第6話:長男の結婚式と沖縄旅行

文字数 1,632文字

 利一が、木谷麗子さんとのなれそめの話を始めると、若手の忘年会の時に、始めて会い、2次会に行こうと引っ張られ、連れて行かれたと言った。それを聞いて、麗子さんが、私の方が利一さんを好きになって、お付き合いを始めたとつげた。その後、利一さんが私の思った通り、誠実で、優しい性格とわかり、結婚を申し込んだと告白した。それを聞いて、母の梅子が、昔から優しい子だったのよと誇らしげに言った。

 そして、結婚後、利一が、彼女の父の木谷寿光さんの三鷹の豪邸に住まわせてもらうことになっていると伝えた。結婚式は、2000年6月14日に明治神宮で神前式で行い、披露宴は明治記念館で行いたいというので、両親が了解したと答えた。その後、結婚式に招待するべき人の人選を両親と一緒に決め、その住所を書いていった。やがて6月14日、前日、柳生夫妻は。東京のホテルに泊まった。

 朝8時半に明治記念館で和服に着替えて、11時から結婚式に出席する人たちの打ち合わせして、結婚式に臨んだ。12時に結婚式を終えて、明治記念館に入り披露宴となり、祝電や余興、両親からの話などを終えて、15時に結婚式を終えた。

 2000年12月26日に、沖縄に柳生敦夫の両親と柳生夫妻の4人で出かけた。羽田空港、昼過ぎの飛行機に乗って、14時半に那覇空港に到着し、レンタカーを借りて、首里城近くの沖縄都ホテルにチェックインした。その日は、ホテルで夕食をとり、早めに床についた。翌日、レンタカーで、首里城に入り、駐車場から歩いて、最初に守礼門に行き、写真を撮った。その後、歓会門、瑞泉門、漏刻門、慶福門を経て首里城に入った。

 見学後、城壁から遠くに見える、那覇、沖縄の美しい景色を見て、多くの写真を撮ってきた。その他、首里城に関する資料館で、資料を見てきた。その後、レンタカーで、アウトレットモール・あしびなへ行き、お土産や買い物をした。そして昼になり、昼食を食べてきた。そこから、出来たばかりの沖縄県平和祈念資料館に行った。そこは、岸壁の上の眩しいばかりの緑の芝に、赤い瓦の屋根が特長の美しい建物だった。

 最初に、刻銘碑を見学して、戦死者の数の多さに驚かされた。その後、資料館内部に入ると、戦争の時の映像、写真パネルなど生々しい戦争の状況がわかり、みな無口になり、女性達は、涙をふきながら眺めて回った。30分で、疲れてきた様子が見えたので、外に出て、ベンチに座って休んだ。その後、レンタカーに乗って、糸満の素敵なホテルに入り、レストランで海を眺めながら、お茶して、休憩した。その後、15時過ぎに、ホテルを出て16時半に都ホテルに帰った。

 翌日は、朝9時にホテルをチェックアウトして、リウボウデパートへ行き、お土産を探して、買った。その後、泊港へ行き、港が見えるレストランで昼食をとった。そしてフェリーの発着を眺めてからレストランを出て、那覇空港へ行き、14時発、羽田空港行きの飛行機で16時半に、羽田に到着した。その後、車で自宅に18時過ぎに到着した。翌日は、近くの親戚達に、沖縄土産を渡して歩いた。

 しかし、不景気風が吹く、欧州、日本、中国、インド、他の新興国は、依然、低迷していた。世界でも投資熱がたかまり、世界中の国、大企業、投資信託がアメリカに集中投資した。ちょうど同じ頃、日本で東京オリンピックが2000年8月25日から9月6日まで、行われ、世界中でいけいけムードが、最高潮に達した。アメリカの株価指数は、過去最高額を連日、後進していた。

 ところが、大型のファンド「投資信託が、解約日を迎える日の45日前の2000年11月15日から、最高値を超えて、大型ファンド「投資信託」が確定売りを始め、コンピューターのプログラム売りが追随して、売りを出し、慌てて、個人や世界の年金が売り出した。そのため、アメリカの株価が急降下していった。それに追随して先進国、新興国株も12月1日には25%も下げて、下げが止まらなくなった。
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