撒かれたもの
文字数 5,129文字
昨日の晩から強く降り出した雪は、思いのほかに積もったようだ。
スクーターでの通学は断念し、お父さんの通勤する車に同乗して送り迎えして貰うことにした。
それで放課後、お父さんを待つ間、美術室で陶芸をしていた。
準備室から、かすかにFM800 が聞こえてくる他は、静謐な空間だ。
千咲はデートの準備があるといってさっさと帰ってしまった。
同じ集落から通っている百伊も一緒に車に乗る手筈になっているが、先刻まっちゃんに呼び出されて職員室へ行ってしまった。
終業式の日の一件が関わっていることは間違いないな。長くなるかも知れない。
「あっ」
こねていた粘土がぐうらりと形を歪めて、思わず声を出してしまった。
「雑念が入ってるじゃないか」
美術部顧問の愛梨 先生が、教室の端でマグを持ってコーヒーをすすっていた。
「幽霊部員なんで、こんなもんだよ」
一遥はザワザワする心を隠すようにして弁明した。
「幽霊部員って、ヘンな言葉だよな。幽霊って、そこにいないはずなのに姿が見える存在だろ」
「はあ」
「部に籍があって、そこにいるはずなのに、部活動参加していないから姿が見えない、ってヤツのことを幽霊と呼ぶのは真逆じゃないのか」
「ええと、じゃあなんて呼べば良いの」
「そうだな、そこにいるはずなのに、いない。それはわたしの彼氏という存在だね」
「はいはい」
愛梨ちゃんのサバサバとした定義は措くとして、百伊が四月に入部して以来全く顔を出さない正真正銘の幽霊部員なのに対して、一遥は県展前など要所要所で作品を作りに来ていたので、半幽霊といったところだ。
「お父さんは、まだかかるって?」
「うん、さっき連絡があって、もう少ししたら出られそうだって」
一遥の父母は両方とも小学校の先生をしている。母の職場は山手だが、父は海北の平地側の学校なので、海北高校に寄り道をすれば帰る方向は同じである。
「山の方から通ってる生徒たちは毎年一、二回はこうなるよ」
「そうなんだ」
「高校って、小中とは全然違う広い範囲から通学してくるからね。でも今年は特に大変かも。だいぶ奥の方だと地滑りみたいなことになったらしいから」
愛梨ちゃんは窓の外をじっと見つめている。
「ふわあ」
一遥は意味の無い間投詞で生返事をした。
それは今朝、出かけるときにお父さんも話していた気がする。
しかしそんなことより、一遥の心は別のことで占められていた。
冬休みの間、そして始業式の日と、怖いとは思いながらトゥルヒスで配られるカードをめくった。
マッチング率80%前後のカードが続く中で、それでも毎日めくっていたのは、何がしかの期待をしていたのだろう。
運命の人に出会うことができるのではないか。
自分がどういう人間なのかを、知ることが出来るのではないか。
そして今日から新学期の授業が始まったが、よりによってこのタイミングで、ザワザワするようなカードを引いてしまった。
ユーザー名:十和
マッチング率:98%
昼休み、一遥は思わずスマホの画面を二度見した。
そして震える手で、好感度を示すタップをしてしまった。
せっかくトゥルヒスに登録しても低マッチング率の人しかいないならば、大人しくプレヒスを選んでおけば良かったと後悔し始めていたところだった。
だから98%という高マッチング率は、ひととき一遥を興奮させるのに十分だったのだ。
ただ、今になって少し後悔している。
カードを見るだけで、ぜったいにマッチングはしないように、と決めたはずだったのに、自分で決めたルールをもう破ってしまっている。
石橋を叩いて渡る一遥は、ひとたび渡り始めるともう思いっきり駆け抜けるような矛盾した行動をしてしまうことがあった。その悪癖が顔を出している。
先程確認すると、相手からも好感度が示されており、二人は
そして早速、相手からメッセージが届いている。
一遥は轆轤の上でダメになってしまった土塊を押し潰し、その手を流しで洗った。
ひとつ息をついて、どうすべきかと足踏みしていたそのメッセージに、ようやく返信を書き始めた。
十和:こんにちは。随分と高い適合率の方に出会い、覚えず好感を示してしまいました。
十和:よろしければこの場を借り、メッセージを往復したいと考えております。
十和:いちはさんは、大学生でいらっしゃいますか。
いちは:こんにちは。わたしも98%という数字に驚きました。
いちは:わたしは、高校に通っています。
いちは:十和さんは、大学生の方ですか?
