男前先生 (5)

文字数 6,803文字

「先輩、マジでやんの? 危険なことはやめようよ」
「やるんだよ。危険な目にはなるべく合わないようにするさ。その前に、とにかく場所を特定しないと」
 部屋に戻ると、マサキはトシにパソコンで場所を調べるように指示した。これからが、ある意味本番だ。
 タケルは当然、自分がこれからどんな目に合うか知っているだろう。それは即ち、そういうことがある程度の頻度で行われていることを意味する。
「そういうことでは知られた場所で、かつバイクが集まっても通報されたりしない、人目につきづらい場所。さらに、市街地からそれほど離れていないような場所」
「マジっすか。つか、どんなワードで検索すりゃいんだよ、暴走族、儀式、儀式て」
 市内でかつ街の中心からあまり離れていない、というのはマサキの勘であるが、間違いないような気がした。さっき帰るときも、タケルはそれほど急ぐ様子ではなかった。
「うわー、けっこう出てきたな。一つ一つ調べるんすか」
「うーん、族の名前でも聞いときゃよかったな。とりあえずよろしく。もうちょっと絞り込める要素考えるから」
 場所はある程度限られているとは思う。
 ただ、キーワードにヒットする記事や文章はかなりの量になる。その中から、当てはまる場所を搾り出す作業は簡単ではなさそうだ。
「あと、そうだな、駅より北側、西側」
「なんで?」
 タケルは三輪の人間だ。三輪は井伊市中心部から北に上がる。
「この近くでもたまにブンブン鳴ってるだろ。だから北側。西側っていうのは、勘だ」
「勘、ですか。まあ、やってみるけど」
 勘とは言ったが、高崎駅からの距離を考えると、一番近い「郊外」は駅から西側だ。そこしか思いつかない。マサキは、携帯で電話をかけた。
「すいません、神ですけど、こんばんは、今大丈夫すか? 実はっすね」
 電話の相手は、守谷純子である。タケルが今日「族を脱退するための集まりに出る」ことを話した。「言わない」とはっきり約束したのに。
 ――わたしが「嘘つき」と言われればいいだけのことだ。
 なんとしても、タケルを守りたかった。傷だらけでも、せめて仕事ができる状態で。
 なぜここまでタケルに感情移入しているのか、自分でもはっきり説明できない。
 マサキは自分を超自己中な人間だと思っている。自分の気持ちが全ての元になる。自分の気分次第で、似たような場合に何もせずに待つだけ、ということもあり得るだろう。
 気持ちが走り出したとしか言えない。そして、走り出したら最後までいく。
 でなければ、自分の気持ちを全うすることはできない。
 純子に一通り説明して、サトルに代わってもらった。餅は餅屋だ。
「そういうのやりそうな場所、わからないっすかね」
 サトルには細かい場所の予想までは言わない。話しながら、サトルの言葉を聞きながら、マサキの脳は駅から西に向かって走っている。
 橋を渡り、懐かしの母校を右手に見る。山。そこは観音山といい、頂上には神社がある。上がらなくても、その辺りは街中に比べて夜はかなり寂しい。
 神社へ続く急な坂道を上がってみる。どんどん上がって上がって、てっぺん、そこから下っていって……。
 ―あ!
「あるよ、うってつけの場所が。俺もさ、恥ずかしい話、いまだにそういうの詳しいダチがいてさ」
 そう、うってつけの場所だ。パソコンの画面を見て、マサキも何度も頷いた。トシも見つけていた。
 その場所とは。
「観音山の、なんだっけな、ウエストハイランドだっけ」
 
 観音山ウエストハイランド。遊園地だったが、閉園になったのは今から何年前だったか。跡地を何かに利用しているという話は聞かない。
「ありがとうございます」
「そりゃ、こっちの言葉だよ。まさか、先生がいくってんじゃねぇだろうな」
「大丈夫です、その場に飛び込むなんてことしやしませんから。骨だけ拾って帰ってきます」
「くれぐれも無茶しちゃだめだぜ」
「はい、失礼します」
 心臓が、二センチくらい持ち上がった気がする。
 鼓動が皮膚まで震わすようだ。気持ちが妙に浮ついている。これは、ちょっとヤバイかもしれない。
「トシ、いってみようか」
「マジっすか。俺、明日仕事だしさ」
「大丈夫だ、端から見てて、終わったら拾いにいくだけだ」
 部屋を出たのが十時半。部屋の鍵をしめるマサキの横で、トシが声を出した。
「あれ、風史兄さん、どうしたんすか」
 アパートの前の細い道、マサキの車の前を塞ぐようにインプレッサがとまっている。インプの横には風史が立っていた。
「早く乗れ。いつまでもこんなところに路駐してたら通報される」
 風史にこんなことさせるのはよくないことだ、巻き込むな、言うべき言葉が頭の片隅を巡るが、競り上がった心臓の拍動が、熱い血液が、「言うべきこと」を脳みそのさらに奥へと追いやった。
 マサキは一つ頷いて、堂々とインプの助手席に手をかけていた。
 ――え?
 乗り込む自分を見ている自分がいた。まるで夢の中のできごとのように、三人を乗せたインプレッサが動き出した。
 
