大塚駅から池袋駅まで

文字数 2,384文字

 若さは無知だが、夢を一生見続けられる。
 仕事の関係で久しぶりに東京へ来た。支社視察という名目だが、実際には支店に配属された同期と会い、適当に話をしていつもより早めに帰るだけだ。
「枝川の退勤はこっちで適当につけておくから、先にあがっちゃって。山手線に乗ればすぐ鶯谷だから遊んできちゃいないよ」
「俺は今までそういう店に一度も行ったことがないのが誇りなの。佐々木がオプションも含めて全額出してくれるなら風俗童貞を捨ててもいいけど」
「馬鹿言わないでよ。本社の人事部配属になった枝川様と、支社配属の一般社員の小生じゃ給料が一桁違うんだから」
「そんなことないでしょ。ここの支社だと佐々木が一番稼いでるって聞いてるよ?」
「火のない所に煙は立たないけど、そりゃあ完全に不審火だな。雀の涙よ。新卒君とどんぐりの背比べ、五十歩百歩でしかないんだから。あーあ、俺も早く本社に呼ばれないかな。枝川からも上に言っておいてよ」
「俺にそんな権限あると思うか?」
「ま、確かにな・・・」
「ちゃんと失礼だな。これでも一応は人事部だから定例会議で昇進候補リストに口を挟むことはできるんだが・・・。そうか、よく分かった。佐々木の昇進はしばらく・・・」
「ちょっと待ってくださいよ。枝川様。大変に失礼なことを申し上げました。お許しください」
佐々木の口角が嫌な角度に上がる。
「だが・・・、本来の退勤が17時。それで今は15時。この事実を浪川部長にご報告差し上げることもできるのですが・・・」
「あ、それは是非とも止めていただきたい。分かったよ。次の定例会議で佐々木を昇進候補に入れるように伝えておくから」
佐々木は、フンっと鼻を鳴らすと、
「それじゃ、取引成功ということで。よろぴく~」
俺は苦笑しながら、はいはいと相槌を打って支社を後にする。
 久しぶりに同期と話し、気が軽くなる。いつもは白目が濁り始めた初老上司か、脳内メーカーが全てが「出世」と表示されそうな先輩に囲まれているので息が詰まる。
 支社から少し歩き、山手線に乗る。数回程度しか乗ったことない新型車両に少しだけ興奮する。15時過ぎということもあり、車両は空いていて長椅子の端に座り、セパレーターに体を預けると途端に睡魔が襲ってきた。
 電車の揺れで目を覚ますと、見慣れた風景が車窓から見え咄嗟の判断で電車から降りる。大塚駅。
 池袋で降りるはずだったが、大塚駅で降りてしまった。急いで降りた姿を乗客に見られていたので、乗り直す勇気もなく、さも、最初から大塚で降りる予定だった風を装う。
 改札を出ると、彼女の姿を探す。だけど誰もおらず。
 5年以上前に別れを告げられた彼女がまだ好きだと自覚する。蓋をしていた過去が発酵し、ガスが充満して爆発する。

 南口から出て、都電荒川線の線路を渡ると商店街に入る。細くて狭くて曲がりくねっている上り坂が続いている。右手に天祖神社があり、夜に見ると迫力があったが、太陽が昇っている時間は荘厳さが際立つ。坂を上がる。
 赤褐色のサウナのビルが見えてくる。

「ここってサウナしかないのかな?」
「どうなんだろうね。私も行ったことないから分かんないや。今度行ってみたら」
「そうだね。次、舞ちゃんを迎えに行く前に行ってみようかな」
「そうしなよ。感想教えてね」

 まだ、緩い坂道は続く。相変わらず道は狭い。やがて、道が開け、前には春日通り。

「この信号、なかなか変わらないよね」
「そうそう。早く家に行って、ひーくん家に帰る用意してこなきゃなのに・・・。あ、コンタクト液ってまだあったっけ?」
「舞ちゃんのものはまだあるよ、多分」
「多分?怪しいな・・・。一応持ってこ」

 信号は青に変わり、マンション沿いの細い路地を進む。アパートが見えてくる。ただ、もうそこには誰も住んでいないようで立入禁止の看板が立てられている。アパートの先にある曲がり角がいつもの待ち合わせ場所だった。そこで少し彼女を待ってみたけど、もう君は来なくて。
 春と夏の間に吹く風が体を通る。抜け殻の自分に無理やり皮膚で肉を包み、詰め込まれている感覚になる。
 造幣局はもうなく、大きな公園になっている。あの頃と同じように造幣局跡地の周りを歩いて池袋へと向かう。幸せそうな家族や無邪気にはしゃぐ子どもの声が胸を締めつける。今日は西友に寄らず、そのままサンシャイン通りへ。
 君と別れて初めてサンシャイン通りを歩いた。あの頃よりも賑やかになっているのに魅力は薄れている。魅力的に感じていたのはいつも隣に君がいたからだったと今、気づいたけどそれを君に伝えることはもうできないのだろう。
 あの頃と同じショートカットで水色のバッグを持っている女性が前から来ると、つい君だと思い、その人の顔を見てがっかりする。がっかりしている俺の肩を後ろから叩いて、振り返ると君がいて、あの頃と同じように「お待たせ」って笑いかけてくれないかな。
 サンシャイン通りは高い建物が多い。溜まった涙が溢れ出ないように上を見ているからそれに気がついたけど、いつもは横に君がいてくれたからそんなことには気がつかなかった。でも、そんなことは気がつかない方が幸せだったかもしれない。鞄を持つ反対の手で太ももを強く叩く。そうしないと歩けなくなってしまいそうで、泣き出してしまいそうで。
 池袋駅東口前の交差点にある喫煙所で煙草に火を点ける。

「ひーくんはね、柔軟剤とたばこの匂いがするの。でも、その匂いが好きなんだ」

 スマホを取り出してLINEをタップする。友だち欄から君のアカウントを探して、トーク画面を開く。
『お久しぶりです。元気ですか?』
 あとは送信ボタンを押すだけなのに。
 打ち込んだ文字を消して、画面を閉じる。スマホをポケットに戻し、吸っていた煙草を捨てる。信号が青になるタイミングで喫煙所を出る。
 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

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