わたしは、高校に通っています。
たったそれだけの個人情報を語るのにものすごいエネルギーを消費して、送信をタップしたあとすぐにスマホを脇机の上に伏せた。
そうすることで、大切な何かが漏れ出していくことを避けられるような気がしたからだ。
遺伝子情報と、個人情報が紐付いていく。
彰人くんが指摘したトゥルヒスの落とし穴――情報が紐付けば紐付くほどに不利益を被るリスクが高まるという――にハマらないよう、注意しなければならない。
伏せていたスマホを再び握りしめると、はやくも十和からの返信が届いていた。
十和:ぼくは、十七歳です。なので、ぼくも高校生ということになります。
十和:紀浦県 宇都郡 桃園村 という寒村の在住です。
十和:いちはさんの在所は、どちらですか?
桃園村?
一遥は驚いた。一遥の住む集落から、山を一つ挟んだだけのすぐ近くの地名だ。
子どもの頃、両親と一緒に、恐竜が展示された博物館に見学に行ったこともある。
一遥は自分もすぐ近くに住んでいる、と反射的に返信しそうになったが、一呼吸置いた。
パクヒスでもないのにエリアが近い人とマッチングするってことがあるのだろうか?
いや、それはまあ、そういうこともあるのだろう。
でももしかしてこれって、自分の登録地が流出していて、悪徳業者みたいな人が、ターゲティング広告を出してるんじゃないのか?
疑い出すとキリがない。
いちは:わたしも、関西在住です。
いちは:桃園には、昔、恐竜の化石を観に行ったことがあります。良いところでした。
ようやくそれだけ返信した。
「なに真剣な顔してぽちぽちやってるの」
気がつくと、愛梨ちゃんが、窓枠に腰をかけて振り返っている。
「愛梨ちゃん、二年生の担任だよね? 十和さんって男の人、いる?」
一遥は思いついて訊いてみた。桃園に住んでいるなら、海北高校の生徒であることも十分考えられる。
十七歳というなら、高校二年生か三年生のはずだ。
「とわ? さあ、うちのクラスにはいないね」
愛梨ちゃんは首をかしげた。
「あだ名かな。どういう知り合い?」
「いや、それなら良いの」
「あーやしいなぁ」
しまった、アラサーの好奇心に火を付けてしまった。
「えー、勘弁してよ」
手を振りながら一遥はしかし、愛梨ちゃんに相談してみるのはアリかもしれないな、と思い直した。
ビッグファミリーが流行っていることと、いま十和という名の男の子とマッチングしたことを簡単に説明する。トゥルヒスとか、遺伝子情報とか、そういう話は、たぶんしても仕方ないだろう。
「はー、若いっていいねえ」
愛梨ちゃんはため息をついた。
「なんか、住んでいるところが近すぎて、怖くなってきちゃった」
「あー、分かるな。本当に生身の人なんだ、って感じがするよね」
「でしょ? どうすれば良いかな? 悪徳業者だったらどうしよう」
「女子高生は大変だね。わたしくらいになると、こんな女でも掠ってくれるならどうぞお好きにって感じになるんだけどね」
「真面目に言ってるんだけど」
一遥は頬を膨らませた。
「はは、じゃあまあ、海北のこのあたりの喫茶店か、ファミレスででも、会ってみれば?」
愛梨ちゃんは気軽に言った。
「知ってる人が多い場所なら、なんとなく安心でしょ。なんならわたしも同席してあげようか?」
「謹んで辞退いたします」
一遥は拝む真似をした。
とはいえ、メッセージの交換が進めば、当然会ってみようという話になるだろう。
実際、千咲も常井くんという男の子とマッチングして、すぐさま大阪に遊びに行くという話を進めている。
十和のメッセージからは、少し古風だが真面目な青年である印象を受ける。
98%のマッチング率の男の子が、年の近い人だったこともあって、怖さよりもだんだんと好奇心の方が強くなってきていた。
