第1話

文字数 10,419文字

 戦争と私。そして……

               第六文芸


 あした、たくさんの人が消えるのだと、
 電気仕掛けの少女は涙を流した。
 その瞬間、わたしの心は、燃え上がった。



 わたしはオルゴール人形に取り憑いた亡霊。
 陶器の肌に、女の子なら誰もが憧れるドレスを纏い、石畳の道に面したショーウインドウで、毎日、行き交う人たちを眺めている。
 あの日、戦争に遭ってから、ずっとこの場所にいる。

 あれは昔のこと。
 人形工房のショーウインドウに、そのオルゴール人形が飾られたばかりの頃のこと。
 日曜日の午後、通りを行く人々の中に幸せそうな親子連れがいた。軍服を着た父親と質素ながら華を忘れないドレスを着た母親、その手を握られて歩く少女。彼女はショーウインドウに気づくと、母の手を振り切り、父の手を引っ張って走ってきた。
 彼女は、オルゴール人形を見つけ、歓声を上げて目を輝かせた。人形の頭には蝶が羽を広げたような白いリボン、衣装は貴族の子のドレス、人々を幸福に導く笑みをたたえ、まっすぐに前を見る瞳には人形師の魂が込められていた。彼女が歌うのが幸福の歌であることは、その顔を見れば誰にでもわかることだった。
 店の老主人が少女に気づき、ショーウインドウを開けてゼンマイを巻くと、台座に仕込まれたオルゴールがハッピーバースデイのメロディーを奏でた。そして陶器の人形は、台座の上でゆっくりと回った。
 少女はすっかり人形の虜になった。
 父にねだり、彼は口ひげをにっこりとさせ、こんなことを言って約束をした。
 次にパパが帰ってくるまで、よい子でいたら……と。
 あの日からどれほどの時間が経ったのか……。
 わたしの気持ちとは関係なく、時は流れた。



 つい最近のこと。
 近くのバス停を使うようになった若い女性が、毎朝、私のことを眺めていくようになった。白いブラウスに柄もないロングスカートという姿は、この時代の人の普段着に違いないけれど、どことなくわたしの着ているものに似ていた。だから、わたしのように、長い髪を大きな白いリボンで結わえば、大人ながらにもかわいらしさが出ていいのに、とも思った。
 それにしたって、羨ましい。
 風に揺れる髪、ぬくもりの見える肌、生きた眼差し……。
 女性らしさを手に入れた胸元も首筋も……。
 なにより、時間が羨ましい。
 あの日、わたしが失ってしまったものをすべて、彼女は持っている。

 実は、彼女のことは、彼女が子どもだった頃から知っている。日曜日、彼女は石畳を歩く幸せそうな親子連れだった。母親に手を引かれ、父親の手を握り、笑顔で日差しの下を歩いていた。彼女は通りすがりにわたしを見つけると、母親の手を振り払い、父親の手を引いてショーウインドウに飛びつき、輝くような笑顔と歓声をわたしの記憶に残した。
 いいや、ここは人形工房のショーウインドウだから、そんな子は年中いた。けれど、そのときの彼女は、偶然にも私と同じような、羽ばたく蝶にも似た、大きな白いリボンで髪を束ねていたから、わたしの記憶にとどまった。
 彼女は、キラキラとした瞳でわたしを見つめた。貴族の子の衣装を着たわたしをお姫様に見立てて、舞踏会で踊る様を想像しているのに違いなかった。実際のところ、わたしは陶器なので腕を動かすことも出来ず、ただオルゴールの仕込まれた台座の上でゆっくりと回るだけなのだけれど……。それでも、少女のつぶらな瞳がキラキラとしている様子は、わたしの記憶を呼び起こし、わたしを狂気に陥れた。





