記憶は「つくられる」もの?

文字数 1,465文字

今日のおやつは、サイコロキャラメルよ。
あ、それ北海道限定のやつですよね。おみやげですか?
私が行ったんじゃなくて、友達がくれたのよ。一箱に二粒入っているから、一粒ずつね。
いただきまーす。

それでせんせい、胎内記憶の話を続きをしてくださいよ。

まず、さっき作った図をもう一度見てみましょう。
胎内記憶には、「狭義の胎内記憶」「中間生記憶」「前世記憶」の三種類があるんですね。
まず、「狭義の胎内記憶」から考えてみましょう。さっき紹介した胎児の聴覚検査で見た通り、胎児にも感覚があって、刺激に対して何らかの反応を返すことはわかっている。だから、そのことについて何らかの記憶を保持していたとしても、論理的におかしくはないことになるわ。
えー、でも私そういうこと覚えてませんよ。
大抵の人は、3歳くらいより前の自分がどうだったかは覚えていないそうよ。これを幼児期健忘というの。なぜ忘れてしまうのかには諸説あるけど、「赤ちゃんの脳は発達の途中にある」ことが重要なようね。
建築中の図書館に本を並べても、完成までに配置が崩れてしまったり、取り出せなくなったりしてしまう、といったところでしょうか。
それに、胎児の感覚に届くのは、血流の音とか、外界からの振動とか、それくらいでしょう。記憶していたとしても、それを外界の何らかの知識と関連付けるのは、とても難しいんじゃないかしら。
お母さんのお腹に向かって話しかける人っていますよね。あれはどうなんでしょう。
これ、突き詰めて考えるとすごく面白そうなんだけど、長くなっちゃうから簡潔にまとめるわね。(チョムスキーの言語習得装置……サールの中国語の部屋……ぶつぶつ)

例えば、お腹の子の父親にあたる人が、「パパですよー」と声をかける。それが、考えにくい想定ではあるけど、はっきりと胎児の耳に届いたとする。それでも、その音の並びが何を意味しているかは、胎児にはわからないでしょう。だって、音と関係する「パパ」を認識する方法がないんだから。

なるほど……そう言われれば。
こうして考えると、「狭義の胎内記憶」は、あってもおかしくはないけど、それは振動や音といったごく限られた感覚についての記憶になるだろう、と考えることはできるのよ。
どうかしらね? 人間には虚偽記憶というものもあるからね。
虚偽記憶、ですか?
記憶として思い出した物事が、実際に経験した物事とは限らないってことね。

ファンタゴールデンアップルって知ってる?

聞いたことあります。実際に売られていたのはゴールデングレープという違う商品だったんだけど、それがなぜか「ゴールデンアップルを飲んだ覚えがある」「売った覚えがある」となってしまったんですよね。
記憶って、私たちが思っているほど確固たるものじゃなくて、後から受けた刺激によって「作り替えられてしまう」ものなのよね。実際に経験していなかったことでも、思い出してしまうことがある。数多くの心理学の実験がそれを証明しているわ。
じゃあ、中間生や前世の記憶も、虚偽記憶なんでしょうか?
大人たちの働きかけや、子ども同士の会話などから、「生まれる前はこんなだった」という記憶を作り上げてしまう可能性は、高いと思うわ。そうした虚偽記憶の可能性を排除しない限り、胎内記憶は中間生や前世の経験が実在することの証拠にはならないのよ。
じゃあ、中間生や前世の経験は、存在しないってことでいいですか?
そうはいかないわ。
え!?
***つづく***
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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