第1話 お天気の かわるわけ

文字数 4,475文字

 みなさんは、どうしてお天気が変わるのか、知っていますか?
 小学校の理科の時間に習いましたね。
 太陽によって暖められた海や川の水分が、蒸気となって空へと上がり、やがては雲となり、ついには雨を降らせます、とかなんとか。
 ノンノンノン。そんなこと信じてはいけません。科学なんてうそっぱちです。
 本当はね、神さまたちの仕業なのですよ。
 空の高い高い所で、人々の恋を実らせるため、神さまたちが必死のパッチで働いて、晴れたり、雨が降ったり、風が吹いたり、雷が鳴ったりするのです。

 天界での話題は、今日もダイスケとサナエの恋の行方についてでした。
 いつまで経っても、告白をしないダイスケにイラつくのは風の神。
「ガツンと一発、決めたらんけえ」と、鼻息も荒く吼えたてます。
「あらあ、そんなに怒らなくてもお」と、しなを作るのは太陽の神。「いろいろあるのよ、若いって」と、にえきらない男にも理解を示すのでした。
「調べたところによりますと、あの男女が顔を会せてから、かれこれ十二年の月日が経っています」
 雨の神の冷静なもの言いに「そいつは長えな。幼なじみにも、ほどがあるってもんだ」と軽くはしゃぐのは、雷の神でした。
 十二年といえば、この二人にとっては、物心ついてからの時間ほぼすべて、といっても過言ではありません。高校一年生にしてみれば、幼稚園時代からの交友は、悪くすればくされ縁とも取れるのですが、その実、ダイスケとサナエのおたがいが、相手を憎からずと思っているからややこしい。
 一番やきもきしているのは、告白を心待ちにしているサナエなのですが、幼いころからダイスケのことをよく知る彼女は、半ばあきらめの境地に達していました。
 こいつがそんな根性のあることを、できるはずがない、と幼なじみのへにゃ男ぶりを、しかと見極めています。しかし、決して軽んじているわけではありません。
 ちょっとなよっとしているだけで、やさしく、さらにはなかなかの男前ではないか。正式な申し込みこそないものの、今も仲良くいっしょに学校から帰ることができているのだから、それで良しとしよう。ぜいたくを言ってはいけない。
 などと、自分で自分に言い聞かせるのでした。
 いっそのこと、あたしのほうからぶちかましてやろうか。
 とも考えるのですが、もし断られなどしたら、ぎくしゃくとした気まずい空気が入りこみ、せっかくの関係が壊れてしまう。やっぱりここは、そっとこのまま、ゆるやかに愛情を育てよう、とはやる心の手綱を引き締めるサナエなのでした。

「これまでの経過が示す通り、このまま静かに見守っているだけでは、なんの進展もないことは、明らかです」
 雨の神の客観的な分析に、ドズッと重い響きが応じました。風の神が拳を手の平に打ちつけたのです。
「あないにふんぎりのつかんやつあ、男じゃなか」
「まあまあ、そう気色ばまなくても」
 やんわりと手をさしのべる太陽の神のとりなしも聞かず、風の神はぐうっと胸いっぱいに空気を吸いこみました。ほほまでがまん丸にふくらんで、額に血管を浮かすほどに力んでいます。

 ぷふうううううううううううううう。
 突風でサナエの背を押して、よろけてダイスケに抱きつくよう仕向けたのです。
 強引にひっつけてしまえば、あとは男と女のこと。そのまま、なるようになるだろう、とまことに荒々しい神の計らいなのでした。
 ところがぎっちょん。サナエはそんじょそこいらの女子とは違います。細いくせに、やけに体は頑丈で、足腰にいたっては、根の生えた大木の如し。柔道の授業では無敵を誇り、女子柔道部員渾身の大外刈りにビクともしない。風の神渾身の息吹にもビクともしない。
 ふわああああああああ、とスカートがパラシュートのように開きました。
「み、見えたか?」
 素早く手で押さえたサナエは、ダイスケに険しい目をぶっ刺します。キッとひきしまった眉がとてもりりしい。
「い、いや。見てない」
「そうか。ならいい。で、何色だった?」
「水色に、こまかい白のハート模様」
「めっちゃ見とるやんけ―」
 気合いの乗った声とともに、くぐもった重い音が天界までとどきました。サナエの右拳がダイスケの腹部を衝き上げた音です。
「おおっと、いい角度でボディに入りやしたねえ」
「しかし、男のほうもしっかりとカバンでガードしています。しかも、金具で手を痛めないよう、なにもないほうの面で受け止めるとは。思いやりに満ちた防御です。さすがは長年の友」
 雨の神は二人の攻防を、つまびらかに解説しました。
「これでは、殿方が告白できないのも、無理がないわ」
 太陽の神のあきらめをふくんだ声に、みながうなずき、ため息をつきました。サナエのあのじゃじゃ馬ぶりでは、男が気後れするのは致し方なし、と神さまたちも同情を禁じ得ません。
「しかし、ここまで仲がよいんじゃ。男らしく『好きじゃ』と言ってしまえばよいものを」
「誰もが、あなたのように、雄々しいわけではないありませんよ」
 風の神をたしなめながら、太陽の神が一歩前に出ました。次はわたしが、といった風情です。
「力任せにひっつけようとしないで、自然とよりそいたくなるよう仕向ければいいのよ」
 天へとまっすぐに伸ばした腕を、大きく丸く下ろしてゆきます。まるで巨大な火の玉を描くかのように。指先がピタリと太ももにはりつくと、さんさんとした日の光が、二人へと降り注ぎました。汗をかいた少年に、少女がハンカチーフをさし出すことを狙ったのです。
「なんか、あっちーな」
 手の平で顔をあおぐサナエに、ダイスケは無言でうなずきます。
「さっきパンツ見たんだから、アイスおごってよ」
 えーっとささやかに抗議する男の手をとって、ずんずんとお店に入りこみ、出てきたときにはソーダ―バーをかじっていました。
「あれでは、カツアゲじゃの」
「手をつなぐところまでは、いけたのにい。惜しかったわ」

