鍋パーティーといえば百物語
文字数 8,348文字
「いやー、沢山遊んだねー。そろそろご飯かなー」
一通り遊んだ後。二人はそこそこの空腹に、もう二人は耐え難い空腹に包まれていた。
楽しい時間はすぐに過ぎ去るもので、時刻は既に六時を回っている。
ポーカーの他には、ババ抜きや七並べ、神経衰弱など多種多様なルールで遊んだ。
序盤は逃れていたものの、中盤からリエルの勝負弱さが露呈し、罰ゲームの大半はリエルが受けることになる。
罰ゲーム(アカペラ歌唱会)の際に、賛美歌の中で比較的短めな頌栄の541番を選択するというトリッキーな回避を見せつけたが、それでも合計敗北数を見るとボロボロの状態だった。
「お腹ペコペコなのです」
「同じくなの」
時間帯もあり、率先してサンドラとリエルが空腹を訴える。
最初にはまだあった遠慮という概念も、この二人は殆ど消えてしまったようだ。
「あはは、じゃあ、作り始めよっか!」
「あ、私も手伝いますよ。唯川さんに全部やってもらうのは申し訳ないですし」
「気にしなくていいのにー、でもお願いしよっかな」
唯川とココは長い廊下を抜けて、台所へと向かう。
ココも流石に慣れてきたようで、最初ほどの緊張はもうない。
そして、部屋にはサンドラとリエルが残されていた。
部屋は一瞬の静寂に包まれたが、それも一時的なものである。
最初に話しかけたのはリエルだった。
「ドラちゃんも大変ですね。ココと喧嘩したりしないのですか? ボクなら多分ずっと喧嘩してるのです」
「しないなの。お姉ちゃんは優しくて、意外と寂しがり屋なの。だからリエルも、お姉ちゃんと仲良くしてあげてほしいなの」
「うっ、ボクもできれば仲良くしたいのですけど、なかなかきっかけが……」
リエルの言葉がどもる。
この時のリエルは、サンドラの影響によりいつにも増して正直になっていた。
「昔のお姉ちゃんなら、どうなるか分からないけど、今のお姉ちゃんならきっと仲良くなれるなの」
「そ、そんなに変わったのですか……?」
リエルは信じられないように聞き返す。
これは、昔のココを知っているからこその反応だ。
「うん。人間界に来て――もっと言うと、まことに会い、一緒に教会に行き始めてから、とっても変わったなの」
「……何となく納得出来たのです。そう言われてみると、少年といる時のココは、ボクの記憶にあったココじゃありませんでした」
それに――と、リエルは続ける。
「教会にいた時も、熱心に牧野先生の話を聞いてたし、おかしいなーと思ったのです」
「……それは途中で寝てた私への当てつけなの?」
「はぅ!? そんな事ないのですよ!」
部屋にはアハハ――と二人の笑い声が響いていた。
*****
「うーん、何を作ろっかなー」
「とりあえず、今ある材料では何が出来そうですか?」
「多分何でも出来るよー」
「北京ダックとかどうですか?」
「あ、それにする?」
「出来るんですか!? 冗談ですよ冗談!」
唯川とココは、現在作る料理を決めている最中だ。
唯川いわく何でも作れるとの事。
しかし、選択肢が多いため逆に悩んでしまう。贅沢な時間だった。
「鍋にする? 寒いし、暖まるかも」
「良いですね! 二人も絶対喜びますよ!」
「うん! そうと決まれば準備だね!」
作る料理は決まった。
寒い時期に四人で食べられる物となれば限られている。
一瞬だけ北京ダックになりそうだったが、何とか軌道修正に成功し、鍋という選択に至った。
「じゃあ、鍋を持ってくるから、ココちゃんは食材を切っててくれたら嬉しいな」
「任せてください!」
唯川はどこかにしまってある鍋を探し始める。
それと同時にココは、唯川の指示通り食材を切り始めた。
「真琴さんは一人でカップラーメンでしょうか。これなら誘ってあげた方が良かったかもしれませんね」
白菜やら長ネギやらを切っている最中、ココは家にいるであろう真琴を思い出す。
ココとサンドラが真琴の家に住むことになってから、炊事洗濯はココが担当する事になっていた。
もともとココは家事が得意であったが、真琴はそこまで得意ではない。
料理に関しても、面倒くさがり屋の真琴はカップラーメンで済ませてしまう事が多かった。
恐らく今日もカップラーメンだろうし、もしくは何も食べていない可能性だってある。
少しの罪悪感がココの心の中に生まれた。
「ココちゃーん、見つけたよー」
「本当ですか!」
しかし、そのような罪悪感も唯川の報告一つで綺麗に消え去った。
丁度ココも、食材を食べやすいサイズに切り終わったところだ。
「後は待つだけだね」
「そうですね。楽しみです」
鍋を沸騰させると、まず最初に鶏肉(出汁が出るため)を入れる。
その次にココの切った野菜(火が通りにくいため)たちだ。
最後に豆腐(くずれやすいため)を入れて待つ。
全部唯川の知識だった。
