ラブ・オア・デス

文字数 5,066文字

 夜、つばさは誰もいなくなったリビングのテーブルに座り、メッセージカードと格闘していた。
「いつも仲良くしてくれて、ありがとう。これからも、ずっと仲良く……」
 そこでボールペンを持つ手が止まる。
「わざわざ自分で友達宣言してどうすんのよ!」
 つばさは苛立ちをぶつけるようにメッセージカードをくしゃくしゃに丸め、予備のカードを取り出すとふたたびボールペンを取った。
「今年こそは!」
 高校二年の女子高生、大森つばさは気合いを入れ直してペンを手に取った。つばさは同じバスケットボール部同期生の男子、高山に恋していた。
 明日はバレンタインデー。高山にチョコレートを渡し、ほぼ二年間、つもりにつもった想いを伝えようとしていた。家族に内緒で作ったチョコレートもなんとか完成し、高級感と上品さを演出する茶色を基調とした黒と緑のタータンチェックの包装紙に包まれ冷蔵庫で眠っている。残すのはこのメッセージカードだけであった。
「ずっと、好き……」
「おっ! 来年受験生。もうカンニングペーパー作りか?」
 突然、背中から声をかけられ、つばさは「ぎゃあ!」と悲鳴を上げながら両手でメッセージカードを隠した。
 声の主は大森(じょう)。風呂上がりに寝巻きへ着替え、濡れた髪をバスタオルで拭いている。そのままキッチンへ行くと、冷蔵庫から牛乳を取り出しグラスへ注ぐ。
「勉強、部活もいいけどさ、恋愛のひとつくらいしろよな」
 そう言うと、丈はグラスの牛乳に口をつける。その様子を恨めしそうに睨みながらつばさは「チョコは野菜室の奥だから大丈夫」と胸の内でつぶやいた。
 つばさのひとつ違いの弟。丈という名前は、父親の敬愛するマイケル・ジョーダンから取ったもの。つばさという名前も、そのジョーダンが履いていたバスケットシューズに刻印されいる翼の生えたバスケットボールのマークからきている。そんな父の影響で小さい頃から共にバスケットボールを習い、同じ高校の同じバスケットボール部という境遇は、まわりから見れば仲の良いきょうだいという印象だったが、つばさにとっては常に両親の愛情を奪い合うライバルのような存在であった。
「そういやさ、明日って、バレンタインデーじゃん?」
 グラスの牛乳を飲みつつ、丈はカウンター越しにリビングのつばさに声をかける。
「だから?」
 つばさの冷たい反応を気にもせず、丈は続けた。
「実はさ、チョコ作ってもらいたいんだけど」
「はあ? なんでわざわざあんたにチョコなんて作らなきゃなんないのよ」
 つばさは唐突な丈からの申し出に驚き、大きな声をリビングに響かせ、すぐに両親に聞かれてやしないかと口を噤む。
「クラスの奴らに、チョコ貰えるって吹いちゃってさ」
 丈は悪びれる様子もなくにやけていた。
「なにやってんのよ。別にあんたなら、私が作らなくたって貰えるでしょ?」
「確実なのがひとつ欲しいんだよ」
「なによ、それ」
「ちゃんとしたの作ってよ。本命っぽいやつ」
 シンクの蛇口をひねり、丈は飲み終わったグラスを水でゆすいだ。そして、リビングのつばさの背中にまわると、手を肩に置く。
「まあ、お前には無理だろうけど」
 その一言に、つばさの神経は一気に逆撫でられた。
「お前って、ちゃんとお姉ちゃんって言いな!」
「はいはーい」
 丈は小馬鹿にするように笑い、つばさを怒らせるとわかっていながらそう返すとリビングを出た。
「なんなのよ! もう!」
 つばさは勢いよく立ち上がると、キッチンに向かい、湯煎用の鍋に水をはり、コンロの火をつけた。まだまだ沸かない鍋の気泡を見つめていると、つばさは唐突に閃いた。自然と口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「あいつ、クラスで見せるって言ってたな」
 つばさは鍋の湯が沸くまでの間にリビングへと戻ると、書きかけのメッセージカードに向い、丈の声に驚いて酷く乱れてしまった文字をボールペンで乱暴に塗り潰した。

