第11話

文字数 2,757文字

 丹野は施設長に呼び出され、面談を受けていた。青嶋と飲みに行った日から、数日経っていた。
「丹野君は、いつもよく働いてくれている。頭が上がらないよ」
 施設長はいつも職員を持ち上げることから会話を始める。丹野もそのようなことは百も承知なので、
「そうですか、ありがとうございます」
 と軽く受け流す。面談に使われている部屋は、小会議室という八畳程のスペースにテーブルが一つ、椅子が四脚置かれているスペースだ。施設長と一対一で話をするのも初めてなら、この小会議室という圧迫されるような部屋に入るのも初めてだった。
「青嶋君の件は本当に残念だった。私はもう一度、チャンスを与えてほしいと訴えたんだがね、理事長がどうしても組織としてのけじめを付けたかったみたいで、譲らなかったんだ。人が減って大変だとは思うが、まあ頑張ってくれ」
「青嶋君の件」というところに、丹野はどうしても引っかかった。青嶋とて、葛西の件は忘れてはいない。
「『青嶋君の件』というのは相応しくないと思います。むしろ、被害者は葛西さんですし、『葛西さんの件』と今後言い換えた方がいいかと思います」
「そうだったな、葛西さんは本当に気の毒だった。あれから、施設も退所されて、別の老健に移ってしまった。ここで看られれば良かったんだがね」
 施設長は棒読みのような口調で、丹野の方を向いて語りかけた。今村によると、示談金だけでは折り合いが付かず、裁判に持ち込まれそうだということだった。

「これからが本題だ。高松リーダーが会社を辞めてしまいそうなんだよ。今回の件で責任を感じてしまって、体調を崩してしまったんだ。この間、久しぶりに電話をして声を聴いたんだが、とてもリーダーの任を務められるような調子ではなかったよ。そして、彼女は電話越しに言ったんだ。『気力がこれ以上は持ちませんので、会社を退職させてもらえませんか』ってね」
 高松リーダーはここしばらく、会社を体調不良のために休んで、療養に当たっていたのだった。ここまでは丹野も把握していたのだが、退職を考えていたとは知らず、丹野も内心では驚いていた。
「そこで相談なんだが、君にユニットのリーダーを務めてほしいんだ。勿論、高松さんの正式な退職日が決まってからのことになるんだがね。まあ、焦らなくていい。じっくりと考えてくれたらいいから」
「はあ、分かりました。いつくらいまでに、結論を出したらいいんでしょうか?」
 丹野はとりあえず、聞いてみた。リーダーになった時のことはとても想像できなかった。
「そうだね、1週間はどうだろう?せめて、そのくらいには結論を出してほしい」
 施設長の声を聞いて、丹野は「分かりました」と言った。
「話は以上だ。時間を取らせてすまないね、持ち場に戻ってください」
 そう言うと施設長は、丹野に小会議室の鍵を渡して、その場を後にした。
「何だよ、鍵くらい自分でかければいいのに」
 とぶつくさ言いながら、小会議室に外から鍵をかけた。

 ユニットに戻った丹野は、ユニットリーダーの件は、一旦聞かなかったことにして、何食わぬ顔で、仕事を続けた。
「丹野さん、呼び出しですか?この忙しい時に、あの人たち何考えてるんでしょうね」
 憤りを隠すことなく、若菜が声をかけてきた。
「ホントだよ、ただでさえ人手が少ないのになあ」
 白を切るように、若菜と話を合わせる丹野。自分が罪を犯しているような感覚を覚えた。立て続けに若菜は
「高松さん辞めるって知ってましたか?」
 と尋ねてきた。
「ああ、さっき話を聞いた」
「丹野さんも知ってたんですね。どうしよう、私も辞めようと思ってたのに」
 そのことの方が、丹野にとっては衝撃だった。
「児玉さん、辞めるつもりなの?」
 思わず丹野の声が大きくなってしまった。
「しーっ、声が大きいですよ」
「ごめん、それにしても何で?」
 今度はひそひそ声で聞いた。
「何でって、なんとなくですよ。この会社にいても、トラブルに巻き込まれるばかりだし、給料下げられるって聞いたら、誰だって辞めますよ」
 若菜は相変わらずの怒り口調である。丹野もそれ以上の言葉が出てこなかった。
「とにかく、今度言いに行こうと思ってたのに、言いにくいじゃん」
 丹野の顔が曇った。これから、どうなっていくのだろうと思うと、絶望感すら漂うくらいだった。

「児玉さんも辞めるのか……」
 丹野は独り言を言いながら、家で悩んでいた。会社が嫌なら転職すればいい、その為に転職サイトにも登録したのにも関わらず、リーダーの話が降ってわいたのである。結衣にも相談したいが、残業の多い時期に入ってきたので、会えないことが多くなっていた。ラインで、リーダー就任について相談のメッセージを送った。会えない淋しさが募るが、致し方ない。
 日付が変わる頃に、返信が来た。
「お疲れ~。転職を考えてるんだったら、断ってもいいんじゃないの?それじゃあまたね、明日も早いから寝るね」
 文は短かったが、結衣の意見はよく伝わってきた。丹野も寝る準備を始めた。
 翌日、丹野は夜勤である。だから、午前中は丸々睡眠に費やすつもりだった。しかし、朝八時には目が醒めてしまった。やはり、何か考えているときは良い睡眠ができないのだと改めて思った。朝食をゆっくりと摂ってみた。当然ながら、それだけでは悩みが消える訳もなく、ただ時が過ぎるだけだった。
「結衣に会いたい」
 そう呟いた。現状が変わるわけもなく、ただ時間は流れていく。どちらも、どうしようもないことなのだ。やることもなく、ぼんやりと過ごしていると、転職について考えずにいられなかった。
「違う業界に転職してみたいという気持ちはあるけど、資格もやりたいことも何もないからな。やっぱり、入れ込んではないけど、介護業界に転職するのが関の山かな」
 彼は堂々巡りの考えを頭の中でグルグルと回しているようだった。そして、スマホをチェックし始めた。SNSを一通り巡回し、ポータルサイトを見ようとした時、再び転職サイトのバナーが目に付いた。自分には用事がないと、スルーを決め込んだ瞬間だった。丹野にある男の言葉がフラッシュバックした。

 ”もし何か、相談したいことがあったら、その名刺のところに電話してくれ。できるだけ力になりたいと思っている”

 それは自分の職場に社員を派遣していた男、岡田だ。
 いても立ってもいられず、丹野は岡田からもらった名刺の在り処を探した。お世辞にも整理整頓されているとは言えない部屋を漁ること、数十分。財布の中を探し、ズボンのポケットの中を探し、鞄の中を探した。しかし、見つからなかった。胸ポケットに収まるくらいのサイズなのに、なぜ見つからないのか。彼は普段の自分のだらしなさを恥じ、後悔した。数日前まではそこら辺に顔を覗かせていたのに。

つづく
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