第5話:子供達の進学と株投資とインターネット

文字数 1,708文字

 その後、勉強を続けクラスベスト3に入り、中学3年の時に担任の先生から、受験しても良いと、許可が下りた。その時点での合格の可能性は75%だった。そして、中学3年になり、2人とも、学年でベスト10入りして、さらに合格の可能背を高め80%を越えた。その後、1991年2月、利一は早稲田大学附属高校へ、愛子は慶應女子高校の受験票を手に入れて受験。

そして2人とも合格を果たした。その後、高校の近くの学生寮に入り高校へ通い始めた。取引してるN証券の担当者にも聞くと不動産投資より株の方が、小さな資金でやれるので良いと言われた。ちなみにソニー株が良いと言われ1987年5月10日に1180円で5万株を5900万で買いの指示を出し買えた。その後1989年12月に4200円で全株売却。

 すると税引き後19000万円となり柳生親子の資産が4億円ずつになった。そこで実家を壊して新しい木造の家を建てる事にした。地元の建築業者に聞くと2軒で7千万円、整地と上下水道、電気で1千万円で可能だと言われた。その他、電化製品と車の買い換えで400万円で、総計8400万円で、新築をお願いした。

 柳生家の敷地が350坪あり、現在の家に住みながら、新しい住宅を建築できると言われた。1990年1月に建築を開始し、予定では9月中に完成し、現在の庭の反対側に、新築の住宅を建てることになった。これにより柳生親子の資産が36000万円ずつとなった。

 その後、柳生敦夫は、パソコンの普及が早く、次は、ネット通信の時代が来ると予想していた。そして、敦夫の友人が東京工業大学で、1985年から東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ“JUNET”が誕生したことを聞いていた。その後、民間に、必ず普及してくると考えていた。そして1992年日本で初めての本格的商用インターネットサービスプロバイダ「IIJ]がサービスを開始した。

 その後、1993年7月「UUUCPサービス」開始、11月に「インターネット接続サービス」開始した。インターネットの時代が来ると言い、関連する企業の株を購入すべきだと、考えていた。この話をN証券の担当者にも伝えると、なる程ねと言っていたが、もう1つ良く理解していないようだった。しかし、1995年にIIJの情報がN証券で話題になり、納得してくれた。

 やがて、1994年を迎え、今年は、長男の利一と長女の愛子が大学に入る年になった。高校での成績も上位に位置して、大学の進学にもんだ言わないと聞かされていたが、その通り、すんなりと早稲田大学理工学部電子科と慶応大学商学部に合格した。合格後、家に帰ってきて、大学2,3年の夏休みにアメリカ留学指して欲しいと言われ費用が3週間で30万円と言われ、父は了解した。

 1998年3月に長男の利一が早稲田大学理工学部電子工学科を卒業し富士通に入試した。一方、長女の愛子が慶応大学商学部を卒業して三井物産に入社した。その後1999年3月26日と9月27日の2回、2000年3月26日の1回、2分割を3回で16分割した。そのため、柳生敦夫の1株が16株になり、2000年4月27日の朝に証券会社の担当者から、5965万円で気配値で売り言われ、柳生敏夫32株と息子の敦夫が16株を成り行き売りを入れた。

 すると、直ぐに売れて、柳生親子の税引き後利益が14700万円で残金が3億円となり大喜びした。その後、資産が大きくなったので、今後は、株以外の為替、米ドル円とか、金価格投資が良いかも知れないと言われた。そして2000年5月、現在、金価格が安いので1億円分の金を買ったら良いと言われ、柳生親子が、1g1000円で100kgを1億円ずつ、購入し残金が2億円ずつとなった。

2000年1月の正月に、長男の利一が実家に帰ってきた時、富士通で一緒に働く、1歳、年下の彼女、木谷麗子さ んを連れて、紹介した。彼女は、東京三鷹出身でお父さんが貿易会社に勤め、彼女は桜蔭中学、高校から慶応大学理工学部を卒業したと教えられた。特に英語が堪能で、富士通でも富士通製品の輸出関連の仕事をしていると話していた。
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