間話 躊躇いの指先 ~いざ、頼れる男、崇行出陣~

文字数 6,380文字

 二人同時に店の入り口へ目を向けると、入って来たのは舞依ちゃんだった。
「あれ、舞依ちゃん」
 なんていうタイミング。
「っ!」
 声をかけた俺の横では、顔を真っ赤にした崇行が硬直状態。
 ……おいおい、頑張る! っていう意気込みはどうした。
「ごめんね、旬くん、お休みの日に――、あれ? 崇行くんと一緒? 珍しいね、二人が一緒にいるなんて。もしかして、何か大事な話の途中だった?」
 俺たちを見て申し訳なさそうに口にした舞依ちゃんに、すぐに首を振った。
「ううん、全然。忘れ物を持ってきてくれただけだから。な?」
 崇行に話しを振ると、『あ、お、おぅ』と固い表情で頷き返された。
「そうなんだ? ――じゃあ、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
 俺たちを窺うように話す舞依ちゃんに、勿論とOKすると、彼女は店の外にいる誰かに声をかけた。
 彼女の呼びかけで入って来たのは、同じ年くらいの女の子。
「そちらは?」
 入って来た女の子を一瞥してから舞依ちゃんに訊ねると、
「あ、同じ学校の友達で、杉田彩花さん。今度のバーベキューに誘ってる子」
 と舞依ちゃんが紹介した。
「そうなんだ。あ、この店の鍵師で稀音家旬之助と言います。今度のバーベキューの時もよろしく。――っと、入り口で立ち話もなんだし、どうぞ奥へ。舞依ちゃん、来客用のソファに案内してあげて。俺は紅茶でも淹れる。崇行、お前は先に彼女の相談聞いといてくれ」
 それぞれに指示を出すと、崇行が『何で俺が聞くんだよ』と小声で反論した。
「だって今ここに、あの二人以外に俺とお前しかいないだろ。ということは、俺が紅茶準備してる間、お前が接客するのは当然の役回りだろ」
 誰がどう考えてもそうだろ?
「はぁ? 何が当然なんだよ。どう考えてもおかしいだろ。俺は、ここの従業員じゃねえぞ」
「だから? 今、この状況下で、従業員とか関係あるか? それに、ここで聞き役を買って出た方がいいんじゃないか? 舞依ちゃんに、頼れるカッコいい崇行を見せる絶好のチャンスだと思うけど?」
 舞依ちゃんの方をちらりと見てから、ニッと含み笑んでやると、途端に崇行の顔が熱を帯びた。
「……た、頼れる……カッコいい……。……分かった、聞いてくる」
 まんまと俺に乗せられた崇行は、ソファへと向かい彼女たちと向かい合うように腰を下ろすと、面と向かう舞依ちゃんを前に表情筋を強張らせたまま話を始めたようだった。
 意識しすぎなんだよ。
 給湯室で紅茶の準備をしながら話に耳を傾けていると、どうやら、近々親戚が大勢集まる機会があるようで、そのための食器を蔵から出したいが、鍵が開けられず困っているようだった。
「お待たせしました」
 声かけとともにテーブルに人数分の紅茶とお菓子を置くと、崇行から少し離れてソファに腰掛けた。
「だいたいのことはあっちで聞こえたけど、その錠の鍵って失くしたの?」
 気になった問いを投げてから紅茶を一口喉に流し込むと、向かいに座っていた杉田さんが紅茶のカップを手に持ったまま口を開いた。
「はい。一番下の弟が、遊んでて失くしてしまったんです」
「まぁ、よくある話だな」
 俺が返事するより先にそう口にした崇行もまた、熱い紅茶を一口啜る。
「そっか。――それで、その錠って、どんな形状の物なのかな?」
 物の種類を訊ねると、杉田さんは『どんな?』と困った顔で舞依ちゃんに助けを求めた。それを受けた舞依ちゃんは、『大きさとか、形とか、見た目のデザインとかのことだよ』と杉田さんに助言。それを受けた杉田さんは、思い出しながら説明を始めた。
