第一章 非日常

文字数 15,572文字

 普段はしがない社会人として働く自分は日々が憂鬱である。教会が立ち上げた組織の末端に位置するものも評価として人並み以下である。一生懸命やろうともこれが限界なのだ。同組織の人々は駆け上がる様に出世していくが、自分はそれをボンヤリと眺めているだけだ。
 そもそも人の上に立つ人柄ではない。自分は自分を強くそう認識している。心の中である言葉を呟く。
 人の上に立つ者は誰より仕える者でなければならない。
 古来より教会は人に大事な役職を与える際には厳しい任命責任を果たす様に勧めていた。現代では些か緩やかになったものも厳しい実情は変わらない。
 任命される事が古代教会に至っては殉教という宿命を背負う程苛烈なものである。人の上に立つとは考えるだけでそれは重圧でしかない。
 歴史上の独裁者の様に振る舞えば、どれ程気楽だろう。そう思う事が幾度となく頭の中に過ぎるのだ。
 だが、生憎教会の求める人とは独裁者の対極なのだ。
 名目上でも神の為に命を惜しまない者こそが人の上に立つのだ。 
 それを自分に置き換えると要するに自分は惨めで甘えたがりな愚図な鈍間なのだ。
 人並みに仕事をこなせず、教会の優しさに甘え、強く在りたいと願っても弱さから抜け出せない頓馬なのだ。
 ああ、何と惨めな事か。自分に才能か運勢か家柄があれば、と愚痴を零す。が、それでも現状は何も変わらない。組織は自分の事を疎ましく思っているのではないか。情報を仕入れられない末端として日々不安が過ぎる。
 自分は平凡だと言ったが、それは些か語弊がある。平凡以下の状況なのだ。
 総資産はマイナス。実家は貧乏で援助も期待出来ない。加えて自分自身が病気持ちで医療費やガス代が浪費して困って仕方がない。
 死にたい。そう考えるが、何故か踏みとどまってしまう。自分は何か期待しているのだろうか? 展望無き未来に。それとも微かに神が奇跡を起こしてくれると心の何処かでは思っているのだろうか? それとも単に覚悟が決まらない臆病な羊なだけか?
 祈りの力を侮るなかれ。神は自分が思いも寄らない道を用意するとでも言うのか。若き日の自分だったら未だ少し信じていたかも知れない。
 だが、齢を重ね、ゆっくりであるが、確実に身体が衰えていく自分を俯瞰し、諦観していく。可能性は自分をジックリ甚振る様に一つ一つ丁寧に潰されて行く。
 残った自分は何だ? 虚無に呑み込まれた死者か? それでも足掻く人なのか? 判らない。
 そう悩みながらも今日も定時報告に向かうのであった。S市。然程大きくない市だか、歴史が有り、それなりに栄えている。
 だが、ここには遊びに来た訳では無い。飽くまでも定時報告の為だ。
 普段の組織の上司や同僚と会うと後々面倒なので、普段とは一風変わった格好でS市には行っている。同盟国の艦隊が駐留し、向こう側の都合が良いだけだろう。
 教会とは多面性を持つ。好戦主義な教会もあれば、他方で反戦主義もある。大体、この国は歴史の反動から反戦を掲げる教会が多いだろう。
 だか、世界の潮流は些か異なる。同盟国は表向きには平和的な活動を行い、内面では諜報戦に勤しんでいる。
 物好きな人達だ。
 同盟国はこの国の諜報等ほぼ手中におさめているだろうに。いや、それどころか世界の通信を殆ど掌握している。
 炙れた予算で動かしていつまで動き続けるのか判らないが。同じ同盟国の一部でもこの国は諜報戦が発達していない。この国の情報を知りたければ新聞を読めば九割方把握出来ていた。一昔前はそうだった。
 変わったのはつい近年の機密保護法の成立だった。
 これは同盟国側のとって必要な法案だった。戦時下、同盟国はいつでも資金を調達する必要がある。特に同盟国の家計は火車だ。戦争をするのには資金を調達しなければならない。だから、いっそのこと隣国への脅威論を利用して同盟基軸をより強固にする。
 機密法が成立すれば、情報流出に対する懸念も薄れる上、同盟国への資金提供も灰色の抜け道を造れるのだ。
 但し、同盟国にもこの国への懸案はある。根本的な宗教観の違いもあり、この国は他の同盟国から見て異質だった。経済機構も冷戦下にあっては同盟国と言うより東側陣営に近い機構だったし、世界に対しても、情報をあまり発信しないこの国がよく解らない。それが同盟国の実情だった。
 さて、どうしよう。そうなった時教会間の繋がりが活かされて行く訳だ。
 無論、この国の教会は大抵戦争に対して反対だ。特に信仰上、長老達は良い顔などしない。
 では、どうすれば良い? 教会員であればある程、熱烈に戦争に反対するのにどうやって情報共有するのか? 信仰が熱心では無い、それでいてある程度の教会の基礎知識を身に付けた者に同盟国から接触を図られる訳だ。その者は別に教会や教団の中心部にいなくても良い。
 何故なら我々はダミーなのだから。
 機密法成立以前であれば、この機構をもっと有用する事が同盟国のやり方だったろうが、時代が変わった。
 同盟国に通信は傍受され、この国で機密法も成立した。同盟国とこの国は秘密を共有出来る間柄になったのだ。
 では我々は何なのだ? 平たく言えば観察者みたいな者だ。いや、実態はそれより悪質であろう。ある意味売国奴と変わらない。この国に通信傍受以外で幾つかあるこういったささやかな情報源から不審なものを発見した時、同盟国は密かに動く。
 要するにこの国が万が一に他の国に接近しない様に足元に罠が仕掛けられている。
 その罠の一部が我々だ。
 我々はこの国が発する雰囲気を同盟国に伝えるだけ。
 無論、この国の政府も了承済みで「私達は逆らいません」と言う意思表示を示す為に我々に干渉もしてこない。
 我々には横の繋がりが無い為に自分の知る範囲内でしか情報を伝えられない。
 だが、それで十分だ。
 我々は蟻だ。狭い箱庭で齷齪と働いている蟻にしか過ぎない。
 さて、待ち合わせの場所に向かうとしよう。
 繁華街を避け、人気のない場所へと。
 少し離れた場所に行政が立てた建物がある。行事用に立てたものであろうが、普段は一部の店以外は出入りが少ない。ただ、駐車場が広く、車内で会話するのは打って付けの場所だ。
 待ち合わせの人物は黒い車に凭れ掛っていた。件の人物は黒を基調とした洒落た服を着こなしていた。
 小柄な漆黒の服と長髪を纏う少女の様な女性。
 時折、思う。この人、本当に諜報員なのだろうか? 素人目で判断するのも何だが一応スーツを着るのが礼儀ではなかろうか?
 相手はこちらに気付くと手招きして車に乗り込んだ。こちらも助手席に乗り込む。
「久し振りね、元気にしていた?」
 相手はそんなことを気軽に語る。この様な少女のなりでも年長者と言うことは確からしい。
「まあまあですね」
 良くもなく悪くもなく、と返事すると少女は詰まらなそうな表情をした面白みのない人物とでも評価されているのだろうか。
 書類だけ手渡ししておく。機密事項としては下の下、別に民間に漏れようとも痛みは感じないものだ。だが、念には念をと言うことで、この書類の作成にはネット環境を使わない打ち込み機で作成している。
 少女は詰まらなそうな顔でパラパラと資料を捲る。
 途中、少女の手が止まる。
「奇妙な来客有り。これはどういうことかしら?」
 少女は見抜いたのだろう。その記述が曖昧模糊に描かれていることに。
 だが、どうしようもない。自分自身ですらこの体験をどう話したら良いか解っていないのだから。
「突然のことでした」
 自然と言葉が口に出ていた。その人物の特徴を聴くと少女は驚いた様に眼を見開いた。
「驚いたわね」
 彼女は呟いた。何だ? その人物が同盟国に何か害するものでも持っているのか? 少女は続けて呟いた。
「これは何の意味があって? いや、そもそもあの子に意味などと言う概念が意味を持つのかしら?」
 少女は少し深刻そうな顔をした後、こちらに向き直った。そして、命じる。
「この少年と又接触出来たなら繋がりを絶たない様にしなさい。あなたには難しいかも知れないけど、この人物とのやり取りを記載して報告すること」
 それはまるで恰も向こうから又接触してくるという確信に満ちた命令であった。
 何故?
 そう言いたくなるが、言わない。
 こんな世界で物知りは却って良くない。情報を制する者は世界を制するが、武力の後ろ盾がなければ簒奪される定めしかないことも薄々感じ取っているからだ。自分には後ろ盾がないのだから、あまり深く係わらないに越したことはない。
「かしこまりました」
 一応、年長者に対する敬意を表して丁寧に受諾する。
 それ切り彼女は何か思案していた。もう用はないのだろう。自分は車から出ると彼女は車を作動させ、足早に去ってしまった。あんな少女の成り立ちして検閲とか引っかからないのだろうか? いや、恐らく彼女にこの国の警察機構など眼中にないのだろう。
 初めて彼女に会った時のことを思い出す。