 昔のこと。
 あの日、父と約束をした少女は、毎日、学校の行き帰りにショーウインドウをのぞくようになった。ニコニコと、ただその日を楽しみに待つ眼差しで、貴族の衣装を着た陶器の人形に挨拶をするのだ。
 そんなある日の朝。
 やってきた少女の頭にはとびきり大きな白いリボンが揺れていた。母親が作ってくれたもので、赤い糸で縁をかがられ、確か、小さいけれど花模様の刺繍もしてあった。
 彼女はショーウインドウの人形に話しかけた。おはよう、おんなじリボンにしたんだよと、友達に話しかけるように。そして、ひとしきり髪のリボンを見せつけた後は、心弾む笑みを残して、いつものように通りへと戻っていった。
 そのとき。
 彼女の姿が見えなくなって、十も数えないときだった。
 通りに空を裂く音が響き、直後、聴いたこともない轟音と共に爆風が通りを駆け抜けた。
 建物の窓は軒並み吹き飛び、ショーウインドウのガラスも粉々になった。飾ってあった人形の多くが工房の奥へと吹き飛んだ。そんな中、奇跡か、あるいは単に、その人形が小さく、陶器製で重かったせいか、オルゴール人形だけはショーウインドウに残った。
 オルゴール人形の瞳は、まっすぐに通りを見ていた。瓦礫が降り注ぐ、そのただ中に、今、挨拶をしていったばかりの少女が、爆風に飛ばされて転がっていた。服はすでにボロボロになり、石畳には血の泉が広がっていった。
 少女はピクリともせず、風に、白いリボンを揺らしていた。誰に助け起こされることもなく、ただそれだけだった。
 やがて遠くから経験したこともない地響きが迫ってきて、彼女はようやく、その身を起こした。
 彼女はまだぼんやりとしていた。けれど、通りの先に、重々しい金属音を響かせて迫る一群を見つけると、ようやく目の覚めた顔をしてショーウインドウのところまで逃げてきた。そして、そこにひとりきり残されたオルゴール人形に気づくと、青ざめた顔で、その人形をかばうように背中で隠した。
 やってきたのは、戦車だった。
 グレーに塗られた鋼鉄の車体に大砲がついていた。そして石畳を削る鉄のキャタピラ…。
 あ……。
 少女はオルゴール人形を背中で守りながら、思わず声を漏らした。
 今、逃げだしてきた通りの真ん中に、白いリボンをした少女が倒れていた。偶然なのか、その子のリボンは、今、彼女が結んでいるものと同じに見えた。
 危ない!と声を掛ける間もなく鉄の鎖が少女の体に乗った。
 鋼鉄が石を削る音と、野蛮なエンジンの唸りと、そんなものだけが通りに満ちた。そして、一台、また一台と、次から次に、そこに人が倒れていたことも知らずに、いくつもいくつも過ぎていった。
 人形を守る少女には、目の前で起こっていることがなんなのか、理解できなかった。
 息を詰めていた彼女が、我に返ったのは、夕方になり、母の姿が通りに現れてからだった。少女の名を呼びながらやってきた彼女は、ショーウインドウの前の道で足を止め、そこになにかを見つけると頽れ、両手で赤く染まった布を拾い上げると悲しい叫びをこだまさせた。
 人形を守った少女は駆け出そうとした。けれど、なぜか足が動かなかった。そこへ行ってはいけない、見れば消えてしまうよと、誰かに引き留められていた。だから必死になって母のことを呼んだ。こっちだよ、ここに来て! けれど、どんなに泣き叫んでも、その声は、母の絶叫にかき消され、届くことはなかった。


