第14話 引っ越し前夜

文字数 2,358文字

「先生、起きてる」

 寝入るまではお互い背を向けて眠るので、遠くに話しかける様に声が響く。起きているが、何と答えたらよいだろうか。

「起きてたらね。教えて欲しい事があるのだけど」
「…何だい」
「あたしのえりかって名前、魔法使いになるきっかけになった女性って言ってたけど」
「そうだね」
「女の人なんだよね」
「うん。女の人だよ…」
「これ以上、聞かない方が良い」

 気密性が良いと言えない部屋に、風が吹き込む。自分ではない匂いを感じる。時間を見つけては石鹸を探し、何枚も身体を拭く布を調達していた。この世界では最も清潔な匂いに感じる。

「いや、せっかくだから話しておくよ」
「じゃぁ、聞かせてもらうよ」
「したっていた人だよ」
「それは、好きだったという事」
「そうなるね。だけど、一方通行で自分から諦めた恋さ」
「…なのに、魔法使いになるきっかけなの」
「そうだよ。コアラの叡智って名乗るきっかけを作ってくれたんだ」
「…もっと、聞いてもいい」
「いいさ。知り合って絵を描く人だったから頼んでみたんだ。コアラが瓶につかまっている絵を描いてほしいって、そしたら、描いてくれた」
「その女の人って、ノノみたいな仕事してたの」
「えりかは、本当にするどいね」

 「そうだよ」と付け加える。体勢を変えたのだろう、ベッドが少しだけ揺れた。けれども、その揺れはささやかなモノだった。以前に抱きかかえた彼女が、ウソみたいに軽かった事を思い出す。

「先生、その人とはどこまでの関係だったの」
「実際に会った事すらないよ。つまりね、画面の向こうの存在だったよ」
「きっと、こうやって話し相手になってたのだろうね」
「鷹の目で見たのかい」
「見てないよ。女のカンってやつ」
「えりかには、もう、魔法は必要ないかもね」

 背中にえりかの手が置かれた。ゆっくりとなでる様に移動していき、傷の上で止まる。魔法は使われていない。ただ、彼女の手のひらが感じられる。

「使わない事が出来るように成って、良く考える様になったの」
「それは、良い事だね」
「ねぇ、あたしってその人と似てるの」
「何一つ似ていないよ。だから、この世界を去る頃にはボクの人生にとっては、君がえりかになっているさ」
「…ノノの所って、まだ、行きたいの」
「友達なんだろ。なら、ボクが行く必要はなくなったさ」
「じゃぁ、ノノにはもう銀貨はあげなくていい」
「いいさ。彼女だって分かるさ」

 傷の上に置かれていた手に力が入る。背中にえりかの身体が押し付けらえれる。転移の際に機能不全になったから安心はしているが、心は興奮してしまう。

「好きって言ったら、怒るのかな」
「怒りはしないさ。けど、31歳のおじさん相手だからね」
「イエス様のお父さんとお母さんはこのぐらいの差じゃない」
「良く調べたね。書庫で聖書の解説書を読んだのかい」
「先生も鷹の目はいらないのね」
「せめて、見た目が16歳程になるまでは我慢できるかい」

 預けている鍵が背中に当てられる。鍵穴はないので入らないが、肌身離さず持っているのか金属独特のヒヤッとした感じがしない。

「この鍵で心もあいたら、良いのだけど」
「いつも、開けているつもりだよ」
「そう、なら今日は我慢します」
「…えりか、ボクも頼んでよいかい」
「なに」
「好きって言葉じゃなくて、違う言葉を探してみて欲しい」
「したってますって言ってほしいって事」
「いや、違うんだ。今日の事をずっと覚えておくから、全然違う言葉で同じ意味を伝えて欲しい。何でも良いんだ。準備が整っていた時には、必ず答えるから」
「生まれた時が中学生のあたしには、難しすぎるよ」
「でも、何年かはかかるのだから、その間で考えてみて…」
「難しいけど、嫌な宿題じゃないかも」

 壁が薄いので、ユアンに聞かれているかもと思い焦る。明日には、ユアンと3人での城での暮らしが始まる。その前にえりかと話せてよかったと感じた。戦闘はえりかにお願いするから、料理を作れる仲間を探さないといけない。男性ばかりが増えても良い集団には成らない。

「先生、ユアンの為に…」
「同じことを考えていたよ」
「ノノを買えないかな」
「聞いてみようか。けど、買うというよりは借りる契約だと思うよ」
「奴隷って本当はこの時代にはいないの」
「いや、いるさ。輸出していた商品だから各地域にはいないけど」
「じゃぁ、先生が救えるだけ救って100人になったら帰れる」
「そうだと良いね」

 「うん」と言ったえりかは、いつもの場所に戻っていった。これからは、男女を分けて行動するだろうし、眠る事になるだろう。例え相手が子供でも、100人集まれば組織であるし村と名乗れるかもしれない。途方もない数に思えてくる。

「先生の名前って、………って言うのでしょ」
「それは、本名だね」
「ここに来る前に、鷹の目で見ちゃった」
「あたしはね…」

 耳元で名前が囁かれた。やはり彼女は名前を取り戻していた様だ。その名前は、えりかという音に少し似ていた。他の魔法少女たちが消えてしまっていないか気になる。

「他の子たちが賛成してくれたの」
「何にかな」
「この世界で100人のお母さんになる事に、だから、最も濃かった名前に統合されました」
「良かった事なのかな」
「これからは、誰とも一緒に成れないと思う」
「って事はこの世界で魔法少女がいても…」
「そう、あたしの中に入れてかくまう、守るとかは出来ない」
「教えてくれて、ありがとう。気になるのだけど、お父さんは」
「誰でしょうね」

 ユアン、ノノ、これであと98人かなと思考を巡らせる。気がつくと、中学生として生まれた魔法少女えりかちゃんを除外している事に驚く。この世界に数年いれば、立場が逆転しかねないと思い知らされる。「おやすみ」と遠くで聞こえ。明日に顏を合わせるのが気まずいと思いながらも、ゆっくりと意識は失われていった。
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登場人物紹介

コアラの叡智……インキュベーター。心優しく、死ぬ運命にあった魔法少女ちゃんを弟子として引き取った。

魔法少女ちゃん……死ぬ運命にあった女の子。現在は一人前のインキュベーターを目指して勉強中。

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