 
 あれはS市に立ち寄った際のことだった。病院の帰り際に安いチェーン店にでも寄って駐車場で考えごとをしていた。その前に本屋に寄って行くかと思案した。だが、気が付くと黒塗りの車に何台か囲まれていた。元来臆病な自分は気まずくて車を出そうと思った。するといつの間に少女が車にノックをしていた。
 どうしよう。
 自分はうろたえていた。何所かで車でもぶつけたか? だが、少女は努めて笑顔でこちらの警戒心を煽らない様にしていた。
 だが、次の瞬間に警戒心は極限にまで高まる。
 こともあろうに少女は施錠されていたドアを鍵で開けてしまったのだ。
「え?」
 ふと出た言葉はそれだけだった。少女はにこやかに尋ねてくる。
「M教会のS様ですか?」
 それは単なる確認事項だった。向こう側はこちらの不安や動揺を見透かして語る。
「立ち話も何ですし、私共の車に乗って頂けると助かります。私はこういう者でして」
 名刺を差し出してくる。英語で書かれたそれは自分には読み難い綴りが並んでいた。 だが、辛うじて読めることから判断出来たのは。
「同盟国? 国家安全保障局?」
 彼女は自分の唇に人差し指を当て静かに黙らされた。
 訳が解らない。何で同盟国の人間がしがない一般人に声掛けするのだ? 少女は努めて笑顔で答える。
「疑問もお有りでしょう。答え合わせは車の中で」
 嫌だ。素直にそう思った。あの黒い車に連れ込まれたら何される分かったものではない。彼女はそれを見透かしたのか、少し肩を竦め、困った様に妥協案を言う。
「では私とあなただけで話しましょう。あなたの車の中でも構わない」
 それも嫌なのだが、生憎と自動車の周りは固められている。どうしたら良いか判らない中での選択が自分の車の中でと言うことだった。
 実に惨めだ。
 車の中で聴いた話は些かには信じがたいものであった。同盟国が教会の繋がりを利用してこの国の情報、雰囲気を敏感に察知したいと言うことなのだが、どうにも現実感覚にはしっくりと来ない。
 すると、彼女は自分の個人情報について触れ始めた。それは通信やメールなどやり取りに関するものだが、外部に漏れてはない筈の情報も網羅されていた。
 そこで浮上したのは二つの仮説。
 スマホを勝手に弄られたか、本当に通信傍受しているか。
 前者はメリットがない。だが、後者については学生時代からある噂を聞いたことがあった。同盟国はこの国の何箇所かに通信傍受の施設を整えており、世界各国の通信傍受を行っている。俄かには信じがたい話ではあったが、幾年か前に同盟国の諜報員が敵対国に亡命する際、通信傍受の事実をメディアに語ったのだ。
 本当の話だったんだな、あれ。
 今更ながら眩暈を覚えて億劫に感じる。
 少女が要求してきたのは「同盟国の末端になる代わりに身の安全を保証してあげましょう」と至極単純な要求だった。
 いや、要求ですらない。命令に等しい行為だった。
 通信回線が全て覗かれているなら自分を牢屋に打ち込むのも容易いだろう。
 そうしないのは自分が益に不利益にもならない虫だからだ。
 それが少女との出会いだった。


