第1話:正直な話、他に選択肢は無い。

文字数 5,296文字

 己の命が風前の灯火だと言う事実を知り、暫し茫然としてしまう。
 そして、改めて転生してきた先がこの世界で良かったと思う様になっていた。
 不幸中の幸いとは正にこの事だと、これも改めて噛みしめる。
 意思疎通が出来、会話も成立する。
 それは本当に幸いなのだけれど、それよりも先に肺呼吸や生命活動に支障が無い酸素がある事に感謝する必要があった。
 あまりにもぬるっとこちらの世界へと来てしまったので、生きる上で一番必要な条件をスルーしてしまっていた。
 まあ、酸素に関しては転移先に無ければその時点で終わりなのだけれど、しかしながらおれの不幸中の幸いはその時点から始まっている事を頭に入れておくべきなのだろう。
 取り敢えず不幸を呪うのは止めて、まず酸素があり、意思疎通の出来る金髪魔女とファーストインパクトし、口にしても今のところ問題の無い水と茶と干し肉と数種の香辛料と香草類が存在する世界に転移させてくれて、神様ありがとうと祈りを捧げよう。
 基本的に無神論者だけれど、今日この瞬間からは神の存在を肯定する事にする。

 さて。
 兎にも角にも、おれはある程度の不幸とある程度の幸運の星の下に生まれており、その双方が激しく作用した結果、今おれは生きている。
 その為、過去の不幸も幸運も一旦は棚上げして、今後のこの世界での生き方について本気で考えなければならない。
 元の世界に戻るとか、おれも魔法使いになるとか魔王を倒す勇者になるとか海賊王になるとか、そんな遠い未来の事では無く、極々近々の生活の話。
 今日の昼ごはんどうしよう?とか、今後常飲する水分はどうしよう?とか、そのレベルの話を真剣に考える必要がある。
 そして、その良き相談相手となってくれるのが、目の前の魔女ミザリイ・アート・ココレイトだ。
 彼女に関しては、現状、信用し信頼するしかない。おれにとって酸素や水や食料と同等の存在と言っても過言ないだろう。
 恐らくいい魔女で、恐らく強い正義の心を有してるであろう彼女の下で、おれは今後の人生を切り拓かなければならないのだ。

「――で、考えは纏まったのか?随分と長く考え込んでいた様だが……」
 転移から翌日の朝。
 彼女は魔力回復を促進させるという茶を飲みつつ、おれに魔紋の説明を切り出してきた。
 それに関して、説明を受ける必要があると思ってはいたが、おれは彼女に対し「少し現状を整理したいから時間をくれないか?」と申し出た。
 それを彼女は嫌な顔ひとつ見せずに快諾してくれた訳だ。
 そしておれは、彼女と同じ茶を二杯、三杯と飲みつつ不幸中の幸いの件について考え込んでいた。
「ああ、すまない。色々と反省すべき点が多くて、中々前に進む事が出来なかった。けど、ある程度の心の整理はついた」とおれはいう。
「そうか。まあ、悩むのは無理ない。私とて、別の世界へと転移したら自分がどの様な心境に陥るか見当もつかんからな。それに関しては貴様にしか分からん心境だ。私は相談相手にはなれるが答えを教える事は出来ん。さて、では、魔紋の説明に入るぞ?」そう言うと、彼女は器に茶を注ぎ、小さくひとつ喉を鳴らした。
 若く美しい容姿を誇ってはいるが、齢百五十という彼女の言動や仕草は厳かであり粛々ともしている。

「ミザリイ、宜しく頼む。一通り説明してしまって欲しい。質問があれば後で聞くから」と言い、おれは新たに注がれた茶を一口飲んだ。
「ふむ、良かろう。では、まず魔紋とは、魔女が契約の証としてその対象者の身体に魔力を行使して刻む紋章、と言う意味の言葉だ。魔女はそれぞれ個々に異なる紋章を有しておってな、それをまず自身の身体に刻み、対象者にも寸分違わぬ魔紋を刻み、それぞれを魔力で繋ぐ。そうする事で、施術側は対象者の身体や精神状況を深く把握する事が出来、尚且つ離れた場所に居たとしても魔力疎通にて会話が可能となる」そこで彼女は茶を口にした。
 おれの目を見詰めていたので、理解を図りつつ話してくれているのだろう。