「いやぁ、唯川さんは良いお嫁さんになりますね」
「あはは、そんな事ないよー」
「いえいえ、これを男の子に振舞ってみてくださいよ。多分イチコロですね」
「そ、そう……かな? えへへ……」
この家庭力に圧巻されたココは、唯川を褒めずにはいられない。
ココの尊敬する人リストに、唯川が載った瞬間だった。
そんなココのスタンディングオベーション(元から立っていたが)に、唯川は満更でもなさそうだ。
自分がお嫁さんになった時を想像したのか、ポッと顔を赤らめたりしている。
「……ココちゃんって、好きな人とか……いる?」
「私ですか? 私は真琴さんですかねー」
「へぇー、真琴さんって人なんだー……って、えぇ!? 真琴くんなの!?」
鍋の様子を見ていた唯川が、ガバッとココの方に振り返る。
それほどまでに衝撃的な発言だったのだろう。
「そ、そうなんだー……意外だなぁ……」
「そういう唯川さんもいらっしゃるんですか? 唯川さんのハートを掴むとは、かなりのラッキーボーイだと思いますが」
「わ、私はいない……かな」
唯川は少し濁すように答える。
自分と答えが同じだった時、どうしたら良いのか知らなかったからだ。
「あら、まあ流石にそんなラッキーボーイはいませんか。唯川さんにはトム・クルーズあたりがピッタリだと思いますけど」
「それって海外の超大物さんだよね……月とスッポンどころの話じゃないよ……」
ココが真面目なトーンで話すため、本気か冗談か分からなかったが、とりあえず否定しておいた。
地球上の全女性が狙っているその席だ。
宝くじに当たるような強運でなければ、その席には座れないだろう。
「……でもココちゃんのハートを射止めるなんて、真琴くんは罪作りな人だね。確か従兄妹同士でも結婚は出来たはずだから、私応援しちゃうよ!」
「は、はい!」
(そういえば、私と真琴さんは従兄妹という設定でした! すっかり忘れてましたね……)
あやうく唯川におかしな点がバレるところであったが、何とかギリギリで持ちこたえた。
ここでバレてしまっては、真琴に申し訳が立たない。
ココとしては、唯川になら本当の事を言っても大丈夫だと思っているが、優先されるのは真琴の判断の方だ。
「あ、あまりリエルとサンドラを待たせても悪いので、そろそろ持っていきませんか?」
「そうだね。もう七分くらい経ってるし、十分……だよね」
ココと唯川が喋っている間に、鍋はほぼ完成状態にあった。
唯川はキッチンミトンを装着し、鍋を持って二人の待つ部屋へと向かう。
そのすぐ後ろを、ココが唯川のスピードに合わせて歩いていた。
部屋の前に着くと、またもや唯川が器用に足を使ってドアを開けようとしたので、ココは慌てて代わりにドアを開ける。
大半の事を唯川に任せている以上、これくらいの手伝いはもはや義務と言ってもいい。
「お、来たのですよ!」
「待ってましたなの」
ココと唯川の到着にいち早く気付いたのはリエルだった。
それに続いてサンドラもパチパチと手を叩く。
「おぉ、具材が沢山入っているのです!」
「鍋とは素晴らしいなの!」
サンドラとリエルからの評価は上々だ。
見た目の時点では、二人ともかなり良い反応をしている。
問題は味だが、唯川と一緒に作っただけあって、ココはかなり自信に満ち溢れていた。
「それじゃあ座って座ってー」
唯川の言葉によって、鍋を覗き込んでいたサンドラとリエルがピシッと座る。
その座るまでのスピードは、早く食べたいという二人の気持ちを顕著に表していた。
ココは用意されていた座布団に腰を下ろし、唯川も鍋をテーブルに下ろすと余りの座布団に座した。
「お祈りするよー。主よ、私たちを祝福し、また御恵みによって今いただくこの食事を祝してください。主キリストによって。アーメン」
唯川の食前の祈り。
教会では牧野が担当していたが、勿論ここに牧野はいないため唯川が担当する事になる。
真琴家では、食前の祈りは全て「いただきます」で揃えているため、ココとサンドラは少し驚いていた。
そして、唯川の祈りに三人が「いただきます」と続く。
それから鍋に一番乗りしたのはリエルだ。
二番手は勿論サンドラである。
「はっ!? これは美味なのです!」
「やっぱり味も素晴らしいなの」
問題の味も好評だった。
唯川もフフン、と鼻を高くしている。
ココとしても、自分が作った物が美味しいと言われると人並みに嬉しい。
もし真琴に言われるとしたら尚更である。
「……あ、でもサンドラ。今日は抑えてくださいね」
「……分かったなの……」
好評なのは良いが、サンドラの箸が暴走しそうになったので、ココはサンドラの耳元で、唯川とリエルには聞こえないように注意する。
サンドラを放っておいたら、この鍋は数分で消滅するだろう。
