本文

文字数 6,976文字

 空が茜色に染まるとある高校の放課後、彼女は人けのない場所に呼び出された。
特に何をしたわけでもないが、呼び出した側からすれば呼び出す理由などはどうでもいいのだ。
いつもの事である。
「オカルトさぁ、うちのリーダーにガン飛ばしてたよねぇ?」
3人組の女学生のうち、ガタイの良い一人が詰め寄る。
”オカルト”それが彼女、”岡本弥子”のあだ名だ。
根暗な見た目もさることながら、休み時間はもっぱら教室の隅で
SF小説やオカルト雑誌を読んでいる。
さらに”オカモト”という苗字もあり、”オカルト”という名前が定着した。
「別に、見てないけど」
目を背け、か細い声で岡本は返す。
勿論その言葉を3人組が受け入れるわけもなく、
リーダーと呼ばれた女学生が苛立った顔で岡本の髪に掴み掛った。
「あのさぁ、私が睨まれたっつってんの、被害者が。 アンタは言い訳できる立場じゃないのよ」
思いきり髪を引っ張られた岡本は体制を崩し地面に倒れた。
膝を打ち付けた痛みで声が漏れる。
それを見た後方の二人は笑い、細身の女学生が岡本を見下す形でリーダーの横に立った。
「安永さぁん、オカルト怪我してますよぉ、かわいそぉですよぉ」
「そうね~末石、私も本当はしたくないわよぉ、こんな可愛そうなこと」
そうは言っているが無論、その表情や声色から同情は感じ取れない。
彼女達が岡本を苛る事に愉悦を覚えているのは想像に難くない。
「ん?オカルト、この鞄の何ぃ?」
ガタイの良いほうが岡本の鞄から小さなエイリアンのぬいぐるみのストラップをちぎり取った。
「あぁっ、やめて」
岡本はストラップを取り返そうと手を伸ばしたが、安永はそれを軽く払いのけた。
「磯部、それちょーだい。 いいこと思いついた」
安永は磯辺からストラップを受け取ると、岡本の後ろにある防空壕跡に投げ捨てた。
岡本はそれを取ろうとしたが、伸ばした手は虚しく空をつかみ、
ストラップは柵をすり抜け暗闇に飲まれてしまった。
柵にしがみつき軽いパニックを起す彼女を見て安永は満足げに高笑いをしてみせる。
「ごめんねぇ?あまりに理解に苦しむ人形だったからゴミかと思って捨てちゃったぁ」
その一言で取り巻きの二人も声を上げて笑い出した。
笑いが落ち着いた安永は柵にうなだれる岡本を見下しながら続ける。
「この柵簡単に開くから迎えにいってあげたら?大切な友達なんでしょう?」
岡本はゾンビのようにゆっくり立ち上がり、肩を震わせながらハンドル錠を回し柵を開ける、
錆付いて重いのか、彼女が非力なのか定かではないが、
やっとの思いでひと1人入れるほどの隙間が開いた。
しびれを切らした磯辺がその太い足で岡本の背中を蹴飛ばす。
裏返った声をあげ防空壕の中に崩れ倒れる、中は土埃とカビの臭いが充満していた。
「さっさとしないと日が暮れて真っ暗よぉ?まぁ元から根暗のオカルトには関係ないかもだけどぉ」
末石の何処から出しているか分からない不快な声が防空壕の中を反響する。
岡本が立ち上がり振り向いたころには3人の姿は無かった。
 得体の知れない臭いと、心臓を鷲づかみにするような暗闇、岡本はその奥に視線を向ける。
このままでは何も見えない、彼女はスマートフォンを取り出し画面を一番明るい設定にした。
暗闇で見るのと、いつもは明るさを最低設定にしているためその明かりが目に沁み顔をしかめる。
画面が映しだす時刻は17:12をさしている。
早くしなければ末石の言っていたように日が暮れてしまう。
思いのほかその光だけでも天井や壁を照らすことができたので、岡本は歩みを速めた。
頭上には木の根が剥き出し、今にも崩れそうに見えるが土はかなり固かった。
これなら大丈夫だと片手を壁に添えゆっくり進む、
一体何処まで飛んでいったのかストラップは見当たらない。
膝や背中の痛みに涙を滲ませながら一歩一歩進んでいたその時、
足は土を踏まずに影に食われた。
穴だ、不運にも頭上に意識をやった瞬間の事である、
彼女は日ごろ発さないような大きな声を上げた。
腰ほどの高さから落下、その際に鞄で胸を強く打ってしまい、
経験の無いような痛みと苦しみで意識が朦朧とし、次第に光は見えなくなってしまった。