「――では、続けるぞ?ここまでが極々簡単な魔紋の説明となる。で、貴様に魔紋を刻んだ場合の貴様が受ける影響についてだが。例えば、貴様が私と魔力で繋がったとするだろう?その場合、私の魔力の方が大きい為、貴様へと私の魔力が流入してしまうのだ。勿論、これは要するにその逆も然りという事を覚えておいて欲しい。その様な事は基本的に起こり得ないのだけれどな。貴様の方が私より魔力が強大であれば、如何に施術者が私であったとしても、貴様から私に魔力が流入してしまう。まあ、そうならぬ様に普通施術者は施術前に対象者の魔力を測定する。ある程度の力を有した魔女や魔導師であれば測定を行う事無く、対象者の魔力を凡そ見る事が可能な為、測定を省く者も多くいるが。いや、この魔力流入に関しては他に応用がある故に、一概には言えない点があるのだ。それに関しては追々説明してやろう。今のところは基本だけ掴んでおけば良い。ここまでは、理解出来るか?」
 彼女はそう言って、また茶を口にした。
 ここまでの説明は十分に理解出来る内容だった。
 要するに、魔力の流れとは電気の流れと似ているのだ。
 電圧の高い方から低い方へと電流が発生する。
 そうなるとそこには抵抗が必要になると思うが、それが魔導器という理解で良いのだろうか?だとしたら、それこそ今おれが魔導器無しで、ミザリイと魔力疎通してる現象は理解出来ない。
 が、しかし、今は基本を掴めば良いとの事なので、おれは説明を進めて貰う事にした。

「大丈夫だよ。基本は掴めてる。では、おれが魔紋を刻まれた場合のメリットとデメリットを教えてくれないか?」
「ん?メリット?デメリット?」とおれの言葉に彼女は首を傾げる。
 これについても、今漸く気が付いた事がある。要するに、外国語は魔力疎通を使ってもその意味が上手く伝わらないのだ。
 魔力疎通の理論からして、何故伝わらないのか、いまいち理解は出来ないけれど。
 しかし、これに関しては思い悩む必要はない。要するに、日本語だけで会話をすればいいだけなのだから。外国語禁止ゲームみたいなノリで
「ああ、えーっと、そうだな。都合の良い点と、不都合な点を教えて欲しい。無ければ無いでいいけどさ、他の組織の魔女からは命を狙われるとかって、昨日言ってたから……」
 そう言いなおすと、ミザリイはすぐに理解してくれたようで、少し明るい表情となった。 

「ふむ、では、不都合な点から教えておこう。昨日も告げたが、他の魔女同盟からは私が使役してる者として認識され漏れなく敵対行動を取られる。最悪殺されるし、運が良くても拉致監禁は避けられん。あと、今後私以外に魔紋を刻まれたい相手が見つかったとしても、私の魔紋が消えん限りは新たな魔紋を刻む事が出来ん。ひとつの個体に複数の魔紋を刻んで死者が出た例が過去に多くあるのでな、禁忌事項として指定されておる――」
 彼女は依然、おれの理解を図りつつ会話を進めてくれる。
 これに関しては、直接脳に語り掛ける魔力疎通ならではなのかもしれない。要するに、ミザリイはおれが何をどう考え思っているのか手に取るように分かってしまうのだろう。
 おれは一方的に語りかけているだけだけれど、魔女にしてみればこの程度の事はお茶の子さいさいと言うこと。
 魔女は更に続けた。

「――あと、もうひとつ。これは先ほどの魔力流入の応用に繋がる内容なのだが、私の魔力が著しく低下してし貴様の魔力を下回った場合、先ほどの説明だと貴様に私の残存魔力が流入する事になるのだが、それを防ぐために、私……と言うか魔女は基本的に過剰な魔力流出を防ぐ魔導具や、ある一定量まで魔力が低減した場合に、全ての魔紋対象者から強制的に魔力を抽出する魔導具を常に身に着けておる。要するに、魔紋対象者は施術者の魔力担保だとも言える。これらが、所謂貴様にとっての不都合と言えるだろうな」
 そこまで話すと、ミザリイは茶を多めに飲み喉を潤していた。
 不都合な点に関しては、不安な要素は勿論あるけれど、これは受け入れる他無いのだろうと思っていた。
 魔女の様な存在が自身のリスク回避の為、魔力の流出を防ぐ手段を設けるのは至極当然だと思うし、その点がしっかりしてない者に使役される方が、おれとしては不安を覚えてしまう。