真琴とココだけの場合ならまだ良いのだが、唯川とリエルがいる時にそのような事をしては流石に不味い。
サンドラもその辺りの常識は持っているようで、渋々だが承諾してくれた。
「成功したみたいで良かったー。鍋なんて久しぶりだったからね」
「いやぁ、唯川さんは絶対良いお嫁さんになるのですよ」
「あはは、ココちゃんにも同じこと言われたよー。嬉しいなぁ」
サンドラの自重により命拾いした鍋を、唯川とリエルがつついている。
リエルは本当にこの鍋が気に入ったようで、唯川シェフ本人まで褒めだした。
「ココもそこそこやるのですね。これだけは認めてあげるのです」
「そりゃあどうも。リエルのために針でも入れようかと思いましたが、我慢してあげましたので」
「なっ!? なんて恐ろしい事を考えていたのですか!? そんな事されたら雛見沢症候群が発症しちゃうのです!」
「大丈夫ですよ、幻覚ですから」
「いやいや! 今モロに『針を』って言ったのです!」
「……食事中に怖い話をしないでほしいなの」
リエルの不器用な褒め言葉。
ココと仲良くなろうとしたようだが、失敗に終わったらしい。
更にそこから何故か雛見沢症候群でヒートアップする。
このままいくと、寄生虫やら素振りやらが出てくると確信したサンドラは、早めに話を切り上げさせた。
「あ、怖い繋がりで百物語でもやりますか?」
「そんなに怪談話知らないなの」
「時期じゃないのです」
「これは私の友達が体験した話なんだけど――」
「やるのですか!?」
百物語とは、日本の伝統的な怪談会の一つであり、怪談話を百話語り終えると、本物の物の怪が現れるとされているものだ。
基本的には、夏の夜に気持ちだけでも涼しくなろうと行われるものだが、今は冬であり涼しいどころではない。
そもそも百物語を語り終えるには、最低でも百個の怪談話を知っておく必要がある。
この場には四人いるため、一人あたり二十五個だ。
厳しい条件のため、リエルとサンドラが却下の意を表すが、そんなものをぶち壊して、唯川が典型的な冒頭で怪談話を話し始めた。
「アパートに友達が住んでたんだよね。そしたら、隣の部屋からコツコツ――って一定のリズムで聞こえてくるらしいんだよ。それで、夜にずっとその音が聞こえるもんだから、怖くなって引っ越したらしいんだ」
「は、はい……」
「でも、やっぱりそのリズムが頭に残っていて、同じリズムを大学の教授に聞かせてみたらさ――」
「……なの」
「モールス信号で『助けて』って意味だったらしいよ」
「ひゃあぁぁぁ!」
絶叫というのに相応しい声でリエルが叫ぶ。話し終わった一瞬で、色々な事を想像したのだろう。
ココとサンドラは、どちらかというと、内容よりも絶叫するリエルの方にビクッとしていた。
「こ、怖すぎるのです……」
リエルは怖い話に対する耐性がなかったようで、座った状態で腰を抜かすという器用な事をしている。
「ごめんごめん。でもこれくらいしか怖い話を知らないから、もう大丈夫だよ」
「はぅ……今日は一人で眠れないのです……」
「先に言っておくけど、私の布団に潜り込んでくるのは禁止なの」
「そ、そんなぁ……」
唯川の怖い話は、リエルの精神に大きなダメージを与えてしまい、一人で眠れないほどの状態になってしまった。
こういった時に自分の布団が危ないと、直感的に察知したサンドラは、あらかじめリエルに断っておく。
やはりリエルは当てにしていたらしく、残念そうな顔を浮かべている。
その後ろで、唯川も何故か残念そうな顔を浮かべていた。
「そうだ、お風呂の順番ってどうする? 四人で入りたいんだけど、あんまり大きくないんだよねー」
「まぁ、普通は家主の唯川さんからですよね」
「じゃあ、残りの人は適当にジャンケンとかで決めるのです」
「トランプで決めるのはアリなの?」
「……それは公平じゃないのです」
「トランプで勝つまでお風呂に入れない、っていうのも面白そうですね」
「全然面白くないのです!」
リエルは、いつの間にかトランプを持っていたサンドラからそれを取り返す。
ココの意地悪な提案も即却下だ。
トランプ派に偏りつつあったこの場を、たった一人でジャンケンへと持っていった。
特に早めのお風呂が好きなわけではなく、負けず嫌いの悪い癖である。
「じゃあ行きますよー!」
「「「ジャーンケーン――」」」
ぽん、と。
リエルのグーに対して、ココとサンドラのパー。
いきなり最下位が決まってしまった。
「なんだ。どっちにしろ結果は変わりませんでしたね」
「う、うるさいのです!」
まるで、リエルの負けが運命で決まっていたかのような負けっぷりだ。
その清々しい負けは、リエルに反論すら許さない。
「ジャンケンポン」
流すような形で行われた決勝戦。
勝者はココ。
つまり、ココ、サンドラ、リエルの順になった。
「それじゃあ、みんなを待たせても悪いし、早速入ってこようかなー」
