第32話

文字数 2,576文字

「ショウちゃん、おはよー」
「あ、おはようございます」
 プライベートの行人は、今日も出勤時とは違ったカッコよさだ。ストライプのシャツに薄手のカーディガン、下は白のパンツ。軽い足取りで翔太の隣に座った。翔太は行人の胸の辺りを指差した。
「身軽ですね」
 旅慣れた行人は軽装だった。
「ああ。コートは荷物に入れて預けちゃうんだ。向こうでは要らないからね。一泊二日くらいだったら、空港のコインロッカーに入れちゃうって手もあるけど、今回は四日間だから、ずっとコインロッカーに入れておくのもね」
 確かに。空港内は暖房で充分暖かい。沖縄から戻ってきて空港を出るまで、冬のコートは出番なしだ。翔太は感心した。
「そんな手を使うんですね」
「ああ……まあ、今回は持ち込む荷物も少ないから、そんなにしなくてもいいっちゃいいけどな。昔よく移動してたときはこんなもんじゃなくて」
「昔?」
 行人は窓の外の空を見てふっと笑った。
「……昔むか~し! バンドやってた頃な。オーディションとかライブとかで東京へ行くときは、一応楽器を機内持ち込みにしたりして」
 翔太の知らないその頃の行人は、仲間と夢を追いかけていたのだ。つくづくこのひととは歩んでいる人生が違うと翔太は思った。翔太は行人の横顔に、「いいなあ……」と呟いた。
「ん? 何が?」
 行人が振り向いた。翔太はちょっと迷ってこう言った。
「言いません。だって言ったら、またユキさんばかにするもん」
「俺がいつショウちゃんをばかにしたよ」
「じゃあ、また『カワイイーー!!』って怒られるから言いません。『殺す気か』って」
 行人はクスクス笑った。
「そっか。ショウちゃん、また可愛いことを言いそうになったんだね。そしてそれに自分で気付いたんだ。大人になったね」
 行人の笑顔は、楽しそうで、どこかほんの少しだけ淋し気だった。
「着替え、ちゃんと夏服詰めてきた?」
「もう、ユキさんはすぐばかにする」
「ふふっ」
 話している間も、互いに60°ズラした角度に身体を向ける。相談した訳でもないが、どちらからともなくいつもそうしている。肩か背中のどこかがたまに触れる。見つめ合ってしまわないよう、人混みで悪目立ちしないよう注意を払う。
 
 那覇空港でレンタカーを借りた。荷物を積み込んで、宿への道を確認する。ナビを設定して出発だ。
「暑いなあ」
 翔太はシャツの上にかぶっていたパーカーを脱ぎ、後部座席に放り投げた。
 宿は結局、行人の調べてきたところに決めていた。空港での自分たちの行動を思い出すと、翔太は改めて正解だったと感じた。行人と自分のような組み合わせが、普通に受け入れられる環境は貴重だ。
「ショウちゃん、のど乾いたら、俺のかばんに水あるよ」
 行人はハンドルを握ったままそう言った。行人はなぜかいつも翔太に運転させない。
「あざーす」
 翔太は腕を伸ばしてペットボトルを取り出した。ボトルの栓は開いていて、上から数センチ減っていた。翔太がこくこくとそれを飲むと、行人がくすりと笑って言った。
「間接キッス」
「今さら」
 翔太も笑った。
 笑ったが。
 翔太は、何だかとても意識してしまった。
 行人の唇が、このボトルに触れていた。あの長い指がこのボトルを握っていて。
 翔太は一瞬ざわっとして、そして。
 運転席の、ほんの20センチ離れただけの、行人の存在を強く感じた。
 触れてしまいそうだった。抱きついてしまいそうだった。ハンドルを握った手を解いて、無理矢理こちらを向かせて、そして。
「どうしたの、ショウちゃん」
「えっ」
 黙り込んだ翔太を、行人が心配していた。
「疲れたの? それとも車に酔った? どこかに一度停めようか?」
 翔太は首を振った。
「いえ、別に、そんなんじゃないです。大丈夫です」
「ホント?」
 行人は色つきのレンズ越しに翔太の様子を確認した。
 いつも世話を焼かれて、心配されて。淋しそうな行人の表情。翔太の記憶の中の行人が、いろんなときの、いろんな言葉が次々と浮かんだ。翔太の胸が痛くなった。
「そういうのじゃなくて……」
「ん? 何?」
 翔太は唇をギュッと結んだ。行人は運転しながら、翔太の次の言葉を待っている。意を決して翔太は口を開いた。
「俺、ユキさんが欲しいです」
 行人の腕が震えた。
 行人はアクセルを踏み込んだ。翔太の身体はガクンとシートに押しつけられた。

「あ……あ……ユキさぁん」
 翔太は切なげな声を上げた。
 宿に着くや否や、荷物を解くのも早々に、行人は翔太を広いベッドに放り込んだ。狼が獲物に噛みつくように、翔太の唇を、首筋を、鎖骨を吸っていく。衣服の前がはだけられて、翔太の肌が露わになる。西に来ると日暮れは遅く、ベランダの外はまだ明るい。
 行人は翔太の欲望に舌を這わせた。翔太の腰がびくんと震える。行人は翔太の太腿を手で押し上げ、翔太のすみずみを調べやすいようにした。行人の長い指が、欲望の在処をくまなく調べていく。
「ん……っ、いや……あぁ」
 翔太は下半身をくねらせて、行人の調査から逃げた。シャワーをまだ浴びていない。行人のキレイな身体を汚さぬよう、自分を清める支度がまだだ。
「逃げないで。欲しがったのはショウちゃんでしょ」
 行人がくぐもった声でそう言った。
「だって……だって、ユキさん……」
 行人がくすくすと笑った。
「可愛いよ、ショウちゃん。最高においしい」
「や……ぁっ」
 翔太は泣きそうになりながら、行人の愛撫に翻弄された。行人の舌と指は、緩急自在に翔太を責める。もう頃合いと見たか、行人は翔太の欲望を深く咥え、激しく吸った。翔太の指が自分を責め苛む行人の髪に絡む。
「ああっ……!!
 翔太は短い悲鳴をともにその身を反らした。波のように繰り返し押し寄せる翔太のそれを楽しみ、のどを鳴らして行人は翔太を解放した。
 はあはあと荒い息のまま、翔太はベッドに長く伸びた。
 伸びている翔太の横に、行人は寝そべって肘をついた。空いた手で翔太の頬を軽くつまんで、行人は言った。
「お気に召しましたか?」
 翔太は行人の方へ首を回した。
「ユキさん……」
 行人の目が翔太をのぞき込んでいた。楽しそうな、切なげな、優しい瞳。翔太はだるい腕を持ち上げて、行人の首に巻き付けた。行人はのどの奥でくつくつと笑って、翔太の腰に腕を回した。そのままの格好で、ふたりはしばらく抱き合っていた。
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