第21話

文字数 2,593文字

☆☆☆


 雨月市立図書館。大きなレンガ造りのその建物は古くからあり、町のシンボルのひとつである。
 が、中に入ると、人影が見当たらない。
 おれは書架の合間をぐるぐる回って、ラズリーを探す。いない。
 ここにはいないのか、とも思ったが、人が一人もいないってのはおかしいし、とすると絶対にいるはずだという確信を持ったので、執拗に探す。すると、他と区切られた、広い学習スペースの真ん中らへんで、ラズリーはハードカバーの本を広げて読んでいた。
 おれの足音に気づくとラズリーは、
「さぁ、終わりにするじゅる」
 と、まるでここに来るのを見越していたかのように薄く微笑んだ。
「人払いの術式はかけてあるじゅる。だから、ここにはひとは来ない。安心していいじゅる。魔法はあるじゅる。なぜ、天一高校のスルフルとメルクリウスが魔女っ娘と呼ばれていたか。それは、あの二人がこの仮想空間をつくったプログラマチームの一員だからじゅる。プログラムの改変も、行おうと思えば行える地位にいるじゅるよ。ただし、二人の現世での記憶もあやふやなものになってしまっているじゅるが。あたしたちは、長く居すぎたんじゅる、この世界に。この世界は〈ゲーム療法〉というものの実験でつくられた世界じゅる。……が、療法とは名ばかりじゅる。精神病院の病棟の患者の大半が一生を病棟で過ごすのと同様、あたしたちも、その大半はこの空間で一生を過ごすはめとなる。現世での肉体はもう、回復しないだろうとあきらめられている奴らが大半だから。しかし困ったじゅるよ」
 ラズリーは広げていた本をバチン、と勢いよく音を立てて閉じた。
「まさか小説で〈友情〉なんてもんを書き出すなんて。この町に捕らわれた住人は苦い思いでおまえの連載小説を読んでいるじゅるよ。友情なんて、とても苦い。苦くて飲めたもんじゃないじゅるる。〈友情の維持〉のためにあたしのお姉ちゃんをいじめのターゲットにし、お姉ちゃんを助けるために銃を乱射した高校生、つまり島崎、おまえみたいな奴が現れてしまったというその笑い話。笑い話ついでにいっておくと、現世ではごっつい身体をしていたスポーツ少女のお姉ちゃんは、この町では谷沢ひばりという名前の少女になって、歌姫になっているじゅる。暗黙の了解で、あたしたちは姉妹じゃなくなっているじゅ
る」
 ラズリーは立ち上がり、歩き出す。おれもそれについていく。
「犯人を捕らえて仮想空間に送り込んだら、案外まともな奴だったんでみんな困っているじゅる。適応して、勝手に友情ごっこの仲間入りをしている。どうせ事件前のおまえも友情に飢えていたんだろうじゅる」
 学習スペースから出て、書架のひとつの前で立ち止まると、ラズリーはさっきまで読んでいたハードカバーの本を書架に戻す。アルチュセールの本だった。
「この空間には伏線らしい伏線は用意されていなかった。でも、おまえののーみその中には、伏線が用意されていたんじゅるね。ペティの白昼夢。あたしはこっちの世界に来てから、ペティをつくった。それが〈対象と似たものを通して術を施す〉、『類感魔術』と同じ役割を果たしてしまったじゅる。おまえに似せてつくったペティと、意思が疎通してしまった。だから、ペティが〈つくられる前〉の記憶も、ペティから〈見る〉というパラドックスも生じているんだじゅる。おそらくは、じゅる。あたしはおまえじゃないから知らないじゅるが、ハッキングしてデータを見る限り、そういうことっぽいじゅるる。あたしは、……個人的に言えば、感謝してないこともないじゅるよ、お姉ちゃんのために、破壊活動を行ったおまえのことを。だけど、代償があまりに大きすぎたじゅる。嘆いても仕方がないじゅるが。心的外傷を癒やすためと言い、こんなところに閉じ込められて、ここにいる奴らの人生はみんな破綻してるじゅる」ラズリーがこちらを振り向く。
「問題じゅる。あたしとお姉ちゃんは、本当に〈あの事件〉から、生きているのでしょうか?」
 おれは息をのむ。答えられない。
「そう。わからないじゅるよ。あのとき、死んだのかもしれないじゅるよ。ここにいるのは、記憶だけがゴーストになって浮遊してるだけの、データだけの存在なのかもしれないじゅる。そんなのここの住人は誰もわからないじゅる。内部にいるから。空間内にいる以上、生きているか生きていないかすら、本当はわかっていないじゅる。今まで話した内容も、植え付けられただけの『設定』なだけなのかもしれないじゅる」
「ラズリー。おまえさぁ」
 手を掴んで、ラズリーの身体を引き寄せる。今度は離さない!
「そんなことばっか言ってて、斜に構えて、どうなるってんだよ。おれはペティ越しに、おまえの泣き顔をたくさん見てきたんだよ」引き寄せた身体を抱きしめる。
「おまえ、今も心じゃ泣いてるだろ。我慢すんなよ。耐えられないんだろ。でも、おれがいる。おれが…………、ここにいるから」
 ラズリーはおれの胸に抱かれてじたばた動いて離れようとしていたが、ぎゅっと抱きしめてしばらくすると、観念したかのように肩の力を抜いてくれた。
「おまえ、ずるいじゅる」
「ずるくていい。ずるくなっておまえを捕まえられるなら。離さないでいられるなら」
「全然ロマンチックな言葉じゃないじゅる」
「別に、ロマンチックなこと言おうとしたわけじゃない。口説いてもいない。ただ、ちょっとだけこのままでいよう」
「独りよがりな男が吐く台詞じゅるね」
「独りよがりだよ。我慢できないほどに、ラズリーのことが欲しいから」
「くっそバカじゅる」
「たまには知性のかけらもないくっそバカに抱きしめられてみろよ」「…………抱きしめられるなら……、おまえじゃなきゃ嫌だじゅる」
誰もいない図書館で、唇と唇が重なって、舌と舌が絡み合う音だけが館内に響く。


☆☆☆


 これは問題が問題となるその前の、前提のお話。それを問題構制、〈プロブレマティック〉と、呼んだりもする。問題設定の前の基礎論だ。それは時代、状況によって強く拘束を受ける。理論に先立って、状況ありき、なのだ。それは、どこにいたってそうなのかもしれない。だが、それは相対論とは違う。あくまで、基盤となるところに、状況や時代が絡んでくるのだ。そこから、普遍化することは出来ると思うし、それが出来てこその文学といえる。
 つまり、これは基盤となる、〈はじまりの物語〉。
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