「いってらっしゃいなの」
サンドラは唯川を見送るように手を振る。
唯川はそれだけでも、かなり嬉しそうだった。
「あ、ねぇ、サンドラ。リエルがお風呂に入っている間に、着替えとか全部隠したら面白そうじゃありませんか?」
「確かに面白そうなの」
「……それを本人の前で言うって、どういう神経しているのですか、あなたたちは」
何か良からぬ事を企むココとサンドラ。
まさか本人の前で企むとは、あまりにも大胆であり流石のリエルも呆れていた。
しかし、このままでは入浴中に着替えが隠されてしまう。
覗きなどではなく、地味に鬱陶しいイタズラをチョイスするところが、実に悪魔らしかった。
リエルは何とかして、この予告状のようなやり取りを止めなくてはならない。
「いや、逆に今から身ぐるみを剥ぐという方法もありますね」
「い、意味が分からないのです! イタズラとかそういうレベルじゃないのです!」
「お姉ちゃんとリエルの力は五分五分……どっちが勝つのか楽しみなの……!」
「な、何で戦う事になってるのですか!? ここは唯川さんの家なのですよ!」
ココとリエルから距離をとって解説モードに入るサンドラ。
まさに戦いの火蓋が切って落とされそうだった――が、実際に戦うわけにはいかない。
リエルのもっともなツッコミを聞くまでもなく、ココも分かっていた。
もしも、ここでリエルとココが本気で戦ったとしたら、ここら一帯が焼け野原になるだろう。
「それもそうですね。戦うのはまた今度にしましょう」
「お断りするのです。そもそも、そんなくだらない理由で戦いたくないのです」
「まぁ、二人が戦う時にはぜひ呼んでほしいなの」
好戦的なココに厭戦的なリエルだった。
それに続くようにサンドラは観戦的だ。
サンドラ自身は戦闘力が高くないので(当然人間に比べると遥かに強いが)、自分の応援する人を見て熱くなるタイプである。
意外とスポーツ観戦も好きな女の子だった。
「みんなお待たせー」
「あ、おかえりなさい。次は私ですね」
そうこうしているうちに、唯川が戻ってくる。体感時間では、それほど経っていないように感じたが、実際はそこそこ時間が経っていたらしい。
お風呂の準備をしていなかったココは、急いで着替えなどを取り出した。
「行ってきますね」
「お風呂の場所は真っ直ぐだよー。すぐ分かると思うからー」
唯川の結構雑な道案内に、ココはグッと親指を立てる。
「じゃあ、ココちゃんが帰ってくる前に、お布団敷いといてあげますか」
「お手伝いするなの」
「ボクも頑張るのです」
残された三人は、寝るための布団を用意するために押し入れを開けた。
中は唯川の性格通り綺麗に整頓されており、旅館かと思えるくらいの布団が収納されている。
特にリエルとサンドラが手伝う要素はなかったが、何かしら活躍させてあげたいと考えた唯川は、バケツリレーと同じ要領で布団を押し入れから取り出した。
******
「ただいまなのです。とてもいいお湯だったのです」
最後にリエルがお風呂から戻る。
ドライヤーの手入れが雑だったようで、髪はまだ半乾きだ。やはり、それでも色っぽさは欠片もない。
「おかえりー。って、もうココちゃんとドラちゃん寝ちゃったけど」
「うわ、本当なのです。多分疲れちゃったんですね」
リエルが帰ってきた時には、ココとサンドラは既に夢の中だった。
もう起こそうとしても起きないだろうと思えるほど、ぐっすりと眠っている。
「まったく、まだまだ子どもなのですね」
「まあまあ。こんな可愛い寝顔見れたし、ラッキーラッキー」
「……確かになのです」
リエルと唯川の反応は別々だった。
しかし、リエルのそれも最初だけであり、ココとサンドラの寝顔を見ていたら、気持ちも変わったようだ。
「フライングボディプレスはまた今度にしてあげるのです。命拾いしたのですね、ココ」
「あはは、せめて起きている時にしてあげてね」
リエルのフライングボディプレスは、どうやら未遂に終わったらしく、勝手に借りを作らされたココだった。
ライバルとしても、寝込みを襲うのは気が引ける(ココがリエルの立場なら容赦なく襲うだろうが)。
「落書きでもしますか?」
「あー、でも筆しかないや」
「なんと、予想外の答えなのです」
落書きという提案だったが、これも未遂に終わる。
何故かサインペンではなく、筆があるという謎の状況だった。
筆で落書きとなっては、洒落にならないし、そもそも気付かれる可能性が高い。
「……ふぁーあ……。ごめん、眠くなっちゃった」
「そういえばボクも……。今日はここまでなのですね」
唯川が可愛らしい口を開けて欠伸をする。
活動限界の合図だった。
どうやらそれはリエルも同じらしく、一気に疲れがどっと出る。
「もう寝よっか」
「はいなのです」