「ふー、終わった終わった。愛梨ちゃん、お茶いれてよ」
そこに百伊が帰ってきた。
「遠慮がないなあ」
愛梨ちゃんは文句を言いながら、準備室に引っ込んだ。
「何の話してたの」
「あー、ビッグファミリーが流行ってるって話。ゆん、今日のカードはどうだったの?」
「よくぞ訊いてくれました!」
さっきパクヒスを確認すると、昼に好感度を送った相手とマッチングできていたらしい。
「久間英治 さんって言うんだって。海北にある会社の、二代目で、二十三歳」
「ええー、けっこう歳上だね」
百伊の見せてくれた写真は、商家のお坊ちゃんという感じの柔和なお兄さんだった。
「まあね。でも優しそうだし、何よりお金持ちじゃん。この人と結婚したらわたし、ゆくゆくは社長夫人になれるぞ」
「ゆん、まっちゃんに呼ばれてたんじゃなかったの」
カードだけでは分からない情報が色々と繰り出され、すでにメッセージ交換をかなり進めている印象を受けた。
「あー、予想通りの特別指導だったんだけど、まっちゃんがいなくなった隙にぽちぽちメッセージ交換してたから」
「あんた、指導のことなんだと思ってるの」
戻ってきた愛梨ちゃんが呆れた声を出しながら、百伊だけでなく一遥の分もマグを置いてくれた。
「百伊も一遥もマッチングして、けっこういい確率だね。わたしも始めてみようかな」
愛梨ちゃん、その一言は余計だよ。
「ん、はぁもマッチングしたの?」
百伊は抜け目なく話題に食いついてきた。
トゥルヒスを始めたことを隠していた手前、百伊や千咲にはマッチングしたことを言い出しにくいなあと考えていたところだった。
一遥は仕方なく、十和とのメッセージ画面を表示した。
メッセージ画面なら、どのヒストリーでも共通だから、プレヒスの画面ではないことに気づかれない。
「あれ、もう会おうって話になってるじゃん。はぁも隅に置けないな」
百伊に言われて、一遥はスマホをひっくり返す。
さっきのメッセージへの返信が既に来ていることに気がついた。
十和:このような寒村を賞賛いただき、すこしむずかゆい心地です。
十和:ぜひ一度お目にかかりたいと考えるのですが、いかがでしょうか。
十和:ぼくはあまり遠くに行ける身ではないのですが、ご都合の良い日時、場所等ご指定ください。
「ほんとだ。でもなんか強引だな。気は遣ってるけど、要は近くまで来いってことだよね」
一遥は警戒して言った。関西に住んでいるとしか言っていないのに、高校生の一遥が紀浦付近に来られることを見通しているような言い方ではないか。
「考えすぎでしょ。なんか事情があるんじゃないの? ってかこの人、どこに住んでるの?」
百伊は楽天的だ。メッセージの最後の方しか表示されていないので、十和が近くに住んでいることなどを百伊は分かっていない。
会おうと思えば会えるという状況にあることこそが、そこはかとなく不気味なのだ。
「この近くに住んでるんだよね。やっぱりさっき言ったとおり、海北で会ってみれば?」
愛梨ちゃんが繰り返した。
「まあ、女子高生としては、警戒するのも分かるけどね。教師としては、訳の分からない人に会っちゃダメ、って指導すべきかもしれないけど、そんなこと言ってたら婚期を逃すからね」
「え、紀浦の人なの? パクヒスじゃないのに、ラッキーじゃん」
百伊が興奮した声をあげた。
「なに、パクヒスって」
愛梨ちゃんが尋ねるのも聞かずに百伊は一遥からスマホをひったくると、凄い勢いでフリック入力を始めた。
「あ、ちょっと」
「できた。はぁ、これで送って」
入力欄に、送信前のメッセージが踊っていた。
会ってみたいです! 今度の三連休はどうですか?
場所は、海北が良いです!
