第6話「天皇賞秋、JCへの序曲」(2020年ジャパンカップ予想編:その1)

文字数 3,644文字

「アーモンドアイ!!」
天皇賞秋のゲートが開くと源司は祈りの叫びをリビングの85インチの8K液晶テレビに突き刺した。
一着固定でアーモンドアイの三連単と馬単を握りながら、無事に発進したのに安堵する。
前田源司45歳がソファーで腰を構えると左側が騒がしい。

「よっしゃー!キセキ、いい出鼻だぁ」
嬉々とする稟音が天井に向け、ツインテールと拳を突き上げる。
馬券の中心に据えた二頭はスタートを懸念する場合がある。
五分の滑り出しで第一関門を突破した両馬を称える二人だ。
大の大人が安堵を零す源司の右で久美が微笑ましい表情を見せる。

「綺麗なスタートですねぇ」
競馬初心者の久美がポニーテールを揺らしながら両手を叩いて全馬一斉の発走に感心すると、源司と稟音が親指を立てて「その通り」と呼応する。

二十五年前を留めた初恋の人稟音と今の妻である久美が二十歳の姿で中年男と天皇賞を観戦中だ。
不可思議な状況がこの秋競馬から続いているが、源司は考えるのを停止させ目前の競馬を楽しむことにしていた。

レースはダイワキャグニーがハナを主張するが、ダノンプレミアムが叩いて先頭に立つと、短い直線から二コーナーを迎え二番手から二馬身離れてキセキが三番手を追走する。
逃げはしないが先行するのが嬉しい稟音が「行けーっ、ユタカーッ、キセキーッ」と源司の左隣でやたらと喧しい。
二つに纏めた髪を振り回す彼女の騒々しさに隣の源司と久美も苦笑するのが精一杯だ。

「キセキの直後にアーモンドアイか」
「最強女王様は好位置で清々しいねぇ」
源司の指摘に稟音も承知する、アーモンドアイの位置取りには納得だ。
その後にダノンキングリー、固まった馬群を過ぎた二馬身後方には、外クロノジェネシス、半馬身差で内はフィエールマン。
「まぁ、こんなもんだろ」
隊列を眺める稟音が軽く口笛を吹くと、レースは向正面をから三コーナーへと動く。

「1,000m60.5秒は少し遅いかなぁ」
「最後の直線で切れ味勝負か!?」
源司による直線での展開予想でリビングとレースに緊張が増す。
四コーナーへ進むと、先頭を行くダノンプレミアムと後続との差が徐々に縮まる。
直線に出るとダノンプレミアム先頭もキセキ、アーモンドアイが差を詰めて切迫した走りを見せる。
「このままだったら……」
右手に意気込みを握り締める源司に女子組も祈りを込めて点頭だ。
後方ではクロノジェネシスとフィエールマンが虎視眈々と外目を伺う。

「ダノンプレミアムちゃんっ、粘ってーっ!!」
フレアスカートをはためかせながら、高い声音の久美が先頭に友情応援を投げる。
「アーモンドアイーッ、追えーっ!!」
「キセキー、行けーっ!!」
両手でメガホンを作る源司と稟音が脚を使う二頭に大声援を送る。
府中の直線は長いと分かっていても思わず大きい声が出てしまう。
四百の標識を通過し、アーモンドアイにゴーサインが出ると直線を力強く駆け上がる。

「アーモンドアイーッ、!!!」
三人の絶叫に呼応する形でアーモンドアイが先頭に立つ。
クロノジェネシスが鋭い脚で突っ込んでくるもダノンプレミアムは二着を死守し続ける。
先頭アーモンドアイ、二番手ダノンプレミアム、三番手クロノジェネシスは源司の三連単と馬単、稟音の馬連の総取りだ。
「そのままーっ!!」
ツインテールを前後左右に煽りながらソファーの上を稟音が妖精のように飛び跳ねる。
ミニスカートの裾が揺れるのを横目になる源司が男の性を滲ませる。
「頑張ってーっ、ダノンプレミアムーッ!!」
ポニーテールを振り回す久美も両手を叩き続けてダノンプレミアムを鼓舞する。
絶叫する両脇の美女たちと眉に皺寄せる源司は85インチの8K液晶テレビに切願を撃つ。
「何とか、今のままで……」
腹の底からの湧き出る想いを無理矢理押さえ込む源司は口を真一文字にして祈る。
可憐な口から出る稟音の嘆願を切り裂くように、外から急追する一頭、フィエールマン!
休み明けで一頓挫?との話を嫌った稟音も源司もフィエールマンは一円も買ってない!