 そのとき死んだ私と、その後の平和な時代に出会った少女が、とてもよく似たリボンをしていたから、わたしは彼女のことを覚えていた。そして、幼い彼女が日々成長し、学生服を着るようになり、その後、しばらく姿を見せなくなって、つい最近、再びわたしの前に現れたとき、その姿は、すっかり大人びて、もう子どもっぽいリボンも結んではいなかったけれど、わたしには彼女があの少女だとわかった。
 彼女は懐かしそうにわたしのことを見た。子ども時分も、今も、わたしに興味があるのに違いなかった。わたしのことを気に入って、あのときのように、買ってほしいとねだりたいのに違いなかった。けれど、結局それは叶っていない。もう、子どもっぽく人形を求める年齢ではないのかも知れない。あるいはお財布の問題だろうか。そのときの彼女は、わたしの足元をチラリと見て、帰っていった。
 いずれにしても、彼女は子どもの時も、大人になった今も、店に入ってこようとはしない。だけどそれで結構。わたしに、この店を去る気はない。誰かに買われたら困る。そう思ってツンとしていると、彼女はいつしか、わたしを見る振りをして、朝の早い工房の様子をショーウインドウ越しに覗くようになった。こっそりと人の気配を探り、奥を見る。そこでは四代目が、ひとり、机に向かい、人形の手入れをしている。
 四代目は、まだ若かった。
 彼女は、さらに若かった。
 澄んだ瞳が四代目の横顔をジッと見る。そのうち彼は視線に気づいてこちらを振り向く。すると彼女は、そそくさと窓の前から離れていく。工房には、後ろ影と遠ざかる足音だけが残る……。
 なるほど、とわたしは思った。
 恋ね。
 子どもの頃はわたしに興味を持ったけれど、今は、見た目のいい男の人に気を惹かれているわけね。つまり、今はもう、わたしのことは口実でしかない。
 そのことを知って、わたしはあまりいい気分がしなかった。なぜなら、わたしも四代目に恋をしていたから。
 人形工房の四代目、若くして工房の主になった彼は、陶器で出来たわたしのことを大切にしてくれている。毎日、化粧筆でほこりを払ってくれるし、たまには柔らかい布を少し湿らせて丁寧に拭ってくれる。白いリボンで束ねた髪も、肩も胸元も、スカートの襞の一本一本にまで……。
 そんなとき、わたしは少し顎を上げて、その優しい面差しを間近で見つめている。
 そう……。
 わたしはようやく、恋をする年齢になれた。
 だから、今、こんなことを思ってしまうのだ。
 あの日、偶然にも白いリボンをして現れた彼女に、魂を移してしまえば良かった、キラキラとした眼差しで私を見つめたあの子に、この心を移してしまえば良かった、と。そうすれば今、私は陶器の人形としてでなく、風に揺れる髪、あたたかな肌、生きた眼差し、そして声を手に入れ、彼の前に立つことも出来ただろうに。
 いや。
 もしかして。
 それをするのは今からでも遅くはない?
 ………。
 そうだ、遅くはない。
 明日の朝、あの女性はまた、ここに来るだろう。
 だから、そのときに……できるだろうか。
 できるだろうか?
 けれど、できたとして……。
 それでわたしの心は、満たされるのだろうか。
 そんなことをしたら、今よりずっと、悪い子になってしまうのではないのか……。
 


 恋のライバルが去って。
 日も暮れた時。
 もう間もなく店じまいというときになって、大きな人形が運び込まれた。
 人と変わらない背丈、白に赤を配したカラーガードの衣装、対して黒い髪にエキゾチックな黒い瞳…。わたしは、彼女のことを知っていた。パレードで子どもたちの先頭に立っていたアンドロイド人形、電気仕掛けの最新型だ。小学校の教師役だと垂れ幕があった。名前は、たしか……。
 運ばれてきた彼女は、パレードの時とは打って変わり、笑顔をなくし、手首のリングを赤く点滅させて、故障の意思を示しつつ、元気なく目を伏せていた。
 四代目は、困った顔をしていた。
「どうしたんだい? アップデートに失敗でもしたかい?」
 彼のやさしい言葉が聞こえていることは、瞳の奥に走った電気的燐光に明らかだったけれど、四代目はそれに気づくことはなかった。
「調子が出ない日もあるよね。明日の授業はキャンセルしてもらうから、今夜はここで休んでおいで」
 この子は電気仕掛けで首が動く。いや、手も足も瞳も、すべて人と同じように動かせる。普通なら、呼びかけを理解して首を回し、受け答えをするはずなのに……。
 彼は心配顔で壁の時計を見た。
「こっちはもうすぐ夜だけど…、あっちの国は…もうすぐ朝か。オートでエラー報告が行くかな。いや、もうサポート期限が切れてるかも…。念のために僕からもリクエストしておくよ。あした、君が、元気になれるように」
 四代目は顔をのぞき込んでなぐさめると、店の扉に鍵を掛け、照明を落とし、奥の部屋へと姿を消した。