まあ、いいか。
メッセージを打ち込むというエネルギーのかかる作業を百伊がやってくれたおかげで、一遥はあと送信をタップするだけの状態になっており、これならこれで良いかという気持ちになってきた。
「どうせ今週末はちぃもいないし、わたしも久間さんと会う約束でもしようかな」
百伊はもう次のことを考えているようだ。
一遥はさっき愛梨ちゃんが淹れてくれたお茶を一気に飲み干すと、送信をタップした。
「あ、お迎え、来たんじゃない」
愛梨ちゃんが指す窓の外に、お父さんの車のライトが光っていた。
スクーターでの通学は断念し、お父さんの通勤する車に同乗して送り迎えして貰うことにした。
それで放課後、お父さんを待つ間、美術室で陶芸をしていた。
準備室から、かすかにFM
千咲はデートの準備があるといってさっさと帰ってしまった。
同じ集落から通っている百伊も一緒に車に乗る手筈になっているが、先刻まっちゃんに呼び出されて職員室へ行ってしまった。
終業式の日の一件が関わっていることは間違いないな。長くなるかも知れない。
「あっ」
こねていた粘土がぐうらりと形を歪めて、思わず声を出してしまった。
「雑念が入ってるじゃないか」
美術部顧問の
「幽霊部員なんで、こんなもんだよ」
一遥はザワザワする心を隠すようにして弁明した。
「幽霊部員って、ヘンな言葉だよな。幽霊って、そこにいないはずなのに姿が見える存在だろ」
「はあ」
「部に籍があって、そこにいるはずなのに、部活動参加していないから姿が見えない、ってヤツのことを幽霊と呼ぶのは真逆じゃないのか」
「ええと、じゃあなんて呼べば良いの」
「そうだな、そこにいるはずなのに、いない。それはわたしの彼氏という存在だね」
「はいはい」
愛梨ちゃんのサバサバとした定義は措くとして、百伊が四月に入部して以来全く顔を出さない正真正銘の幽霊部員なのに対して、一遥は県展前など要所要所で作品を作りに来ていたので、半幽霊といったところだ。
「お父さんは、まだかかるって?」
「うん、さっき連絡があって、もう少ししたら出られそうだって」
一遥の父母は両方とも小学校の先生をしている。母の職場は山手だが、父は海北の平地側の学校なので、海北高校に寄り道をすれば帰る方向は同じである。
「山の方から通ってる生徒たちは毎年一、二回はこうなるよ」
「そうなんだ」
「高校って、小中とは全然違う広い範囲から通学してくるからね。でも今年は特に大変かも。だいぶ奥の方だと地滑りみたいなことになったらしいから」
愛梨ちゃんは窓の外をじっと見つめている。
「ふわあ」
一遥は意味の無い間投詞で生返事をした。
それは今朝、出かけるときにお父さんも話していた気がする。
しかしそんなことより、一遥の心は別のことで占められていた。
冬休みの間、そして始業式の日と、怖いとは思いながらトゥルヒスで配られるカードをめくった。
マッチング率80%前後のカードが続く中で、それでも毎日めくっていたのは、何がしかの期待をしていたのだろう。
運命の人に出会うことができるのではないか。
自分がどういう人間なのかを、知ることが出来るのではないか。
そして今日から新学期の授業が始まったが、よりによってこのタイミングで、ザワザワするようなカードを引いてしまった。
ユーザー名:
マッチング率:98%
昼休み、一遥は思わずスマホの画面を二度見した。
そして震える手で、好感度を示すタップをしてしまった。
せっかくトゥルヒスに登録しても低マッチング率の人しかいないならば、大人しくプレヒスを選んでおけば良かったと後悔し始めていたところだった。
だから98%という高マッチング率は、ひととき一遥を興奮させるのに十分だったのだ。
ただ、今になって少し後悔している。
カードを見るだけで、ぜったいにマッチングはしないように、と決めたはずだったのに、自分で決めたルールをもう破ってしまっている。
石橋を叩いて渡る一遥は、ひとたび渡り始めるともう思いっきり駆け抜けるような矛盾した行動をしてしまうことがあった。その悪癖が顔を出している。
先程確認すると、相手からも好感度が示されており、二人は
無事にマッチングしてしまっていた
。そして早速、相手からメッセージが届いている。
一遥は轆轤の上でダメになってしまった土塊を押し潰し、その手を流しで洗った。
ひとつ息をついて、どうすべきかと足踏みしていたそのメッセージに、ようやく返信を書き始めた。
十和:こんにちは。随分と高い適合率の方に出会い、覚えず好感を示してしまいました。
十和:よろしければこの場を借り、メッセージを往復したいと考えております。
十和:いちはさんは、大学生でいらっしゃいますか。
いちは:こんにちは。わたしも98%という数字に驚きました。
いちは:わたしは、高校に通っています。
いちは:十和さんは、大学生の方ですか?
