▶▶▶序幕:残夏の悲鳴/1~3

文字数 8,488文字

             1

 一九六八年、十二月十日。午前九時二十五分。
 日本犯罪史に刻まれる事件が、東京都府中市で発生した。
 東京芝浦電気従業員のボーナスが、現金輸送車ごと偽者の白バイ隊員に奪われた、所謂『三億円事件』である。被害金額は現金強奪事件として当時の最高金額であり、貨幣価値を考慮すれば、現在でも日本最高額に違いなかった。
 劇場型犯罪でありながら完全犯罪でもあった『三億円事件』は、以降も長く語り継がれる。謎が謎を呼び、事件をモチーフとした小説、映画が多く制作されたのも、それが弩級の未解決事件だったからだろう。しかし、二十一年後の夏、人々の認識は次なる犯罪によって塗り替えられることになった。
 一九八九年、八月三十一日。未明。
 後に戦後最大の未解決事件と呼称される『瀬戸内バスジャック事件』が発生した。

            2

 そのバスに乗車していた最年少の少女、三好詠葉は、新潟県新潟市に暮らす小学一年生だった。先月、誕生日を迎え、七歳になったばかりである。
 単身赴任の父に会うため、詠葉が母と共に東京行きの高速バスに乗ったのは、日付も変わろうかという頃合いだった。
 新潟市から出発したバスは、長岡市ですべての乗客を拾い終える。
 サービスエリアでのトイレ休憩を経て、車内の灯りが消されることになった。

 眠りに落ちてから、どれくらい経っていたのだろう。
 肩を何度か叩かれ、目覚めた詠葉が瞼を開けると、一枚の紙が差し出されていた。
 紙の表面がペンライトの光で照らされており、
『君がしゃべったら、みんな死にます。』
 不穏な言葉が、網膜に飛び込んできた。
 すべての漢字に振り仮名が振られていたお陰で、小学一年生の詠葉でも読むことが出来たが、すぐには文面の意味を理解出来なかった。
 このバスは真ん中に通路を挟み、各列に四つの座席が設けられている。詠葉は通路側、母は窓側に座っており、熟睡している母は異変に気付かず寝息を立てていた。
 通路に立つ人物は、真っ黒な長袖のパーカーを着用して、フードを深く被っている。フードの脇から長い髪が垂れており、女の人だと分かった。ただ、マスクと縁の太い眼鏡をしているせいで、顔立ちや年齢までは判断がつかない。
 無理やり起こされたからか、頭が働いていなかった。
 状況を飲み込めない詠葉の目の前に、次の紙が差し出される。一枚目と同様、すべての漢字に振り仮名が振られていた。
『ドアの近くに爆弾をしかけました。君が言うことを聞かないと、爆発して、みんなが死にます。』
 爆弾なんて、どうやって持ち込んだんだろう。
 そもそもこの女の人は、一体、何者?
 疑問に思う詠葉の前に、三枚目の紙が差し出される。
 紙の下からナイフの切っ先が覗いていた。
『君が指示に従えば、誰も傷つけません。ここまでは理解できましたか? 私の言うことを聞くつもりなら、左手を上げてください。聞けないなら、右手を上げてください。君が右手を上げた場合、爆弾を爆発させます。』
 紙の下から覗くナイフが小刻みに揺れていた。言うことを聞かなければ爆弾を起動する。そんなことを言われたら、選択肢なんてあってないようなものだ。
 いつの間にか震え始めていた左手を上げると、紙がめくられる。
『バスを下りるまで声を出してはいけません。君が約束を守れば、誰も傷つきません。しかし、一度でも破れば、みんなが死にます。理解できたら左手を上げてください。』
 再び左手を上げると、フードの女は詠葉の頭に手を置き、いい子いい子とでも言うように、優しく撫でてきた。
 状況を把握出来ない詠葉の前に、五枚目の紙が差し出される。
『親を起こさないよう静かに立って、運転手の隣まで歩いてください。それから、運転を邪魔しないように気をつけながら、運転手が見える位置に、この紙を出してください。』
 今まで差し出されていたのは、手の平サイズのメモ用紙だった。しかし、次に渡されたのは、ノートのような大きさの紙だった。
 シートベルトを外し、通路に出ると、フードの女は詠葉の後ろに立った。
 深い眠りに落ちている母親が起きる気配はない。詠葉が立ち上がったことに反応する乗客もいなかった。
 最前列と運転席の間は、カーテンで仕切られている。あのカーテンをくぐって、運転手にこの紙を見せろということだろう。