「ちゃんとチョコ持って行けよ」
 翌朝、高山の下駄箱にチョコを入れるためにいつもより早く家を出ようとするつばさに、リビングの丈が声をかけた。
「それから、部活のあとに参考書買いに行くから夕飯遅れるっておふくろに伝えといて」
 丈はキッチンで背中を向けて家事に勤しむ母親に聞こえないように言った。母親は作った夕飯を遅らせることをひどく嫌ったので、丈はつばさにその役を押しつけようとしていた。
「なにがおふくろよ! お母さんって言いな!」
 返事もせずに朝の情報番組を観て笑う丈の背中をひと睨みしてから、つばさはリビングをあとにした。

 つばさは学校に着くと、まず丈の下駄箱の扉を開ける。
「なにが参考書買いにいくよ。どうせ、みんなとカラオケでしょ!」
 つばさは鞄から包みを取り出すと、茶色のタータンチェックの包装紙に包まれたチョコレートを放り込み、苛立ちに任せて雑に下駄箱の扉を閉めた。
 次に、あたりを気にしながら高山の下駄箱へと近づく。鞄の中に手を入れ、もうひとつの包みを掴んだまま、決心が固まらずに取り出すことができない。この手の中の物を高山の下駄箱に入れるべきかどうか。
「つばさ!」
 聞き覚えのある女子の声に驚いた拍子に、自分でも今までしたことがないような素早い動きで、つばさは包みを高山の下駄箱に入れて扉を閉めた。
 声をかけてきた人物はつばさの姿を確認すると近づいてくる。同級生のまどかだった。
「あれ?」とまどかが不思議そうな声をあげるものだから、つばさは慌てて高山の下駄箱から離れて、さも当然のように振る舞う。
「いつもより早くない?」
「そう、そうなのよ。弟がいつもより早く出るって言うから、私も前にずらさなきゃならなくて」
 つばさはつい、声と身振りが大きくなってしまう。
「ああ、なるほどね」
 まどかは納得したように頷き、二人は話しながら、自分たちのクラスへと向かう。
「でもさ、あんな可愛い顔した弟くんがいて、毎日楽しいでしょ?」
 二人は教室へ入ると自分の席に着く。つばさとまどかは席が近かったので、そのまま会話は続いた。
「いやいや、全然! あいつ、いびきうるさいし、ツボるとかなりキモい笑い方するんだよ」
「ええ? 本当に? 意外」
 まどかはつばさの話に眉をひそめた。つばさはそれを見て満足そうに「そうそう」と返す。「隠れて鼻くそも食べるてるしね」とは丈の名誉のために言わないでやることにした。
「まったく、腹立つんだよ、あいつ」
 丈の話題になり、つばさは今朝の丈への苛立ちをまどかにぶつけようとした。
 昨晩もどうせ緊張に眠れないだろうから、早く高山へのメッセージカードを書いて、ベッドで横になりたかったのに、丈に頼まれたチョコレートを作る羽目になり、結局、寝不足だった。高山へのメッセージカードは完成し、包みの中に忍ばせたのだが、丈のチョコレートを包む包装紙がないことに気づき、なにかのさいに余った白に青のギンガムチェックの包装紙を探しあてるまで時間を費やしたことを思い出し、つばさはさらに腹が立った。
 すると、つばさは突然、短く大きな音を立てて机を揺らすと、目を見開き固まった。その様子を不審がったまどかは恐る恐る「つばさ?」と声をかける。
 つばさの頭の中で、高山の下駄箱の扉が閉まる時の光景がスローモーションで再生されていた。高山の下駄箱に置かれたチョコレートの包みは白に青のギンガムチェック。
「ああー!」
 つばさは大声をあげて勢いよく立ち上がる。まどかは突然のことに驚いて椅子から転げ落ちそうなった。
「間違えた!」つばさは頭の中で叫んだ。教室中の視線がつばさに向けられていたが、つばさはそれに気づくこともなく、次の瞬間、弾けるように駆けだした。
「マズイマズイマズイマズイ!」
 つばさは走りながら、まるで呪文のように唱え続けた。
 高山への気持ちを込めたメッセージカードを丈がクラスで同級生の男子たちと見ることになってしまう。それよりもまずいのは、高山があの包みを開くことだ。つばさは試合の時のような全速力で下駄箱へと向かった。
 まず、丈の下駄箱から高山宛てのチョコレートを回収する。そう思い丈の下駄箱の扉を開き手を伸ばした。
 すると、その中にあるのは白に青のギンガムチェックの包み。
「えっ?」つばさは驚いて、そこが丈の下駄箱なのかを確認してしまう。理由はわからないが、今はともかく、高山の下駄箱の中の包みを回収しなければと、今度は高山の下駄箱へと急いだ。
 つばさが高山の下駄箱の扉を開くと、そこには包みがなく、高山の下足が入っているのみだ。それは同時に高山がすでに登校していて、包みを手にしてしまっているということを意味していた。
「うおお、しまったあ!」
 つばさは頭を抱えながら唸った。全部あいつのせいだ、あの馬鹿な弟のせいだとつばさは丈を恨んだ。
「大森!」
 その声につばさは咄嗟に声の方へと顔を向けた。この声にはどうしたって身体が勝手に反応してしまう。
「高山くん」
 高山は少し離れた距離から、つばさに近づくことなく鞄に手を入れた。
「おはよう。これ、サンキューな」
 高山は照れを隠そうと顔を強張らせながら、顔の高さにタータンチェックの包みを上げて、つばさに見せた。
「ああ、うん」
「じゃあ、またあとで」
 高山はぎこちなく笑うと、包みを鞄へとしまい、教室へと向かい去っていく。
「うん」とつばさは高山の背中を見送る。
「でも、なんで?」
 つばさはこの日の部活が終わったあと、一緒に下校することになる高山から不思議な質問をされる。
「メッセージカード、なんで二枚入れたの?」

