文字数 1,984文字

 病名は聞いたけど、覚えていない。
 漢字と横文字が混ざった長ったらしい病名だった。先天性で十代の半ばまで保たないだろうと、物心ついた頃に医者から診断(心情的には、判決?)されたのだそうだ。
 十数年経ってもトーノの病気に画期的な治療法が発見されていないところを見ると、現代の医学はまったくの発展途上らしい。
 手の施しようが無いうえに、年々病状はひどくなり、痛みを和らげる以外の処置が存在しない。
 だからトーノはいつも痛み止めの薬が入ったピルケースを持っている。
 そして、オレたちが知り合ったきっかけも、そのピルケースだった。

「ねぇ千風。ポテトって厚切りと細切りがあるけど、ポテト感がより強いのは細切りだよね。厚切りだとポテトっていうよりジャガイモ食べてるみたいで。今その食感はお呼びじゃないんだよって気持ちになる」

(……コイツ、本当にもうすぐ死ぬのか?)

 どうにもいまだに信じられないでいた。ポテトに関する細かいこだわりを語るトーノに、疑惑の目を向ける。
(ああ、でも)
 改めてトーノを、頭のてっぺんから爪先まで観察すると、疑念がちょっと薄らいだ。
 日に焼けていないから色白で、目鼻立ちがくっきりとしている。背もオレより頭ひとつ分は高くて、全体的にスラッとしたスタイルだった。
 ただ、死ぬために生きているせいか、持っている雰囲気が……少し、異質だった。
 暗いというか、淡い。
 だからこそ、古色蒼然とした屋敷風の建物の裏庭、その奥深い場所でひとり静かに読書をしている――という奇妙な姿がサマになっているのだろう。
 姿かたちは年より大人びているのに、口調や振る舞いは子どもっぽくて、ひどくアンバランスで。
 オレが今まで会ったことのないタイプだった。この遠野永一郎という男は。
 現実感というものが、ヤツからはまるで感じられない。

 ……だから、こそ。

(オレも居心地が、いいんだろうな)

 考えながら欠伸をひとつ。
 トーノがひょこっと首を傾げて、
「千風、眠いの?」
「んー朝までゲームしてたから……」
「ちょっと寝たら。気温高くてあったかいし」
「やだよ。コンクリ痛いもん」
「じゃあ俺の膝使えば? 枕にして」
 まさかの提案に驚いた。男同士で膝枕。でもトーノは本気だ。
 まぁいいか。誰が見てるわけでもなし。
 お言葉に甘えて、足を伸ばして座るトーノの膝に頭を乗せた。
 高さがちょうどよい。ベストポジションと体勢を探してゴロゴロすると、トーノがくすぐったそうに身悶えした。
 これだな、と寝方を決めるとホッと息を吐いて、寝る準備に取りかかった。
 確かに陽射しはあたたかくて、新緑の匂いを含んだ風は昼寝に最適だった。(午前中だけど)
 トーノが手を拭いて、傍らに置いていた本を取り上げて頁を開いた。辞書みたいに分厚い。革張りの背表紙に文字が踊っている。

「それ、洋書? 何語?」
「たぶんドイツ語」
「ドイツ語分かるんだ」
「まさか。俺、英語すら中学で止まってる」
 じゃあ何で読んでんの。至極当然な疑問に、トーノはさらりと答える。
「毎日読書しかすることなくて、病院の図書室の本を片っ端から読んでたんだけど、とうとう和書が底をついちゃって。仕方ないから読んでる。時間潰しが目的だから、意味が分からなくても構わないし」
「……新しい本とか買わねーの?」
「金ないんだ」
 ――お世話になっている(らしい)人に買ってもらえば。
 そんな至極普通の提案をすると、

「んーどうせ死ぬからなぁ。頼めば買ってくれるかもしれないけど、そこまでするほど欲しいわけじゃないし」

 そんな答え方をされたら、オレとしては貝になるしかない。
 ここでは――否、トーノの口から出る『死』は、とても乾いている。
 ハンバーガーのパティに肉汁があるように、放置された庭が雑草だらけになるように、古い本の間に紙魚がいるように、『死』が身近で、あって当然のものになっている。
 それは普通なら異様なんだけど、今のオレには途轍もない安心感をもたらした。
 トーノが頁をめくる音と、植物のサワサワというざわめきに耳を傾けているうちに、知らず眠ってしまった。

 ……しばらくして。
 数日ぶりの安眠から覚めると、トーノがじっとオレを見つめていた。
 薄目を開けてその様子を盗み見る。
 うっすらと微笑してて、……仔犬や仔猫の動画を観ているヤツってこんな顔するよな。
 トーノは、よくこんな感じのまなざしを、態度をオレに向けていた。
 出会って間もない赤の他人なのに。コイツは最初から最大値の好意をオレに捧げていた。
 その事実がどんな真実を示すのか。……あまり考えたくない。
 だから、たった今起きたという演技をする。何も知ろうとしない鈍感なフリをした。
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