それから二人が眠りにつくまで、わずか数分しかかからなかった。
一通り遊んだ後。二人はそこそこの空腹に、もう二人は耐え難い空腹に包まれていた。
楽しい時間はすぐに過ぎ去るもので、時刻は既に六時を回っている。
ポーカーの他には、ババ抜きや七並べ、神経衰弱など多種多様なルールで遊んだ。
序盤は逃れていたものの、中盤からリエルの勝負弱さが露呈し、罰ゲームの大半はリエルが受けることになる。
罰ゲーム(アカペラ歌唱会)の際に、賛美歌の中で比較的短めな頌栄の541番を選択するというトリッキーな回避を見せつけたが、それでも合計敗北数を見るとボロボロの状態だった。
「お腹ペコペコなのです」
「同じくなの」
時間帯もあり、率先してサンドラとリエルが空腹を訴える。
最初にはまだあった遠慮という概念も、この二人は殆ど消えてしまったようだ。
「あはは、じゃあ、作り始めよっか!」
「あ、私も手伝いますよ。唯川さんに全部やってもらうのは申し訳ないですし」
「気にしなくていいのにー、でもお願いしよっかな」
唯川とココは長い廊下を抜けて、台所へと向かう。
ココも流石に慣れてきたようで、最初ほどの緊張はもうない。
そして、部屋にはサンドラとリエルが残されていた。
部屋は一瞬の静寂に包まれたが、それも一時的なものである。
最初に話しかけたのはリエルだった。
「ドラちゃんも大変ですね。ココと喧嘩したりしないのですか? ボクなら多分ずっと喧嘩してるのです」
「しないなの。お姉ちゃんは優しくて、意外と寂しがり屋なの。だからリエルも、お姉ちゃんと仲良くしてあげてほしいなの」
「うっ、ボクもできれば仲良くしたいのですけど、なかなかきっかけが……」
リエルの言葉がどもる。
この時のリエルは、サンドラの影響によりいつにも増して正直になっていた。
「昔のお姉ちゃんなら、どうなるか分からないけど、今のお姉ちゃんならきっと仲良くなれるなの」
「そ、そんなに変わったのですか……?」
リエルは信じられないように聞き返す。
これは、昔のココを知っているからこその反応だ。
「うん。人間界に来て――もっと言うと、まことに会い、一緒に教会に行き始めてから、とっても変わったなの」
「……何となく納得出来たのです。そう言われてみると、少年といる時のココは、ボクの記憶にあったココじゃありませんでした」
それに――と、リエルは続ける。
「教会にいた時も、熱心に牧野先生の話を聞いてたし、おかしいなーと思ったのです」
「……それは途中で寝てた私への当てつけなの?」
「はぅ!? そんな事ないのですよ!」
部屋にはアハハ――と二人の笑い声が響いていた。
*****
「うーん、何を作ろっかなー」
「とりあえず、今ある材料では何が出来そうですか?」
「多分何でも出来るよー」
「北京ダックとかどうですか?」
「あ、それにする?」
「出来るんですか!? 冗談ですよ冗談!」
唯川とココは、現在作る料理を決めている最中だ。
唯川いわく何でも作れるとの事。
しかし、選択肢が多いため逆に悩んでしまう。贅沢な時間だった。
「鍋にする? 寒いし、暖まるかも」
「良いですね! 二人も絶対喜びますよ!」
「うん! そうと決まれば準備だね!」
作る料理は決まった。
寒い時期に四人で食べられる物となれば限られている。
一瞬だけ北京ダックになりそうだったが、何とか軌道修正に成功し、鍋という選択に至った。
「じゃあ、鍋を持ってくるから、ココちゃんは食材を切っててくれたら嬉しいな」
「任せてください!」
唯川はどこかにしまってある鍋を探し始める。
それと同時にココは、唯川の指示通り食材を切り始めた。
「真琴さんは一人でカップラーメンでしょうか。これなら誘ってあげた方が良かったかもしれませんね」
白菜やら長ネギやらを切っている最中、ココは家にいるであろう真琴を思い出す。
ココとサンドラが真琴の家に住むことになってから、炊事洗濯はココが担当する事になっていた。
もともとココは家事が得意であったが、真琴はそこまで得意ではない。
料理に関しても、面倒くさがり屋の真琴はカップラーメンで済ませてしまう事が多かった。
恐らく今日もカップラーメンだろうし、もしくは何も食べていない可能性だってある。
少しの罪悪感がココの心の中に生まれた。
「ココちゃーん、見つけたよー」
「本当ですか!」
しかし、そのような罪悪感も唯川の報告一つで綺麗に消え去った。
丁度ココも、食材を食べやすいサイズに切り終わったところだ。
「後は待つだけだね」
「そうですね。楽しみです」
鍋を沸騰させると、まず最初に鶏肉(出汁が出るため)を入れる。
その次にココの切った野菜(火が通りにくいため)たちだ。
最後に豆腐(くずれやすいため)を入れて待つ。
全部唯川の知識だった。
「いやぁ、唯川さんは良いお嫁さんになりますね」