 さて、少女は去ったし、本屋でも寄るかと考えていたところ、ふと胸ポケットに何か仕舞ってあるのに気付いた。
「あ」
 つい、うっかりしていた。謎の少年から頂いた十字架。報告書には書きそびれてしまった。
 こういうしくじりがあるから自分は未だ半人前以下なのだよな、とつくづく自己嫌悪に陥る。報告するって言っても向こうの連絡先も知らない。
 少女達は不可思議な連絡手段を用いていた。ランダムになっている電話番号から留守電が入り、指定の日と場所を伝えるだけだ。不思議なことに一度使われた番号はもう繋がらないのだ。
 だから彼女から連絡があるまで待つしかない。
 まあ、それ程重要事項でもあるまい。
 そう決め付け、自動車に戻ろうとしたところ、少年はいた。
「え?」
 思わず間抜けな声を出してしまった。
 いつから居た?
 つい先程まで少女の居た辺りに少年は立ち止まっていた。
 少年はこちらと眼が合うと極自然に微笑んだ。
 それは諜報員の少女と正対の笑みだった。無理して繕っている表情ではなく、本当にこちらと出会えたことを喜ぶかの様な微笑みだ。
 それにしても本当に奇妙な少年だ。美しい、可愛いと言う一言では表現出来ない何かがある。美しい少年の様でいて美しい少女の様でもある。
 見惚れていると向こうから話し掛けてくる。
「こんにちは。この前の十字架は大切に持ってくれている様で何よりだよ」
 不意に少年は自分の手を握り締め、感謝の意を露わにする。
 それが何だか気恥ずかしい感じに思えた。まるで、男子が初恋の女子に初めて触れる高揚感にも近いが、どうにも違う。
 安心する。
 一言で言うとそんな感覚なのだ。
「あの十字架はどういう意味なんだ?」
 つい、喋ってしまう。
 情報を引き出さなければならないのだが、単純な好奇心も働いて止まらなかった。
「全と無、善と悪、敗北と勝利、勝利と敗北、持つ者と持たざる者、持たざる者と持つ者、意味は人それぞれにあるよ。君にはどう見えた?」
「白い方が善なのか?」
 だとすれば、とんだ人種差別だ。
「君にはそう見えるんだね」
 少年は曖昧な口振りで誤魔化していた。だが、同時に事実を指す。右が正しいと言う概念に囚われても、この十字架は裏表で白と黒の両方を同時に表していた。
 果たして、どちらが正しいか、いや、どちらも正しいとも捉えられることも出来る。
 とんだ発想だ。
 神の前にあらゆる解釈を許すなら、二つの理を成立させてしまう。
 自分が持つ微かな信仰の中で成り立つ二つの奇妙な命題。
 神は全てを厳かに糾し、裁く。
 神は全てを慈悲深く愛し、救う。
 これは自分の中でも成り立たない命題だと思っている。
 だが、同時に奇妙な考えも降りてくる。
『神のものは神に』
『もし、あの企てや働きが人から出たものなら、滅びるであろう。もし、神から出たものなら彼らを滅ぼすことは出来ない』
 聖典に出て来るこの言葉が思い出される。
 現代の主流を占める三大教派の義を認めるならここの言葉に至る気がする。
 一見すると同時に成立しない三大教派の在り方も古の時代に捨て去られた『全てに救い』と言う思想も実は神の中では一切の整合性が取れているのではないか。神から出たものが神に帰する様に。全ての人々の想いも又神の中であらゆる美しい膨大な調和の中に成り立っているのだとすら考えたくなる。
『あなたは高価で尊い』
 この一文が全ての人々のあり方を、あらゆる教派の在り方を神が肯定するのではないかと夢想する。
『誰が神の相談役になれようか』
 人の考え付くことなど神はとうに考え付いている。だとすれば、『全てに救い』をと言う発想を超えた知恵や救済手段が神の中にあるのは逆説的に自明の理なのではないか。
 だからこそ先に挙げた二つの矛盾する命題が同時に成り立つ気がしてならないのだ。
 この十字架は何かがその発想に繋がっている気がしてならないのだ。
 だが。
 馬鹿らしい発想だな。全然論理的じゃないし、整合性も取れてない。
 冷静になろう。信仰義認も万人祭司も自由意志も奴隷意志も二重予定も『全てに救い』もおろか、世界のありとあらゆる人々の思想を全て調和させるなんて在り得ない話なのだ。
 同じ聖典から出ても基幹から異なる答えに至ったもの達が神の中で調和しているなどとは、常軌を逸しているとしか思えない。
 だが。
 この目の前にいる少年なら常軌を逸したこの発想をすんなりと受け止めてくれそうな気がした。
「なあ、あんた」
「何?」
 少年は笑顔で返す。
「下らない告白を聴く時間はある?」