「えっと、見た目が大きくてどっしりした感じの物で、表面は艶があるっていうか、滑らかな感じの錠です。大きさは、これくらいで……。鍵穴は、表に」
 手で大きさを示しつつ話した彼女は、俺たちを見やる。
「なるほど。鍵穴は? 真っ直ぐ? それとも、クランク型?」
 腕を組んで深い質問を投げた崇行に、杉田さんは『えっと、真っ直ぐです』と答えをくれた。
 どっしり大きく滑らかなボディ、そして、表に真っ直ぐな鍵穴が一つ……。その形状から考えられるのは――。
「……土佐か」
 俺が胸のうちで出すはずだった最後の言葉を、声に出して告げたのは崇行だった。
 そう、こいつの言う通り、聞いた形状から考えられるのは土佐錠しかない。
「あぁ、だろうな」
 隣から同意の言葉をくれてやると、向かいで『とさ?』と杉田さんが首を傾げた。
「うん。錠の呼び名であり種類のこと。錠にはいろいろ種類がって、それぞれ個々に特徴を持ってるんだ。その中で、杉田さんが今説明してくれた形状の物を土佐錠というんだよ」
 簡単に説明して笑みを向けると、彼女は『そうなんだ……』とぼそり呟き俺を見つめていた。
 まぁ、普通の人には分からないか。錠のあれこれを話しても。
「とにかく、その錠なら鍵が無くてもピックっていう道具で難なく開けられるから心配ないよ。――ということで、この仕事、こっちにいる万錠屋さんにお願いしたいんだけど構わないかな?」
 となりで紅茶を啜っている崇行を指し示しながら杉田さんに提案した途端、『がほっ!』というとんでもなく下品にむせこむ声が横から飛んできた。
「汚ねっ! 飛ばすなよ、崇行」
「う、うるさっ……げほっ、げほっ、げほっ、な、何で俺が」
 全身を使ってむせこみながら文句を飛ばした崇行は、二次被害防止の為か手にしていた紅茶カップをテーブルに戻した。
「だって俺、一件用事入ってるし。それに、その手の錠はお前の方が得意だろ。杉田さんだって、早く開けてもらえた方が助かるだろうし。ね? 杉田さん」
 そこまで言って、目の前にいる杉田さんに微笑みかけると、『あ、は、はい』と急に我に返ったように頷いた彼女。
「ほら、杉田さんもその方がいいって」
「でも、ここ、げほっげほっ、ここに来」
「あー、そだ、舞依ちゃんも一緒に行ってあげてくれるかな? その方が杉田さんも安心だと思うし。それに、舞依ちゃんなら助手も出来るから崇行の作業手伝ってやって」
 崇行の言葉を遮るようにして舞依ちゃんに声をかけると、『うん、分かった』と笑顔で快い返事をした舞依ちゃん。その顔へ笑みを返しつつ、テーブルの下で崇行の足をこつんと軽く蹴って合図すると、俺の言わんとすることを察したのか、途端に耳を赤くした崇行は、トントンと己の胸を叩いてむせこみを落ち着かせたあと姿勢を正した。そして、
「……分かった。じゃあ、俺がこの依頼いただく。杉田さん、車出すから案内お願いしても構わないかな?」
 真っ直ぐ杉田さんを見てそう告げた崇行は、穏やかに笑む。
 ……。うわー、なんつー営業用。ってか、お前、笑顔出来るんだ。驚き。
「あ、はい。よろしくお願いします」
 崇行に向かってぺこりと頭を下げた杉田さんに、『じゃ、行こ』と彼女の背中に手を添え声をかけた舞依ちゃん。女子二人が立ち上がった後、遅れて席を立った崇行は、『先に店の外に出て待っててくれるかな? ちょっとこいつに話があるから』と彼女たちに声をかけた。それを受けて素直に頷いた彼女たちは、先に店の入り口へと向かって行った。
 話? ――俺は無いけど。
「――なんだよ」
 二人の姿が店の外へ消えてから訊ねると、突然、俺の両肩をがしっと力強く掴んだ崇行が顔を近づけてきた。
 っ!
