トミちゃんの熱
文字数 2,714文字
あれ以来、トミちゃんとの会話に秋葉原は欠かせないキーワードとなった。
それどころか、トミちゃんの生活は劇的に変わっていった。
いつものように最上階の部屋にお邪魔したときのこと。扉の前で、いくつもの段ボール箱を抱えた宅配のお兄さんが三人も並んでいた。何ごとかと思いながらも待っていると、押し開けたドアの向こう側からも、宅配のお兄さんがひとり出てきた。
トミちゃんは私の姿に気づくと、ふたり目から荷物を受け取りながら、「中に入っててくれる?」と早口で言った。
部屋に入ると、テーブルには大小様々な段ボール箱が積まれていた。まるで、子供会のクリスマスパーティー会場にでもまぎれこんだようだった。
「これ、どうしたの?」
「すべて、限定品なの! お友達も欲しいっていうから、まとめて注文したのよ。ほら、学生さんってお金ないでしょう? それに、注文はまとめた方が送料もお得になるから。あ、カオルン、ちょっと悪いのだけど、その箱、取ってくれる? 欠陥が見つかりやすいフィギュアだって聞いたから、ちゃんと確認してみないと。ほら、お人形って、お顔が大事でしょう? あ、そうそう、ショーケースも買いに行きたいのだけど、どういうところで売っているか、カオルンは知ってる?」
怒涛の喋りに、私は完全に置いていかれていた。
「え、待って待って。お友達の分までって、立て替えてるだけよね? あとで、ちゃんと返してもらえるんだよね?」
老婆心ながら、単刀直入に訊いてみた。
「学生さんは教科書代とか、サークルなんかにかかる費用とか、いろいろと大変でしょうから、良いのよ、これくらい。それより、あと一時間で、例のアイドルたちの、振り返り上映会&スタッフトークっていうのが始まるのよ。配信ってことは、やっぱりあれよね? We Tubeなんかで放送されるってことよね? 私、まだニッコリ動画っていうのは使ったことがなくて」
トミちゃんは、私の顔には一瞥もくれず、忙しなく部屋の中を動き回っていた。
テーブルから半分ほど段ボール箱を払いのけると、いつの間にか購入していたノートパソコンに電源を入れた。そして、今度はパソコン相手に、ぶつぶつ独り言を言い始めた。
その様子に見兼ねた私は、思わずため息を漏らした。トミちゃんはそんな私を気にもとめていない。いや、ただ単に動画サイトを無我夢中で漁っていて聞こえていないのかもしれない。
半ば呆れながら、トミちゃんから視線を外した。
すると、センスの良いインテリアとは相いれないアニメグッズが着々と増えていることに驚愕した。もはや食器棚の奥で肩身の狭い思いをしている高級なティーセットにすら、私は同情の目を注いでしまった。
また別の日のこと。
「聖地巡りをしてきたの!」と、私の家に押しかけて来るなり、興奮気味に話を始めた。いつもより私の部屋は散らかっていたが、それについての指摘はいっさいなく、ひたすら聖地となった店の風景や、食べ物の写真を携帯の中から見つけては、私の顔の前に押し付けるという動作を繰り返した。
「これも運命なのかしらね。私が嫁ぐ前から足しげく通っているうなぎ屋さんの正面にね、創業百年の甘味処があるのだけど、そこがまさに、例の二次元アイドルたちの聖地になっていたのよ!」
私は投げやりな気持ちで、空のペットボトルのフタを開け閉めしながら、しばらくのあいだ適当に相槌を打っていた。
時計を見ると、深夜一時を過ぎていた。さすがにそろそろ横にならなければ明日の仕事に支障が出ると思い、「もう遅いからまた今度にしよう?」と言ってみた。
ところが、「あ、あとこれね! ライブで知り合った大学生の子がくれたのよ」と、今度は携帯につけていたストラップを自慢げに披露してくる始末。
何やら巷で大流行している狼のキャラクターで〝モノトン〟というらしい。狼は、鋭い歯で自分の顔よりも大きいうさぎリンゴに噛みついていた。
その後も、オタク趣味を通じて知り合った男子学生と意気投合して、今度の日曜日にもまた、秋葉原の3Dライブに参戦するつもりなのだと意気軒昂に語りだした。
ふいに、過去の嫌な記憶が断片的に思い出された。
再会したツクモが腕を組んでいた、私の母親。
もはや、トミちゃんのオタク化について手放しに歓迎できなくなった。