 空洞にむせ返る声。
咳き込みながら岡本は目を覚ました。
頬にある感触は間違いなく先ほどまでと同じ乾いた土のそれである。
一体どれくらい昏倒していたのだろう、来た道の先はまだ明るかった。
いや、先ほどよりも確実に明るい、何せスマートフォンの明かり無しで手元が見えたのだ。
そこには投げ捨てられたストラップがあった。
それを大事に鞄にしまい入り口へ向かう、柵はまた閉められていた。
急な明るさに目がくらむ、外は雲ひとつ無い快晴、青空である。
岡本はぞっとした。
まさか一晩中寝ていたのか、だとしたら家から連絡が入っているはずだと画面を確認する。
映し出されたそれは彼女の想像を絶するものだった。
携帯は"今朝の8:26"をさしている。
壊れてしまったのか、そんなことを考えているとふと上から声が聞こえた。
それはとても聞き覚えのある声。
そうだ、これは”今朝の朝礼前”に磯辺さんに絡まれた時と同じ。
この上の場所、廊下の隅に位置する窓、そこはまさにその場所である。
ふと鞄の中にしまっている都市伝説を紹介する分厚い本を思い出す。
”とあるマンホールに入り、そこから出たらタイムスリップしていた”というもの。
もちろんオカルトは好きだが、ばかばかしいという思いもある。
だがしかし、今の状況は間違いなく”今朝”だ。
もし本当に過去に飛んだのならばやりたいことがあった。
この日に受けたイジメだけでも回避したい、
それでわたしの運命は少しでも良いほうにいくはず。
信じてみることにした、この奇怪な奇跡を。





 脳内であらゆるオカルトやSFの知識に検索をかける。
タイムスリップ物の王道としては、
最低条件に”その時間の自分に会ってはいけない”というルールがある。
そこで岡本はいかに過去の自分を誘導するかを考えた。
思いついた作戦はメモ紙。
彼女は休み時間になれば必ず本を読む、その本は朝に机に入れ、下校時に鞄に戻す。
つまり、この日に教室をあけるタイミングを見計らって
本の今日読む場所に要点を書いたメモ紙を挟む。
そうすることによっていじめを回避することができるはず。
問題はこの岡本がそれに従うかどうか、だがそれは要らぬ心配であろう。
現にタイムスリップした彼女も理解に時間はかからなかった。
念を押して次の授業に当てられる生徒の名前を書いておいた。
これならば信用する、自分が一番自分を理解している、岡本には確信があった。
最初の勝負は2時間目の体育、磯部が朝からずるずる引きずって絡んでくる。
ここではラインカーの石灰を頭から被せられ、石灰を吸い、
とてつもなく苦しかったが誰も助けてくれず、
挙句責任を全て押し付けられ先生にも説教をされたのだ。
自分は自分が助けて見せる、メモには”授業を欠席しろ”と書いておいた。

 2時間目の終わり、隠れて保健室の様子を外から伺っていると、
保健室を後にする過去の岡本と入れ違いに磯辺が入ってきた。
右腕が紫色に腫れあがり、顔をしわくちゃにして泣いている。
間違いなくそれは骨折であった。
どうやら片付け中にこぼれた石灰に足をとられ転倒、
その際に体育用具にぶつかり上から落ちてきた予備の石灰袋が右腕を直撃したらしい。
降ってきた石灰袋、それこそが岡本に被せられるはずだった石灰なのであった。
岡本は自分の口が三日月を描いていることに気づいた。
残忍で陰湿な感情がこみ上げてくる、ざまぁみろと思ってしまっている。
それもそのはず、彼女は2週間後ソフトボールの全国大会でピッチャーを務めるはずだったのだ。
自分が救われ、いじめっこが罰を受ける。
因果応報、岡本は高揚する思いを抑え次の作戦に移る。