「なっ! 何だよ、急に! っつか、近いよ!」
 反射的に身を引こうとした俺を逃すまいと掴む手に力を籠めた崇行は、真面目な顔のまま口を開いた。
「稀音」
「な、何だよ」
 超怖いんだけど。
「今度、高級焼き肉奢る。地ビール付きで」
「は?」
 真面目な顔から放たれた突然の焼き肉発言に思わず間の抜けた声をあげると、『お前の厚意、無駄にはしない。じゃ、行ってくる』と俺の肩をポンポンと二回叩いた崇行は、これから戦にでも向かう戦国武将の如き勇ましさで店を出て行った。
 ……何、あいつ。
 もしかして『ありがとう』ってことか? ……ってか、気合入れ過ぎだろ、あれ。空回りしなきゃいいけど。
 プッと小さく笑ってからそっとソファを立つと、再び作業場へと足を向けた。
「さて、道具の手入れと点検でもしようかな」
 独り言を呟きながら時計へ目を向けると、ちょうど4時。
「そっか、妙覚のあと、矢伏神社に寄って、そのあと病院行ったからな」
 そんな言葉とともに作業椅子に腰かけ、手にしていたスマホを台に置いた後、その横に置いてあった道具へ手を伸ばしかけたその時、スマホがブンブンと着信を知らせた。
 ん?
 誰からか確認すべく画面を見ると、かけてきた相手は晃矢さんだった。
 晃矢さん? 何の用だろ。もしかしてメモ書きの他にまだ何かあったのかな?
「あ、もしもし」
『あぁ、もしもし、すみません、お忙しいときに。開かずの錠の開錠途中でしたか?』
 少し申し訳なさげに尋ねてくる晃矢さんに、俺は瞬時に首を振った。
「いえ、今日はやらないので大丈夫です」
『え? そうなんですか? 何か出来ない理由でも?』
「父が仕事で、今日は帰りがおそくなるようなので、解錠作業は明日に延期にしたんです」
『そうですか。では、楽しみが一日延びたというワケですね』
 電話の向こうから穏やかな声をくれる晃矢さんに、俺は複雑な気分で『ええ、まぁ』とだけ返事をすると、二枚揃った椿花弁をじっと見つめた。
 楽しみが延びた……か……。
『……旬之助くん、今日、この後予定は何か入ってますか?』
 突然耳元から聞こえてきた言葉に『え?』と聞き返すと、間を置くことなく晃矢さんの声が返ってきた。
『もし空いていれば、息抜きを兼ねて一緒に食事でもどうですか? 料理が美味しくて雰囲気のいい居酒屋を見つけたんです』
 え? 居酒屋……
「あ、いえ、別に何も予定はないので大丈夫です。でも晃矢さん、仕事は?」
 まだ4時だし、神社が閉まる時間じゃないよな?
『今日は、夕方から父が用事で出かけるので早く閉めるんですよ。なので、もし旬之助くんが良ければ、5時半頃に京都駅のタワー側の改札前でどうですか?』
「分かりました。じゃあ、その時間で」
 素直に応じると、電話の向こうから聞こえたのは『では後程お会いしましょう』という穏やかな声。
「はい、それじゃあ」
 通話を切って時計を見ると、先ほどからあまり時は過ぎてない。
 5時半――か。
 それにしても、晃矢さんと居酒屋ってあんまりピンと来ないなぁ……。どっちかっていうと、お洒落な店系の方があの人の外見と似合う気が……。
 そんなことを考えながらふと現実に戻されると、そこはシンと静まり返った店の中。
「このまま店にいても開かずの錠と殿のことで悩むばっかりだし、早く行ってあの辺ウロウロするかな」
 作業台に置いたままの椿の箸置きをそっと布で包んで保管庫に仕舞うと、ボディバッグを背負い店を出た。

 バスで目的地に到着すると、時計の針が示す時刻はまだ4時半をほんの少し過ぎた頃。
 どこをウロウロしようかな。
 周囲をぐるっと見渡して思いついたのは、今いる場所から少し歩いたところにある、殿とゆかりのある寺、西本願寺。
「今なら閉門までに余裕で間に合うな。よし」
 さっそく寺へ向かうと、到着したのは閉門20分前。――にも関わらず境内には結構な数の観光客が歩いていた。
「へぇ、この時間でもまだこんなにいるんだ」
 そんな独り言を口にしたのと同時、視界の全てを埋め尽くしたのは、とてつもなく大きく――そして荘厳さを放つ二つのお堂。
「……。……す、すごっ。写真で見たよりデカさと迫力がハンパない」
 こんなに大きいんだ。しかも、敷地広っ!