 言えることは言ってみた。自分が何故その心境に至ったか説明は後でするとしてぶちまけてやった。
「うーん、それは『神のパラドックス』だね」
 聞き覚えのない言葉を告げる少年。
「『神のパラドックス』?」
 鸚鵡返しに尋ねる自分に対し、「うん」と告げる少年。彼は続け様に答える。
「同じ聖典から幾筋もの解釈が溢れているけど、これには幾つかの問題点が混じっているんだ」
「問題点?」
 少年は頷く。続け様に軽く質問してくる。
「例えば、君は神学の一角を占める信仰義認についてどこまで答えられるかな?」
 学生時代に少し著書を読んだことがある、いわゆる初心者向けの基礎教義だ。
「ええと、確か、二つの命題を解決する為に説明された書だよな。第一命題は『信徒は全てのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない』で、第二が『信徒は全てのものの上の奉仕する僕であって、何人にも従属する』だったな。これを解くに善行の問題から解き明かさなければならない。人は善行によって義とされず。何故ならば善行は偽善者でも出来るものであり、そうではなくて神への信仰のみが義の承認である。けだし、信仰を持つ者は善行を行うのも必定である。何故なら真理である愛を持つ者が自由に人に仕えることを善しとするからである。これによって信徒は王者でもあり、同時に僕であると言う二つの命題は解決される……だったかな」
「大雑把に言うとそんな感じ。で、気付いた?」
 気付いていた。学生時代に自分を悩ませていた問題だったから。
「義は神が認めてくれるものだが、どうやって確認するんだって問題だろ。何しろ、神は目には見えない存在だからな」
「うん、それもある」
 確かに解らないところを誤魔化して飛ばした記憶があるにはある。
「まあ、神の中では整合性が取れているんじゃないのか?」
 多少投げやり気味に言ってみる。
「そこだよ」
 少年は正鵠を射たとばかりに笑って答えた。少年は答え合わせの様にスラスラと語り始める。
「要するに僕達は主の教えを自分達の範囲で答えようとする。人は自ら培ってきた論理の構築に頼るけど、主の論理構築は僕らの比じゃないんだ。実際、整合性の取れていない主張でも何故か正しいと言う感覚に満たされる。これは僕らの意志を超えた聖霊の助言なんだよ」
「うん?」
 何だ? 言っている意味が解らない。
 少年は要項を語る。
「うん、要するに人は主の教えをある程度まで組み立てて説明出来る。でも、それは途中までなんだ。聖典の解釈は聖典を以って行い、主から与えられた良心と啓示に基づいて進めていく。ここが困ったところでね、前者は人の論理展開を用いて解釈も出来るけど、後者は主の世界の理屈で進めていかないと展開出来ない」
「要するに?」
「要するに聖典解釈、信仰告白は聖霊に依らなければなくちゃいけないんだ」
「それって全ての人々の信仰を肯定するのは無理ってことじゃないか」
 何だ。がっかりした。
 ちょっと落ち込んでいる自分に対し、少年は少し困った様に微笑んで慰める。
「君の言うことも全てが的外れじゃないよ。むしろ、そこは主の愛の本質を問い質す問題だからね。誰だって迷うし、誰もが異なる答えを抱いているしね」
 少年はそう言って十字架を眺める。これでもかと磨かれた光沢はハッキリと自分の姿を映し出していた。
 何だか自分を映し出す姿を見ていると心の中がモヤモヤとする。
 それに相対する少年はどこまでも輝いて見える。ハッキリとした凛とした出で立ちで迷いがないと言う感じにも受け止められる。
 本当に少年なのかと疑いたくなる。この静かな佇まいは若さ溢れる活気とは又違ったものだ。ある種の悟りに達した者達、長い人生を歩んできた歴史を見詰め続けた者の力強い静けさを感じさせるのは気のせいか? 未だ何も知らない無垢な少年の様でいて多くの艱難を味わってきた老年の様にも見えるから不思議だ。
「なあ、あんた。愛は金で買えると思うか?」
 唐突に質問してみたくなった。
「買えないね」
 今までの柔らかい口調を変えず、キッパリ断言した少年。何故だか知らないが、この少年なら何となくそう言う気がしていた。
 だが、自分の答えは違う。
「いいや、買えるね。世界の問題のほとんどは金で解決出来る。金が全てじゃないなんて言葉は夢見る子供達に聴かせる話であって、愛は金で買えるんだよ。少なくとも私自身の人生はそうだった」
 若い時分は一端の学者を目指したいなどと夢見ていた時期もあった。だが、現実はすぐ頓挫する。大学院に進学するには並々ならない資金が要る。奨学金も借りていたが、家庭の事情もあって学者の道は事実上閉ざされた。
 これで自分が器用で才能に溢れていたら又異なる道もあったろう。だが、現実の自分は不器用で才能すらない。
 天才や独裁者達に憧れるのも納得のいく心境だ。劣等感の裏返しとしてそれらに憧れるのだ。
 そう言えば自分の父も馬鹿な人間だった。友人の為に借金の連帯保証人になんかになって友人に裏切られて結局多額の借金を抱え込んだ。父はそれを解決する力もなかったから家族を放り投げ、姿を暗ました。
 母も結局何の足しにもならなかった。今も齷齪働いているだろうが、金に困っているのかこちらに相談することも多い。正直嫌気が差す時もあるのだ。
 時々考えてはいけないことを考えてしまう。
 いっそ死んでくれれば、と。
 そんな家庭で育てば、自然と金の重要性を少しは感じる。
『神と冨とに仕えることは出来ない』
 こんな黄金律があるが、現実を見ていると教会も同盟国群も金なくして回らない、むしろ、神の教えを金集めの為に利用しているのではないかとすら疑いたくなる。
 不信心な自分が思うのもなんだが、本当の意味で神に仕えている人は世の中にどれだけ要るのだろうか? 多分、そんなに居やしないのではないか? 自分を含め、誰かしら神の愛を利用している気がしてならないのだ。
 そのことをこの少年に話したら、どうなるだろう?
「なあ、あんた」
「何?」
 微笑んで少年は返す。
「金こそ人生のほとんどだと思った私の半生を聞いてくれるかい?」

