第2話
文字数 2,626文字
「カラコローン」
時計台が見えるカフェの入り口に取り付けられた、金属製の鈴が追いよく鳴ると同時にドアが内側に開けられ一人の男が店に入ってきた。
カフェの窓際南側の通りに面した、一番奥の席にすわっていた、早瀬は入って来た男を認めると、右手を挙げて立ち上がった。
「先輩!ここです」入り口付近で、早瀬を探して顔を左右に振っている男に早瀬が声を掛けた。
「よお!なまら、久しぶり。元気でいたか?何時こっちへ」
早瀬のことを見定めた男は、満面の笑みを浮かべ、早瀬のいる席の方へ歩を進めた。
「昨日です。ほんとうにご無沙汰してしまいまして、申し訳ありません」
早瀬は、日頃の無精を男に詫びた。
「なんもだ、東京と札幌なら仕方ねえべさ。隆彦、お前も、就職活動で忙しべ」詫びる早瀬の言葉を右手の手のひらでかき消すように男が苦笑交じりに告げた。
「でっ、なした、急に、あらたまって会いたいなんて」
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
バイトの女子大生だろうか、目を引く濃紺の、デニムのミニスカートをはいた長身のウエイトレスが、席に掛けた二人を確認すると、グラスに入った、氷水を席に持ってきた。
「注文、まだか。俺に構うことねえのに」
「まあ、まあ、黒木先輩!訛りが懐かしいです」早瀬は苦笑いを浮かべ、札幌弁の黒木にあいずちをうった。
「ここは、北海道だ!当たり前だべさ。おめえが東京に染まってるだけだ」
黒木が、標準語を話す早瀬を責めるように笑った。
「先輩、アイスで、いいですか?」
早瀬は黒木の目に、語りかけた。
「・・・・・」
黒木が、無言で頷いた。
「じゃあ、アイスコーヒー二つ」
「フレッシュとシロップはお持ちしてもいいですか」
注文を受けたウエイトレスが確認をした。
「・・・・・」
再び無言の黒木に、早瀬が視線を向けた。
「お願いします」
黒木の返事を待つまでもなく、早瀬は、ウエイトレスに向き直リ笑顔で言った。
「実は、就職の件で悩んでいまして、先輩が、今の仕事を選んだ動機と内容、その他の事を聞きたくて、帰ってきました。他に相談出来る人も思い当たらなくて」
早瀬は、正直に、今の自分の現状を打ち明けた。
「悩むって、お前、品川大の薬剤科でてれば、東京では、いや、日本中の薬局で入れないトコなんてねえべさ」
黒木が、真剣な顔で話す、早瀬を茶化すように、おどけて見せた。
「確かに、普通に考えたらそうなんですけど、なんか普通すぎて、先輩の事が気になりまして、先輩だけですよね。北海道開拓大学の薬剤科卒業して、施設で働いているのは」
黒木の態度に笑顔で返しつつ早瀬は、話しの核心に触れた。
「そうか、そうだべな。隆彦、お前、薬物中毒の患者が逮捕されて、しかるべく罰を受け、さらに、しかるべく施設で、徹底的な治療や処置を施されて、さあ、今日で退所です。もう二度と、こんな所へ帰ってきてはダメですよと送り出された患者さんの、再犯率ッて何割ぐらいか知ってるか」
先程とは、対照的な真顔の黒木が言った。
「たしか、半分くらい、いやっ、もっと多かったかな、六割くらいですか?すみません、勉強不足で」
早瀬は、黒木の顔から目を背け半信半疑で呟いていた。
「お待たせしました。」
ウエイトレスが、注文したアイスコーヒーを、テーブルに置いた。
「ご注文は、以上でよろしいでしょうか?あっ、こちらの菓子はサービスですので、ごゆっくりどうぞ」
そう言うと、スレンダーで美人タイプのウエイトレスが店の奥へ消えて行った。早瀬はその後ろ姿を未練がましく見送った。
「あっと、すみません」
我に返った早瀬は、一瞬うろたえていた。
「本当に、勉強不足だべ、もっとだ、八割さ、超えてるんだ」
バツが悪くなり俯いた、早瀬に黒木が即答した。
「ブフット!」早瀬が、アイスコーヒーを噴き出した。
「そんなに!ですか?」
黒木の予想外の答えに、早瀬は、無意識にツバを飲み込んでいた。
「そうだ、それだけ、薬物は、やっかいなんだ。一度はまると大抵の人は二度と抜けれねんなくなるんだ」
テーブルに肘をついた姿勢で黒木は、早瀬の正面に視線を合わせた。