わたしは、高校に通っています。
たったそれだけの個人情報を語るのにものすごいエネルギーを消費して、送信をタップしたあとすぐにスマホを脇机の上に伏せた。
そうすることで、大切な何かが漏れ出していくことを避けられるような気がしたからだ。
遺伝子情報と、個人情報が紐付いていく。
彰人くんが指摘したトゥルヒスの落とし穴――情報が紐付けば紐付くほどに不利益を被るリスクが高まるという――にハマらないよう、注意しなければならない。
伏せていたスマホを再び握りしめると、はやくも十和からの返信が届いていた。
十和:ぼくは、十七歳です。なので、ぼくも高校生ということになります。
十和:
十和:いちはさんの在所は、どちらですか?
桃園村?
一遥は驚いた。一遥の住む集落から、山を一つ挟んだだけのすぐ近くの地名だ。
子どもの頃、両親と一緒に、恐竜が展示された博物館に見学に行ったこともある。
一遥は自分もすぐ近くに住んでいる、と反射的に返信しそうになったが、一呼吸置いた。
パクヒスでもないのにエリアが近い人とマッチングするってことがあるのだろうか?
いや、それはまあ、そういうこともあるのだろう。
でももしかしてこれって、自分の登録地が流出していて、悪徳業者みたいな人が、ターゲティング広告を出してるんじゃないのか?
疑い出すとキリがない。
いちは:わたしも、関西在住です。
いちは:桃園には、昔、恐竜の化石を観に行ったことがあります。良いところでした。
ようやくそれだけ返信した。
「なに真剣な顔してぽちぽちやってるの」
気がつくと、愛梨ちゃんが、窓枠に腰をかけて振り返っている。
「愛梨ちゃん、二年生の担任だよね? 十和さんって男の人、いる?」
一遥は思いついて訊いてみた。桃園に住んでいるなら、海北高校の生徒であることも十分考えられる。
十七歳というなら、高校二年生か三年生のはずだ。
「とわ? さあ、うちのクラスにはいないね」
愛梨ちゃんは首をかしげた。
「あだ名かな。どういう知り合い?」
「いや、それなら良いの」
「あーやしいなぁ」
しまった、アラサーの好奇心に火を付けてしまった。
「えー、勘弁してよ」
手を振りながら一遥はしかし、愛梨ちゃんに相談してみるのはアリかもしれないな、と思い直した。
ビッグファミリーが流行っていることと、いま十和という名の男の子とマッチングしたことを簡単に説明する。トゥルヒスとか、遺伝子情報とか、そういう話は、たぶんしても仕方ないだろう。
「はー、若いっていいねえ」
愛梨ちゃんはため息をついた。
「なんか、住んでいるところが近すぎて、怖くなってきちゃった」
「あー、分かるな。本当に生身の人なんだ、って感じがするよね」
「でしょ? どうすれば良いかな? 悪徳業者だったらどうしよう」
「女子高生は大変だね。わたしくらいになると、こんな女でも掠ってくれるならどうぞお好きにって感じになるんだけどね」
「真面目に言ってるんだけど」
一遥は頬を膨らませた。
「はは、じゃあまあ、海北のこのあたりの喫茶店か、ファミレスででも、会ってみれば?」
愛梨ちゃんは気軽に言った。
「知ってる人が多い場所なら、なんとなく安心でしょ。なんならわたしも同席してあげようか?」
「謹んで辞退いたします」
一遥は拝む真似をした。
とはいえ、メッセージの交換が進めば、当然会ってみようという話になるだろう。
実際、千咲も常井くんという男の子とマッチングして、すぐさま大阪に遊びに行くという話を進めている。
十和のメッセージからは、少し古風だが真面目な青年である印象を受ける。
98%のマッチング率の男の子が、年の近い人だったこともあって、怖さよりもだんだんと好奇心の方が強くなってきていた。
「ふー、終わった終わった。愛梨ちゃん、お茶いれてよ」
そこに百伊が帰ってきた。
「遠慮がないなあ」
愛梨ちゃんは文句を言いながら、準備室に引っ込んだ。
「何の話してたの」
