錦糸町は、お菓子の街である②

文字数 1,543文字

 亀戸の老舗和菓子と言えば、まず第一に名が挙がるのが「船橋屋」のくずもちです。

 天神さまの鳥居から歩いて一分ほど、前面に藤棚をしつらえた船橋屋本店の趣ある佇まいが現れます。大通りに面しているのですが、入り口前に敷き詰められた石畳、木製の建具が、そこだけタイムスリップしたかのような空気感を醸し出しています。
 それもそのはず、文化二年(1805年)創業で、現在の店舗も昭和二十八年(1953年)に再建されたとのこと。その時に看板の文字を書いたのが吉川英治氏だったのは、前回ご紹介した山田屋の宮部みゆき氏との縁も感じてしまいます。

 他にも、近くの府立第三中学校(現在の都立両国高校。錦糸町駅から徒歩八分)に通っていた芥川龍之介が、体育の授業で行っていたマラソンを抜け出して船橋屋まで走り、くずもちを食べてからマラソンの列に戻った、というエピソードも。自伝作品「本所両国」では関東大震災後に復興した本所地域の風景が、思い出とともに描かれています。

 僕等は、「天神様」の外へ出た後、「船橋屋」の葛餅を食ふ相談をした。が、本所に疎遠になつた僕には「船橋屋」も容易に見つからなかつた。僕はやむを得ず荒物屋の前に水を撒いてゐたお上さんに田舎者らしい質問をした。それから花柳病の医院の前をやつと又船橋屋へ辿り着いた。船橋屋も家は新になつたものの、大体は昔に変つてゐない。僕等は縁台に腰をおろし、鴨居の上にかけ並べた日本アルプスの写真を見ながら、葛餅を一盆づつ食ふことにした。
「安いものですね、十銭とは。」
 O君は大いに感心してゐた。しかし僕の中学時代には葛餅も一盆三銭だつた。
                   芥川龍之介「本所両国」(青空文庫)より

 永井荷風も好きだったという船橋屋のくずもちは、葛を原料とした関西の葛餅とは異なり、小麦でんぷんを十五か月掛けて乳酸発酵させたもの。プルプルで滑らか、なのにもっちりとした食感に黒蜜と黄な粉が合うんです。お土産用についてくる黒蜜は、焼いたお餅に掛けてから黄な粉をまぶして安倍川もち風にして食べるのもお薦め。黒蜜と黄な粉は日持ちするので、実家では正月の定番でした。
 くずもちの小箱(二十四切れ)で七百六十円です。消費期限はなんと二日間! かなりのレアものです。


 押上せんべい(正式名称は「おしあげ煎餅本舗」だそうですが、お店の看板は押上せんべいなので、亀戸ぎょうざと同様にこちらでいきます)は昭和二年創業。押上から亀戸へ移ったのが昭和二十四年、堅焼きせんべいのお店です。
 看板商品は「亀の子せん」。文字通り、亀の形で甲羅模様も入ったおせんべいです。どうやって作るのか、真ん中がぷっくら膨らみ本当に亀のようで、パリッとした薄皮が後を引く美味しさ。
 亀戸の小学校、幼稚園では卒業などの記念品に、この亀の子せんを使うことが多く、街に親しまれた味です。
 亀の子せんは、亀五個入りの袋が五袋で五百四十円です。


 明治四十年創業の「大木屋」さんも船橋屋さんと同様に、天神様の参詣客に親しまれてきたお店です。
 しょうゆ二度付けの「きじょうゆ」は、昔ながらのしょっぱい堅焼き。合格の文字が入った五角形の「合格せんべい」は、天神様にお参りした受験生のお土産として人気の一品です。
 ここのお薦めは「手焼き体験セット」。せんべいの生地と醤油だれ、たれを塗るハケまでついていて、ご家庭やキャンプでも焼きたてのおせんべいが楽しめます。
 きじょうゆ・合格せんべいは一枚百円、手焼き体験セットは五百円です。
 

 伝統の年月も、老舗の数も亀戸に分があるようですが、それでも錦糸町がお菓子の街である理由は……次回から、ご案内します。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み