 大雑把にではあるが、自分の半生を伝えてみる。
 すると少年は思案げに考える表情をして質問してきた。
「君は世界のほとんどの問題を金で解決出来ると考えている訳だよね?」
「うん……まあ、一応はな」
「だとしたら解けていない不可解な問題が残るよ。どうして金でほとんど問題を解決出来ると考えている君が『全てに救い』が訪れるなんて境地に達したんだい?」
 ああ、そこか。それは未だ話していなかったな。さて、それは話すべきか。永遠に墓場まで持って行くべきか。
「実家で犬を飼っているんだ。まあ、生後半年で家に来た子なんだが……私の家庭環境は少し話したよな?」
 結局、話すことにした。
「うん、大分大変そうだね」
「苦労はしたよ。そんな家庭に来た犬だって最初は嫌だったろうさ。それに私は幼い頃に犬に噛み付かれてから犬は駄目だったんだ。取り敢えずゲージを造ってそこに閉じ込めたんだ。そうしたら翌日どうなっていたと思う?」
「逃げ出しちゃったのかな?」
 苦笑する。答えを言ってやろう。
「半分正解だ。室内にゲージを置いた為、部屋の中を動き回っていたんだな。怖かったんだろうな。挙句の果てに糞尿塗れよ。即座にシャワーに連れて行って嫌がるあの子を洗ったもんさ」
「元気な子だね」
 クスリと微笑む少年。
「ああ、元気な子だ。良く人様の食事を勝手に食ったり、それで腹壊したりと冷や汗ものだった」
 だが、と一拍置いて続ける。
「散歩も嫌いだったんだが、抱きかかえて連れて行ったよ。その内、外の世界に興味を示したのか、こちらの言うことも聞かず、色々連れ回されたよ。凄い時は一時間位歩き回っていたな」
「きっとその子は楽しかったんだね」
「これも初めての話になるが、私はその頃受験ノイローゼに悩まされていてな」
 出来れば国立の良い大学に進学したかった。学費も安い上に上手く行けば、学費免除の道のりだってある筈だと信じていた。だが、虚弱な体質に一日睡眠時間二時間程度しか摂らなければ、倒れてしまうのは自明の理だったのだろう。丁度その頃、人間関係も失敗していたのも痛かった。
「結局倒れたよ。入院は免れたが、自宅療養だ。但し、永遠の薬物療法の悩み付きでな。まあ、その辺りは記憶が曖昧だ。正直もう覚えてない。ただ」
「ただ?」
 少年は反芻して訊ねた。
「自宅療養の最中もあの子の散歩はしていたんだ。そうしたら犬を飼っている人達が話し掛けてくれたんだ」
 最初は何気ない挨拶だった。ぎこちなくも会話まで持っていけたのは犬特有の可愛らしさが話題に上がったからだ。
 少年は少し納得した様に微笑みながら話す。
「きっとその子は神様が遣わした君にとっての救いだったんだね」
 全くだ。初めて雪の日を迎えたあの子が外で大はしゃぎして走り回っていたのは今でも何故か憶えている。あの子が居たから救われた面も大いにあっただろう。
 だが。
「ああ、同時に躓きにもなってしまった」
 少年は又思案した表情になって訊ねる。
「どういうこと?」
 それを話すには少し長い前置きに付き合って貰わなくてはならないのだが、この少年は聴く気はあるのだろうか。
 面倒臭いとは感じないのか?
 だが、不思議なことに少年は無邪気に答えを待っている。
「当時の私は神など信じられなかった。よく神に問いかけたものだよ。『神がいるなら何故我々の不条理に黙るのか?』とな」
 よくある手法だ。神を批判するなら神の性質そのものを研究しなければならない。即ち、自分の人生に最も欠けたもの、愛。愛そのものの性質を知らなくては愛を批判出来ない。何故三大宗教の中で教会を選んだのか? それは教会こそが愛を要としていたからに他ならない。
 自分の道は疑心から始まったと言うのが良く判る。自分の信仰の第一命題として神の存在の可否が聳え立っている。
「色々煩雑な本を読んだな。逐一覚えていないのが残念ならないが。だが、そう言った勉強法が役立ったか、私立ではあるが大学には受かったよ」
「それはおめでとう。きっと君の頑張りを神様や周りの人達が見ていたんだね」
 少年は素直を讃美した。
 ああ、確かにそうだろう。当時数少ない友人や先輩は応援してくれたし、倒れた後でも繋がりを切ることもなかった。母方の祖父母も応援してくれたのも大きかった。それは人生の宝だと素直に思っている。
「学生時代、勉学に励むも結局は金の問題で全てが水泡に帰すんだけどな」
 皮肉めいた言い方をするが少年はせせら笑うこともせず、却って真面目な顔で自分の肩を掴んで力強く宣言した。
「そんなことない! 君はお父様に導かれた僕達の兄弟だ! 君の歩みは皆が見てるんだ!だから勇敢で雄雄しくあって! 主はいつも君と共におられるんだから!」
「え……お、お父様?」
 不思議な少年だが、神のことをお父様呼ばわりしているとは一体この少年は何者なのだろう? 同盟国の味方なのか敵対国の重要人物でもあるのか。
 ただ一つ言えることは。
「あんたも信徒なんだな」
 それもただの信徒ではない。常識を卓越した信心の持ち主だと見て取れる。信徒達は神のことを主とは言えても父と堂々とあまり言わない。神を父と宣言する辺りにこの少年の岩の様な意志を感じる。
「話を躓かせてしまったね。ごめんね。続けて」
 信徒であることを否定もせず、少年は力強く見据えて頷く。
「あんたが信徒なら話は早い。学生時代、教会研究を行っている最中にどういう訳か教会の方々と接する機会が増えていていな。どういう訳か信じてみたくなったんだ。と言うか、自分を使って賭けをしたんだな。神が居るなら私を護ってくれる、護ってくれないなら神そのものは居ないと言う賭けに出たんだ」
 少年は寂しそうに微笑んで問い掛ける。
「それで答えは出た?」
「いや、未だ出ていない。それが判るのは私の人生の終局だろうしな」
「もし君の信仰がお父様の存在を信じているのが前提として、何故君の愛するものが躓きになったのか、それは教会の教義そのものに阻まれたんじゃない?」