「どこに向かえばいいんだ?」
「観音山ウエストハイランドに」
「急いだほうがいいのか?」
「うん。いや、法律の範囲内で」
 ハイランドまで、三十分はかかる。十一時過ぎにはつくだろう。
 逆に、早すぎるということがあるだろうか。
 早すぎるのはまずい。「まだ」なのか「場所が違う」のか、判断をつけかねる。マサキは一つ深呼吸をした。
「ごめん、ちょっとコンビニに寄って」
「いいのか?」
「うん。トイレと飲み物。と、簡単な説明を」
 コンビニに寄って飲み物を口に入れると、漸く、震えが静まるようだった。
 心臓を普段の位置に落とすように空気を吸い込んで、吐き出した。
 夜空を見上げる。六月の星がまばらに散らばっている。風史にこれまでの流れを説明した。
「神さんも、また変なことに首を突っ込んだもんだ」
 呆れたような口調だったが、顔は笑っていた。
 マサキと風史は、車の外に出ている。トシは今トイレにいっていた。流石にマサキも聞かざるを得ない。
「なんで、待っていた?」
「神さんがなんかやらかそうとしていることは直ぐにわかった。あんたは俺に似てる」
 嬉しい言葉ではあった、が、風史の言葉は、それ以上に気圧されるようだ。
 ここまで言い切れる自信は、マサキにはない。そこにトシが戻ってきた。
「神さん、何時ころつけばいい?」
「十二時くらいかな」
「ま、とりあえず向かおう。話を聞いた限り、恐らく場所は間違いない。誰もいなかったら待てばいい。暫く待ってもこなければ、諦めて帰ろう」
 インプレッサは再び走り出した。

 三輪から観音山に向かうのに、一度市街地に入ってまた抜けていく。
 マサキは、じっと正面を見ていた。視界の端を街の灯りが流れる。
 流れに気をとられると、気持ちまで流れてしまいそうで、じっと、前だけを見て、自分の心から、タケルの姿から目を離さないようにした。
 この状況、風史とトシを巻き込んだことから、目を逸らさないようにした。
 サイドの窓ガラス越しに見つめてくる「自分」と、目を合わせないように、ただじっと前だけを見ていた。

