第17話つくばの研究所へと異動になった

文字数 2,991文字

それから2週間が経ち、俺は通常の業務をこなしてはいたのだが、常に心の中での迷いに押し潰されそうになっていたのである。
その迷いとは、こうであった。
「是非とも不思議なマリモの 中に含まれている特殊な成分を使用して、難病に効果のある新薬を開発してみたい。
しかしその為には、ここの第二研究所ではなく最新の実験研究設備が整っている、つくば市にある第一研究所へと異動しなくてはダメだ。
だけど俺は、この北杜市にある第二研究所へと来てからまだ半年余りしか経っていない。
こちらへ来る時も自分のわがままを聞いてもらい、転勤してきたという経緯もある。
それなのにまた、自分の口からつくば市にある第一研究所へ異動させて下さいとは、口が裂けても言えない。
さあ、これは困ったぞ」

その後も俺はもどかしい日々を過ごしていた。
そして暫く経ってからの事であった。
朝、いつものように総務課へと出勤した時に、研究室長から大至急会議室へ来るようにと呼び出しが掛かったのである。
おれは急ぎ足で向かい部屋へと入ってみると、室長からいきなり
「小林くん、また異動だ。それも社長命令だ。つくばにある第一研究所へだ」
と立て続けに言われた。
俺はそれを聞いた時、最初のうちは呆気にとられていたのだが、徐々に喜びへと変わり、そして詳しい説明を聞いてみた。
するとその内容とは、こうであった。
先月に行った不思議なマリモの分析結果を踏まえて、その内容を重役会議に諮ったところ、もっと詳細な分析と、それを使用した新薬開発の為のプロジェクトチームを立ち上げるようにとの命令が下ったのだそうだ。
そのチームは、つくばの第一研究所で旗揚げをして、発見者の小林君も参加させるようにとの社長命令も含まれていたのだと言う。
「小林くん、これはそうとう社長からも期待されているぞ。
今の社長は研究者出身で現場からの叩き上げだ。
今回の不思議なマリモの分析結果を見て、何か閃くものがあったんだろう。
小林くん、当然行ってくれるよな?」
俺はその問い掛けに二つ返事で承諾させてもらい、そして心の中で沸々と喜びが湧いて来るのを感じていた。
「これで俺の夢に一歩近づくことが出来る。
姉の無念さを晴らす日もやって来るぞ」
とも思っていた。

それから2週間後の11月中旬、茨城県つくば市にある第一研究所への異動の前日となった。
「たったの7ヶ月余りの期間では有りましたけれど、大変お世話になりました」
午前中に総務課、そして午後からは研究室の仲間たちの前で挨拶を済ませた。

翌日、俺は少ない荷物を自分の車に積み込み、寮を出発した。
中央高速道から圏央道へと入り、つくば中央ICで降りて茨城県のつくば市に到着した。
今回の異動先でもあるつくば市は、研究学園都市という別名も付くほどで大学は勿論、官公庁の研究所及び筑波宇宙センターも有るなど、最先端を行く研究都市である。
また街中にはショッピングセンターや賃貸マンション等も多数整っており、住みやすい街としての顔も持ち合わせている。
そこで俺は独身時代以来となる一人暮らしも気楽でいいなと思い、会社の寮には入らずにワンルームの賃貸マンションを借りることにした。

そして週が明け俺にとっては、また新たな門出の日となった。
朝起きてカーテンを開けると、雲一つない11月の濃い青空が広がっていた。
「今日からは研究者一本でやっていける」
それはそれで嬉しかったのだが、また新たな職場でもあり、仲間たちと実際に会うまでは緊張と不安と期待感、それら色々な感情が入り交じっていた。
賃貸マンションから研究所までは徒歩でも10分足らずである。
その途中にはコンビニや牛丼チェーン店もあり、これからは牛丼屋の朝定食が定番になりそうだ。
そこで俺は早速入ってみた。
「いらっしゃいませー」
女性店員の元気な挨拶に気分も良くなり、俺は納豆定食を注文した。
モグモグ、モグモグ、心なしか今までに食べてきた納豆よりも旨く感じた。
「流石に茨城だ!そんなこと無いか、チェーン店だもんな。
何処で食べても同じ味か、アハハ」
その後、俺は新たに発行してもらったIC付きの社員証を手に取り、正門脇にあるレシーバーにかざし、ピッピッという音を確認してから構内へと入っていった。
前回に来た時にも驚いたのだが、北杜市にある第二研究所とは規模がまるで違う。
研究棟は全部で8つも建っており、従業員の数も総勢で800名以上はいる。
俺は新たな所属先でもある応用研究課の入っている、H棟の3階へと向かった。
そのH棟は建物の中では一番新しく、また最新の設備も整っており、第一研究所の中では中枢を担っている場所だとも聞いている。
その内部にはDNA解析装置を始めとして、遺伝子医療及び細胞工学には必要な、人体の全ての情報を知りうる体制が整っているとの事であった。
俺はエレベーターで3階に向かい、集合場所に指定されていたミーティングルームへと始業前に入っていった。
するとそこには既に、選抜されてきた6名の精鋭たちが白衣を着て座っていた。
俺は緊張のなか、軽く会釈をしてから一番手前の椅子に座ろうとした。
するとその内の一人が近づいてきて、俺に白衣を手渡してくれた。
俺にとっては、そこに居る6名全員が初見でもあり、そのまま沈黙と緊張感のなか、数分間を過ごす事となった。
その後9時の始業を知らせるベルが鳴り、上座のホワイトボードの近くに座っていた青年が立ち上がり、自己紹介を始めた。
「おはようございます、わたくしは雨宮翔吾と申します。
年齢は37歳になります。
このたび会社の方から不思議なマリモに関するプロジェクトリーダーに任命されました。
ここに居る7名で力を合わせ、不思議なマリモの持っている、それこそ不思議な力及び薬効、そして様々な可能性を研究して行きたいと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します」
その後、次々と他の5人も自己紹介をしていった。
それによると俺以外の全員が、脂の乗り切った30代の中堅社員たちである事が分かったのだ。
もう53歳になってしまった俺は一人だけ場違いにいる気がしてきた。
そして最後に俺の順番となり、自己紹介をさせてもらう事になった。
俺が今までに辿ってきた経歴を、順序だてて話していったのである。
入社して以降30年間、丸の内にある本社で総務部での仕事をしてきたこと。
そして昨年、最愛であった姉を癌で亡くしたこと。
またそれをきっかけとして、研究所で働きたいという無謀な考えを会社に認めてもらったこと。
そしてそこからは不思議なマリモと出逢うまでの過程を、ホワイトボードを使い説明していった。
それを聞いていた6人の眼差しは眩しく感じられるほどであった。
この俺でさえ未だに不思議なマリモの実態に関しては疑心暗鬼の状態であるというのに、ここに集ったプロジェクトチームに選ばれた若き精鋭たちは、真摯な姿勢で取り組もうとしてくれている。
本当に頭が下がる思いであった。
しかし今回は社長からの期待も大きく、直々にゴーサインを出してくれた研究テーマでもある。
それ故にプレッシャーは掛かるのだが、その期待に応えられるよう精一杯頑張ってみようと、俺は気を引き締め直した。









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