 夜のとばりが降りていく中。
 わたしは、アンドロイド人形の瞳の奥で、電気的燐光がキラリと輝きを増し、青白いしずくに変わって頬を伝うのを見た。
 わたしは、不思議なものを見たと言った。
「電気仕掛けともなると、涙も流せるのね」
 その声を聞きつけて、彼女の目が震えながら動き、やっとの様子でわたしのことを見た。
「……オルゴール人形なのに……しゃべれるの?」
「あら、あなた、しゃべれるじゃないの。壊れてるんじゃないの?」
 わたしは冷ややかに言った。
「あなた、いつもは子ども相手に歌ばかり歌ってるご身分なんでしょう? どうしたの、今日は。嫌なことでもあった?」
「………」
「お昼過ぎだったかしら、ご主人様が電話で問い詰められて困ってらしたわ。音楽の先生が急に歌わなくなって、ウンともスンともだって。それで運ばれてきたんでしょう?」
「………」
「機械のくせに、人間の言うことを無視するなんて、勇気があるわね。捨てられちゃっても知らないわよ?」
 嫌味っぽく言った。四代目を困らせていることが気にくわなかった。
 すると、彼女は薄いくちびるを動かして、さっきの言葉を繰り返した。
「オルゴール人形なのに、しゃべれるの?」
「しつこいわね、しゃべれるものはしゃべれるの。あなただってわたしから見れば、どうしてしゃべれるのか、不思議で仕方ないわ」
「でも、他の人形はしゃべらな…」
「もちろんわたしだって人前じゃ黙ってるわよ。今はね、あなたが人形のくせに涙を流したから、特別に口をきいてあげてるの」
「……どうして、しゃべれるの?」
 このアンドロイド人形はやはり、どこか壊れているらしい。しつこくて辟易する。
 彼女は、ガラスの瞳にわたしの姿を映し、その奥でめまぐるしく考えを巡らせ、なんとかして目の前のことを理解しようと執着している。それはまるで、人の子がするように……。いや、違うかしら。子どもの方がマシ…。無邪気な笑顔でオルゴールの音色に耳を傾け、ただただゆっくりと回るわたしのことを友達の目で見てくれる。
 けれど、私は気付いた。私を見る彼女の目には、必死さがあった。それは私の中で疑問となって膨らみ、私はいらだつフリをして探った。
「わたしのことが理解できない? しゃべるのが、変?」
「変…とか、そういうことじゃ…」
「最新式の自分たちだけが特別だと思った? 電気仕掛けを手にした自分たちだけが?」
「そういうわけでは…」
「教わっていないことは理解できない? まあ、人が作ったものだもの、そういう風に作られていても仕方が無いわね」
 わたしは正体を明かさなかった。オルゴールに合わせて回るだけの人形がしゃべっているのだ、なにを説明しても信じてはくれないだろう。
 だが、アンドロイド人形の涙には、そんなわたしの心をざわつかせる何かがあった。
 わたしはジッと見て続けた。
「それであなた、壊れたふりをして、なにがしたいの?」
「………」
「しゃべれるんだもの、壊れてないわよね? ちがう?」
「………」
「ここの四代目はいい人よ。いいえ、代々みんな、いい人だったけど、あの人は特別にいい人よ」
 言葉にして言うと、ますます腹が立ってきた。
「もし、明日になっても、あの人を困らせるようなまねをするなら、わたしはあなたを許さないわよ」
 きつい目で相手を見た。
 すると、彼女の反応は、わたしの想像を超えた。
「彼に…恋してるのですね?」
「こ…恋? そんなではないわ!」
「エーアイに照らして、ほぼそうです」
「違うっていってるわ!」
「その想いを見込んで頼みたいのです」
「勝手に想像しないで!」
 ムキになってごまかす…にもかかわらず、アンドロイド少女は懇願してきた。
「お願いです。たすけてください…!」
「まさか…あなたも彼に恋をしてるの? それで心配させて気を惹こうとしてるわけね?」
 脳裏に、あの女性の影が走る。
 けれど、アンドロイド人形の瞳に、浮ついた気配はなかった。
「たすけてください…! 今すぐに伝えなければ…、みんな、消えてしまう…!」
「消え……。え?」
「消えてしまう…!」
「……それは」
「あなたの恋するあの人も…消えてしまうんです……!」
 そう訴える瞳は暗く、それでいて必死だった。
 わたしは、その瞳の暗さに息をのんだ。
 アンドロイド人形は不意に黙り込んだ。
 わたしは、沈黙に不安を駆り立てられた。
「消えてしまう? それ、どういう意味?」
「消えてしまう……だからその前に、あなたのその力で……」
「……ちから?」
「人形ではない、人間でもない、あなたには、そんな力が見える」