 走行中で足場が不安定だからじゃない。足が震えているのは、恐怖のせいだ。
 何に巻き込まれているのか、何をさせられようとしているのか、想像もつかない。
 母に助けを求めたかったが、声を出したら爆弾を起動すると脅されている。
 どんなに怖くても、訳が分からなくても、従った方が良い。そんな気がした。
 今は何時なんだろう。乗客はまだ皆が眠っている。
 カーテンを手で避け、運転席の隣に立つと、左のコーナーに、上部が赤く点滅する箱が置かれているのが見えた。
「お嬢さん、どうしました?」
 チラリとバックミラーに目をやってから、運転手が穏やかな声で尋ねてきた。
 思わず固まってしまった詠葉の背中が、後ろから軽く押される。
 首筋にフードの女の気配を感じながら、渡されていた紙を運転手が見える位置に掲げると、そこにペンライトの光が当てられた。
『バスに爆弾をしかけました。安全な路肩にバスを停めてください。』
 再度、運転手がバックミラーに目をやった次の瞬間、後ろから伸びてきた手が、ミラーをねじ曲げて角度を変えた。
 首を右に向けると、運転手の横顔に恐怖の色が浮かんでいた。
 しばし硬直したように前方を見据えてハンドルを握っていた運転手だったが、やがて分かったとでも言うように、二度、三度と頭を下げる。
 トントンと肩が叩かれ、もう一枚、同じサイズの紙が後ろから差し出された。これも見せろということだろうか。
『指示に従って頂ければ、私は誰も傷つけません。ただし、少しでもおかしな様子を見せたら、この子と乗客の安全は保証できません。』
 ぎこちない表情で、再び運転手が頭を下げた。

 それから一分もしないうちに、バスは高速道路の路肩に停車する。
 運転席には三つのバックミラーが備え付けられていた。ハザードを出してバスが停まると、フードの女は複数ついていたミラーを極端な角度に曲げる。後ろを振り向いてカーテンを開けない限り、運転席からは車内の様子を確認出来ないようにしたのだ。
 次々と車がバスを追い越していくが、路肩にもガードレールの外にも人影はない。
 フロントガラスの上部に設置されたデジタル時計は、午前三時半を示していた。
 フードの女が新しい紙を運転手の隣に置く。今回の紙には、びっしりと文字が書き込まれていた。何が書かれているのか気になったが、漢字が多くて詠葉には読めない。
 女は詠葉の動きを制限するように、左肩に手を置いている。触れている首から伝わる手の温もりが不気味だった。
 メモを読んでいた時間は三分ほどだっただろうか。
 運転手は備え付けられていたマイクを手に取ると、車内アナウンスを始める。
『乗客の皆様に極めて重要なお知らせがあります。席から立ち上がらず、シートベルトを外さずにお聞きください。隣のお客様が眠っているようであれば、起こしてあげてください。子どもが一人、座席から消えていますが、そちらのお子様は人質として私の隣におります。繰り返します。乗客の皆様に極めて重要な……』
 運転手は渡された紙の文面を、そのまま読んでいるようだった。
 同じ説明が二回繰り返されてから、新しいアナウンスが始まる。
『これは冗談でも訓練でもありません。お客様の身の安全を守るために、絶対に席を立たずに聞いてください。このバスには現在、爆弾が仕掛けられています』
 それが告げられた次の瞬間、カーテンの向こうがざわついた。しかし、そんな状況を予測していたかのようにアナウンスは続く。
『今後、バスから降りるまで一切の会話を禁止します。許可なく席を立つこと、移動することも禁止します。指示を破った人間が一人でも出た時点で、即座に爆弾が起動します。人質となっている子どもの命も、乗客の皆様の命も保証されません』
 警告を理解したのか、カーテンの向こうのざわめきがやむ。
『全員がルールに従えば、誰一人傷つくことなく、バスから降車出来ます。難しい要求はありません。ただ、降車の指示が出る時を、席で静かに待って頂きたいだけです。繰り返します。これは冗談でも訓練でも……』
 分からない。状況が理解出来ない。
説明が繰り返され、言葉が足されれば足されただけ、頭が混乱していく。
『名前を呼ばれた人からバスを降りてもらいます。荷物を持っていくことは出来ません。手ぶらで降車して下さい。また、前方のカーテンを通るタイミングから、バスを降りるまで、顔を上げることを禁止します。腕を身体の前で組み、床を見つめながら速やかに降車して下さい。もしも指示と異なる動きを見せた方がいた場合は、その時点で爆弾を起動させます。再度の注意喚起になりますが、全員が指示に従えば、誰一人傷つくことはありません。名前を呼ばれた方は三十秒以内に降車し、すぐにガードレールの外へ避難してください。夜間で見通しが悪く、高速道路上は大変危険です。降りた後でバスを振り返ることは禁じます。他の乗客を待たずに、速やかにその場から離れて下さい。ここで降車出来るのは成人男性のみです。女性、二十歳未満の男性は、別の場所で降りて頂きます。繰り返します。名前を呼ばれた人からバスを……』
 ここでは大人の男の人だけが降りるらしい。
 良かった。少なくとも母と離れ離れになることはない。
 アナウンスで起こされた母は、すぐに詠葉が隣にいないことに気付いたはずだ。先ほどのアナウンスで娘が人質になっていると知り、心配しているに違いない。
 母の顔が見たい。今すぐにでも傍まで走って行きたかったが、フードの女は、変わらず詠葉の左肩に手を置いたままである。ここから動くなということだろう。
 運転手は乗客名簿を取り出すと、最上段にあった男の名前を読み上げた。
 しばしの間の後、カーテンが開き、現れたのは白髪の目立つ初老の男だった。
 三十秒以内に降りるようにという指示があったのに、男はそこで立ち止まる。そして、あろうことか顔を上げ、今にも飛びかからんばかりの形相で女を睨み付けた。
 どうして! 一人でも抵抗したら、バスが爆発するのに!
 恐怖で呼吸が止まった詠葉の左肩から手を離し、女は何かを軽く上に投げる。
 重力に引かれて女の手に戻った物体には、ボタンが幾つかついていた。爆弾を起動させるためのリモコンだろうか。女は最後通牒を突きつけるように、リモコンらしき物のボタンに指を乗せ、上部が赤く点滅する箱に向かって突き出す。それが決定打となった。
 慌てたように男は下を向くと、そのまま覚束無い足取りで、逃げるように開けられていたドアから降りていった。そのままガードレールを越え、暗闇の中へと走り去る。
 少しでも男が抵抗する素振りを見せていたら、女はボタンを押したに違いない。
 両足が小刻みに震えていた。
自分だけが女に従っても駄目なのだ。誰か一人でも指示に背けば、その時点でバスは爆破される。出て行くことを許されていない詠葉に出来ることは、皆が指示に従ってくれるよう、ただ祈ることだけだった。
最初に降りた男の姿が見えなくなると、運転手が次の名前を読み上げた。
 二番目の男は指示通り、下を見つめながらバスを降りていったが、ガードレールを越えると、こちらを振り返った。どうして誰も彼もが身勝手な行動をするのか。フードの女は詠葉の後ろに立っている。もしも今の動きを見ていたら……。
 爆弾が起動することはなかったものの、恐怖で膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 成人男性だけを降ろしていく作業が、どれくらい続いただろう。
「今の人で最後です」
 十人ほどの乗客が降りた後で、運転手が小声で告げた。
 フードの女が再びメモ用紙を差し出し、受け取った運転手の顔色が変わる。
「……行き先を岡山に変えろということですか?」
 わずかに横を向いて尋ねた運転手に対し、フードの女は何も答えなかった。
 やがて観念したように前を向くと、運転手はバスを出発させる。
 これは東京行きのバスだったはずだ。岡山という場所が、遠いのか近いのかも七歳の詠葉には分からなかった。

