38.見捨てられた工作員

文字数 1,650文字

 アメリカ軍の特殊部隊にセーフハウス(隠れ家)を急襲されたズミェイとメドヴェーチは、チームの大半が射殺される中、からくも脱出、緊急事態時に使用されるロシア企業出資の都内ホテルへと潜伏した。
 麻布台にあるそのホテルからソ連大使館は目と鼻の先だったが、門前で大使館での保護を拒否された二人は、既に自分たちが他国からマークされた厄介者として扱われていることを知り、本国から見放された焦燥の中で次の指令を待つことになった。
『確保対象が校内に潜伏の可能性あり』
との情報が入り、武蔵野大学附属高校への潜入の依頼が来たのは数日後だった。
 依然として米軍と日本の公安が周辺を警戒していることもあり、表だった動きは極力控えるようにとある。
 もっともソビエト本国が自分たちを切ろうとしていることは明白だった。 
 なんとか任務を遂行して自分たちの身柄を本国に送還させなければならない。
 大使館を通じて作戦内容が届くと、ズミェイが中心となって細部を固めていく。潜入は二人だが、搬送メンバーは別に用意されるとのことだった。
 日本海に潜行中の大型原潜からの支援もあり、KGBが極秘で開発したアメリカのフルトン回収システムに良く似た方法での脱出もプランの一つだ。
 脱出対象を薬剤で昏睡させて袋に詰めた後、バルーンで上空に急上昇させて、航空機のワイヤーで引っかけて回収する。
 
 武蔵野大学附属高校の女子寮へは、数キロ先の送電設備から通っている、地下の共同電線溝から侵入した。
 前回は遊びが過ぎたのだ。10代の年端もいかぬ高校生にいいようにあしらわれた屈辱は二人の心理に黒い影を落とす。次は容赦はしないと。元々、ズミェイとメドヴェーチはスペツナズの中でもトップクラスの実力を持つ。
 武器を持たずに敵地に潜入して対象をその場にある万年筆一本で殺害して、誰にも見られずに脱出することも可能だ。
 ズミェイは以前、ベルファストに潜入して、世界最高の特殊部隊と呼ばれるSASの隊員5名を、素手で全員を死亡させ、痕跡を残さず脱出している。
 しかも今回は、対象の確保が難しい場合は死体で回収せよとの連絡も入っていた。脳以外の損傷はいとわないとのことだった。

 二人は女子寮の近く、敷地内の茂みに隠れた点検用マンホールから音も無く、外に滑り出した。
 辺りに気配が無いことを確認する。今回は自分たちを目撃した対象は、すぐに殺害するつもりだ。死体が発見されるまで、死んだ本人も殺されたと気がつかれない方法で。この際、死体が何体作られようが関係がない。彼らも後がないのだ。 
 この作戦に失敗すれば、後任のメンバーに殺され遺体袋で回収されるのは彼らだった。
 対象はレベル5以上の異能力使いだ。今回二人は携行型のBC兵器と専用のガスマスクも装備している。全身は特殊なスーツでコーティングされており、外気はフィルターを通して中に入る構造だ。
 BC兵器、すなわち細菌やウィルス等を使用したこの兵器は、異能力者の能力でも防ぎにくいことは誘拐した被験者で実験済みだ。大気中で使用すれば半径100メートル以内にいる人間はすべて神経系を犯されるだろう。
 全身黒ずくめの戦闘服、顔全体も黒い目出し帽とガスマスクで覆われた二人は、寮母や管理人が利用する裏口にたどり着くと、特殊な溶剤を鍵穴に注入した。煙が上がり、ドアノブが地面に落ちた。
 ズミェイとメドヴェーチが音も無く、寮内に入り込む。
 夜更かしの不幸な女子高生にでくわすこともなく、対象のいる3Fへとたどり着く。ドアを開けると、二段ベッドの内三つに寝ている人影があった。
 シーツから頭の出ている黒髪の二人にはメドヴェージェフが噴射式の注射器を持って近づく。ズミェイは美しいブロンドの頭を確認すると、ためらいもなくシーツの上から注射器をたたき込んだ。
 圧縮ガスが薬剤を送り込む。神経系の薬剤は対象に最低限の生命維持しか許さないはずだ。
 体が痙攣して活動を停止するのを待つズミェイ目が鈍く光った。

To be continued.
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