 頷く。そうだ。正しくその通りなのだ。教会は程度の差こそあれ、動物の魂の救済について認めていない。昔、教会の伝道師に聞いたが動物に洗礼を授けるのは多くの教派にとって異端の領域なのだ。
 自分の頷きを見て思案げに少年は且つ慎重に質問してくる。
「うーん、解らない」
「何が」
 何か解らないと言うことなのだろうか?
「君の信仰を見ていると誰かを愛してしまったから、『全てに救い』が齎されると言う答えに辿り着くしかなかったみたいな言い方だよ」
「そうだな。誰かの救いを願うからには世界そのものへの救いを願うことへと繋がったんだろうな」
 皮肉にもそれが躓きでもあり、救いでもある。
「まるで自信がないみたいだね」
「当然だ。『全てに救い』の教義は古代教会の中でこそ主流を占めたが、議論の結果に幾つもの矛盾点が指摘され、葬られた教義だからな。聖典と照らし合わせてもこれまで完全な立証は出来てない」
 自分が自分として生きる為には生き辛いが、愛するもの達を裏切る位なら背教者としてしか生きて行くしかないのであろうか。
 神よ、あなたが居るなら答えて貰いたい。
 何故、自分は惨めに生きなければいけないのか?
 すると、少年は代弁者の様に語らい始めた
「でも、君は言った。『神のものは神に』、『もし、あの企てや働きが人から出たものなら、滅びるであろう。もし、神から出たものなら彼らを滅ぼすことは出来ない』この二つの言葉から世界のあらゆる信徒の在り方を肯定しようとした」
「ああ、だから問題なんだよ。もし、神から出た教えなら現実的な栄光が帯びる筈だ。『全てに救い』と言うものをどれだけ神の根幹を成す愛の原理と見做そうとも現実的には栄えていない」
 もし、この『全てに救い』を肯定したとしても現実には栄えていない面を見れば、人から出た働きかも知れない。
「君は何か思い違いしているよ」
「え?」
「君の言い方だと『全てに救い』の考えが世に出てくるのはお父様への道を阻む為に生まれた異端の教義みたいだよ」
「異端そのものだろ」
 悔しかろうが、それが世の中の潮流だ。
 少年は冷静に言葉にする。
「もし、兄弟が兄弟同士で争っていたら神の国は立ち行かなくなるでしょう。あの狡猾な悪魔達でさえ自分達の中では争わないと言うのに、お父様の子供達である君達は争うの?」
 そして、少年は大胆に告白する。
「僕は世界の人々の在り方を肯定するよ。勿論、歴史上の兄弟達も、そして、赦されざる絶対悪に対しても、『全てに救い』が訪れることもね」
 それは余りにも大胆過ぎる告白だった。この少年は絶対悪にすら救いが訪れるとでも主張する気か。かつて太古の東方の教父の中にそれを唱えた者がいたが、今では異端者扱いだ。
「あんた自身が異端に身を窶してした訳か」
「それはどうだろうね?」
 少年は肩を竦め、曖昧な態度になった。それは自分が異端であると言うことを認めると言うより、正統、異端は瑣末な問題だと捉えている節がある。
「聖典の書簡にも書いてある。『見よ、主は幾万もの聖徒達を連れて来られる。それは全ての者を裁く為で、全ての不敬虔な行いを、又不敬虔な罪人達が主に逆らって言った全ての暴言を、罪に定める為です』ってな」
「そうだね。その預言の言葉に間違いはない。聖典は絶対だからねえ」
 でも、と一拍置いて少年は続ける。
「同時に異端とされた教えが残っているのは悪魔の誘惑じゃなくて、お父様ご自身が残したいものじゃないのかなあ? 『あなたは高価で貴い』だよ」
 何て皮肉なことを語る少年なのだろう。異端が生き残っているのは悪が働いているからではなく、神の教えの一つとして残されなければならない。そう少年は物語っている。更に皮肉なのは自分の見出した聖典の言葉を使って正統も異端も全て肯定してしまったことだ。 
「哀しいことだな。それでもその教えは認められない」
「でも、僕は歩みを止める気はないよ。人の歴史は歩みから這い蹲ってでも進み続けたことにあるなら、僕らは歩みを止めるべきじゃないんだ」
 そうか、それでも少年は行いを続ける気の様だ。
 それが決定的な一点。
 自分と少年の違いなのだ。
 自分は議論を好み、少年は行いを好む。
 自分は時代の流れに不平を述べ、愚痴を述べる。しかし、少年は自分の話を聴きにここまで来てくれたのだ。少なくとも自分はそう感じる。
『行う者になりなさい』
 聖典の一節を思い出しながら、自分には縁遠いものだなと感じる。
 隣人にすら手を差し伸べられない愚か者とは自分そのものを指すのだろう。
 人は自分に余裕がある時にしか手を差し出せない。これは言い得て現実だが、真に愛のある人はその様なことなど関係ないのだ。
 聖典に描かれている者達は正にその様な代表格であり、時として自分には理解し難い存在である。
 今、自分の目の前にいる少年もそんな感じなのだろう。理解し難いのに身近にいる感覚。
 いや、これは少々表現上合っていない。精確には単純で理解出来る筈なのに自分の様な人間には理解し難い心の持ち主なのだろう。
 即ち、愛を持つ者。その一言に尽きる。
 目の前の少年はこちらの値踏みに気付いているのか気付いていないのか微笑みを以って応えていた。その微笑みが眩しくて、罪深い自分に安心感を与える。
「ま、そんなに歩みたけりゃ、歩めば良いんじゃないか」
「ありがとう」
 何がありがとうなのか解らない。
 少し時間が経ち過ぎたな。
 接触だけが目的だったのについつい自分の過去をぶちまけてしまった。この少年には何か人の心を開かせる賜物でもあるのだろうか? 
 まあ、良い。
 今日はここまでにしておこう。
「済まんな。今日は用事があるからここまでで」
「うん、分かったよ。又今度だね」
 そうだ、連絡先を訊いておこう。
 そう思い、スマホを取り出そうとした時だった。
「あれ?」
 少年が綺麗さっぱり姿を消していたのだ。つい今しがたまでここにいたのに。