「でもな、再犯率が八割と言うことは、残り二割の患者さんは、社会復帰を果たしていると言う事でしょう。俺の仕事はさ、その二割の可能性にかけて薬物の地獄に陥った人たちに、薬を絶って、せめて人並みの人生さ送らせる事だ。これは、俺の生きがい。理屈じゃないんだわ、理解してくれとは言えねえ。給料だってそんなによくねえべさ」
黒木の言葉からは、譲れない使命感と気迫が伝わってきた。
「・・・・・なんで、そこまで?」
黒木の態度に押された、早瀬の心が叫んでいた。
「隆彦、薬物に犯された人間さ、生き地獄さ見てる。少なくとも、俺のとこさいる全ての患者さんは、みんな薬物をやめて薬を始める前の生活に戻ることさ、願ってる。そこさ、間違いねえんだわ」
「先輩が、そう思ったきっかけはなんなんですか?先輩だって札幌の大手の薬局や大病院で薬剤師として条件の良いところで働くことは出来たはずですよね。何故なんですか、俺には理解出来ない」
「俺が、今の施設に入る切っ掛けとなったのは、大学の就職活動中にゼミの教授から、こう言う世界もあるから、将来の知見を広げるために、覗いてみたらどうだと勧められて、教授の知り合いだった、うちの施設の所長さ紹介さして貰って、インターン制度で働いたのがはじまりだ。そこからは、今話したとおりの事を所長からさ聞かされて、実際の患者さんたちに接した事で、これが、天職じゃないかと思えたんだわ」
早瀬の問いに黒木が答えた。
「でもな、隆彦、俺達の仕事では、中毒患者さんの社会復帰を手助けする事は出来ても、薬の流通さ止めることは出来ねえ。一番いいのは、ここを止めることだわ」
黒木が、含みを持たせたような、口ぶりで早瀬の目を見た。
「警察ですか!先輩は俺に警察になれと。でも、それは!」
黒木の言葉に早瀬は戸惑った。
「違うべや、厚生労働省麻薬取締官、通称『マトリ』と言われる組織だ。麻薬事件専門の組織で、いわゆる、警察官ではねえべ。ここさは、俺達のように、大学の薬剤科でてることが採用の条件なんだ。お前のキャリア生かせるべ。麻薬事件の捜査に於いては国内では最高峰の組織なのは間違いねえわ」
「マトリ・・・・・」
黒木が発した、その、言葉が早瀬の忘れることのない、脳裏の奥底に刻まれた瞬間だった。
時計台が見えるカフェの入り口に取り付けられた、金属製の鈴が追いよく鳴ると同時にドアが内側に開けられ一人の男が店に入ってきた。
カフェの窓際南側の通りに面した、一番奥の席にすわっていた、早瀬は入って来た男を認めると、右手を挙げて立ち上がった。
「先輩!ここです」入り口付近で、早瀬を探して顔を左右に振っている男に早瀬が声を掛けた。
「よお!なまら、久しぶり。元気でいたか?何時こっちへ」
早瀬のことを見定めた男は、満面の笑みを浮かべ、早瀬のいる席の方へ歩を進めた。
「昨日です。ほんとうにご無沙汰してしまいまして、申し訳ありません」
早瀬は、日頃の無精を男に詫びた。
「なんもだ、東京と札幌なら仕方ねえべさ。隆彦、お前も、就職活動で忙しべ」詫びる早瀬の言葉を右手の手のひらでかき消すように男が苦笑交じりに告げた。
「でっ、なした、急に、あらたまって会いたいなんて」
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
バイトの女子大生だろうか、目を引く濃紺の、デニムのミニスカートをはいた長身のウエイトレスが、席に掛けた二人を確認すると、グラスに入った、氷水を席に持ってきた。
「注文、まだか。俺に構うことねえのに」
「まあ、まあ、黒木先輩!訛りが懐かしいです」早瀬は苦笑いを浮かべ、札幌弁の黒木にあいずちをうった。
「ここは、北海道だ!当たり前だべさ。おめえが東京に染まってるだけだ」
黒木が、標準語を話す早瀬を責めるように笑った。
「先輩、アイスで、いいですか?」
早瀬は黒木の目に、語りかけた。
「・・・・・」
黒木が、無言で頷いた。
「じゃあ、アイスコーヒー二つ」
「フレッシュとシロップはお持ちしてもいいですか」
注文を受けたウエイトレスが確認をした。
「・・・・・」
再び無言の黒木に、早瀬が視線を向けた。
「お願いします」
黒木の返事を待つまでもなく、早瀬は、ウエイトレスに向き直リ笑顔で言った。
「実は、就職の件で悩んでいまして、先輩が、今の仕事を選んだ動機と内容、その他の事を聞きたくて、帰ってきました。他に相談出来る人も思い当たらなくて」