それでも、次の言葉をここで口にするつもりは毛頭なかった。
「ねえ、トミちゃん。そのストラップをくれた学生さんのこと、好きなんでしょう?」
トミちゃんは、電池が切れたおもちゃのように、一瞬にして無口になった。
「それから、最近帰りが遅いみたいだけど、大丈夫なの? トミちゃんみたいな人は、いろんな意味で狙われやすいんだから、気を付けた方が良いよ」
自分を制御できなくなっていた。
「あとね、みんなのためにグッズを購入しているみたいだけど、それは」
私がすべてを言い終える前に、トミちゃんは私の口を右手でふさいだ。
皺が多く熱のこもった手からは、秋葉原に通う前からつけていた香水の匂いがした。
「まさか。ひとまわりも、ふたまわりも年が離れているのよ?」
「年齢なんて関係ないよ!」
苦い過去がまざまざと思い出される。
ふらっと眩暈がして、とっさに額を右手でおおった。
ツクモが誘ったのか、私の母親がツクモを誘惑したのか。いや、そんなことは知りたくなかった。私があの書店で働いていることをツクモは知っていたはずだ。もともと、何をしているのか聞いても「自称画家」としか答えなかった男だ。いつも、時が慌ただしく流れる世界にはいなくて、いつも、私が食事代やツクモの日々の交際費を払っていて……そんな最低の男だった。
それでも、話していると楽しかった時代が思い出されて、そんな男しか好きになれなかった私が情けなくて。
「いやぁねぇ、もう。また何か嫌なことでもあったの?」
トミちゃんは右手でひらひらと中空を仰ぐ。声の調子はいつもと変わらなかったが、その目は笑っていなかった。
言いたいことがは山ほどあり、喉の奥まで出かかっていたが、言葉の代わりに涙が出そうになった。
さすがのトミちゃんも、「ちょっとちょっと、どうしたの? 今日はもう遅いけど、今度、ゆっくりお話しきいてあげるから、ね?」と困惑気味に言った。
私は、何に一番イラついているのだろうか。
純粋に、私とトミちゃんとの時間が減ってしまったことへの寂しさ?
いまだ解決していないトラウマ?
思うところはいろいろあったが、
「大丈夫、寝たら忘れるから」
とそっけなく返した。
それどころか、トミちゃんの生活は劇的に変わっていった。
いつものように最上階の部屋にお邪魔したときのこと。扉の前で、いくつもの段ボール箱を抱えた宅配のお兄さんが三人も並んでいた。何ごとかと思いながらも待っていると、押し開けたドアの向こう側からも、宅配のお兄さんがひとり出てきた。
トミちゃんは私の姿に気づくと、ふたり目から荷物を受け取りながら、「中に入っててくれる?」と早口で言った。
部屋に入ると、テーブルには大小様々な段ボール箱が積まれていた。まるで、子供会のクリスマスパーティー会場にでもまぎれこんだようだった。
「これ、どうしたの?」
「すべて、限定品なの! お友達も欲しいっていうから、まとめて注文したのよ。ほら、学生さんってお金ないでしょう? それに、注文はまとめた方が送料もお得になるから。あ、カオルン、ちょっと悪いのだけど、その箱、取ってくれる? 欠陥が見つかりやすいフィギュアだって聞いたから、ちゃんと確認してみないと。ほら、お人形って、お顔が大事でしょう? あ、そうそう、ショーケースも買いに行きたいのだけど、どういうところで売っているか、カオルンは知ってる?」
怒涛の喋りに、私は完全に置いていかれていた。
「え、待って待って。お友達の分までって、立て替えてるだけよね? あとで、ちゃんと返してもらえるんだよね?」
老婆心ながら、単刀直入に訊いてみた。
「学生さんは教科書代とか、サークルなんかにかかる費用とか、いろいろと大変でしょうから、良いのよ、これくらい。それより、あと一時間で、例のアイドルたちの、振り返り上映会&スタッフトークっていうのが始まるのよ。配信ってことは、やっぱりあれよね? We Tubeなんかで放送されるってことよね? 私、まだニッコリ動画っていうのは使ったことがなくて」
トミちゃんは、私の顔には一瞥もくれず、忙しなく部屋の中を動き回っていた。
テーブルから半分ほど段ボール箱を払いのけると、いつの間にか購入していたノートパソコンに電源を入れた。そして、今度はパソコン相手に、ぶつぶつ独り言を言い始めた。
