文字数 4,217文字

 日が暮れるにつれ、部屋の中はだんだん明るくなってきた。天井自体が部屋の暗さを察知して発光する仕組みになっているらしい。
 天井の隅には小さな鏡も取り付けられていて、ぼくが部屋のどこにいても、角度を変えてぼくを映し出していた。魔女はこの鏡の目を通してこちらを見ているに違いない。
 そう確信すると、ますます腹がたってきた。棚に並んでいる魔物たちの白い骨と同様に、ぼくも魔女の玩具になってしまうのか。
 彼女に会ったおかげで、魔法使いのまがまがしさを改めて思い知らされた気分だった。たとえ彼女がハマの娘だとしても、彼女に頭を下げるのはごめんだった。オンをなおす方法があるなら、ハマにだって頼りたくないくらいだ。
 けれど・・。
 壁にもたれて座り込み、二三度深呼吸して考える。
 オン。
 ぼくは、どんなことをしてもオンを生き返らせたい。それができるのはハマだけらしい。オンの世界からここまで来て、ようやくハマの手がかりがつかめるかもしれないのだ。いまは、魔女の言うことをきくしかないと自分に言い聞かせる。魔女がハマのことを知っているならの話だが。
 窓の外はまったくの闇だ。厚い雲が月も星も覆い隠していた。
 壁ぎわでうとうとしていると、魔女が音もなく現れた。手にした盆の上には、パンとスープらしきもの。
「全然仕事をしないのね。骨を磨けといったはずだけど」
 冷たい声。ぼくは、肩をすくめた。
「一方的すぎる。約束した覚えはないのに」
「約束じゃないわ、命令よ」
 魔女は、ぴしゃりといった。
「選択の余地はないの。あなたの命はわたしが握っているわけだから」
「でも、あなたがハマのことを知っている保証はないんだ」
 魔女は、かすかに顔をしかめた。
「ハマを探して、どうするの?」
「あなたが魔法使いなら、ぼくの心だって読めるはずでしょう」
 ぼくは、挑むように魔女をにらんだ。驚いたことに、魔女はぼくから目をそらした。
 ぼくは、はっとした。魔女は、ぼくの心を読めないのか。
 そんな魔力は持っていない?
「あなたは、父親が魔法使いと言っていましたね」
「そうよ」
「お母さんは・・」
「人間」
 魔女の声は鋭かった。
「普通のね」
「あなたの魔力は・・」
「ないわよ、そんなもの」
魔女は、吐きすてるように言った。
「わたしは父の魔力を受け継がなかった。父がわたしに残したのは、この城と人間としては長すぎる寿命だけ。顔も知らないわ。もちろん、他の魔法使いのことも知らない。残念だったわね、坊や」
 魔女は、身をよじって笑い出した。ぼくは、なすすべもなく彼女を見つめた。
 結局のところ、彼女もオンと同じなのだ。身勝手な魔法使いに残された者たち。
 しかし、少なくともオンにはアオがいた。後からは、ぼくも。なのに、魔女は、ずっとひとりで生きてきたのだ。人間の血を引きながら、人間と交わることもできず、魔物たちの骨にかこまれて。
 魔女は、ぴたりと笑うのを止めてぼくを見た。
「なによ、その顔。同情するつもり?」
「同情なんてできませんよ。あなたに殺された魔物のことを思えば」
「結構ね。というわけで、わたしがあなたに教えられるものは何もない」 
 魔女は、ぼくに背を向けた。
「わたしに用はないでしょう。わたしも生きている人間はたくさんだわ。うるさくて、汚いだけ」
 魔女は、壁の扉を開けようとした。ぼくは、急いで追いすがった。たちまち、凄まじい力で突き飛ばされた。しばらく、息もできなかったほどだ。
 われに返った時には、扉はすでに閉ざされていた。
 朝がきて、また夜が来た。魔女は、もう現れなかった。ぼくは、彼女を完全に怒らせてしまったらしい。彼女の最も触れられたくない部分に踏み込んでしまったのだ。
 魔力を持たない魔女。彼女に父親のような力があれば、他の世界へも自由に行くことができただろう。この氷の城に、ひとり暮らすこともなかったはずだ。
 しかし、彼女にあるのは計り知れない時間ばかり。
 哀れだとは思う。魔物の骨を並べることでしか、孤独を紛らわすことが出来なかったのだから。とはいえ、魔物殺しを許すことはできないし、ぼくだって骨になるつもりはない。ここから抜け出さなければ。どうやって?
 魔女は、食事を持って行ってしまった。旅嚢の中の食料は、とっくに底をついていた。
 横たわって、なるべく身体を動かさないようにした。天井の鏡は、ぼくを向いたまま動かない。それをにらみつけながら、助かる方法を考えた。
 大蛇の卵が目に入った。大蛇はあれを食べて生きているのだから、ぼくも食べることができるだろうか。
 ちらと思って大蛇にすまなくなった。大蛇にも、卵を返してやりたかった。
 魔女が行ってから三晩が過ぎた。窓の外には、めずらしく月が見えた。ずっと天気が悪く、雲に覆われていたのだ。月は三日月から半月に近くなっていた。
 あの子供のことを思い出した。どうしているだろう。大蛇に卵を取り戻してやると約束していたが。月が隠れるとともに消えた子供。月界人?
 少しの間眠ってしまった。窓ガラスを叩く音で目が醒めた。
風の音ではなかった。誰かが叩く規則正しい音だ。
 まさか、あの子が? 
ふらつく身体を励まして、ぼくは窓辺に歩み寄った。ガラス越しに目が合ったのは、あの子ではなかった。ぼくと同じ年のころの少年だ。
 彼はにこりと笑った。考える間もなく、ぼくは窓をあけた。冷たい風とともに、少年はするりと中に入ってきた。
「きみは?」
「もっと早く来たかったけど出来なかった。天気が悪かったからね」
 いたずらっぽく微笑んでいるその顔は、あの子によく似ていた。髪の毛も同じ銀の色だ。
「あの・・」
「うん、月がふくらんできてぼくも大きくなったわけさ」
 少年はぼくの当惑にもかまわず、部屋の中を見まわした。大蛇の卵を見つけると、そっと抱え込む。
「こんなところにもう用はない。早く逃げ出そう」
 少年は片手に卵を持ち直して、もう片一方の手をぼくに差し伸べた。
 ぼくがその手を取った時、魔女が怒りをむきだしにして現れた。
「お待ち! どこへ行くつもりなの」
「あなたの手のとどかないところだよ」
 少年の手に引っ張られたまま、ぼくは窓をすり抜けた。魔女の罵りとも悲鳴ともつかない声を後にして、ぼくは少年とともに空を飛んでいた。