「あはは、そんな事ないよー」
「いえいえ、これを男の子に振舞ってみてくださいよ。多分イチコロですね」
「そ、そう……かな? えへへ……」
この家庭力に圧巻されたココは、唯川を褒めずにはいられない。
ココの尊敬する人リストに、唯川が載った瞬間だった。
そんなココのスタンディングオベーション(元から立っていたが)に、唯川は満更でもなさそうだ。
自分がお嫁さんになった時を想像したのか、ポッと顔を赤らめたりしている。
「……ココちゃんって、好きな人とか……いる?」
「私ですか? 私は真琴さんですかねー」
「へぇー、真琴さんって人なんだー……って、えぇ!? 真琴くんなの!?」
鍋の様子を見ていた唯川が、ガバッとココの方に振り返る。
それほどまでに衝撃的な発言だったのだろう。
「そ、そうなんだー……意外だなぁ……」
「そういう唯川さんもいらっしゃるんですか? 唯川さんのハートを掴むとは、かなりのラッキーボーイだと思いますが」
「わ、私はいない……かな」
唯川は少し濁すように答える。
自分と答えが同じだった時、どうしたら良いのか知らなかったからだ。
「あら、まあ流石にそんなラッキーボーイはいませんか。唯川さんにはトム・クルーズあたりがピッタリだと思いますけど」
「それって海外の超大物さんだよね……月とスッポンどころの話じゃないよ……」
ココが真面目なトーンで話すため、本気か冗談か分からなかったが、とりあえず否定しておいた。
地球上の全女性が狙っているその席だ。
宝くじに当たるような強運でなければ、その席には座れないだろう。
「……でもココちゃんのハートを射止めるなんて、真琴くんは罪作りな人だね。確か従兄妹同士でも結婚は出来たはずだから、私応援しちゃうよ!」
「は、はい!」
(そういえば、私と真琴さんは従兄妹という設定でした! すっかり忘れてましたね……)
あやうく唯川におかしな点がバレるところであったが、何とかギリギリで持ちこたえた。
ここでバレてしまっては、真琴に申し訳が立たない。
ココとしては、唯川になら本当の事を言っても大丈夫だと思っているが、優先されるのは真琴の判断の方だ。
「あ、あまりリエルとサンドラを待たせても悪いので、そろそろ持っていきませんか?」
「そうだね。もう七分くらい経ってるし、十分……だよね」
ココと唯川が喋っている間に、鍋はほぼ完成状態にあった。
唯川はキッチンミトンを装着し、鍋を持って二人の待つ部屋へと向かう。
そのすぐ後ろを、ココが唯川のスピードに合わせて歩いていた。
部屋の前に着くと、またもや唯川が器用に足を使ってドアを開けようとしたので、ココは慌てて代わりにドアを開ける。
大半の事を唯川に任せている以上、これくらいの手伝いはもはや義務と言ってもいい。
「お、来たのですよ!」
「待ってましたなの」
ココと唯川の到着にいち早く気付いたのはリエルだった。
それに続いてサンドラもパチパチと手を叩く。
「おぉ、具材が沢山入っているのです!」
「鍋とは素晴らしいなの!」
サンドラとリエルからの評価は上々だ。
見た目の時点では、二人ともかなり良い反応をしている。
問題は味だが、唯川と一緒に作っただけあって、ココはかなり自信に満ち溢れていた。
「それじゃあ座って座ってー」
唯川の言葉によって、鍋を覗き込んでいたサンドラとリエルがピシッと座る。
その座るまでのスピードは、早く食べたいという二人の気持ちを顕著に表していた。
ココは用意されていた座布団に腰を下ろし、唯川も鍋をテーブルに下ろすと余りの座布団に座した。
「お祈りするよー。主よ、私たちを祝福し、また御恵みによって今いただくこの食事を祝してください。主キリストによって。アーメン」
唯川の食前の祈り。
教会では牧野が担当していたが、勿論ここに牧野はいないため唯川が担当する事になる。
真琴家では、食前の祈りは全て「いただきます」で揃えているため、ココとサンドラは少し驚いていた。
そして、唯川の祈りに三人が「いただきます」と続く。
それから鍋に一番乗りしたのはリエルだ。
二番手は勿論サンドラである。
「はっ!? これは美味なのです!」
「やっぱり味も素晴らしいなの」
問題の味も好評だった。
唯川もフフン、と鼻を高くしている。
ココとしても、自分が作った物が美味しいと言われると人並みに嬉しい。
もし真琴に言われるとしたら尚更である。
「……あ、でもサンドラ。今日は抑えてくださいね」
「……分かったなの……」
好評なのは良いが、サンドラの箸が暴走しそうになったので、ココはサンドラの耳元で、唯川とリエルには聞こえないように注意する。
サンドラを放っておいたら、この鍋は数分で消滅するだろう。
真琴とココだけの場合ならまだ良いのだが、唯川とリエルがいる時にそのような事をしては流石に不味い。