 丈があたりを気にしながら下駄箱へと向かう。自分の下駄箱の前に立つと、素早く扉を開け、中にあるギンガムチェックの包みを手に取り、万引き犯のようにブレザーの内側へと忍ばせた。
 そのまま丈は校舎の階段をのぼり、屋上前まで来ると、階段に腰かけ、ブレザーから包みを出す。
「誰だか知らないけど、申し訳ない。バカ姉貴のためなんだ。どうか、恨まないで」
 丈は膝に置いたギンガムチェックの包みに向かって合掌した。

 丈はつばさから遅れること五分後に登校し、まず下駄箱に置かれたタータンチェックの包みを確認した。そして、あらかじめ用意した『ハッピーバレンタイン』とだけ書かれた既製品のメッセージカードに手書きで「大森つばさより」と加えたものをリボンの間へ忍ばせた。
 それを持って、つばさの意中の相手だと自信のあった高山の下駄箱へと向かう。なぜなら、部活の最中、つばさの視線がバスケットボールを持つ高山に集中していたからだ。つばさは隠しているつもりだったが、丈からすればそれはあからさまだった。
 文武両道、品行方正でまわりからの評判もいいつばさだったが、昔から恋愛に奥手であることを丈は間近に見てきていたから、無理矢理にでもきっかけを作ろうと画策したのだった。
 丈は今一度あたりを見回した。男子生徒の下駄箱にチョコレートを入れるところを目撃でもされれば、かなりややこしい話になってしまう。
 あたりに人影がないことを確認し、意を決して高山の下駄箱の扉を開くと、そこには白に青のギンガムチェックの包みが置いてある。想定外のことに丈は慌ててしまい、つばさのチョコレートとすでに置いてあったその包みを交換して、行き場に困ったギンガムチェックの包みを持ってきてしまっていた。とりあえず、その包みを自分のロッカーへ入れて、その場をあとにしていた。

「あいつ、寝相ひどいし、キモい笑い方するときもあるけど、いいやつなんだ。チョコは美味しくいただきますので、許してください」
 丈はギンガムチェックの包装紙を開け、箱の蓋を開けた。中には箱一面にチョコレートが敷き詰めてあり、食べやすい大きさに切り分けられていて、化粧をするようにカカオパウダーが振りかけられていた。
「おお」その見事な出来栄えに丈は自然と声を漏らした。しかも、このチョコレートの作り主は、高山が教室や部室で開けた時に、友人たちと一緒に食べることまで想定している。
 箱の上のメッセージカードの存在に気づき、見るべきではないと思いながらも、この心遣いの行き届いたチョコレートを作ったのが誰なのかと興味を引かれ、ついメッセージカードを開いてしまう。
 すると、その中には、二、三言書かれた文字をボールペンで塗り潰し、カードの真ん中に太めのマジックでメッセージが書かれていた。
「シネ! バカ!」
 丈は突然飛び込んできたメッセージに驚いて眼を丸くすると、わずかに身体をのけぞらせて呟いた。
「ええぇ……?」
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