 2人目は末石だ、時間は昼休み。
500円を持って食堂に向かう途中に末石に捕まり恐喝される。
岡本は何も食べていなかったことを思い出した。
早く終わらせて家に帰りたい、父さんや母さんとご飯が食べたい。
ひもじい気分になりながら、メモ帳には迂回ルートを書いた。
食堂に行く際にヒソヒソと話し声が聞こえた。
「あれ?さっき岡本さん向こう行かなかったっけ?」
「うわぁ怖いこと言わないでよ、でもオカルトならソレ系ありえるかも」
今だけは、自分の学校での立場に感謝した。
誰にも話しかけられず、元から不審に思われているので、
ちょっとの事では不審がられる事は無い。
もう慣れた、だけど今の私は周りの子達よりも優れている。
未来を変える力を持っているんだ。
そんなことを考えているうちに食堂前に着いた。
一応目立たない場所に潜む、食堂の中に目をやると自分は無事に食事をしている。
上手くいった、あとは末石がどうなるかだった。
急に渡り廊下が騒がしくなる、もしやと遠目で様子を伺う。
末石だ、そこには末石がうずくまっていた。
その周りで彼女と同じ女子テニス部員が言い争っている。
「早く救急車呼んでよ!」
「でも呼んだら私達がヤバいじゃん!」
「ふざけてて落ちたんだから何もないでしょ!?」
「いやすっちゃんも、飯おごれってウザかったし事故っしょ事故」
落ちた、なるほど、末石がうずくまっている場所からして2階の渡り廊下から落ちたようだ。
何かしらふざけていて起きた事故らしい、意識ははっきりしているようで
空を見つめながら時折瞬きをするが、その細長い身体が動く気配は無い。
「でもこれじゃぁすっちゃんレギュラー落ち決定だよね」
「うわー交流試合どうなんの、しんどいわー」
磯辺の骨折に続き、今度は末石までも不慮の事故に見舞われた。
自業自得だ、裁かれるべき人が裁かれた。
少し怪我の具合は大きい気がするが、胸がスッとする感じがする。
今までずっと苛められてきたと思えば、これくらいは当然だ。
しかし、彼女はそれと同時に、本当にこれでいいのかという罪悪感にも苛まれ始めていた。

 最後はあの3人組のリーダー、安永。
このイジメ内容については例の呼び出されたそれなので割愛する。
回避策はとにかく呼び出される前に帰宅する。
それだけをメモに書いた、その結果教室に安永が来たころには過去の岡本はいなかった。
安永はしばらく探し回っていたが、彼女は諦めて下校した。
これで完全に今日のいじめを回避しきった、あとは安永がどういう不幸を被るかを見届けるだけだ。
時間は17:20分、空は茜色に染まり、部活動生は最後のラッシュをかけている。
フェンスに引っかかったサッカーボールを取ろうとする生徒たち、
電線の上で喧嘩する3匹のカラス、袋が破けて空き缶ばらまく清掃員。
いつもはまったく気にもとめないものが、今日ばかりは全てが楽しく思える、
こんな清清しい気分は初めてだった。
ニヤついていると後ろから突如クラクションが鳴り響いた。
いつもより気が強くなっている岡本は怪訝そうにそちらを見る、そこには古くなった機材を乗せた軽トラックが徐行してきていた。
脇によけ、トラックに道をあける。
荷台には大型の業務用冷蔵庫や室外機が無造作に紐で固定されており、
車体が僅かな段差でガタつくたびに大きく揺れている。
身の丈より大きなそれを見て、岡本はかすかな胸騒ぎを覚えた。
前を見ると安永はもう校門の前まで行っていた、結末を見るまで見失うわけにはいかない。
再び歩みを進めたその時、
フェンスからボールを取ろうとしていた学生がトンボで思い切りフェンスを叩いた。
その音でカラスは清掃員の方へ飛び逃げ、
それに驚いた清掃員は再び空き缶をばら撒いてしまった。
空き缶が校門へ至る坂道を勢いよく転がりトラックへ追いつく。
岡本は全身を戦慄かした。
トラックが空き缶を轢いた瞬間左に大きく揺れ、業務用冷蔵庫を固定していた紐が千切れる。
それが荷台から倒れ落ちるその先、安永がいた。
鈍い金属音の後、目の前には足の生えた冷蔵庫が倒れていた。
安永は不幸にも2m程の業務用冷蔵庫の下敷きになったのだ。
間違いなく即死だ、周りの学生や作業員も阿鼻叫喚している。
こんな結末なんて望んでいない、ただ私は今までいじめられた分、少し痛い目にあって欲しかっただけ。
死んでほしいとまでは思っていなかった!
私のせいだ、私が殺したんだ。
岡本は大声をあげてその場に崩れ落ちた。


