第4話:阪神淡路大震災、サリン事件

文字数 2,106文字

 事件後にマスコミを中心に「松本サリン事件に関する一考察」と言う怪文書が警察やマスコミに送りつけられた。それには宮崎県資産家拉致事件の被害者が教団に監禁されていた時「教団が毒ガス攻撃を受けているから外出は許可できない」と言われた事を教団と毒ガスの接点として紹介した。そして当時聞きなれない言葉であった「サリン」の解説。亀戸異臭事件などに触れ、オウムがサリン製造ないし入手能力を有する事と河野の無罪を主張した。

 サリン噴霧の方法についてはドライアイスと有機溶剤を利用した時限爆弾方式ではないかと推測された。後述のサリン残留物発見スクープ後の「追伸」では、もし地下鉄や東京ドームなどでサリンが撒かれた場合大惨事になりうると警告していた。この警告は後に地下鉄サリン事件として現実となった。作者は、不可解な名前を使い、後の怪文書で河野義行が可哀想なので書いたと述べていた。

 その後、「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書がマスメディアや警察関係者を中心に出回った。この文書は冒頭で「サリン事件は、オウムである」と言及するなど一連の犯行がオウム真理教の犯行であることを示唆したものであった。この年の夏は、猛暑によって全国各地で水不足となり東京で気象庁の観測史上最高温度の39.1度を8月3日に記録した。10月13日、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した。

 1994年12月3日、ソニー初の家庭用テレビゲーム機、プレイステーションを新発売した。12月10日、羽田内閣退陣で下野。新生党、公明党、日本新党、民社党等が合流し新進党を結成した。1995年が明け、1月17日、明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の直下型大地震、阪神・淡路大震災が発生。最大震度7を記録し6434人の死者を出した。その他、多くの建造物が倒壊するなど神戸、淡路島で甚大な被害を出した。

 1月下旬、千葉末吉は、父と同じN証券に一緒に行き千葉末吉の証券口座を開き父から100万円を借り自分口座に入金した。父と同じ担当者に挨拶して投資のアドバイスをしてくれるようにお願いした。2月初旬、千葉末吉も今年4月に千葉大学経済学部を卒業となるが、まだ就職先が決まっていなかった。そこで父に相談した。父は千葉裕富の旧友で成田Y牧場のオーナーの殿村賢造が優秀な経営経理のできる若手が欲しいと言っていたのを思い出した。

 そこで息子の千葉末吉を殿村賢造に紹介しようと考えた。その話を千葉末吉に話すと大都会は性に合わないから、その牧場の仕事に挑戦してみたいと答えた。それを聞き2人で成田Y牧場を訪ねようと電話をすると歓迎すると言われ出かけた。指定された日に成田Y牧場へ行くと殿村賢造が出て来て3人で馬や牛を見に行った。千葉末吉は、幼い頃から農耕馬や牛の世話をしていたので慣れていた。

 その後、3人で話し合い、殿村賢造が千葉末吉が大学で勉強した事について質問し、千葉末吉が答えた。その話の中で千葉末吉が事業は従業員のためにも健全な経営が欠かせないと強調すると殿村賢造がその話を気に入った。もし経営が失敗したらと聞くと多角経営で穴埋めできるようにすると答えた。その話を聞いて工夫して利益を生むシステムを作ると言うことかとオーナーが聞いた。

 その通りプロの経営者は、本業が時代の流れで厳しくなっても補って経営を続けている。それを実践するだけですと豪語した。この話を聞いて殿村賢造が実に頼もしいと言い、是非、この牧場の経営向上のために尽くして欲しいと告げた。千葉末吉が就職試験は、いつですかと聞くと君の大学での成績は、平均以上かと聞いた。千葉末吉は、念のため大学の成績表を持参したので殿村賢造さんに見せた。確かに良い成績だと感心した。

 千葉大学の卒業式が終わったら、できるだけ早くこの牧場に来てくれと言われ宿舎は用意しておくと言われた。こうして、成田Y牧場に就職することが決まった。1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生した。オウム真理教による一連の凶悪事件が次々と明るみに出てオウム真理教教祖の麻原彰晃が逮捕された。その後、千葉末吉は1995年4月3日から成田Y牧場に入り従業員達に挨拶して回った。

 その後、殿村賢造さん経理の資料と収支決算表を見せてもらい自分の部屋で、じっくりと眺めた。そして、牧場の売店の人、動物の飼育が係の人達と改善点について話し合った。特に収益を上げるためには売店での販売する商品の種類を増やすべきだと訴えて売れる新商品を考えるように指示した。千葉末吉は、とにかく牧場の全ての従業員に改善点を聞いて回った。そして自分の事務室を作ってもらい収支向上作戦を練った。

 その結果、売店でのアイスクリームの種類を増やすこと、馬との記念写真の額に入れて売るサービスなど新しいアイディアを出した。仕事は、朝7時から始まり、8時半から9時半まで休憩後、12時から12時半、昼休みで17時半で仕事が終了。しかし、その後も自分の部屋でパソコンを使い経営管理のためのデータ入力、処理で、自分の部屋で夕食を食べ、風呂に入って23時頃、就寝、朝6時起床の生活を続けた。
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