第20話  美香という鬼。

文字数 3,185文字

 「ねえ、博美さんと、連絡取れないのよ。」
 
 「えっ、大丈夫かな。仕事は、もう行ってるよね。」
 
 「うん、今は普通に行ってるはず。」
 
 博美が約束した場所に来ないと、奈美は、高野に連絡をしていた。
 
 「あ、ごめん、電話入ってる、博美かもしれないし、切るね。」
 
 「えっ、浜本先生?」
 
 「ごめん、水口さん。安藤さんが今、私といるんだけど。ちょっと来てもらえるかな。詳しい事は来た時に話すから。」
 
 高野に連絡を入れた奈美は、浜本に聞いた住所を辿り、あるマンションの前に来た。
 
 すごっ、高そうなマンションね。医者って儲かるのね、やっぱり…。
 
 煌びやかなエントラスに入り、奈美は教えられた部屋番号を押した。
 
 浜本の応答のあと、ドアが開き、最上階の12階まであがった。
 
 なんで、こんなとこに博美さんが。罠だったりして…。
 
 夫の賢の事も信用しているわけではない。
 
 エレベーターの中で奈美は、緊張が高まった。
 
 高野からも、加藤と一緒の方が良いんじゃないかと言われたが、何かあれば連絡することにして、ここへ来たのだった。
 
 罠でも何でも受けてやろうじゃないの…。
 
 「どうぞ、入って。すまないね。ここは美香には内緒の部屋だから、安心して。」
 
 浜本の声も、最後まで聞かずに部屋へ突入した奈美は、博美を探した。
 
 「水口さん、ここだよ。客用の寝室だ。今眠っている。」
 
 浜本はドアの隙間から、博美の寝息を立てて眠っている様子を見せた。
 
 「どういう事、ねぇ、説明しなさいよ。」
 
 浜本は人差し指を口元に当て、顔面を紅潮させて息巻いてくる奈美を、リビングのソファに座るよう促した。
 
 「ちょっと落ち着いて。今話すから。」
 
 「博美に何したのよ。」
 
 「美香だよ。美香が、自分の大学病院の研究室で、博美さんに催眠をかけていたんだ。そこへ入って自分が制止したってことだ。」
 
 「そんな…博美さん大丈夫なの?」
 
 「催眠が深くなる前だったから、大丈夫だと思う。ただ、ぼうっとした感じが抜けなくて。何か、薬剤を使ったのかもしれないね。そのまま返すわけにもいかないし。連れてきたのはいいけど、博美さんが覚醒した時に、警戒されるだろ。で、君を呼んだんだよ。」
 
 「なんで、こんなこと…。」
 
 「美香のやつ、最近、苛つきがひどくて、注意してみてたんだ。医局に、いつもいる時間に姿がなくて、あの患者がいる病棟かと思って行ってみたら、何かざわついていて、他の看護補助さんの話では、ここはあまり触らないように言われてたのを、環境整備をしながらあの老人の患者の床頭台とかを、博美さんは何か探してたみたいなんだ。そこを見つかったしまって。酷く怒られてたらしい。そのあとどこか連れて行ったようだと。慌てたよ。研究室しかないと思って耳栓をして行ったんだ。案の定、ヘッドホン装着した美香の側で、頭に電極を付けた博美さんが横たわっていた。あそこは耳を塞がないと、立ってられなくなるんだ。人には聴こえない周波数の音で脳をコントロールする。催眠の前処置として、流してるんだ。」
 
