第72話ハイハイの練習をさせてみよう

文字数 1,635文字

そして3人で真知子をベッドの上に移動させてから祥子が、サッシの窓を少しだけ開けてみた。
すると爽やかな秋風がカーテンを揺らしながら、病室の中を駆け回ったのであった。
そして祥子がそのカーテンを少しずらし、外の景色を眺めながら淋しそうに、こう呟いたのだ。
「寒い冬がくる前にマーちゃんを歩けるようにして、一緒に散歩がしてみたいなあ」
すると辰男は素早く、その祥子の言葉に反応した。
「さっき三澤さんも言っていたけれど、訓練すれば3、4日で歩けるようになるみたいだよな。
さっそくハイハイから練習させてみるか?
だけど、この床の上では痛そうだな。
そうだ、この近くにホームセンターがあったはずだ。
そこへ行って、適当なものでも探してくるとするか?」
すると祥子も
「じゃあ私も付いていく」
と言って、ふたりして買い物へと出掛けていったのであった。
そしてその約1時間後、二人は大きな荷物を抱えて帰ってきた。
それは長さにして3mほどもあるロール状の物であった。
それを見て驚いた梓が辰男に聞いてきた。
「なに、そんなに大きなものを買ってきたの?」
すると辰男が
「そうなんだ、ホームセンターのカーペット売り場を覗いてみたら、これが傷物として格安で売ってたんだ。
自宅で使うのには小さすぎるけれど、真知子のハイハイの練習用としては丁度いいやと思ってな」
と言いながら、梱包材である黄色のPPバンドを鋏で切り取り、そしてそのカーペットを床の上に広げてみせた。
するとそこにはピンクと紅の薔薇の花が描かれていた。
それを見て梓が言った。
「さすがにお父さん。
お母さんは、お花の中で薔薇の花が一番好きだったのよ。
よく覚えていてくれたわね、有り難う」
すると辰男は頭を掻きながら
「たまたまだよ」
と言い残し、満更でもない様子でトイレへと向かったのであった。
その後、夕食までにはまだ時間があったので、真知子にハイハイの練習をさせてみる事にした。
先ほど購入してきた4畳半ほどあるカーペットの上に、真知子をベッドの上から3人で支えながら、そこへうつ伏せの状態で寝ころばせてみた。
そして祥子も、その真知子の隣で、同じうつ伏せの状態となって寝ころんだ。
その後、祥子は真知子の右肩を叩き、自分の方を見るようにと促してから両手を使い、膝立ちの体勢までもっていく所を見せてみた。
すると真知子もその真似をして、一生懸命に頑張ってはみるのだが、なかなか上手くはいかなかった。
そこで辰男と梓が手を貸して、真知子の上半身だけを起き上がらせて、膝立ちの状態にまでもっていくことが出来た。
それを見た祥子は、今度はそのまま両手を下ろして四つん這いの体勢になり、真知子に目で合図をおくり自分の真似をするようにと促してみた。
すると真知子は膝の近くに両手を付いてから、片手ずつ交互に前方へと移して行き、そして最終的には祥子と同じ体勢にまでもっていく事が出来たのである。
それを見ていた3人から拍手が沸き起こった。
そしてその時、辰男は思った。
「やはり筋肉はまったく衰えてはいないんだ。
するとあとは自分の体を、どのようにして動かすのかというコツを思い出すだけなんだ。
いわゆる脳の活性化だな。
ああ良かった。
あとは時間が解決してくれる事だろう」
そのあいだに祥子が真知子に
「マーちゃん、私のあとをついて来てね」
と言ってから、そのカーペットの上を四つん這いになりながら、円を描くようにして進み始めた。
するとその後ろを母真知子が、真似をしながら付いていった。
そしてそのカーペットの上を、ふたりして一周した頃であった。
なんと祥子が急に歌い始めたのである。
「お馬の親子は仲良しこよし、いつでも一緒にぽっくりぽっくり歩く~
お馬の母さん優しい母さん、子馬を見ながらぽっくりぽっくり歩く~」
これには辰男も梓も大爆笑であった。
久し振りにふたりとも、涙を溢しながら笑い転げてしまっていた。


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