サンドラもその辺りの常識は持っているようで、渋々だが承諾してくれた。
「成功したみたいで良かったー。鍋なんて久しぶりだったからね」
「いやぁ、唯川さんは絶対良いお嫁さんになるのですよ」
「あはは、ココちゃんにも同じこと言われたよー。嬉しいなぁ」
サンドラの自重により命拾いした鍋を、唯川とリエルがつついている。
リエルは本当にこの鍋が気に入ったようで、唯川シェフ本人まで褒めだした。
「ココもそこそこやるのですね。これだけは認めてあげるのです」
「そりゃあどうも。リエルのために針でも入れようかと思いましたが、我慢してあげましたので」
「なっ!? なんて恐ろしい事を考えていたのですか!? そんな事されたら雛見沢症候群が発症しちゃうのです!」
「大丈夫ですよ、幻覚ですから」
「いやいや! 今モロに『針を』って言ったのです!」
「……食事中に怖い話をしないでほしいなの」
リエルの不器用な褒め言葉。
ココと仲良くなろうとしたようだが、失敗に終わったらしい。
更にそこから何故か雛見沢症候群でヒートアップする。
このままいくと、寄生虫やら素振りやらが出てくると確信したサンドラは、早めに話を切り上げさせた。
「あ、怖い繋がりで百物語でもやりますか?」
「そんなに怪談話知らないなの」
「時期じゃないのです」
「これは私の友達が体験した話なんだけど――」
「やるのですか!?」
百物語とは、日本の伝統的な怪談会の一つであり、怪談話を百話語り終えると、本物の物の怪が現れるとされているものだ。
基本的には、夏の夜に気持ちだけでも涼しくなろうと行われるものだが、今は冬であり涼しいどころではない。
そもそも百物語を語り終えるには、最低でも百個の怪談話を知っておく必要がある。
この場には四人いるため、一人あたり二十五個だ。
厳しい条件のため、リエルとサンドラが却下の意を表すが、そんなものをぶち壊して、唯川が典型的な冒頭で怪談話を話し始めた。
「アパートに友達が住んでたんだよね。そしたら、隣の部屋からコツコツ――って一定のリズムで聞こえてくるらしいんだよ。それで、夜にずっとその音が聞こえるもんだから、怖くなって引っ越したらしいんだ」
「は、はい……」
「でも、やっぱりそのリズムが頭に残っていて、同じリズムを大学の教授に聞かせてみたらさ――」
「……なの」
「モールス信号で『助けて』って意味だったらしいよ」
「ひゃあぁぁぁ!」
絶叫というのに相応しい声でリエルが叫ぶ。話し終わった一瞬で、色々な事を想像したのだろう。
ココとサンドラは、どちらかというと、内容よりも絶叫するリエルの方にビクッとしていた。
「こ、怖すぎるのです……」
リエルは怖い話に対する耐性がなかったようで、座った状態で腰を抜かすという器用な事をしている。
「ごめんごめん。でもこれくらいしか怖い話を知らないから、もう大丈夫だよ」
「はぅ……今日は一人で眠れないのです……」
「先に言っておくけど、私の布団に潜り込んでくるのは禁止なの」
「そ、そんなぁ……」
唯川の怖い話は、リエルの精神に大きなダメージを与えてしまい、一人で眠れないほどの状態になってしまった。
こういった時に自分の布団が危ないと、直感的に察知したサンドラは、あらかじめリエルに断っておく。
やはりリエルは当てにしていたらしく、残念そうな顔を浮かべている。
その後ろで、唯川も何故か残念そうな顔を浮かべていた。
「そうだ、お風呂の順番ってどうする? 四人で入りたいんだけど、あんまり大きくないんだよねー」
「まぁ、普通は家主の唯川さんからですよね」
「じゃあ、残りの人は適当にジャンケンとかで決めるのです」
「トランプで決めるのはアリなの?」
「……それは公平じゃないのです」
「トランプで勝つまでお風呂に入れない、っていうのも面白そうですね」
「全然面白くないのです!」
リエルは、いつの間にかトランプを持っていたサンドラからそれを取り返す。
ココの意地悪な提案も即却下だ。
トランプ派に偏りつつあったこの場を、たった一人でジャンケンへと持っていった。
特に早めのお風呂が好きなわけではなく、負けず嫌いの悪い癖である。
「じゃあ行きますよー!」
「「「ジャーンケーン――」」」
ぽん、と。
リエルのグーに対して、ココとサンドラのパー。
いきなり最下位が決まってしまった。
「なんだ。どっちにしろ結果は変わりませんでしたね」
「う、うるさいのです!」
まるで、リエルの負けが運命で決まっていたかのような負けっぷりだ。
その清々しい負けは、リエルに反論すら許さない。
「ジャンケンポン」
流すような形で行われた決勝戦。
勝者はココ。
つまり、ココ、サンドラ、リエルの順になった。
「それじゃあ、みんなを待たせても悪いし、早速入ってこようかなー」
「いってらっしゃいなの」