 大蛇は、涙を流して喜んだ。
 ぼくたちが横穴を出た後、自分の身体でしっかりと洞窟を閉ざし、魔女が入り込めないようにした。
 ぼくたちは、裂け目の上に並んで腰を下ろした。魔女の家から盗ってきたといって、少年は懐からパンとチーズを出してくれた。雪で喉を潤しながらそれを食べ、ようやく人心地がついた。
 雲のない夜空に、半月が浮かんでいる。ぼくは、あらためて月と少年を見比べた。少年は、くすりと笑った。
 「不思議そうな顔をしているね」
「きみは、あの子だよね。どうして・・」
「言っただろ。月が膨れたからこうなったって」
「満月になったら?」
「完全に成熟する。満月が欠けてきたら逆戻りさ。三日月のころは、また子供になっている」
 ぼくは、まじまじと少年を見つめた。
「月界人は、みんなそうなの?」
「みんな、というか・・」
 少年は苦笑した。
「地陸の人間が言ってる月界人って、ぼくひとりのことなんだ」
「きみだけ?」
 ぼくは、ぽかんとした。月の満ち欠けとともに成長したり、若返ったりする彼・・。
「月界王?」
「そう呼ばれるのは好きじゃない」
 彼は、あっさりと言った。
「〈月〉はぼくひとりなんだから、月界王もなにも、あったもんじゃないだろ」
 ぼくは、ますます混乱して、
「きみは、月にひとりで住んでいるの?」
「正確には、住んでいるわけじゃない」
 彼は、月を指差した。
「ぼくは、あれそのものさ。きみとこうしているのは、形ある魂みたいなもの」
「魂?」
「そう。だから自由に地上を行ったり来たりできる。昼間や、雲のかかっている場所は無理だけど」
 少年は、目を丸くしているぼくを面白そうに見つめた。
「驚いた?」
「話してもらえて、うれしいよ」
 やっとのことでぼくは言った。空に浮かんでいる月が、ひとつの生命体だなんてアオでも知らないに違いない。
「こんどは、きみのことを話してよ」
 〈月〉は言った。
「はじめて会った時から、きみは普通の人間じゃないと思った。なぜ、こんなところにいるの?」
 そこで、ぼくは語り始めた。オンの家で暮らしていた時のことから、此処に来るまでの出来事すべて。
〈月〉は抱えた膝に顎をのせて、じっとぼくの話に耳をかたむけていた。
「魔法使い・・」
 やがて彼は、眉根を寄せてつぶやいた。
「なんとなく憶えている。昔、魔法使いたちはこの世界にやってきて、好き勝手なことをしていった。ハマはそのうちのひとりだと言うわけだ」
 ぼくは、思わず身を乗り出した。
「今は、どこに?」
「わからない。ぼくの力はまだ未熟だ。魔法使いの存在を確かめることなどできないよ」
「満月になれば?」
「力は満ちる。きみの役にたてるかもしれないけど」
 〈月〉はため息をついた。
「そのころのぼくが、きみに会いたくなるかどうかはわからない。成熟期のぼくは、日の光や天気に関わりなく、いつでも地上に降り立つことができるよ。でも、そうはしない。大きくなるにつれて、ぼくは、だんだんと気難しくなっていくようだ。地上との接触も好まなくなる」
「どうして?」
 〈月〉は首を振った。
「僕には理解できない。満月のころの知識や記憶は、ほとんど残らないんだ」
「そう」
 ぼくは、肩を落とした。
「でも、あきらめないで」
 〈月〉は、励ますようにぼくの手をとった。
「満月になったら、呼びかけてごらん。きみの気持ちが届けばいいけど」
「ありがとう」
 ぼくは、感謝を込めて〈月〉の手を握りかえした。冷たい手だった。確かな質量も感じられた。本物の彼は、青白く輝く頭上の月だと思いこむには苦労がいった。
 ふと、〈月〉の感触がなくなった。
「また会おう」
 声だけを残し、〈月〉は消えていた。夜明けの光が、ほんのりと空を明るませはじめたのだ。
 





 
 







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