 観音山を、ラブホの並ぶ裏手から登っていき、ハイランドの駐車場を右手に通り過ぎる。
「なにかいるな」
 風史が呟いた。かつて斉藤さんに聞いたような光景を想像していたが、そういうものではないらしい。
 灯りは僅か。それがバイクのライトかどうかはわからない。そして、その人影が「彼と彼ら」であるのかどうか。
 道なりであれば道路は山を下っていくが、このさらに上の神社へと続く参道があり、インプはその参道に入った。
 参道の左側にはずらりと土産物屋さんが並ぶ。その一つの店の前に止まった。「どうする?」という投げかけは、マサキの心の中で。
「いってくる。トシ、お前はここに残るか」
 トシと風史の名前を並べようと思っていたが、実際はトシだけになった、なぜか。
 改めて。
「風さんも、もしアレだったらここに」
「アレってなんだ? 神さん、俺がどうするかは俺が決める」
 風史の真っ直ぐな視線がぶつかって、お互い「うん」と頷き合った。二人は車を降りて、車道を戻った。
「先輩、兄さん」
 結局、トシも後を追ってきた。風史がキーレスでロックをかけ直した。
 虫たちの声は細く、まるであちこちで悲しく泣いているようだ。闇が寂しさを増幅させたのは束の間、駐車場に近づくと、話し声、というか怒鳴り声が聞こえてきた。
「どうする?」
 聞いたのは、マサキの心の声ではなく、風史だ。
 マサキはすぐに答えず、辺りを見回した。
 駐車場の中にはいくらなんでも入れないが、もっと近づきたい。迷わず、駐車場を囲む植え込みの影に入り込んだ。
 植え込みは、駐車場より一段高くなっている。影の中を進むと、漸く状況が見えてきた。ぐるっと人が輪を作り、その中で二人がもみ合っている。
 ――暗闇稽古か。
 懐かしの剣道漫画で見た、あの暗闇稽古。
 バイクが入り口付近にずらり並んでいた。もし、警察やらに入り口を抑えられたら一網打尽にされかねない。
 もしかしたら、山の上り口に見張りがいたかもしれない。よく見ると、入り口近くに一人立っている。
 三人の背後は木立。息を潜めていると、いきなり羽交い絞めに襲いかかってきそうな緊張感が後ろにもある。
 輪の、入り口から一番奥にいる人間の態度が少し大きいようだ。ヤツがリーダーかもしれない。
 タケルともみ合っていた人間が輪に戻り、隣の男が出てきた。戻った男が地面に座り込んだ。
 見ると、他にも座っているのがいたり中腰のヤツがいたり。
 彼らが「終わった」ものたちだとすると、どうやら半分ほどは消化したようだった。
 と、リーダーらしき人間が、出てきた男のほうに何かを放り投げた。コンクリートの地面に落ちて、カランと乾いた音を上げた。木刀のような。
 一瞬、マサキの血がざわめいた。
 ――木刀は、いけない。
 それは、玩具でも制裁の道具でもない。木刀は武器であり、容易に人の命を奪う威力を持っている。
 木刀を扱うのに必要なのは「心」だ。マサキのざわめきを感じたのか、風史がグッとマサキの腕を抑えた。
「わっ!」
 と叫んだのはトシだった。
「誰だっ!」
 マサキの脳裡に、『クローズ』の映像がフラッシュした。眼鏡を外して風史に渡し、立ち上がりながら、カサカサカサカサと遠ざかる音を聞いていた。猫か何かだろう。
 風史に有無を言わせる間もなく、マサキは植え込みから駐車場に歩き出していた。
 輪から飛び出してきた二人の男に両脇から肩をつかまれ、引きずられるようにして、輪の中に入った。
 タケルのびっくりしている顔を見たが、タケルが見ているものは「神正樹」ではなく、見られているほうも「神正樹」ではなかった。
「なんだてめぇは!」
「わたしは、タケルの先生だ」
「熱血ジン先生」がそこに立っていた。
 リーダーらしき男を真正面から見据える。
「わたしは、タケルの男を見にきた。出てくるつもりはなかった」
 タケルの近くにいる男から木刀をもぎ取り。
「こいつはいけない。これは武器だ。簡単に人を殺せる。こんなものは使うな。ステゴロで続けるというなら、わたしは引っ込む」
 また、輪がざわついた。中には笑い声を立てるものも。リーダーらしき男がマサキに近づいてきた。
「先生ってか。バカじゃねぇのか、おめぇ。調子こいて出てきやがって、てめぇも死ぬか。ああ!」
 ガツッと胸倉をつかまれた。右手でシャツをつかみ上げつつ、相手の左手が木刀を握っていた。
 そんなことはしかし、マサキにはどうでもいいことだった。
 ――てめぇ〝も〟、〝死ぬか〟だと……。
 恐怖と怒りのスパイラルが最高潮に達した。
 鳥肌が頭のてっぺんから足の爪先まで一気に駆け下りる。跳ね返りが、体の芯をマグマのように湧き上がる。噴火する一瞬手前で、寒気とともに全身の力が抜けた。
 恐るべき仕業だと、マサキは自分で自分の体に驚いた。
 瞬間の動きでつかまれたシャツの腕を外し、木刀を持たない左手で、逆に相手の首を抑え、同時に足をかけてリーダーを地面に倒した。マサキはマウントポジションをとっていた。雪崩のような叫び声が、マサキに殺到した。

 植え込みから見ていたトシも思わず叫んだ。
「なにやってんだあの人は!」
 マサキが人垣の中に沈んで消えた。
 詳しい経過はわからないが、見ていてわかったのは、倒されたわけではなく自ら沈んだということ。
 輪が縮んで一塊になった。入り口付近にいた連絡係も駆け馳せる。
「眼鏡を頼む。警察に電話!」
 風史に眼鏡を渡され、トシが慌ててポケットからスマホを取り出した、焦って操作がままならない。
 !
 スマホを持って泣きそうな顔をしているトシ、輪に向かって走り出した風史を突如光が襲った。
 一つではない。続々と。駐車場が爆音とラッパの音で溢れた。
 凄まじい音と光が駐車場に渦を巻き起こした。中央の一段がうろたえている。
「仲間じゃ、ないのか」
 トシが立ち上がって呟いた。風史がゆっくり後ずさり、植え込みに戻ってきた。やがて、渦が止まった。
「きたむらぁぁ! ちょっとこいやぁぁ!」
 それは、回転を止めた渦の中から響いた。その声は、意外におじさん臭かった。