早瀬は、正直に、今の自分の現状を打ち明けた。
「悩むって、お前、品川大の薬剤科でてれば、東京では、いや、日本中の薬局で入れないトコなんてねえべさ」
黒木が、真剣な顔で話す、早瀬を茶化すように、おどけて見せた。
「確かに、普通に考えたらそうなんですけど、なんか普通すぎて、先輩の事が気になりまして、先輩だけですよね。北海道開拓大学の薬剤科卒業して、施設で働いているのは」
黒木の態度に笑顔で返しつつ早瀬は、話しの核心に触れた。
「そうか、そうだべな。隆彦、お前、薬物中毒の患者が逮捕されて、しかるべく罰を受け、さらに、しかるべく施設で、徹底的な治療や処置を施されて、さあ、今日で退所です。もう二度と、こんな所へ帰ってきてはダメですよと送り出された患者さんの、再犯率ッて何割ぐらいか知ってるか」
先程とは、対照的な真顔の黒木が言った。
「たしか、半分くらい、いやっ、もっと多かったかな、六割くらいですか?すみません、勉強不足で」
早瀬は、黒木の顔から目を背け半信半疑で呟いていた。
「お待たせしました。」
ウエイトレスが、注文したアイスコーヒーを、テーブルに置いた。
「ご注文は、以上でよろしいでしょうか?あっ、こちらの菓子はサービスですので、ごゆっくりどうぞ」
そう言うと、スレンダーで美人タイプのウエイトレスが店の奥へ消えて行った。早瀬はその後ろ姿を未練がましく見送った。
「あっと、すみません」
我に返った早瀬は、一瞬うろたえていた。
「本当に、勉強不足だべ、もっとだ、八割さ、超えてるんだ」
バツが悪くなり俯いた、早瀬に黒木が即答した。
「ブフット!」早瀬が、アイスコーヒーを噴き出した。
「そんなに!ですか?」
黒木の予想外の答えに、早瀬は、無意識にツバを飲み込んでいた。
「そうだ、それだけ、薬物は、やっかいなんだ。一度はまると大抵の人は二度と抜けれねんなくなるんだ」
テーブルに肘をついた姿勢で黒木は、早瀬の正面に視線を合わせた。
「でもな、再犯率が八割と言うことは、残り二割の患者さんは、社会復帰を果たしていると言う事でしょう。俺の仕事はさ、その二割の可能性にかけて薬物の地獄に陥った人たちに、薬を絶って、せめて人並みの人生さ送らせる事だ。これは、俺の生きがい。理屈じゃないんだわ、理解してくれとは言えねえ。給料だってそんなによくねえべさ」
黒木の言葉からは、譲れない使命感と気迫が伝わってきた。
「・・・・・なんで、そこまで?」
黒木の態度に押された、早瀬の心が叫んでいた。
「隆彦、薬物に犯された人間さ、生き地獄さ見てる。少なくとも、俺のとこさいる全ての患者さんは、みんな薬物をやめて薬を始める前の生活に戻ることさ、願ってる。そこさ、間違いねえんだわ」
「先輩が、そう思ったきっかけはなんなんですか?先輩だって札幌の大手の薬局や大病院で薬剤師として条件の良いところで働くことは出来たはずですよね。何故なんですか、俺には理解出来ない」
「俺が、今の施設に入る切っ掛けとなったのは、大学の就職活動中にゼミの教授から、こう言う世界もあるから、将来の知見を広げるために、覗いてみたらどうだと勧められて、教授の知り合いだった、うちの施設の所長さ紹介さして貰って、インターン制度で働いたのがはじまりだ。そこからは、今話したとおりの事を所長からさ聞かされて、実際の患者さんたちに接した事で、これが、天職じゃないかと思えたんだわ」
早瀬の問いに黒木が答えた。
「でもな、隆彦、俺達の仕事では、中毒患者さんの社会復帰を手助けする事は出来ても、薬の流通さ止めることは出来ねえ。一番いいのは、ここを止めることだわ」
黒木が、含みを持たせたような、口ぶりで早瀬の目を見た。
「警察ですか!先輩は俺に警察になれと。でも、それは!」
黒木の言葉に早瀬は戸惑った。
「違うべや、厚生労働省麻薬取締官、通称『マトリ』と言われる組織だ。麻薬事件専門の組織で、いわゆる、警察官ではねえべ。ここさは、俺達のように、大学の薬剤科でてることが採用の条件なんだ。お前のキャリア生かせるべ。麻薬事件の捜査に於いては国内では最高峰の組織なのは間違いねえわ」
「マトリ・・・・・」
黒木が発した、その、言葉が早瀬の忘れることのない、脳裏の奥底に刻まれた瞬間だった。