サンドラは唯川を見送るように手を振る。
唯川はそれだけでも、かなり嬉しそうだった。
「あ、ねぇ、サンドラ。リエルがお風呂に入っている間に、着替えとか全部隠したら面白そうじゃありませんか?」
「確かに面白そうなの」
「……それを本人の前で言うって、どういう神経しているのですか、あなたたちは」
何か良からぬ事を企むココとサンドラ。
まさか本人の前で企むとは、あまりにも大胆であり流石のリエルも呆れていた。
しかし、このままでは入浴中に着替えが隠されてしまう。
覗きなどではなく、地味に鬱陶しいイタズラをチョイスするところが、実に悪魔らしかった。
リエルは何とかして、この予告状のようなやり取りを止めなくてはならない。
「いや、逆に今から身ぐるみを剥ぐという方法もありますね」
「い、意味が分からないのです! イタズラとかそういうレベルじゃないのです!」
「お姉ちゃんとリエルの力は五分五分……どっちが勝つのか楽しみなの……!」
「な、何で戦う事になってるのですか!? ここは唯川さんの家なのですよ!」
ココとリエルから距離をとって解説モードに入るサンドラ。
まさに戦いの火蓋が切って落とされそうだった――が、実際に戦うわけにはいかない。
リエルのもっともなツッコミを聞くまでもなく、ココも分かっていた。
もしも、ここでリエルとココが本気で戦ったとしたら、ここら一帯が焼け野原になるだろう。
「それもそうですね。戦うのはまた今度にしましょう」
「お断りするのです。そもそも、そんなくだらない理由で戦いたくないのです」
「まぁ、二人が戦う時にはぜひ呼んでほしいなの」
好戦的なココに厭戦的なリエルだった。
それに続くようにサンドラは観戦的だ。
サンドラ自身は戦闘力が高くないので(当然人間に比べると遥かに強いが)、自分の応援する人を見て熱くなるタイプである。
意外とスポーツ観戦も好きな女の子だった。
「みんなお待たせー」
「あ、おかえりなさい。次は私ですね」
そうこうしているうちに、唯川が戻ってくる。体感時間では、それほど経っていないように感じたが、実際はそこそこ時間が経っていたらしい。
お風呂の準備をしていなかったココは、急いで着替えなどを取り出した。
「行ってきますね」
「お風呂の場所は真っ直ぐだよー。すぐ分かると思うからー」
唯川の結構雑な道案内に、ココはグッと親指を立てる。
「じゃあ、ココちゃんが帰ってくる前に、お布団敷いといてあげますか」
「お手伝いするなの」
「ボクも頑張るのです」
残された三人は、寝るための布団を用意するために押し入れを開けた。
中は唯川の性格通り綺麗に整頓されており、旅館かと思えるくらいの布団が収納されている。
特にリエルとサンドラが手伝う要素はなかったが、何かしら活躍させてあげたいと考えた唯川は、バケツリレーと同じ要領で布団を押し入れから取り出した。
******
「ただいまなのです。とてもいいお湯だったのです」
最後にリエルがお風呂から戻る。
ドライヤーの手入れが雑だったようで、髪はまだ半乾きだ。やはり、それでも色っぽさは欠片もない。
「おかえりー。って、もうココちゃんとドラちゃん寝ちゃったけど」
「うわ、本当なのです。多分疲れちゃったんですね」
リエルが帰ってきた時には、ココとサンドラは既に夢の中だった。
もう起こそうとしても起きないだろうと思えるほど、ぐっすりと眠っている。
「まったく、まだまだ子どもなのですね」
「まあまあ。こんな可愛い寝顔見れたし、ラッキーラッキー」
「……確かになのです」
リエルと唯川の反応は別々だった。
しかし、リエルのそれも最初だけであり、ココとサンドラの寝顔を見ていたら、気持ちも変わったようだ。
「フライングボディプレスはまた今度にしてあげるのです。命拾いしたのですね、ココ」
「あはは、せめて起きている時にしてあげてね」
リエルのフライングボディプレスは、どうやら未遂に終わったらしく、勝手に借りを作らされたココだった。
ライバルとしても、寝込みを襲うのは気が引ける(ココがリエルの立場なら容赦なく襲うだろうが)。
「落書きでもしますか?」
「あー、でも筆しかないや」
「なんと、予想外の答えなのです」
落書きという提案だったが、これも未遂に終わる。
何故かサインペンではなく、筆があるという謎の状況だった。
筆で落書きとなっては、洒落にならないし、そもそも気付かれる可能性が高い。
「……ふぁーあ……。ごめん、眠くなっちゃった」
「そういえばボクも……。今日はここまでなのですね」
唯川が可愛らしい口を開けて欠伸をする。
活動限界の合図だった。
どうやらそれはリエルも同じらしく、一気に疲れがどっと出る。
「もう寝よっか」
「はいなのです」
それから二人が眠りにつくまで、わずか数分しかかからなかった。