第61話 株主総会への準備:2023年5月

文字数 1,970文字

(杉川社長が、株主総会の準備をする)

2023年5月。東京。T商事。社長室。

T商事は、6月の株式総会に向けて、準備をしていた。4つ問題があった。
第1は、カーボンフリー計画の推進と対策費用だった。そのために、オーストラリア事務所を拡充したが、効果はまだ、出ていなかった。
第2は、国内のレガシー・システム問題だった。障害には、救急処置をしたが、抜本的な対策は手付かずだった。
第3は、ダマスカスに代表される、競合企業との技術競争だった。海外システムはダマスカスのスピードには、ついて行けず、差は開くばかりだった。マンパワーの大きい国内向けのシステム部が動かなければならない。だが、レガシー・システム問題で、システム部は動きが取れなかった。
第4は、未着手のユニバーサル・ジェンダー計画対応だった。この問題は、UNGP(ビジネスと人権に関する指導原則)によって、BtoBに影響するリスクを抱えている。株主総会の質問対策は、必要だった。

それ以前に、業ダマスカスの直接の影響で、全体の売り上げが、1年間で、2割ほど落ちていた。業績回復が出来る事業計画の提示が問題だ。
差し当たり、退職社員の補充をしない過剰定員の削減を盛り込んだ。

これだけでは、株主総会は持たない。
そこで、第2と第3の問題に対する解決策として、海外システム部と、国内のシステム部を統合する箱の付け替えを組織改革を事業計画に載せた。

杉川社長は思った。

「このように組織の箱や看板を付け替える方法は、時間稼ぎにしかならない。箱や看板を付け替えれば、効果が判明するまでの2、3年間は、評価を逃れられる。その間に、トップは、めでたく、退職出来る。したがって、箱の付け替え、看板の付け替えは組織改革の禁じ手である。この方法は、赤字という概念のない政治家や官僚が愛用するが、営利企業では命取りだ。とはいえ、今回は、他に手がない。

T商事も、大企業病にかかっている。年功型組織は、売り上げが伸びて、組織が拡大している間は、強い。トップは、下から上がってくる提案を比較して、良い物を選抜、実行すれば良い。キャッチアップの時代では、欧米の競合企業が行っている優良事業をリストアップすれば、新規事業の提案が簡単に出来る。ただし、これは、戦術であって戦略ではない。
認知科学のカーネマン流に言えば、戦術は、ファスト回路に、戦略は、スロー回路に相当する。この2つは、脳の使い方が違う。戦略を無視して、スロー回路を使う社員を冷遇すると、戦略を分解して戦術を考えられる社員はいなくなる。
売り上げが減少に転じると、戦略的リストラが必須だが、自らの部門をリストラしたい部下はいない。今度は、トップが、戦略を出して、部下に戦術を作らせなければならない。ところが、部下には、認知バイアスができていて、戦略が通用しない。問題はあっても、皆が解決策の提示は、自分の仕事ではないと考えている。部下は、トップは、高い給与を貰っているのだから、戦略と戦術の区別もなく、解決策を考えているだろうと問題を丸投げしてしまう。

この問題点は、コンピュータ・システムの比喩も理解出来る。CEOが全てを考える方法は、メインフレームのレガシー・システムである。全てのリソースを一箇所に集めて、そこで処理する。現在、使われているクラウド・システムは、分散処理や並列処理が基本だ。一台一台のコンピュータの処理能力は高くないが、力を合わせて、働く。仮に、CEOが平均の10倍賢くても、レガシー・システムの知的パワーは10ポイントである。一方、クラウド・システムでは、仮に、一人の能力が、平均の半分の0.5ポイントでも、100人集まれば、知的パワーは50ポイントになる。つまり、CEOの賢さなどは、たかが知れている。もちろん、そのためには、社員の誰もが、仮に自分が、CEOなら何をすべきかを考える必要がある。このスキルはリーダーシップと呼ばれ、欧米では、採用時の評価ポイントで、大学等の必須の科目である。日本企業は、社長も社員食堂で一緒にランチをとるとか、管理職と一般社員の給与格差が小さいから、欧米より、社員の意見を聞いていると言われる。しかし、欧米では、社員の頭脳を経営に活用する方法が、システムとして確立されている。人材活用で日本は欧米に逆転されている。

ここ30年で、欧米の企業組織は、クラウド型に移行したのに対して、日本だけが、レガシーな中央集権的な組織から抜けられなくなっている。既に、少品種の大量生産の時代は終わっているので、レガシーな組織は致命的な足枷だった。

いくら待っても、レガシー組織では、下から改善提案は上がって来ない。だからといって、一人で、考えられることには、限界がある。今のアイデアは良いとは思われないが、代替案はない」

杉川はため息をついた。
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