第1話

文字数 2,633文字

 1 家族

 海のある町。そこが僕らの住む町だ。
周りは山に囲まれ自然が豊かで、「子育てには最適な場所ね。」と妻が引っ越しを即決したのが三年前のことだ。
築三十五年の一軒家で中古物件だったが中はきれいにリフォームされており一階には日当たりのよいリビング、庭に出ると遠くに海を眺めることができた。
何より広めのアイランドキッチンに妻は一目惚れだった。
二階には僕と妻のかおりの寝室。そして、五歳の息子の和樹の部屋がある。
玄関の表札に本田 友弥・かおり・和樹。三人の名前を付けた時の喜びは特別なものがあった。
都心から離れているため通勤や買い物に多少の不便さはあったが、高台から臨む夕焼けに輝く海の素晴らしさは何物にも代えがたく妻のお気に入りだった。
息子の和樹はおとなしい子だ。聞き分けもいいのであまり手も掛からない。
友達と外で遊ぶことも多いが家ではもっぱら絵を描いている。
以前は庭でよく二人でボールを蹴って遊んだりもしたが最近はそれもなくなってしまった。
今、この家に妻はいない。

最近はハイテク化が進みバスや電車が無人で走るようになり、宅配便の荷物もAI 搭載のアンドロイドが届けてくれるようになった。アンドロイドは姿形が人間に似せて作られているが製造元や識別番号がバーコード化されて右頬に印字することが義務付けられており、それで判別ができる。
僕の会社でも事務や経理の仕事は全てコンピューターが担っているし、会議なども場所や時差に関わらずインターネット上で行われることが多くなった。
だがハイテク化が進んでも人間でなければできない仕事もまだある。僕は建設会社の営業部に所属している。
機械には心がない。ロボットの知識には、あまり詳しくないので技術的なことはわからないが感情など人間の精神を構成するものをロボットに理解させることはまだ難しいらしい。
そのため営業や接客業・患者とのコミュニケーションが重要な医療分野、社会や人間関係を学んだりする教育分野やゼロから創造し生み出すデザインや芸術などもまだまだ人間の仕事だ。
そういう仕事にはやはり人間同士の心の繋がりのようなものが大切なのだ。
AIの技術の進歩は目覚しいしハイテク化が進んだおかげで今、僕の生活も成り立っている。
残業をせず時間内に和樹を保育園に迎えに行けるのもロボットと共存する、この社会あってのことだろう。
 
今日も会社を出て電車で一時間半かけ帰路に着く。
会社に出社せず自宅などで働くリモートワーカーが増え満員電車が緩和されたとはいえ、やはり一時間半の通勤は辛いものがある。
駅に止めたチャイルドシート付のママチャリで和樹を預けている保育園へと海沿いを走る。夕日が海に消え空が藍色に深く広がり水平線を淡い金色の細い光が走るのをうっすら横目に見ながら風の冷たさを感じる。夏ももうじき終わるのだと実感する。
ふと妻の面影がよぎる。妻が家を出てもう半年が経っていた。
彼女は元気にしているだろうか。彼女の気持ちを尊重したつもりでいたが正しいことだったのか。自信がなくなることもあったが、家事・育児・仕事で多忙な毎日を送るうちに徐々に考えないようになっていった。

自転車を漕ぎ十分ほどで和樹の保育園に着く。
時刻は六時五十五分。保育園には防犯上、保護者用のIDカードと指紋による生体認証が行われる。これをしないと門を開けてもらえないのだ。認証が確認され門が開かれると和樹が走ってくる姿が見えた。保育園は七時半までだが、たいてい、和樹が一番最後まで待っている。
「パパお帰り。」
和樹が僕の足に勢いよくしがみついてきた。
「ただいま。今日もいい子だったか?」
和樹は小さく頷く。
「和樹君は今日もいい子だったよね。」
マコ先生が和樹の頭を撫でながら教えてくれた。
マコ先生は和樹の担任の先生だ。二十代半ばだが肝っ玉母さん的な雰囲気があり眉上にパッツリ切った前髪と頭の上の大きなお団子がトレードマークの元気な女性だ。
母親のいない和樹を何かと気にかけてくれており安心して預けられるいい先生だ。
「いつも遅くまですみません。」
僕はマコ先生に頭を下げる。
「いいんですよ。和樹君、バイバイ。」
マコ先生とさよならをして和樹を自転車のチャイルドシートに乗せ家路に着く。

家へ帰ると夕食の支度をする。
今日の献立はカレーライスとサラダ。そしてレトルトのコーンポタージュスープだ。
和樹はニコニコしながら「おいしい。」と言って食べてくれる。
カレーは三日目だが和樹は文句も言わない。
自分の作ったものを息子が喜んで食べてくれる。僕は嬉しかったが正直に受け止めることができなかった。自分でも割とおいしくできたと思うし、まずくない。でも、妻のカレーほどおいしくない。
それに妻はコーンポタージュスープも手作りしていたし夕食の品数もあと二品は多く作っていた。
比べても仕方のないことだと分かっているが、やはり妻には敵わないと痛感する。
母親のいない和樹にはその分、自分がたくさんのことをしてやりたい。
だが日々の生活に追われ、満足にできない自分にふがいなさを感じる。
至らない僕だが和樹は何一つ文句も言わず、よく手伝いもしてくれて聞き分けもいい。この年頃の子供にしては良すぎると感じるくらいだ。今が一番母親に甘えたい年頃でいなくて寂しいと感じているだろうに、僕にはその素振りを見せない。見せたらきっと僕が困ることをわかっているからだろう。息子にこんな気の使わせ方をさせている自分に腹立たしささえ覚える。だが、どうにもならない現実だ。そんなことをこの半年間、ずっと繰り返し繰り返し思っていた。

夕食も終わり時刻は午後九時を周っていた。
和樹を寝かそうとリビングに声を掛けに行くと、和樹はクレヨンで絵を描いていた。
「和樹、そろそろ寝る時間だぞ。」
「わかったぁ。パパ、おやすみ」
クレヨンをケースに戻すと和樹は二階の寝室へ駆けて行く。
「絵本でも読んでやろうか?」
和樹の背中越しに声を掛ける。
「一人で大丈夫ぅ。」
そう言って部屋へ入って行った。
家事もすべて終わり、リビングで350㎖の缶ビールを開ける。
今日も無事に一日を終えたこの時が、僕にとって唯一リラックスできる時間だ。
テーブルの上には先程まで和樹が絵を描いていた画用紙とクレヨンが置きっぱなしになっている。そこには家族三人でクリスマスのイルミネーションを見に行った時の絵が描かれていた。左に僕、真ん中が和樹で右に妻のかおり。
その絵を見ながら僕は妻のことを思い出していた。
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