最終話 somewhere,again (8)
文字数 1,560文字
拳を握りしめ、一颯は自らへの怒りを露にする。
知りたかった答えを得た。しかしそれは同時に、もう巻き戻しができない現実を強制的に受け入れるしかないものだった。
あまりにも時間が経ち、どうすることもできない現実に一颯は激しく涙を流す。
「読んだか?わしは直接あの子から聞いておった。じゃが、あの子との約束で、おまえさんに話すわけにはいかなかったんじゃ」
「けど……」
言ってもらいたかった、と一颯は思う。
「おまえさんの言いたいこともわかる。じゃがあの子は、おまえさんに自分で選んで欲しかったんじゃ。病気への同情ではなく、自分という存在を。だからこそ最後まで黙っておったんじゃ」
「……俺はずっと逃げ続けてた。けど、それでも夏帆のことは忘れたことはなかった」
「じゃあ、それを伝えてやることじゃ」
涙で濡らした顔を、一颯はマスターに向ける。
「これがあの子の病院の連絡先じゃ」
マスターは一枚のメモを一颯に渡す。
「……夏帆はまだここに?」
「それは、おまえさんが確かめねばいかん。帰ったら行ってみるとええ」
一颯はこくんと頷く。
いまさらかもしれない。
もう、この病院にはいないかもしれない。
それでも自分にも伝えたいことはある。
言わなければいけないことは、たくさんある。
夏帆がここにいなくとも、俺は必ず君を探し出す。
一颯はこの10年の中で、ようやく心の穴にピッタリとはまるピースを得たような、そういう思いに駆られた。
「マスター、ありがとう」
「わしもようやく肩の荷が降りたわい」
目を細めて笑うマスターに、一颯は言葉では言い尽くせない程の感謝を抱いていた。
「ニュースを見て来てくれたのかい?」
「うん。いてもたってもいられなくなって。もしかして、マスターも店を閉めるの?」
「そのつもりだったんじゃが、店を継ぎたいという人間がおってのお。いまはその人を鍛えとるわい」
そう言われ、一颯は店内を見回す。
「でも、店はマスターしかいないじゃん」
「隣が忙しくなってきたもんじゃから、いまそっちに手伝いに行っとるわい。隣も観ていくんじゃろ?」
「そのつもり」
「なら、行って来るとええ。わしの肩の荷が降りた礼に珈琲はサービスするわい」
「うん。ありがとう」
そう言うと、一颯は懐かしい匂いのする未来の重いドアを押し、通りに出た。
恋坂に目を移すと、何組かのカップルがまばらにいるが、券売所には人影はない。
先程は混雑していたので、上映作品を確認していなかったが、よくよく見ると、彼女と最後に観た『マイ·ガール』だった。
偶然なのか、奇妙な縁だなと笑んでしまう。
チケットを購入するならいまと、一颯はオーナーがいる券売所に足を向ける。
「オーナー、お久しぶりです」
一颯がそう言うと、オーナーは、まあ、と驚き口を手で覆った。
「オリンピック選手に来てもらえるなんて、光栄だわ」
オーナーは目を細めて微笑む。
「大袈裟ですよ。あの次の回を大人一枚で」
「はい。じゃあ恋人割ですね」
ん?と一颯は訝しむ。
恋人割はカップル専用のサービスだ。
どうみても一人なのに。ひょっとして耳が遠くなったのだろうかと、一颯は少々失礼なことを考える。
「いや、オーナー俺一人ですよ」
「あら?じゃあ後ろにいる方は?」
「え?」
その言葉に一颯が振り返ろうとすると、それをさえぎるように快活な声が勢いよく耳に届く。
「颯くん!」
その声に一颯の動きが止まる。
その呼び方で一颯を呼ぶのは、一颯の記憶の中ではただ一人だ。
とても懐かしい声。
とても嬉しい声。
とても温かい声。
とても心を明るくしてくれる声。
とても鼓動を早める声。
否応なしに涙を誘う声。
この10年間ずっと聞きたくて、たまらなかった声。
一颯の頬を滝のように涙が落ちる。
