」

 椅子から立ち上がり「やれやれ、私ちょっと行ってくるわ」と少し重く感じる腰を上げ、患者の家族がいる部屋に入ってみると
 私の第一声は「あちゃ――」だった。もちろん実際に声を出したわけではないが。
 泣きわめく母親らしき女性に、納得のいかない表情で眉間にしわを寄せえている父親らしき男性。

 私がそのドアを開けると一斉に4人の視線が私に集中した。
 一番印象的だったのが、案の定フェロー二人の困り果てたあの顔の様子。

「笹山先生」第一声を上げたのは歩佳だった。
「承諾書はいただけましたか?」落ち着いた話し方で訊いたが、答えは返って来なかった。
「ちょうどよかった、この二人の説明はよく分からなくて、とにかく子供たちは無事なんですよね」

 父親らしき男性が強い口調で私に声を上げる。

 この状態だと、多分うまくと言うか、適切な説明は出来ていないんだろうと直感的に感じ、今の二人の状況を説明した。

「今は何とか応急処置的に出血されている部分などの処置は済んでいます。それと先程ご説明しました通り、手術を行わないと命に関わる事には変わりはありません。特にお二人とも緊急の手術を必要としております。状態は変わります。お兄様の方はすでに心臓医外科により損傷した心臓の血管の修復手術が行われています。そして妹さんの方はこれから脳外科による脳内に溜まった血液を取り除く手術がもう間もなく行われるところです」

「手術をすれば助かるという事なんだな」

「確実性を申し上げることは出来ません。非常に危険な状態であると言う事です。状況は時間が過ぎるほど変わっていきます。不測の事態も考えられる状態だと言う事です、ですが最善は尽くしていきます。通常はこの承諾書に署名を頂いてから手術に入りますが今回は特に緊急性が高いため、手術を開始させていただきました。その点につきましてはご理解いただきたく存じます」

 私の話を訊いて、さっきまでいき込んでいた父親の方が肩をがっくりと落とし。目に涙浮かべた。それとは反対にさっきまで涙を流していた母親の方が、冷静さを取り戻したかのように

「わかりました。何とかあの子たちを助けてやってください」と私に向かい言い、双方の承諾書に署名をした。

 母は強し。と言った感じだ。

 IC『インフォームド・コンセント』患者の今の状況と、これから行う治療についての説明。患者自身、基、家族に対してもその状況と今後の治療に対する説明はきちんとおこなわなければいけない。一番不安になるのは本人であり、その家族であるのだから。時にはICで宣告を告げなければいけない場合も、この救命では多々ある事だ。

 医者は、ただ単に目の前の患者の治療をすればいいだけではない。その患者を取り巻く家族、親族への不安を、見えない不安を明確に説明し、そして共に患者へのサポートを私達と共に行うための説明だ。

 ただ今回はこのフェロー二人には、まだ荷が重すぎたのかもしれない。
 自分達がもつ知識……いわば我々の使う専門用語をただ単に並べただけの説明だったようだ。

 あいつがよく言っていた。

「うちの親父は町医者だから、専門的な用語はほとんど聞いたことが無い」と
 相手に向き合え、向き合う相手に対し理解を得ろ。
 医者は、時に神の様に思われる時と……人殺しとののしられる……事をいつもその手に言い聞かせろと……

 あの大きな背中は今も私の前にいる。

 多分一生超える事の出来ない……私の瞼の陰に映るあの背中が……

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