記憶は「つくられる」もの?
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今日のおやつは、サイコロキャラメルよ。
まず、「狭義の胎内記憶」から考えてみましょう。さっき紹介した胎児の聴覚検査で見た通り、胎児にも感覚があって、刺激に対して何らかの反応を返すことはわかっている。だから、そのことについて何らかの記憶を保持していたとしても、論理的におかしくはないことになるわ。
大抵の人は、3歳くらいより前の自分がどうだったかは覚えていないそうよ。これを幼児期健忘というの。なぜ忘れてしまうのかには諸説あるけど、「赤ちゃんの脳は発達の途中にある」ことが重要なようね。
これ、突き詰めて考えるとすごく面白そうなんだけど、長くなっちゃうから簡潔にまとめるわね。(チョムスキーの言語習得装置……サールの中国語の部屋……ぶつぶつ)
例えば、お腹の子の父親にあたる人が、「パパですよー」と声をかける。それが、考えにくい想定ではあるけど、はっきりと胎児の耳に届いたとする。それでも、その音の並びが何を意味しているかは、胎児にはわからないでしょう。だって、音と関係する「パパ」を認識する方法がないんだから。
それじゃあ、私の好きな漫画家さんの娘さんが「ママのお腹の中で漫画を考えてあげていた」と言っていたのは……。
どうかしらね? 人間には虚偽記憶というものもあるからね。
記憶として思い出した物事が、実際に経験した物事とは限らないってことね。
ファンタゴールデンアップルって知ってる?
記憶って、私たちが思っているほど確固たるものじゃなくて、後から受けた刺激によって「作り替えられてしまう」ものなのよね。実際に経験していなかったことでも、思い出してしまうことがある。数多くの心理学の実験がそれを証明しているわ。
大人たちの働きかけや、子ども同士の会話などから、「生まれる前はこんなだった」という記憶を作り上げてしまう可能性は、高いと思うわ。そうした虚偽記憶の可能性を排除しない限り、胎内記憶は中間生や前世の経験が実在することの証拠にはならないのよ。
***つづく***