みっともなく崩れた顔で、一颯はゆっくりと振り返る。
知りたかった答えを得た。しかしそれは同時に、もう巻き戻しができない現実を強制的に受け入れるしかないものだった。
あまりにも時間が経ち、どうすることもできない現実に一颯は激しく涙を流す。
「読んだか?わしは直接あの子から聞いておった。じゃが、あの子との約束で、おまえさんに話すわけにはいかなかったんじゃ」
「けど……」
言ってもらいたかった、と一颯は思う。
「おまえさんの言いたいこともわかる。じゃがあの子は、おまえさんに自分で選んで欲しかったんじゃ。病気への同情ではなく、自分という存在を。だからこそ最後まで黙っておったんじゃ」
「……俺はずっと逃げ続けてた。けど、それでも夏帆のことは忘れたことはなかった」
「じゃあ、それを伝えてやることじゃ」
涙で濡らした顔を、一颯はマスターに向ける。
「これがあの子の病院の連絡先じゃ」
マスターは一枚のメモを一颯に渡す。
「……夏帆はまだここに?」
「それは、おまえさんが確かめねばいかん。帰ったら行ってみるとええ」
一颯はこくんと頷く。
いまさらかもしれない。
もう、この病院にはいないかもしれない。
それでも自分にも伝えたいことはある。
言わなければいけないことは、たくさんある。
夏帆がここにいなくとも、俺は必ず君を探し出す。
一颯はこの10年の中で、ようやく心の穴にピッタリとはまるピースを得たような、そういう思いに駆られた。
「マスター、ありがとう」
「わしもようやく肩の荷が降りたわい」
目を細めて笑うマスターに、一颯は言葉では言い尽くせない程の感謝を抱いていた。
「ニュースを見て来てくれたのかい?」
「うん。いてもたってもいられなくなって。もしかして、マスターも店を閉めるの?」
「そのつもりだったんじゃが、店を継ぎたいという人間がおってのお。いまはその人を鍛えとるわい」
そう言われ、一颯は店内を見回す。
「でも、店はマスターしかいないじゃん」
「隣が忙しくなってきたもんじゃから、いまそっちに手伝いに行っとるわい。隣も観ていくんじゃろ?」
「そのつもり」
「なら、行って来るとええ。わしの肩の荷が降りた礼に珈琲はサービスするわい」
「うん。ありがとう」
そう言うと、一颯は懐かしい匂いのする未来の重いドアを押し、通りに出た。
恋坂に目を移すと、何組かのカップルがまばらにいるが、券売所には人影はない。
先程は混雑していたので、上映作品を確認していなかったが、よくよく見ると、彼女と最後に観た『マイ·ガール』だった。
偶然なのか、奇妙な縁だなと笑んでしまう。
チケットを購入するならいまと、一颯はオーナーがいる券売所に足を向ける。
「オーナー、お久しぶりです」
一颯がそう言うと、オーナーは、まあ、と驚き口を手で覆った。
「オリンピック選手に来てもらえるなんて、光栄だわ」
オーナーは目を細めて微笑む。
「大袈裟ですよ。あの次の回を大人一枚で」
「はい。じゃあ恋人割ですね」
ん?と一颯は訝しむ。
恋人割はカップル専用のサービスだ。
どうみても一人なのに。ひょっとして耳が遠くなったのだろうかと、一颯は少々失礼なことを考える。
「いや、オーナー俺一人ですよ」
「あら?じゃあ後ろにいる方は?」
「え?」
その言葉に一颯が振り返ろうとすると、それをさえぎるように快活な声が勢いよく耳に届く。
「颯くん!」
その声に一颯の動きが止まる。
その呼び方で一颯を呼ぶのは、一颯の記憶の中ではただ一人だ。
とても懐かしい声。
とても嬉しい声。
とても温かい声。
とても心を明るくしてくれる声。
とても鼓動を早める声。
否応なしに涙を誘う声。
この10年間ずっと聞きたくて、たまらなかった声。
一颯の頬を滝のように涙が落ちる。
みっともなく崩れた顔で、一颯はゆっくりと振り返る。