ただただ圧倒されて言葉を失くしていると、すぐ後ろから『すごいわねぇ、何て立派なお寺』とご婦人の感嘆の声が聞こえた。
 うんうん、分かりますよ、奥さん。俺も同じ感想です。
 きっと、石山本願寺もこんな感じだったのかな……。
 ここ西本願寺は、殿と十年もの間、戦をしていたお坊さん――顕如さんが住職をしていた時代、殿の死後、天下を取った秀吉によってこの地を与えられ寺が建ち、今に至っている。
 殿が、今の本願寺を見たらどう思うんだろう……。
 そんなことを考えながらしばらく建物を見つめていると、後ろにいたご婦人が俺の肩を叩いた。
「お兄さん、お堂の中は見ないの? もう閉門しちゃうわよ?」
「え? あ、今日はもう諦めます。今度ゆっくり拝観することにします」
 ご婦人に笑顔で返した俺は、その場を後にし、目に付いた〈お茶所〉と書かれた建物へと足を向けた。
 お茶所の引き戸を開けると、受付には僧侶の方が二名ほど座り、参拝客の質問に答えたり案内などをしていた。
 大変だな、いろんな人が来るだろうし。
 胸のうちで呟きつつお茶所内を見渡すと、真っ先に目に入ったのは隅に展示されている大きな梵鐘。それが気になって傍に向かうと、立てかけてあった説明には石山本願寺で使用していた鐘だと記されていた。
「へぇ、そうなんだ。すごいな。その頃の梵鐘が残されてるなんて」
 目の前の歴史的遺物に感動していると、突然後ろから誰かがぶつかって来た。
「うわっ!」
ぶつかりかけた目の前の鐘へ咄嗟に手をつき背後を見ると、そこにはわいわい喋りながら歩く7~8人のマダム観光客の姿。

「ここ、お坊さんがお寺を案内してくれるらしいわよ~」
「えー! そうなの? じゃあ、してもらおう~、してもらお~」
「閉まるまであと15分くらいあるしね~」
「じゃあ、あたし聞いてくるわ」
「それじゃあ私は、その間にお手洗いに」
「いってらっしゃい。じゃあ私たちは、ここで座って待ってましょ~」

 ……。
 あんたら、何勝手に決めつけてんだよ。
 ちゃんと受付のとこに書いてあるだろ、案内の時間が。読めよ。
閉門間近に来て、そういう無茶ぶりはするなっつの。っていうか!
「(それ以前に、広がって歩くな! 静かにしろ! 周囲の迷惑考えろ!)」
 思わず小声で文句を零すと、ふいに隣から《大事ないか? まぁ、あの者たちとて悪気があったわけではない。許してやりなさい》と宥められた。
「いや、それはそうですけどね。でも、一般常識的に考えてあの無茶苦茶ぶりは――……って、……え?」
 答えかけてふいに覚えた違和感に視線を向けると、そこにいたのは一人の僧侶。しかも、身に纏っている僧衣が受付にいるあの僧侶たちとはまったく違い、どこか位の高さを窺わせる。
 何か、この人の僧衣、龍晶様っぽい……。ってことは、位の高いお坊さん? けど、浄土真宗には、僧侶に位は無いって聞いたことがあるような……?
てか、それ以前にこの人、さっきここにいたっけ? 
 …………。
 ……まさか。
 とてつもなく嫌な予感がしてお茶所内へ視線を巡らせると、思ったとおり、受付の僧侶たちも、寺案内を迫ってるマダムも、そして、休憩用のテーブル席で談話中のマダム……、さらに、無料でお茶を配るおばちゃんも、誰一人としてこの一際目立つ僧衣を纏うお坊さんに気付いていない。
 ……やっぱり、誰もこの人に気付いてない。
 ちらりと目の前のお坊さんに目をやると、《どうなされた?》と穏やかな眼差しと声が俺に向けられる。
 いや、どうなさるも何も――……。
(え、えっと、いえ、別に何も)
 まずい。何でこんなことになってんだ? 俺、何かやらかしたか?
《そうか、ならば良いが》
 そう言うとお坊さんは、穏やかに口元に弧を描く。そんな彼に笑みだけ返しながら、俺は脳内で必死に現状究明に取り掛かっていた。
 えっと……、まずここに来て、あそこにあるお堂のデカさに圧倒されて、後ろからご婦人に声かけられて、断ってお茶所に来て、梵鐘を見て、後ろから観光客のマダム御一行様集団に体当たりされて、でもって、咄嗟に梵鐘に手をつい……。
 あっ。 
 ……それか、原因は。
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