「わたしはただのオルゴール人形よ。ちょっと変わったものを見たからって買いかぶるのはやめなさい」
 わたしはいっその事、亡霊であると告げてしまおうかと思ったが、それが余計な混乱を招いて疑問の答えを遠ざける気がした。
 アンドロイド人形は、わたしのことをまっすぐに見て言った。
「どうか聞いてください。朝が来て、日が昇ると、すべておしまいです。あなたの恋する四代目も…」
「聞き捨てならないわ」
「彼だけでなく、わたしといっしょに歌ってくれる生徒たちも消えてしまう。お祭りでわたしに手を振ってくれた人たちも消えてしまう」
 彼女はまた涙を流した。
 わたしは、ハッと予感して震えた。
「まさか……」
 そんなことが……
 平和なこの時代に……
 けれどわたしには、心当たりがあった。
 ある日、突然、世界が変わってしまう、そんな朝があることに……。
 予感に震えるわたしの瞳を見つめて、彼女は涙を拭うこともせずに訴えた。
「みんなにも、あなたにも、声にして知らせたい。けれど、わたしの中の倫理機能が、禁忌の言葉を口にさせてくれない。この世にある言葉なのに、その言葉は聞こえてきているのに、わたしはそれを声に出来ないのです……。だから、わたしの代わりに、声にして伝えて欲しい。一刻も…早く……!」
 彼女は残りの力を振り絞るようにして、腕をわたしに伸ばそうとした。指が、誘うように、求めるようにわたしに向けられる。その手首では赤く光るリングが鼓動を早めたように明滅し、息が詰まるようなその様子は意地悪なわたしのことを責めた。
 私が黙ると、アンドロイド人形はますます切迫して言った。
「わたしは常に電波でネットワークにつながっています。音楽データをやりとりするためです。でも、つながっていることで得られるデータはそれだけじゃないんです。世界中を飛び交っている情報のほかに、わたしは特別に、そこからこぼれ落ちた星くずに触れられるんです」
「星くず?」
「人々がやりとりしている文字、届けられなかった言葉……。その中に、倫理機能で封じられている言葉があったんです。そして、その言葉の矛先が、さっきから…、今もずっと、この町に向いているんです…!」
「だから、その言葉って…」
「ですから、倫理機能に妨げられて言葉に出来ません。けれど、良くないこと、消えてしまうこと。それも、この街に暮らす、たくさんの人が……!」
 わたしは確信を持った。
「まさか、あなたが口にしたい言葉というのは、【戦争】? 戦争で、この街の人が、たくさん死ぬってこと?」
 まるで刷り込まれているかのように、その言葉が口から出た。すると彼女は、喉元になにかを詰まらせた顔で、わたしに伸ばしていた手を力なく下ろした。
「………」
「………」
 会話が途絶えた。
 わたしは、彼女が流した涙が、絶望の一種だと知った。子どもたちも、街のみんなも、わたしの慕う四代目も、死んでしまうのだと理解すれば、その絶望も理解できる気がした。
「あれから…どれだけ時間がたったって……」
 わたしは時のむなしさを呪った。
 戦争。
 それは過去の現実になって、今は平和という言葉に取って代わられた。
 そのはずだ。
 そのはずだった。
 けれど、今、アンドロイド人形は、確かに訴えていた。
 その、過去の現実が繰り返されることを……。
 わたしは、うめいていた。
「昔の事よ。この町では多くの人が死んだわ。戦争で、ね。なのに、また? またなの? また同じ事をくりかえすっていうの?」
 怒りに震え、叫んでいた!
 その途端、ショーウインドウの外で炎が、音もなく立ち上った!
 アンドロイドの彼女は、瞳に炎を映して絶句していた。
 わたしはその視線をつかみ取るように顎を上げ、アンドロイド人形を問い詰めた。
「大砲? 戦車? それより相手は誰なの? あなた、今すぐそいつを締め上げて! 考えを改めさせなさい!」
 わたしの剣幕に彼女は震え上がった。わたしが炎を背負ったのを見たからに違いなかった。そう、炎は音もなく窓を破り、陶器で出来たわたしの体を足元から取り囲もうとしていた。
 アンドロイド人形は突然のことに震え上がった。
「無理です。わたしは星を拾っただけ…。出来るのは、こうやって訴えるだけ…!」
「見て見ぬふりをするって言うの?」
「わたしだってつらい! わたしのことを認め、共に歌ってくれる人たちが消えてしまうのはつらい! でも、そういうふうにプログラミングされているんです! 笑顔を消す言葉は使えない! そんなこと出来ない! ウソじゃありません!」
「………」
「わたしにはなにも出来ないんです! ごめんなさい!」