 結局、あの少年は何だったのだろう? 接して不可思議な少年だった。
 同盟国群はあの少年の何に興味を持っているのか? 
 話した限り、信徒であるようだし、同盟国群と対立する神のいない国々の要人と言う訳でもなさそうなのだが。
 そう言えば、その辺りは上手く曖昧にされた気がしてならない。
 帰った後も悶々と気が落ち着かない。
 こういう時は美味いものを食べるに限る。考えるには常にエネルギーが必要だ。
 自分の今住んでいる方面にはB級グルメと言うのに力を入れているらしい。
 塩鰹うどんなどが良い例だ。
 ただ個人的には塩鰹卵掛けご飯が好きなのだ。あの温かいご飯に新鮮な卵をぶち込んで塩鰹と共に幾分掻き回して食べると何ともいえない程良い塩味と卵のまろやかさが合って良いのだ。
 ちょっとねっとりした卵ご飯が喉越しの通りも良く、お腹もそれなりに満腹になる
単純だが、美味い。
 この辺り一帯はポツポツと点在する様に美味い飲食店もあり、独身の自分には助かる。しかし、哀しいことに大抵の世帯は自分達で食事を作るから外出する必要がないので飲食店の売れ行きは芳しいとは言えない。加えて、人口減による消費産業の衰退から色々な産業が縮小してきている。かく言う自分も人口減の煽りを受けて経済的に芳しくないので、普段は安物で済ませている。
 高齢者が増える反面、介護を必要とする施設が増えるのは必然だった。教会も運営が係わる施設もあり、自分は一応そこに所属している。
 と言っても、自分は立派なものではない。能力的には落ち零れである。
 大体、死が嫌な自分が周りの人々に死んで逝かれるのは堪ったものではない。自分が死ぬなら未だしも周囲が死の気配に満ちていると何となく虚ろになる。
 とは言っても、彼ら自身は死を恐れていない様に日々を明るく振舞う人々もいる。一方で日々の不満の発散場がなく、苛立つ人々も確実に存在している。
 はっきり言うが、自分には他人の機微が解らない。だからこそ、周囲の人達の気持ちが理解出来ない。彼らが天に召される度に自分の中が削れていく様な気がしてならないのだ。まるで虚無が目の前に立ちはだかり、自分が虚無に服している気持ちすらある。
そんな自分がこの仕事をやる資格があるのか? 同盟国の諜報活動においても末端で良いことなんてあるのか? 日々自問自答の日々である。
 まるであの少女に掌で泳がされている気分だ。
 ぼやきにならないぼやきを声に出さず、ただグッとひたすら耐える。
 その瞬間だった。
 突然、スマホが鳴る。すぐさま留守電に繋がった様子だ。ふと見ると見覚えのない番号だ。車内に戻って番号の検索を始めても不特定からの番号としか言い様がない。
 すぐさま掛け直す。
 相手はワンコール足らずで出た。
「彼との接触は上手く行ったみたいね。上々だわ」
 件の少女だった。
 これまでのことを朧気ながら報告する。向こうは無言でこちらの言葉に耳を傾けている様子だ。覚えている限りのことを話す。自分の半生を愚痴った時のこと、教義のことについてなどだ。聴き終えた少女は淡々と告げる。
「距離感を埋めるのには成功したみたいね。だったら次の段階ね。距離感を埋めながら向こうの情報を引き出しなさい」
 これ又面倒な役目を任されてしまった。数秒躊躇って答えを出した。
「……かしこまりました」
 どうしようもない。自分に選択権はないのだ。
 少女は無造作に通話を切る。
 溜め息と共に休日が終わる。明日から仕事か。いや、いつでも仕事みたいものか。
 車を走らせ、今度はどうやって少年と接触すれば良いか悩んで一日が終わる。
 ああ、しまった。又十字架の件について報告していなかった。

