五時限目

文字数 1,244文字

 愛されてる愛されてる愛されてる。おれはうっちーから愛されている。愛を受け取っている……。
 最高潮に達したとき、おれは横でサイリウムを振る男の顔を見た。
 なぜ見たかというと、愛されているのはおれだけであり、他は烏合の衆にすら感じ始めてしまったからだ。
 これでもかというくらい冷たい視線を浴びせてやろうと思ったのだ。
 だが。
 そこに男の顔はなかった。
 のっぺらぼうだった……ならば今まで通りだ。
 だが、違った。
 おれが横でサイリウムを振る男を見た途端、男の顔は粘土をこねるようにぐにゃりと曲がった。
 そして新しい顔ができた。
 できたその新しい顔とは。
 パスカルガールズのうっちーの顔だった。
 心臓が止まるほどびっくりしたおれは、ステージ上に顔を動かし、見る。
 ステージ上では、うっちーともっちーが歌っている。
 じゃあ、おれの横のこいつは誰だ?
 おれはうっちーの顔になった男と正反対の方にいる男の顔を覗いて見た。
 すると、その男の顔もうっちーだった。
 おれは後方を向く。
 真後ろには女性客がサイリウムを振っていたが、その顔もうっちーだった。

 境界がなくなる。
 境がなくなる。

 顔と顔の境界線がなくなり、溶解していく。

 まわりを見渡せば、そこにはうっちーの顔しかなかった。
 全員がうっちーになっていた。
 ステージ上でも、もっちーもうっちーだった。
 暗い客席の中、おれはバッグから手鏡を取り出し、自分の顔をのぞき込む。
 暗がりに映るおれの顔もまた、うっちーだった。

 ……おれはブチキレた!
「おまえらはうっちーじゃないッ!」

 大音響の中、声はかき消されたかもしれない。だが、お構いなしに叫ぶ。
「おれが愛するうっちーは世界で一人だけだ! それに、うっちーが愛するおれも世界で一人だ!」
 おれは左側にいる奴を右手に持ったサイリウムで思い切りぶん殴った。
「痛い!」
「痛い!」
 殴られた奴とおれが痛いと叫ぶのはほぼ同時だった。
「おまえ、おれの頬をぶったな!」
 殴られたうっちーの顔を模した男が、
「な、殴ってきたのはおまえだろ。おれは……おれは殴ってない……痛い、痛いよぉ」
 と、しゃがみ込んで頬を押さえている。
 殴ったのは、おれなのか?
 いや、殴ったのはあいつだ。
 おれは暴れ出した。
 辺り構わず殴り、蹴りだした。

 なんだこれなんだこれなんだこれは?

 殴るほど、蹴るほど、おれは自分の身体が痛い。
 うっちーの美しい顔を模した人間、いや、松本の定義する地底人かもしれないこいつらを傷つけるたびに、おれは傷つけられる。

 ライブが中断する。
 無音。ステージ上の天使はステージから引っ込んだ。
 そしてまだ客席の電気がつかない、そのままの状態の間に、よく通る声が聞こえる。
 その声はおれに向けて発せられている。
 違いない。


 アイドルに愛されたと思って発動している能力。
 これは……異能力。

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