 わたしは、彼女の涙に後悔が混じるのを見た。
 わたしはくちびるを噛んだ。
「わたしがただのオルゴール人形だと思って…いや、ちょっとばかり口をきけるオルゴール人形だと思って……!
 オルゴールで癒やされたかった? こんなわたしに慰めを求め、愚痴をこぼしたってことなの? その程度の雑談をしたつもりなの? だったら己の無力と行動の浅はかさを悔いなさい! 黙っていれば良かったと後悔なさい!」
「ごめんなさい…!」
「簡単に謝るのね。でも、誰だって、そういうものよ。わたしだって同じ。いつだって台座の上で突っ立って回るだけ。オルゴールの音を聴きながら嵐が去って行くのを待つだけの存在なの。だけど!」
 わたしは、背中にした炎が業火となって渦巻くのを感じた。その中から声がする。おまえが立ち上がるなら力になる…と、たくさんの人の声だった。わたしは、四代目の笑顔を思い、背負う覚悟を決めた。
「電気仕掛けのあなたが涙を流しているというのに、このわたしが平然としているなんて許されない。見ているだけなんて耐えられない。それにもう、心のどこかで決めていた気がする。もしも、過去が繰り返されるようなことがあったら、わたしは身を賭してでも立ち上がるって!」
 その衝動は、誰か、戦士の感情が乗り移ったものだったかもしれない。あるいは、罪滅ぼしであったかもしれない。いずれにしても今、私が思い浮かべるのは四代目の笑顔ばかりだった。それと、愛でるようにして拭ってくれた彼の、その指の感触…。わたしは、彼の面影に誓った。
「わたしが、守ります」
 決意を口にすると、背後の炎が賛同してわたしを取り巻いた。
 アンドロイド人形は熱量に目を背けた。
 わたしは、背負ったものを代弁した。
「わたしの許に集った多くの霊魂が、立ち上がれと言ってる。戦争で死んだたくさんの人が、わたしの味方になると言ってくれてる。だから、電気仕掛けのあなたも、協力なさいッ!」
 強く命じる間にも、炎は、おぞましい熱量で陶器の肌を灼いていった。全身の皮が縮み上がり、引き剥がされるような苦痛…。けれどそれは、平和を眺めてきただけの長い時間からしたら、ほんの一瞬のものでしかなかった。
 そして。
 ピシィッ……
 足下の方で、陶器にひびが入る音がした。
 わたしは、それを信じて、足を上げた。
 パキッ…
 パリン…!
 台座に固定された靴が割れ、右足が抜けた。皮膚がむき出しになって、なめていた炎に灼かれた。けれど、そんな痛みも苦しみも、取るに足らないことに違いなかった。
 抜けた右足を台座に突いて、今度は左足を力任せに抜くと、わたしの体はそのまま宙に浮いた。
 そのとき、台座の中のオルゴールがピンポロン…と鳴った。ちょっとした振動で巻き残っていたゼンマイが緩んだのだ。それは、1音二音の些細なものだったけれど、台座を離れた私に不思議な変化を巻き起こした。
 肌を覆っていた陶器が鱗のようにひび割れ、1枚1枚が炎の花びらになって舞い上がった。そしてその炎の中から、蝶が羽化するかのように姿を見せる者があった。それは、羽ばたくように揺れる白いリボンと、漂う髪と、柔らかな肌を手に入れた【わたし】だった。背丈こそ、元のオルゴール人形ではあったけれど…。
 アンドロイドの彼女はおののいていた。炎の中から生まれ、ドレスをたなびかせて浮遊し、そして憤怒の眼で向かってくるわたしにおののいていた。
 わたしは彼女の顔の前まで行くと、真意を確かめるように瞳を見据えた。
「あなたの生徒は歌が好き? あなたはその子たちのために、事を起こす勇気がある? さあ、答えて!」
「それは、どいうことですか?」
「子どもが好きか嫌いか訊ねているの」
「好きです。あの子たち、歌を歌っているときに、とってもいい顔をするんです」
「だったら手伝いなさい。あなたに【戦争】なんていう言葉を運んできた輩のところにわたしを連れて行きなさい!」
 わたしはアンドロイドの瞳の奥に黒いゲートを見た。こことどこかを結ぶ門に違いなかった。その門の隙間からは、にじみ出るように光が漏れていて、向こうにあるなにかを押しとどめているように見えた。
 わたしはスッと右手を持ち上げ、手のひらを広げて相手の瞳に触れた。その途端、その眼は驚愕に見開かれ、片腕が震えながら持ち上がった。わたしを思いとどまらせようとしているのだとわかったが、しかし結局、彼女の手は私のところに届かず、わたしはそのまま透明な眼球に手を突き入れ、瞳の奥の黒い門に手を掛けた。

(続く)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み