「あー、ビッグファミリーが流行ってるって話。ゆん、今日のカードはどうだったの?」
「よくぞ訊いてくれました!」
さっきパクヒスを確認すると、昼に好感度を送った相手とマッチングできていたらしい。
「
「ええー、けっこう歳上だね」
百伊の見せてくれた写真は、商家のお坊ちゃんという感じの柔和なお兄さんだった。
「まあね。でも優しそうだし、何よりお金持ちじゃん。この人と結婚したらわたし、ゆくゆくは社長夫人になれるぞ」
「ゆん、まっちゃんに呼ばれてたんじゃなかったの」
カードだけでは分からない情報が色々と繰り出され、すでにメッセージ交換をかなり進めている印象を受けた。
「あー、予想通りの特別指導だったんだけど、まっちゃんがいなくなった隙にぽちぽちメッセージ交換してたから」
「あんた、指導のことなんだと思ってるの」
戻ってきた愛梨ちゃんが呆れた声を出しながら、百伊だけでなく一遥の分もマグを置いてくれた。
「百伊も一遥もマッチングして、けっこういい確率だね。わたしも始めてみようかな」
愛梨ちゃん、その一言は余計だよ。
「ん、はぁもマッチングしたの?」
百伊は抜け目なく話題に食いついてきた。
トゥルヒスを始めたことを隠していた手前、百伊や千咲にはマッチングしたことを言い出しにくいなあと考えていたところだった。
一遥は仕方なく、十和とのメッセージ画面を表示した。
メッセージ画面なら、どのヒストリーでも共通だから、プレヒスの画面ではないことに気づかれない。
「あれ、もう会おうって話になってるじゃん。はぁも隅に置けないな」
百伊に言われて、一遥はスマホをひっくり返す。
さっきのメッセージへの返信が既に来ていることに気がついた。
十和:このような寒村を賞賛いただき、すこしむずかゆい心地です。
十和:ぜひ一度お目にかかりたいと考えるのですが、いかがでしょうか。
十和:ぼくはあまり遠くに行ける身ではないのですが、ご都合の良い日時、場所等ご指定ください。
「ほんとだ。でもなんか強引だな。気は遣ってるけど、要は近くまで来いってことだよね」
一遥は警戒して言った。関西に住んでいるとしか言っていないのに、高校生の一遥が紀浦付近に来られることを見通しているような言い方ではないか。
「考えすぎでしょ。なんか事情があるんじゃないの? ってかこの人、どこに住んでるの?」
百伊は楽天的だ。メッセージの最後の方しか表示されていないので、十和が近くに住んでいることなどを百伊は分かっていない。
会おうと思えば会えるという状況にあることこそが、そこはかとなく不気味なのだ。
「この近くに住んでるんだよね。やっぱりさっき言ったとおり、海北で会ってみれば?」
愛梨ちゃんが繰り返した。
「まあ、女子高生としては、警戒するのも分かるけどね。教師としては、訳の分からない人に会っちゃダメ、って指導すべきかもしれないけど、そんなこと言ってたら婚期を逃すからね」
「え、紀浦の人なの? パクヒスじゃないのに、ラッキーじゃん」
百伊が興奮した声をあげた。
「なに、パクヒスって」
愛梨ちゃんが尋ねるのも聞かずに百伊は一遥からスマホをひったくると、凄い勢いでフリック入力を始めた。
「あ、ちょっと」
「できた。はぁ、これで送って」
入力欄に、送信前のメッセージが踊っていた。
会ってみたいです! 今度の三連休はどうですか?
場所は、海北が良いです!
まあ、いいか。
メッセージを打ち込むというエネルギーのかかる作業を百伊がやってくれたおかげで、一遥はあと送信をタップするだけの状態になっており、これならこれで良いかという気持ちになってきた。
「どうせ今週末はちぃもいないし、わたしも久間さんと会う約束でもしようかな」
百伊はもう次のことを考えているようだ。
一遥はさっき愛梨ちゃんが淹れてくれたお茶を一気に飲み干すと、送信をタップした。
「あ、お迎え、来たんじゃない」
愛梨ちゃんが指す窓の外に、お父さんの車のライトが光っていた。