 途端、土臭い匂いに襲われた。
体を起こすと真っ暗な防空壕にいた。
手には携帯電話がある、時間は17:16。
まさかタイムスリップする前に戻ったのか、いや、あれは夢だったのか。
岡本は我ながらオカルトな夢を見てしまったと思った。
外からは山吹色のうす明りが洩れている。
間違いない、あれは私の心の底の汚い部分を映した夢なんだ。
とてつもない虚無感に襲われつつ下校する。
フェンスに引っかかったサッカーボールを取ろうとする生徒たち、
電線の上で喧嘩する3匹のカラス、袋が破けて空き缶ばらまく清掃員。
くだらない、全てが本当にくだらなく思える。
ふと、何か引っかかるものを感じた。
どこかでこの光景を見た気がする、たしかこの後は・・・。
考えた瞬間、後ろからクラクションが鳴り響いた。
いつも半開きの目を大きく見開く。
間違いない、デジャブだ。
坂の先にはやはり、安永がいた!
校庭のほうを見ると奥から生徒が大きなトンボを持ってきている。
まずい、あまりにも展開が同じだ、オカルトではない本能的な部分が危険信号を発している。
生徒がトンボをフェンスに振りかざした瞬間、岡本は己が身の渾身の力で坂を走りだした。
左後方でフェンスが大きな音を立て、頭上ではカラスが大声を上げる、
右後方若干遠くから清掃員が驚く声。
全力で走っているのに遅い、擦りむいた膝と蹴られた背中が痛む。
痛みに耐え、息を切らし、全力で走る、後ろから空き缶の死の足音が迫ってくる。
助ける、どんなに嫌な人でも助ける、私は未来を変える。
死が岡本と安永と軽トラックに追いついた。

 鈍い金属音、そこには巨大な業務用冷蔵庫が倒れていた。
その裏、女生徒が二人倒れている。
間に合った、半ば前のめりに転倒する形で安永を押し出したのだ。
下手したら巻き添えだったが、岡本本人もかすり傷で済んだ。
覆いかぶさる彼女を見て安永は何をしやがるとつかみかかったが、
上体を起こした段階で現状を把握した。
「ねぇオカルト、あんた何でこうなること分かったのよ」
押し倒された痛みか、死んでいたかもしれないという恐怖か、
岡本の身を呈した行為にかは定かではないが、
目に涙を浮かべながら安永は質した。
岡本は息を切らしながら蚊の鳴くような声で返す。
「私、オカルトだから。 あと、誰であっても人に死んでほしくないから」
安永は今まで岡本にしてきた仕打ちに胸を締め付けられ、いよいよ涙を堪えられなくなった。
「バッカじゃないの!? 下手したらあんたも死んでたんだよ? 
 私が今まであんたにどんだけ当たってきたのよ」
安永のその言葉は、どんな言葉よりも岡本の心に響いた。
彼女なりの精いっぱいの感謝と悔悟であった。
その後、とくに怪我もなかった安永は岡本を保健室まで連れて行き、足早に去って行った。
今までの関係の手前、ばつが悪いのだろう。
岡本は少し、彼女のことがわかった気がした。


 翌日、早朝から骨折していない磯辺とぴんぴんしている末石に絡まれた。
主に鞄についているはずのそれが無いことについてだ。
「やっぱ見捨てたんだぁ、薄情な女ぁ」
磯辺が鼻を鳴らしながら笑う。
それを末石がいつもの調子で持ちあげる。
と、奥から安永が歩いてきた。
目が合う、岡本はいつもと違う感じを覚えた。
安永は眼をそむけ磯辺と末石に静かに話しかける。
「もうオカルトいじんの飽きたからさ、他のオモチャ探すわよ」
取り巻き二人はぎょっと目を見開くが、リーダーに言われた以上、何も言い返せなかった。
安永は続ける。
「というわけであんた達、先に行ってな。あたしはオカルトに最後の餞別があるから」
二人が階段を下りるのを見届け岡本に向き直る。
岡本は少しびくつきながら言葉を待った。
が、安永は喋ることなくあるものを取り出した。
新品のように綺麗な、あのストラップである。
千切れたはずの紐の部分までしっかり結ばれていた。
岡本がオロオロしていると、早く受け取れと言わんばかりに押し付けてきた。
手に取ったのを確認してキュッキュと上履きを鳴らしながら去っていく。
「あ・・・ありがとう、安永さん」
聞こえたかは分からないが、彼女なりの聞こえる声で思いを伝えた。
あの防空壕跡での出来事が白昼夢だったのか、
はたまた本当にタイムスリップしたのかは分からない。
だが彼女は確実に前に進んだ。

未来はほんの少しだけ、いい方に進んだのだ。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み