その様子に見兼ねた私は、思わずため息を漏らした。トミちゃんはそんな私を気にもとめていない。いや、ただ単に動画サイトを無我夢中で漁っていて聞こえていないのかもしれない。
半ば呆れながら、トミちゃんから視線を外した。
すると、センスの良いインテリアとは相いれないアニメグッズが着々と増えていることに驚愕した。もはや食器棚の奥で肩身の狭い思いをしている高級なティーセットにすら、私は同情の目を注いでしまった。
また別の日のこと。
「聖地巡りをしてきたの!」と、私の家に押しかけて来るなり、興奮気味に話を始めた。いつもより私の部屋は散らかっていたが、それについての指摘はいっさいなく、ひたすら聖地となった店の風景や、食べ物の写真を携帯の中から見つけては、私の顔の前に押し付けるという動作を繰り返した。
「これも運命なのかしらね。私が嫁ぐ前から足しげく通っているうなぎ屋さんの正面にね、創業百年の甘味処があるのだけど、そこがまさに、例の二次元アイドルたちの聖地になっていたのよ!」
私は投げやりな気持ちで、空のペットボトルのフタを開け閉めしながら、しばらくのあいだ適当に相槌を打っていた。
時計を見ると、深夜一時を過ぎていた。さすがにそろそろ横にならなければ明日の仕事に支障が出ると思い、「もう遅いからまた今度にしよう?」と言ってみた。
ところが、「あ、あとこれね! ライブで知り合った大学生の子がくれたのよ」と、今度は携帯につけていたストラップを自慢げに披露してくる始末。
何やら巷で大流行している狼のキャラクターで〝モノトン〟というらしい。狼は、鋭い歯で自分の顔よりも大きいうさぎリンゴに噛みついていた。
その後も、オタク趣味を通じて知り合った男子学生と意気投合して、今度の日曜日にもまた、秋葉原の3Dライブに参戦するつもりなのだと意気軒昂に語りだした。
ふいに、過去の嫌な記憶が断片的に思い出された。
再会したツクモが腕を組んでいた、私の母親。
もはや、トミちゃんのオタク化について手放しに歓迎できなくなった。
それでも、次の言葉をここで口にするつもりは毛頭なかった。
「ねえ、トミちゃん。そのストラップをくれた学生さんのこと、好きなんでしょう?」
トミちゃんは、電池が切れたおもちゃのように、一瞬にして無口になった。
「それから、最近帰りが遅いみたいだけど、大丈夫なの? トミちゃんみたいな人は、いろんな意味で狙われやすいんだから、気を付けた方が良いよ」
自分を制御できなくなっていた。
「あとね、みんなのためにグッズを購入しているみたいだけど、それは」
私がすべてを言い終える前に、トミちゃんは私の口を右手でふさいだ。
皺が多く熱のこもった手からは、秋葉原に通う前からつけていた香水の匂いがした。
「まさか。ひとまわりも、ふたまわりも年が離れているのよ?」
「年齢なんて関係ないよ!」
苦い過去がまざまざと思い出される。
ふらっと眩暈がして、とっさに額を右手でおおった。
ツクモが誘ったのか、私の母親がツクモを誘惑したのか。いや、そんなことは知りたくなかった。私があの書店で働いていることをツクモは知っていたはずだ。もともと、何をしているのか聞いても「自称画家」としか答えなかった男だ。いつも、時が慌ただしく流れる世界にはいなくて、いつも、私が食事代やツクモの日々の交際費を払っていて……そんな最低の男だった。
それでも、話していると楽しかった時代が思い出されて、そんな男しか好きになれなかった私が情けなくて。
「いやぁねぇ、もう。また何か嫌なことでもあったの?」
トミちゃんは右手でひらひらと中空を仰ぐ。声の調子はいつもと変わらなかったが、その目は笑っていなかった。
言いたいことがは山ほどあり、喉の奥まで出かかっていたが、言葉の代わりに涙が出そうになった。
さすがのトミちゃんも、「ちょっとちょっと、どうしたの? 今日はもう遅いけど、今度、ゆっくりお話しきいてあげるから、ね?」と困惑気味に言った。
私は、何に一番イラついているのだろうか。
純粋に、私とトミちゃんとの時間が減ってしまったことへの寂しさ?
いまだ解決していないトラウマ?
思うところはいろいろあったが、
「大丈夫、寝たら忘れるから」
とそっけなく返した。