第8話

文字数 4,497文字

 ウエディングフェアの会場ホテルから外へ出たとき、在原《ありわら》泉さんの顔つきは厳しかった。
公衆の面前で声を荒らげた経験はおそらく初めてだった美咲《みさき》も、在原さんに負けず劣らずの険しさで、口を真一文字に結んでいた。マネージャーの七実《ななみ》チカさんだけが、「ケンカしにきたわけじゃないんだからさー」と苦笑いで困惑している。
 と、いきなり在原さんが足を止めた。そして、「あいつら……!」と苦虫《にがむし》を奥歯でゴリゴリ磨《す》り潰したような声を美しい唇の隙間から漏らしたあと、七センチのハイヒールをものともせず、コンクリートの歩道を駆けだした。
 美咲たちの視線の先────ホテルの案内板の前を重い足取りで歩いているのは、さっきまで「華厳《けごん》の間」にいた、ライバル会社フローラルの司会者たち。だらだらと歩くその後ろ姿に、司会ブースでキビキビと対応していた名残はない。
「ラン、スー、ミキ……!」
 呟いて、チカさんが顔を歪める。
「それ、昭和のアイドルですよね」
 突っこみどころかと思って気を利かせたつもりが、「いくらあたしでも、こんな場面で冗談は言わないから」と睨まれた。
「蘭! 墨田《すみだ》! 三城ッ!」
 三人に追いついた在原さんが足を止める。蘭さん、墨田さん、三城さんが文字どおり飛びあがり、振り返った。仁王立ちの在原さんを前にして、顔を引きつらせている。
「在原、さん……っ」
「あんたたち、ちょっと今日はあんまりじゃない?」
 在原さんが正面から切りこむ。三人は在原さんに睨みつけられて、逃げることはかなわない。
「スピカを飛びだしたことについては、もう問わないし、どうでもいいわ。好きにすればいい。あなたたちがどこに所属しようと、どこで働こうと、私には関係ない。でもね……」
 ヤバイ、とチカさんが口走る。見れば在原さんが右拳を固めていて、ヒーッと美咲は震えあがった。まさかあれをラン・スー・ミキさんの顔面に……ということは、しないだろうと思っていたら。
「グーがパーに変わる前に、止めるよっ!」
「えっ! まさかの平手打ちですかっ!?
 変わるのか、やっぱり!
 駆けだしたチカさんを追って、美咲も慌ててダッシュした。在原さんの迫力に呑まれた三人は、絶句したまま固まっている。
「だけどね、取引先に迷惑をかけたり、お客様を利用したり、スピカにケンカを売るような真似をしたりするなら、私が黙っちゃいないからねッ!」
 在原さんが肘《ひじ》を引いた。弓がしなるような動きに「待った!」と叫んだチカさんが、在原さんの腕にしがみつく。美咲も在原さんの前に回り込み、両掌を向けて制した。
「在原さん、落ちついてください! 私のことでしたら大丈夫です! いっぱいトークを勉強して、本番は絶対にミスのないよう頑張りますからっ!」
「あなたのことを言ってるんじゃないわよ! ケンカの売り方が汚いって言ってんの!」
「は……はいっ! でも、あの……っ」
「……──────あの」
スピカ側のテンションとは対極にある静けさで、フローラル側が口を挟んだ。キッと在原さんが睨み返す。
「なによ、蘭。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」
 蘭と呼ばれた司会者が、困ったように首を捻り、「だから……」と弁解の言葉を探している。
「私たちは、普通に仕事をしたいだけです」
 そうです、と墨田さんと三城さんも同意する。ふたりの気持ちを、中央の蘭さんが代弁する。
「私、平日は他で働いているので……いちいち両家に合わせた台本を作っている時間はありません。墨田は劇団に入っていて毎日練習があるから、私以上に忙しいし、三城ちゃんは、デビュー前の講習で習ったことだけで充分やっていける実力があるのに、どうしていまさら……って、私と同じ不満を持っています」
