正義の心

文字数 2,000文字

 コートの襟を立てて二十三時に帰宅するなり、マンションの玄関で拉致された。男三人に囲まれて黒いワンボックス車に押し込まれる。
 男たちは黒いタイツで全身を覆っている。いずれも筋骨隆々。俺は背丈も武道の心得もあるのに、まったく抵抗できなかった。
 助手席には私服の男。車は首都高速に入る。
 手錠をされた状態で考える。小さな会社を仲間と始めたばかりの三十近い男に、手荒な目に遭わされるトラブルはない。だとしたら……人違い? 猿ぐつわもされているので弁明できない。……目隠しはされていない。死人に口なしなんて言葉が浮かぶ。
 俺は後部座席で暴れる。殴られて意識を失う。



 目覚めたときは山道だった。殺されて埋められる……。また必死に暴れる。

「静かにしろ。耳を削ぐぞ」
 助手席の男が振り返る。顔を隠していない。この四十絡みの茶髪がボスか……。『悪い悪い。あんたじゃなかったよ。俺の顔を見たけど通報しないでね。帰りのタクシー代だすから』などと言いそうなタイプに見えない。
 車が紫色に包まれた。

「正義の蝶、今宵も推参!」女性の声が響く。

 大蛇のうねりのような光。ワンボックス車は乱暴に止まる。車内がきな臭い。男たちが外に出る。俺も引きずりだされる。
 運転手が逃げ遅れた。直後に車は爆破炎上する。
 その光に照らされて、4メートルほど上空に女が浮かぶのが見えた。俺の腰が抜けかける。女は180センチメートルほどの背丈。ポニーテール。真冬なのに露出多めの紫色のコスチューム――。ライフル銃を持っている。
 銃声もなく紫色の光が発せられる。俺を挟んでいた男たちを貫く。
 殺人かよ! でも二人は薄らぐように消滅する……。荒れたアスファルトにようやく腰を抜かせた。

「おのれ、パープルバタフライ!」
 私服の男が巨大化していく。
 女が銃を投げ捨てる。

「モスオーキッドフェスティバル!」

 女が空で叫ぶ。体から発した紫色の光が男を襲う。
 まさに紫尽くし。悲鳴を残して男が消える。空飛ぶ女と俺だけになる。車はまだ盛大に燃えている。


「奴らは人ではない。怪我はないか」
 地面に降りてきた女が俺の前でしゃがむ。
 圧倒的美人。その手に注射器が現れる。
「あなたの意識を消す。さらに記憶も消して麓のバス停に運んでおく。限界集落のお年寄りこそ朝が早い。五時間後には保護される」

 それだと間違いなく風邪をひく。だがそれよりも。
 俺は立ちあがる。

「なぜ俺の記憶を消す必要がある。むしろあなたに感謝している」
「私は悪の組織と戦う正義の味方。人に知られてはいけない存在」
「俺は口が堅い。……俺はなぜに誘拐された?」
「おそらく悪の組織へのスカウトだが、すべてを忘れる者が知る必要はない」

 この女に考えを変える気はないらしい。俺の首筋をアルコールで消毒しだした。抵抗したら、俺も消滅させられるかも。

「忘れるとしても、あなたの名前を教えてくれ。……その美しい姿に夢で会えるように」

 女の頬が赤らんだ。すぐにきつい顔になる。
「私の名前は……夜に舞う麗しき蝶。魔法少女パープルバタフライ」


 正義の心が発動した。


「質問させてくれ。あなたは二十歳ぐらいだよな?」
「二十一歳だ。正体は都内の女子大生。少しチクンとするが、すぐに眠くなる」
「まだ打つな。……二十歳過ぎの女が魔法少女を名乗るのはいかがかと思う」

 男として正義の発言。
 俺に針を向けたまま、パープルバタフライの手がとまる。黒目がちな瞳が俺をにらむ。

「……それは言ってはいけないことだ。私は中二から魔法少女をしている。高校時代までは違和感なかった。だが……だったら『魔法女性』と呼びたいのか? ジェンダー差別だから『魔法使い』に統一しろというのか? それだって『二十歳を過ぎた女が魔法使いだって。くすくす』と影で笑われる。ならば三十までは魔法少女を名乗らせろ!」

 彼女は俺を悪とみなしていない。それでも注射針を首の奥深くまで突き刺されそうだ。
 そこまでの覚悟があるのならば、俺は義憤を捨てる。だが、じきにどこかの山村で風邪をひく。この人と二度と会えなくなる。記憶にも残らない。

「助けられたお礼に、君に似合う新しいコンセンプトを考えたい」
「私たちはボランティアだ。必要ない」
「素敵なあなたに相応しい名前を探したい!」

 露出した彼女に鳥肌が立っていることに気づく。自分のコートを彼女にかける。
 パープルバタフライが俺を見あげる。自分より背高いことにようやく気づいたようだ。

「……魔法少女でも、和風に変更なんてどう思う?」
 彼女がぽつりと言う。

 この背丈には和装こそ避けるべきだ。

「一緒に考えよう。決まるまでは記憶を残してほしい」

 遠くでフクロウが鳴いている。
 パープルバタフライが頷く。俺は風邪をひかずに済んだ。



 あの夜から数年経つが、彼女はまだ魔法少女を名乗っている。記憶を残したままの俺を監視するために、二人は同棲している。
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