「それが不都合な点か……。取り敢えず、他にも聞きたい事はあるけど、先に都合の良い点も聞かせて貰えるか?」
 そう言葉を発した時、おれは喉の渇きを感じた。
 そして知らず知らず背中に汗をかいていると言うことにも。
「都合の良い点は、魔紋対象者は魔女の魔力の恩恵を受けれる事だ。それにより対象者の心身は活性化し、魔紋を刻む前と比べ大きな力を得て、更に施術者の魔力属性と相性が良ければ、新たな能力に目覚める可能性がある。これに関しては、魔紋を刻まねば分からん。どちらにせよ、心身活性して貴様が困る事は何もあるまい。むしろ、基礎的な耐性力が向上する故、貴様にとっては良い事しか無いだろうな」
 彼女はそう言うと、手を伸ばし毒々しい茸を無造作に掴んで、おれの目の前に置いた。
「ん?あっ!?それって、もしかして、毒の耐性力も向上するって事か?」
「そう言う事だ。それ故に、貴様が今後この世界で生きてゆくのなら、魔女から魔紋を受ける必要がある。毒だけではなく、疫病などに対する抵抗力も向上する。このまま、貴様を野に放てば間違いなく三日後には死ぬだろう。毒や病だけ出なく、この辺りは魔獣や亜人種も多く存在する地域だからな。少々酷かもしれんが、正直な話、他に選択肢は無い、と私は考えておる。いや、これは貴様がこの世界で生きてゆくならの提案だからな?この世界と現状に絶望し死にたいのであれば、私の支配域から出てゆき、気の赴くままにすれば良い」

 と彼女は最後に突き放す様な事を言ったが、おれがどの選択肢を選ぶか凡そ見当はついていたのだと思う。
 口調も表情も冷たく無かったし、そもそも昨晩、彼女は召喚主としておれの面倒をみると言い切っていたから。
 まだ出逢ってから丸一日経って無いけれど、その点に関しては彼女の事を信じていいだろうと、おれは感じていた。
 それを踏まえた上で、おれは彼女に語り掛ける。
「おれみたいな、役に立つかどうか分からないヤツに魔紋を刻んで、ミザリイ的に不都合は無いのかい?魔女としての格や権威が落ちる……みたいなさ?」
「ふふふ、その様な事は貴様が心配する必要は無い。それに、貴様に魔紋を刻んだ程度で落ちる格や権威なら、そもそも無いに等しいと言えよう」
「ははは、それは確かに。そこまでハッキリ言われたら嫌味にも感じないな。で、その魔紋は身体の何処に刻むんだい?」
「私は、人間に刻むのは初めてだからな、場所の選定に関しては貴様に委ねようと思う。一般的には、服を着た時に隠せる場所が好まれる様だな。まあ、それでも魔女の目から逃れる事は出来んが、一般庶民から余計な詮索を受ける事は少なくなるだろう」

 既に、魔紋を刻む事を前提として会話が進みだしていた。
 色々と思うところはあるが、ここまで誠実に説明してくれた彼女を信じるに足る人物だと、心底感じていたのだ。
「そうか、そうだな。流石に人目に付くところは気が引けるから、腕の上の方か……いや肩がいいかな?肩甲骨のあたりに……」
 おれはそう言いつつ作業服を脱いだ。
 黒い無地のシャツの上から、肩甲骨のあたりを手で触れてみる。
「ふむ、決心はついたか。貴様の世界でいうところの、親から頂いた身体に傷をつける事になるが、構わんのだな?」
「構わんよ。死んだら元も子もない訳だし。いや、実はさ、入れ墨とかに少し興味はあったんだよ。仕事があるから入れる事は出来なかったけど、若い頃は、そう言うのに憧れてた時があったから。でも、まあ、三十五にもなって入れるとは思いもしなかったけど……」

 席を立ち、シャツも脱ぎ捨てる。
 本当の決心はこの瞬間についたのだと思う。もう後には引けないと。
「よし、では、施術を始めるか。取り敢えず、上半身だけでなく下も全部脱いでくれ」と、彼女は至って平然とそう告げてきた。
 おれは思わず「え?なんで下も?」と口走ってしまう。
「ん?言ったであろう?私は魔獣や幻獣にしか魔紋を刻んだ事が無いからだ。魔紋を刻む際、全身でマナを感じ無ければならん。私の魔紋の模様は細かで繊細故、何か身に纏っていると、上手く集中して刻む事が出来ん。魔紋は、マナを感じ、目を閉じて刻むのだ。貴様の身体もマナの力を借りて感じなければならん」
 そう言うと、彼女はおれの目の前で、するすると黒いワンピースを脱ぎ、紛れもなく一糸纏わぬ姿となった。
 百十五歳も年上とは言え、余りの脱ぎっぷりの良さにおれは言葉を失い、只々彼女の透明感のある美しい身体に魅入られた。
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