「チョコアイス、ひと口ちょうだい」
 ダイスケの右手へと口を開けて迫ります。パキッとチョコのコーティングをかみわる乾いた音を立てて、ご満悦のサナエ。ほほ笑みとともに「ん」とソーダバーをさし出します。てれながらも、ひとかじりするダイスケ。
 そのあとは、ごくごく自然に言葉を交わす二人に比べ、天界では「てえへんだ、てえへんだあ。間接キッスだあ」と雷の神が大騒ぎです。
「雷さま。そろそろ落ち着いてください。それにちょっとご相談が」
 雨の神がうかれる神に額をよせました。なにやらひそひそと話しこんだでいたかと思うと、にやりと笑みをともにうかべます。
「それでは、私たちが力をあわせて」
「おのことめのこを、めでたく結びつけて見せらあ」

 水滴が額に当たったダイスケがあごを上げるとすぐに、バチンとはじける衝撃が、ほほやまぶたにありました。
「これ、かなりすごいのがくるんじゃないか」
「むこうの空がまっ黒だよ」
 サナエの指さす先には、重い雲が転がって、ゴロゴロと音を立てています。
「うわ、光った」
「ひゃっ。あたし、雷はダメなんだ。ちょ、ちょっと、どっか、ひ、避難」
 声はふるえて、足がすくんでいます。
 あのサナエが? とダイスケは目を丸くしながらも細い手首をつかんで走り始めました。
「神社の軒下へ」
 二人が賽銭箱の奥にある、小さな階段へ転げこんだとたん、ごうっと空気をつき破って、太い雨が地面を叩きました。激しくはね返るしぶきで石畳が、白くけぶります。
「間一髪、セーフだったな」 
 ダイスケがぬれた顔を手の平でぬぐってるあいだ、サナエは体を丸くして首をすくめたまま、肩越しに空のようすをうかがっています。
「あたし、家の中でも恐いんだ、雷。こんなむき出しの外だと」
 バキッと空気が折れる音を響かせるのと、「あーーー」と叫んだサナエが頭をかかえるのが同時でした。
「こわいこわいこわいこわいこわい」
「大丈夫だから。ほら」
 しがみついてきたサナエの背中をやさしくなでます。

「おお、いい感じだぜ。まさか、あのおてんばが雷に弱いとは。そりゃ、もういっちょう」
「これ、あんなにおびえてるんだから、もうおよしなさいって」
 太陽の神が、お調子者の肩をたたきます。
「そうかな。うまくひっついてるじゃないかい」
「ああまでふるえていては、愛情どころじゃないわよ」
「雷さま、ありがとうございました。あとは私にお任せあれ」
 雨の神が土砂降りを、こまやかなしずくへと変えました。
「密着する男女。高鳴る鼓動。静かな時間。ロマンチックな雨。ここまでお膳立てがそろえば、もはや時間の問題です」
 

「もうすぐやみそうだ。雷も鳴ってないよ」
「光ってない?」
「うん、雲がすごい勢いで流れていってる」
 おそるおそる頭をおこしたサナエは、ぐるぐるうねる雲を目のはしにとらえました。ひと安心したのか、強く張っていた肩から、ゆっくりと力がぬけていく。その落ちた肩に、あたたかい手がのっています。意識を正面にもどすと、ダイスケがじっと見つめていました。

「おう。ようやくあの男も覚悟を据えたようじゃの」
「さあ、これで今日も一件落着ですわね」
「長い恋の旅路も終着を迎えました」
「ようし、お祝いに、一発」
 やめろ、と止める神々の声をふり切って、雷の神がいらんことをしてしまいます。
 勇気をふりしぼり、バクつく心臓の勢いにのせて放った「好きだ」のひと言は、霧雨を切り裂く雷鳴に、無情にもかき消されてしまったのです。

「おい、どうすんだ。あの根性ナシが、愛の言葉を乙女に捧げたっちゅうのに」
「うへえ、面目ない」
「全員が力を尽くしましたが、今日は目標達成となりませんでした。あの両名のことは、今後の最重要課題ということで」
「せめてぬれぬよう、帰して上げましょう」
 太陽の神が雲の切れ間をついて、光の帯を走らせます。
「あ、虹」
 サナエのつぶやきに、ダイスケは空のかなたへと目をむけ、遠い大地を結ぶきれいなアーチに、二人は肩をならべて見とれるのでした。
 どれほどに時が経ったころでしょうか。「あの」とささやくサナエの声が、沈黙を破りました。
「ごめん。実は聞こえてた」
「へ?」
 ダイスケは、なにを言われているのか、わからないようすです。
「告白。てれくさくて、聞こえないふりしちゃった」
「うそ……」
 力が全力でぬけたのか、ダイスケは口をぽかんと開けたまま、動かなくなってしまいました。
 天界では、神々もぽかんです。
 目もとが真っ赤なダイスケ。首すじまで真っ赤なサナエ。
 ともに顔が赤いのは、時間いっぱい地上を照らした太陽が、地平線へと沈んでいくからだけでは、ないようです。

 わかっていただけましたか。お天気の変わる理由が。
 日ごと空の景色が移りゆくのは、神さまたちが迷える二人の背中を押しているからなのですよ。
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