 在原さんが露骨に眉を寄せる。それをチラチラと目の端で確認しながら、墨田さんも心情を吐露する。
「でもチカさんは、両家の内容に合わせたコメントを文章に起こしなさいとか、もっと勉強しなさいとか、先輩の本番を見学にしなさいとか言うじゃないですか。それ、私には重荷なんです」
 重荷って……と、チカさんが声を詰まらせる前で、他のふたりが遠慮なく「そうそう」と同意する。
「私たち、週末の二日間だけ司会ができて、ちょっとだけ生活費の足しにできればいいんです」
「副業として司会をやっているだけなのに、レベルアップを求められて……すごく疲れます」
「平日もコメントの勉強をしなさいって言われても、そんな時間ないですよ。土日勤務ってことだったから始めたのに、はっきり言って契約違反ですよ」
 頷きあう三人に、釈然としない顔でチカさんが反論する。
「違反じゃないよ。どんな仕事も勉強は必要でしょ? ご両家は毎回、変わるんだよ? 同じ言葉ばかりなんて、あり得ないでしょうが。新しい言葉や表現力を、どんどん身につけていかないと……」
「チカさんはそうおっしゃいますけど、サオリ社長は逆です。ご両家は毎回変わるから、同じ言葉で問題ない。一番大事なのはミスをしないことだ……って、いつも言ってます」
 はぁ? と声を裏返したのは、在原さん。
「同じ言葉を使い回せってこと? 基本的なセレモニー部分はある程度同じになるのは仕方ないとしても、毎回新しい表現を加えていかないと、進歩しないでしょうが」
「進歩って、必要ですか?」
 これには美咲が「え?」と疑問を漏らしてしまった。新人の美咲が非難するような声を発したのが気にくわなかったのか、三城さんがキッと目尻をつりあげる。
「日々勉強して、どんどん挑戦して……って、無理です。疲れます。平日の仕事だけでクタクタなのに」
「だけど副業しないと、東京では生きていけない。だからお芝居の練習の合間に講習を受けて、司会で少しでも稼げるように頑張りました。個人的には、それで充分です」
「そうですよ。ちゃんと講習料も払って、一定ラインはクリアしたわけですから、フォーマットに添ってミスなくやればいいと思います」
「だから、サオリのやり方のほうが自分たちには合っている、そういうこと?」
 在原さんの問いに三人が俯き、口を噤む。
「松乃さんを陥れるような失礼な真似をしても、構わないってこと?」
 それは……と墨田さんが視線を泳がせる。「私たちがやったことじゃないし」と、三城さんがボソボソ弁解する。仕事に対する姿勢もだが、組織としての団結力も、必要としていない印象を受けた。
 そういうドライな考え方も実際にあって、もしかしたらそちらのほうが正しいのかもしれない。……かもしれないけれど、在原さんの仕事ぶりを見て再度司会を目指そうと思い、チカさんの言葉のひとつひとつに心を動かされてここにいる美咲にしてみれば、仕事に対しても人に対しても、もっと心を込めましょうよ! と言い返してやりたくなる。……言わないけれど。
「あなたたちの所属しているフローラルの代表が、こういう子供っぽい嫌がらせをしたことについては、どう思ってるの?」
 どう思うなにも、それは社長がやっていることだから関係ないし……と。
 私たちは、週末にちょっと稼げたらいいだけですから…………と。
 仕事に対するプライドはないの? と、チカさんが縋るように言っても、「ないです」と悲しいほど手応えがない。
「仕事で得られる喜びとか、ないの? やり甲斐とか欲しくない?」
「少しは欲しいですけど……、進歩とか勉強ばかり求められると、だんだん面倒くさくなってくるし……」
「あなたたち、司会をなんだと思ってるのよ! 勉強もせずにできるほど甘い仕事じゃないってこと、あなたたちだって分かってるでしょ?」
 怒りが収まらない在原さんに、蘭さんが顔を背け、ポツリと言った。
「別に、普通の仕事じゃないですか?」