 
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登場人物紹介

自分……教会の信徒であり、介護職であり、同時に同盟国の末端でもある。同時に精神的な病も患っており、無気力な人物。少年との出会いで諦めていた人生と信仰に一つの灯火が与えられ、『全てに救い』の信条に触れていくことになる。



少年……風の様に現われ、風の様に去る可愛らしい少女の様な凛々しい少年の様な少年。語り部である『自分』を受け容れ、『全てに救い』の教義を教えることに力を貸す。同時に語り部である『自分』の危機的状況を救ったりもしてくれる不可思議な少年。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





少女……同盟国の関係者らしいが、実体は不明な少女。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





ウォリアー……同盟国の重要人物で『使徒』と呼ばれる存在。重々しい口調が特徴的な牧師の格好を纏った軍人の様な男。実際に軍人でもあり、新しい計画にも携わっている。典型的な戦闘型の『使徒』で実際には星一つ滅ぼせる程の力を保有していると思われる。少年と付き合いは古い。(アイコンはあくまで参考用のイメージ像です。読者様のお好みの姿を思い描いてお楽しみ下さいませ)



 



ジューダリア……ユダとマリアを合わせて取られた名で『イスカリオテ』の中でも別格の存在。祈りを具現化する能力に長けており、『使徒』の番外と呼ばれる。

ジ・オーダー……第二部の語り部。オーダー・オブ・オーダーの中核。自分のことを我々と称する。「人は『全てに滅び』をお与えになる」の信条を創り上げたと言われる。世界の破壊者。

クリストフォロス……第二部の登場人物。『使徒』である。ジ・オーダーにとって先が読めない人物と考えられている。恩恵能力『絶対結界』(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ソロモン……第二部の登場人物。『使徒』の一人。恩恵能力『ソロモン・システム』但し、精確には恩恵能力ではない。より厳密に言えば彼女の家系が築き上げた。『ソロモン・システム』については第一部参照。( アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ジョシュア・エイブラハム・ノートン……現代の最古の『使徒』の一人。恩恵能力は不明。判ることは通信系の能力。古典的な通信手段のみならず現代の科学水準を以てしても理解出来ない通信手段を使用している様子。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

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