第54話 殄戮

文字数 2,723文字

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 夏季休業が明けた。返ってきた前期試験の結果も、ほぼ想定通りの成績であった。さしたる感慨もなくほかの書類と同じようにファイリングする。まったく、なぜ入学試験で奨学生が取れなかったのか疑問でしかない。とはいえ二年次のいま、特別奨学生の権利もあるし、来年度も十中八九その恩恵に与れるだろうとの見込みはあった。前だけを見ようと姿見に頬笑み、アパートを後にした。
 このころから人前で笑うようになった。化粧も日常的に施すようになり、男ができた、という事実はわたしを変えていった。もちろん、衆人環視でべたべたするほどに無遠慮ではなく、節度と心と――愛が、お互いの内面を包み合う関係だ。
 これまで「愛」なんて言葉を使う必要も、用途もなかった。それなのに、なんの準備も練習もなくして人を愛することができた。
 新約聖書のヨハネの手紙の一にはこのように記されている。だれも神を見た者はいない。しかし人は、学ぶことなく人を愛することができる。つまり人は、造られた時から愛を知っているのだ。神が人を愛し、その愛が内にとどまっているからで、人が人を愛せるのは、神の存在とその寵愛によるものだ――。

 その日の講義はプログラムを組む演習過程だった。テキストこそ日本語だったが、演習用ソフトやそのマニュアルは英語だった(高校で習う語彙に毛が生えた程度ではあったが)。ソフトにプリセットされているアルゴリズムに、与えられたテーマに沿ってプログラムを修正して加えるだけの簡単な講義だった。二〇名ほどの学生はくじ引きでAグループとBグループ、そこからさらに細かくA-1、A-2といったふうに分けられ、計四班からなるチームに分かれた。
 テーマは「こちらを捕食しようとする敵プログラムに抵抗し、勝利するプログラム」を作ることだった。つまり学生をふたつの陣営に分けた、軍隊さながらの机上演習である。各小チーム四班の役割分担は、A、B各陣営に置かれたリーダーが自由に指揮を執る。班はそれぞれに攻撃と防御でもいいし、二班とも一斉に攻撃を命令させるように作ってもよい。
 だれからか、「朝野さん、こういうの得意そう。Bチーム、リーダーやってよ」とチャットでいわれ、ほかの学生からも特に反対もなく、また断る理由もなかったのでわたしはB軍の最高司令官となった。小学校の学級委員の選出みたいだなと、内心つまらなさを感じながらであったが、負けるのも癪だったので、この際だから徹底的にしようと決めた。Aチームに作戦が漏れないようチャットで指示を飛ばす。
「1班、スタートからただちに領域に散開して前進、と組んで。2班は密集して初期位置にて待機」
 ――はい? 2班、待機?
「おそらくAチームもデフォルトの『攻撃には反撃』を使うと思うから、こちらの1班が開始とともに前進しながら各個戦闘状態に持ち込む。それで敵の陣形をばらばらに乱せると思う。そののち、1班はある程度敵を引きつけつつ後退」
 ――ああ、なるほど。なんかすげえな。2班はそのあとどうすんの?
「1班が敵を攪乱してゲリラ戦に持ち込めたら、2班は散開した1班と合流して密集陣形を取る。密集したBチームは、ゲリラ状態のAチームを数の論理で潰していく」
 ――なんかよくわかんないけど、朝野さんすごいね。ストラテジーゲームとかやってるでしょ、絶対。
「あはは。思いつきよ、思いつき。まあ、こういう作戦だけど、とにかく組む作業は簡単だと思う。勝敗より個々のプログラムの完成度の方が評価につながると思うし、がんばろう」
 ――うん、了解!

 結果、惨敗した。
 THE MISSION FAILEDの文字がダイアログ欄に赤文字で映し出される。椅子の背もたれに乱暴に背中をあずけ、わたしは思わず舌打ちをする。こんな簡単なゲームに負けるなんて、それも同学年の子に。味方チームの学生もほぼ完璧にプログラムを組んでいたために、なおのこと残念だった。
 敵のAチームは、1班、2班をスタートからただちに集合させ、大きな密集陣形を取った。味方チームのばらばらに散開した1班をあっけなく駆逐し、その大きな勢力のままBチームの初期位置まで進軍、数で劣るこちらの2班を撃破した。その後の残敵掃討も、行なっているのが情のある人間ではなくプログラムなのだから、徹底したものだった。最後の一個体になるまでAチームは集団でBチームを追い回し、一切の脱落や損耗もなく勝利した。
 講師が眼鏡を外していった。
「はい、見た限りAチームもBチームもいい作戦だったね。勝敗は評価に含まれないのでなんともいえないけど、個人的には面白かったよ。Bチームは見事な侵略戦争のスタイルだったな。リーダーだれ? ああ、朝野さんね。で、Aチームはわりとよくある防衛戦の陣形だった。Aチームのリーダーは、瀬戸さんか、ふうん。この状況では往々にして防御側が勝つんだよね。肝心のプログラムを組むという点では、工数のカウントだったり、所要時間だったり、そのあたりは全体的にBチームの方がよかったといえるかな。よし、お疲れさん、いい勝負だったね。まあ、ちょっとAチームはやりすぎな感じもあるけど。そうだな、もう時間か。では昼休憩、と」
 講師がテキストをまとめているなか、学生も鞄にそれぞれの荷物をつめ、冷房の効いた情報処理演習室から炎天下の戸外に飛び出し、学生食堂へ走る。人気の天ざるやカツ丼はものの数分でなくなるため、どこの講義室でもこういった光景は目に映る。わたしもバックパックにテキスト類をしまい、すでに覚えてしまった季節ごとの学生食堂のメニューを頭の中に浮かべる。
「あの、朝野先輩」と、女子学生に声をかけられる。オーケストラの子だ。「ああ、バスーンの瀬戸さん。おめでとう、わたしの負けだね(頬笑んでみせる)。でも、一年生だったよね? じゃあ、情報の子なんだ。瀬戸さんはああいうシミュレーション得意なの?」
「いえ、その、全然です。Aチーム、チャットやプログラムのログが初期化されずに残ってたんで、二〇〇行かもうちょっと読んだら、傾向とか、つかめるんです」
 わたしは半分感心し、半分呆れながら「そうなんだ。でも、勝敗は関係ないんでしょ、評価には?」
「私、負けたくないんです。なんでっていわれたら、その、癖みたいなものです。なのでその、ログ読んでたこと、秘密にしててもらえます?」
 わたしはいよいよ呆れながら、「安くはないわよ」といい(瀬戸に若干の動揺が見られた)、「うそうそ、冗談よ」と笑って見せ、「瀬戸さんもこれからご飯? 一緒に行く? 暇つぶしで声をかけたってだけでもなさそうだし」と誘う。
「あ、でも、その。はい、私でよければ」
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