 男を組み敷いたはいいが、そこからどうしていいかわからない。
 パウンドで拳を振り下ろせばいいのか。外れたら下はコンクリだ、顔に当たっても拳を痛めそうだ。
 余りに意外な流れが、マサキに妙な冷静さをもたらした。
 そこで怯んだわけではない。迫る叫びを聞きながら、恐怖はなく、体の下にいる男の顔を、平手で張った。
 耳元をキックがかすめた。男の腹にのったまま、体を丸めた。
 体のあちこちに痛みが走る。怒号と痛みの降り注ぐ中で「せんせぇ! せんせぇ!」というタケルの声を聞いていた。
 余計なことをしたかと、体を襲う衝撃ではなく、その悲痛な思いのこもった叫びを聞いて後悔した。
 それは「これからどうなるのか、いつ終わるのか」という考えと一体となって、マサキの体を内側から殴りつけた。
 辺りに響いた爆音を聞いてほっとしたのは、攻撃が緩んだからではない。
 マサキの耳に、怒号と爆音と『ゴッドファーザー愛のテーマ』を切り裂いて聞こえた言葉、叫び。
 意外にあっさりやんだ攻撃が夕立を思わせた。誰かの名前を呼ぶ声が近づいてくる。
 誰も名乗り出ないということは、「きたむら」というのはマサキの股間の下にいる男なのか。マサキはゆっくりと立ち上がった。
 タケルが寄ってきた。
 声を出すことが憚られる雰囲気で、タケルの顔を見て、マサキはほっとした。タケルの泣き顔が、マサキに再び勇気を与えてくれたようだ。
 腹に力を入れ直し、マサキはリーダーとおっさんの成り行きを見守った。
 右手にしっかりと握られた木刀。殴られ蹴られ続けながら、絶対に放すまいと思っていた。木刀とそれを握る右腕を、マサキはふっと笑った。
 そう、爆音を響かせ、周りを囲んでいるのはいい歳したおっさんたちだ!
 マサキの背後で「おらぁ! どけ、こらぁ!」と囲みを叩き壊すように入ってきた。
 小さな岩のような固太りの男性、足がよく動かないために上体が浮き沈みする歩き方を見て、その、あたりを睥睨する厳しい顔つきが、マサキの前でふっと和らいだのを見て、まさしくへなへなっとその場に崩れ落ちた。
「大丈夫かい、神先生」
 労わりに溢れた守谷学の声が、マサキを頭から包み込んだ。
「誰か! ちょっと頼む! おい!」
 二人の男が駆けつけてマサキを両脇から抱えた。
「ツレなんだ。すいません。俺たちが預かります」
 風史の声は落ち着いていた。
「先輩、バカじゃないの、つうかバカだよ」
 トシの声は上ずっていた。背中を「大丈夫か」とはたいてくれるのは風史。
「せんせぇ! ありがとう、ございました」
 タケル、泣くんじゃないよ。
「無茶しやがって。あんた、ほんとバカだぜ。神先生! ありがとう。ほんとありがとう」
 だから、サトルさんまで、泣かないでくださいよ。

「どうする?」
 聞いたのは風史だった。ことの顛末を最後まで見届けるか、という意味だろう。
 若い塊と、それを囲むベテランとの力関係は明白だ。
 詳しい事情はわからないが、さっきまでとはまた違う緊張感に包まれ、舞台は今、収束に向けて流れつつあるようだった。
「帰ろうか、なんか、疲れた」
 タケルのことも含め、最後どうなって幕が引かれるのか気にはなるが、疲れた、というよりも突然面倒臭くなった。
 囲みを出たところで「神くん」と声をかけられた。
「びっくりしたよ。まさかあの神くんがね。驚いた。見直したよ」
「あの、親には内緒でお願いします」
 声をかけてきたのは斉藤さんだった。今日は酒に飲まれてはいないらしい。
「あとお願いします」と言い置いて、マサキたち三人は駐車場から離れた。
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