「ぴぎゃーっっっ!!!」
悪魔と天使が入り混じる叫喚がツインテールと共にリビングを乱舞する。
二番手に浮上したフィエールマンとクロノジェネシスが頂点に迫るもそこまでだ。
アーモンドアイが最初にゴールを颯爽と駆け抜けた。

「おめでとーっ、アーモンドアイ!」
感動を素直に表す久美が拍手しながら優勝したアーモンドアイを手放しで讃えた。
「G1八勝のレコード更新だ」
「三週連続で歴史が動いたねぇ」
源司も稟音も偉業を成し遂げて悠々と本馬場から引き上げるアーモンドアイに開手を打って、喝采だ。

「アーモンドアイはジャパンカップへ出走するのかねぇ?」
「コントレイルくんやデアリングタクトちゃんもいますよね」
「三冠馬三頭出走なら、凄いよなぁ」
興奮冷めやらぬ稟音が気も早く、次のレースに思いを馳せると久美も源司もジャパンカップへ引き込まれた。
三人は三強競演によるドリームマッチへ憧れを走らせる。

「それにしても、だ」
顔に影を差す稟音の一言が三人を現在へ連れ戻した。
競馬場の着順掲示版にはアーモンドアイ、フィエールマン、クロノジェネシス、ダノンプレミアム、キセキの順で馬番が点いている。
到達順位を一瞥したツインテールが翻ると源司に鋭い目線で、射す。
表情を曇らせる美魔女のような不気味な面持ちに源司は筋肉を強張らせる。
「久美ちゃん、レースの上りは!?」
突然、妖女に命令されると慌ててポニーテールを揺らし、スマホをチェックする。
口端を思いっ切り釣り上げる美魔女が男ににじり寄る。

「33.6秒ですぅ」
怯え震えるポニーテールにツインテールがゆっくりと上下した。
「だとするならば、クロノジェネシスとフィエールマンは多分32秒台の脚を使っているということだな」
推定33.1秒のアーモンドアイに肉薄した勢いならと稟音が人差し指を源司の鼻ズラへ指摘する。
強迫された男は仕方なしに小刻みに首を上下させ、圧迫から逃れようと捨て台詞を吐く。

「だから何だよ?稟音?」
「だからって、何だ?とは、どういうことだーっ!!」
二つに分かれた毛先を乱しながら飛び掛かり、両手を首に回す。
「源司、フィエールマンは「長距離砲」じゃあないのか?」
確かに今年の天皇賞春は上がりが36.0秒でフィエールマンは推定34.6秒だ。
消耗戦でゴール前、壮絶な叩き合いとなった春の天皇賞を三人は思い出す。
首を締め上げる稟音に源司は自身の手を添わせて、必死に逃れようとする。
「フィエールマンが府中の2,000mで推定32.7秒の脚を使えると分かってたら、馬券買ってるに決まってんじゃん!」
吠えながら稟音が手を離すと、咳き込む源司が顔を歪める。
稟音は男の肩を押さえ、怒りに任せて殿部を揮うと叫び倒す。
「何でそんな大事なコトを隠しておくんだよぉっ!」
知らなかっただけで隠していないという言い訳を耳にした真っ赤な顔が動きを激しくする。
「馬券取った人はフィーエルマンが32秒台繰り出せると見極めて買ったんかい!?」
馬券がハズレて、八つ当たりに近い言動で稟音はツインテールを振り回す。



「稟音ちゃん、スカート、スカートッ!」
素っ頓狂な声音で久美が稟音の後ろに廻り、必死にスカートを抑えにかかる。
激しい動きに翻弄される久美がポニーテールを浮足立たせながら稟音の腰にしがみ付く、が。
「おああぁっっ!!」
呻きは焦りを滲ませる美女二人が怪しげに下半身を揺らす。
バランスを乱した源司はソファーから崩れ落ちた。
反動で稟音も久美も後へ転がるように投げ出される。
時の流れと三人の息が一瞬止まる。
皆口々に身体への痛みを口にする。
稟音は全てに納得いかない渋面を滲ませ、爆発寸前で佇んでいた。

「ぶざけんなーっ!」
思いっ切り開けた咥内から出ずる稟音の咆哮はリビングルームを揺り動かした。
身体を竦ませて隙を見せる源司の脚を素早く襲い、器用に脚を絡め捕る。
源司の左膝付近に右脚の脛を上に乗せ、その上から稟音の右脚を被せる。
男の交差した脚が綺麗な4の字になる。
プロレスの大技、四の字固めだ。
「第一、六頭選んで四頭が掲示板に載って、アーモンドアイが一着になって何で馬券が取れないんだよーっ!!」
上体を起こす女子レスラーの叫びで技が締め上げられると、源司も悲鳴を響かせる。
「稟音ちゃん、止めなよぉ!」
久美が頬を紅潮させながら、稟音の肩を揺する。
「源司!ジャパンカップでは絶対に当てろよな!」
必死で鼓舞する彼女のプロレス技は完璧だった。

「11月28日、ジャパンカップ前日の土曜、昼頃に集合な!」
顔を赤らめる稟音の下知を分かったと源司は必死に頭を縦に振る。
「アーモンドアイがジャパンカップに出走したら応援するぞ!」
「コントレイルも出走したら、拍手喝采だな」
男は必死に願いを口にすると久美も愛らしさを表明する。
「デアリングタクトちゃんだって、いますよぉ」
心と脚の痛みと引き換えに実現したら「世紀の競馬」だとジャパンカップの予想大会に期待することで己の気持ちのバランスを取っていた。
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