「ただいま、マリアさん」
 玄関を閉めて、施錠して、パンプスを脱いで、手を洗って、ジャケットを脱ぐ。そしてベッドで待っている大きなぬいぐるみ猫の「マリア」さんを、ぎゅーっと力いっぱい抱きしめると、自然に「癒やされる〜」と声が出た。
 最寄駅で別れる際、チカさんは肩も気持ちも落としていた。マネージャー業って難しいっす〜と、珍しく弱音を零して。それを聞いて、在原さんは「チカのやり方は間違ってない!」と、肩を抱いて励ましていたけれど。
 ……でも。
 心が弱っているときには、楽なほうへ流れてしまいたいと美咲も思う。新しいことを取り入れる作業を、重荷や苦痛に感じることもある。
 フローラルに移籍したメンバーは、進歩することに疲れてしまったのかもしれない。だけど「同じセリフ」で「こなし仕事」をすることに、納得できるかと問われたら……。
「…………どうなんだろう」
 マリアさんを抱っこしたまま、バフッとベッドに仰向けに倒れた。
「まだ実際に、本番を経験したわけじゃないから……。本番を重ねると変わっちゃうのかな、私も」
 うーん……と悩みながらマリアさんの頭頂部に鼻を埋めたとき、ラインが鳴った。
 開いてみれば、在原さん。文字よりトークの在原さんらしく、呼び出し音が鳴り響く。ちゃんと座り直し、モバイルを手にとって、ロックを解除して。マリアさんは抱いたままだけれど、背筋を伸ばして「はい」と応じた。
『あ、松乃さん? あのね、今日のことだけど』
 声に、イライラの火種が燻っている。マリアさんを抱っこする手が、ちょっと汗ばむ。
『頑張りすぎずに、頑張ろう』
「……はい?」
『サオリがスピカを飛びだしたのは、チカと私がサオリに信頼してもらえなかったせい。それだけの器に、私たちがなれなかったせい』
「在原さん、酔ってます?」
『少しだけね。……だから松乃さんは、つらくなる前に、抱えこまずに話してね。つらいときに、頑張れなんて言わないから。疲れたときは、ちゃんと弱音を吐いてほしい。どれだけでも相談に乗るから。迷ったときは一緒に考えよう。人が喜んでくれるかどうか、そして……』
 ふぅ、と一呼吸置いて、在原さんが言った。
『自分が幸せでいられるかどうか』
 反省と照れが混じったような口調で言って、在原さんが通話を切った。
 美咲はモバイルをマリアさんの耳に当て、「聞こえた?」と目を細めた。
仕事の価値や位置づけは、人それぞれ。
 でも、同じ価値観や目標を持てる人たちと働けたら楽しいし、頑張り甲斐もあるというもの。
「私の幸せは……なんだろう」
 人が喜んでくれるかどうか。自分が幸せでいられるかどうか。
 そのふたつは、たぶん……。
 一本の道で繋がっている。
「本番、絶対に成功させるからね、マリアさん!」
 自分の目指す方向が見えて、やっと頑張れそうな気がしたのに。
 ミギャア、と潰れたような声で失笑された気がして、ちょっとだけヘコんだ。

            →→→第9話へ続く
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登場人物紹介

松乃美咲です。プロ司会目指して、頑張ります!

ライバル会社の存在が脅威ですけど……

どうか、応援してください!

司会歴十五年。在原泉です。テレビ番組のナレーターも、ときどき。

見た目が怖い? 失礼ね。お姉様ってお呼び!  ……冗談よ。

司会派遣会社『MCスピカ』のマネージャー、七実チカどぇーっす☆

もっか禁煙中!!!  メンバーたちには 大酒飲みで大雑把とか言われるけど、

仕事はめちゃくちゃ、しっかりやるっす!

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