 「偶然に、先生が入ってきたってこと?」
 
 「いや、あの病棟は、あの患者以外、用事はないはずだ。防犯カメラでも設置してあるんじゃないかな。美香なら有りうる。」
 
 「そこまでして、警戒してるってことね。どんな関係なのよ。」
 
 「それは、分からないが、古くからの知り合いのようだ。博美さんの探しものは心当たりはないの?」
 
 「探し物、たぶん、指輪かも。諦めてるって言ってたけどね。諦められるわけないよね。」
 
 「指輪?」
 
 「先生、誰にも言わないでよ。あの患者と似た人が、私たち3人に関わっていそうで。
 それで博美さんの恋人が買っていた指輪を、その人に盗られた可能性があるのよ。」
 
 奈美は、電車の脱線事故で起こった博美の悲しい不運を語った。
 
 「そうか。そんなことが…。でも見つけられた様子ではなかったな。」
 
 寝室で大きな物音がした。
 
 「博美さん!」
 
 浜本と奈美は、顔を見合わせ立ち上がった。
 
 浜本が寝室のドアを開けると、ベッド下の床に、博美が倒れていた。
 
 「博美さん!」
 
 「あ、その声は奈美さん。どうして。」
 
 博美は、薄く目を開け視線が定まらないのか、ぼんやりとした景色を見るように虚ろな目をしていた。
 
 「博美さん、私、見える?」
 
 「奈美さん、奈美さんじゃ。何してるの。」
 
 「あぁ、良かった。やっと目が合った。」
 
 「奈美さん、後ろの人。誰?」
 
 「浜本先生。美香先生の旦那さん。」
 
 「いやぁ~来ないで。もう触らないで。」
 
 博美は、身体を震わせ、弱々しい声で訴えた。
 
 「博美さん、大丈夫よ。あの女はここには来ないから。」
 
 「怖い、怖いの。」
 
 奈美にしがみついた博美の腕は、力無く、奈美から落ちた。
 
 「博美さん、帰るのはとても無理ね。私も、ここ泊まっていい?」
 
 「その方があり難い。仕事も無理だろ?病院には、自分の方から連絡入れておくよ。」
 
 「そんな事出来るの?」
 
 「美香にはもちろん言えないけど、院長とは飲み友達だからね。院長を通して、病棟師長に伝わると思う。病棟もざわついていたから、師長も何か報告は言ってるかもしれないし。院長には、それとなく美香の事も話しておく。」
 
 「院長がそんな事知ったら、先生の奥さんはどうなるの?」
 
 「どうもならないさ。院長は、確かに怪しいんではいるよ。でも美香は学会などでは、世界的に功績を認められている。よほどのことが無い限り目をつぶってるってこと。それをいいことに、美香はやりたい放題だよ。」
 
 「ひどいもんね。あの女は本物の鬼よ。」
 
 「病院の地位を維持していくためには、黒くても、白く見える眼鏡をかけて見るのさ。そう思い込むんだよ。そんなもんさ。」
 
 奈美と浜本は、博美を抱えベッドへ戻した。
 
 「博美さん、私もここに居るから。安心して眠って。」
 
 「ありがとう…。」
 
 そう言って博美は、再び眠りについた。
 
 奈美は、高野から何度か連絡が入っていたことに気が付いた。
 
 「わ、連絡しなきゃ。」
 
 奈美は、高野に経緯を話した。
 
 「もう、遅かったから、心配したぞ。」
 
 いつも落ち着いている高野もさすがに、電話口の声は大きく響いた。
 
 「そうか、分かった。加藤に話した方が良さそうだな。」
 
 「でも、催眠療法と説明されればそれまでなのよ。」
 
 「本人の同意が無かっただろ?強引な治療は犯罪だよ。」
 
 「もう少し待ってて。あの人が、本当の事話すとは思えないもの。何もかもうやむやにされるだけよ。」
 
 「でも話すだけ話すよ。」
 
 「分かったわ。でもまだ動かないでって言っておいて。」
 
 「危険すぎるよ。これ、たぶん君への脅しだぞ。今度何するか分からない。」
 
 「分かってる。でも、自分で確かめたいの。私は誰なのか。あの人はすべてを知っていると思っている。」
 
 「何か、あったらすぐ連絡するんだぞ。」
 
 高野の電話を切った後、浜本が声を掛けてきた。
 
 「高野さんが心配している通りだよ。美香には近づかない方がいい。」
 
 「誰が何と言おうと、あの人と対峙するわ。」
 
 「奈美さんって、美香に似てるな。人のいう事きかないとこ。」
 
 奈美はハっとした表情をしたあと、浜本を睨んだ。
 
 「あの女と、一緒にしないで。」
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