             3

 大人の男たちを降ろし、走り出したバスだったが、わずか十分後に路肩に停車する。
 それから、車内アナウンスが再び始まった。
『犯人より渡された指示を読み上げます。このバスジャックは特定の人物に危害を加えることを目的として計画されたものではありません。政府や警察機構に対して要求があるわけでもありません。バスジャックという行為そのものに目的がありますので、全員が指示に従えば、誰一人として傷つくことはありません。しかし、何らかの妨害行為、こちらの指示を無視する行動が発見された場合は、即座に仕掛けた爆弾を起動します』
 やっぱり詠葉には分からなかった。こんな行為に一体何の意味があるんだろう。
『皆様は全員、本日の日暮れ頃、解放されます。それまでトイレや食事を我慢して頂くことになりますが、どうか大人しくその時を待って頂けたらと思います』
 今は午前四時過ぎだ。太陽が沈む頃に解放されるということは、半日以上もこうしていなければならないらしい。食事はともかく、トイレを我慢するのは……。
『出発前に、結束バンドを使って、全員の両手首を背中の後ろで結ばせて頂きます。その後、座席を移動し、備えつけのアイマスクを降車まで着けて頂きます。前方の席に座っている方から一人ずつ、背中を向けた状態で一列目までいらして下さい。人質となっている子どもが結束バンドで両手首を結びます。締め付けが強過ぎた場合のみ、発声を許可します。それでは一人目の方からお願いします』
 運転手の指示が終わり、しばしの間の後、ゆっくりとカーテンが開いていった。背中を向けているせいで年齢は分からなかったが、目の前にいたのは髪の長い女の人だった。
 肩を叩かれ、後ろから黒いプラスチック製の紐のような物が差し出される。
『一列目まで来たら、背中の後ろで両手首を合わせて下さい。拘束が完了したら、子どもの案内で座席に戻り、アイマスクを着用して頂きます』
 再び車内アナウンスで運転手からの指示が飛び、
『やり方を見て覚えて下さい。次から君にやってもらいます。』
 すべての漢字に振り仮名が振られたメモが差し出された。
 詠葉にお手本を見せるように、フードの女は乗客の左右の手首を、プラスチック製の黒い紐で結んでいった。その後、再び用紙が渡される。詠葉への指示が書かれた紙と、座席表のような図が書き込まれている紙の二枚だった。
『座席表の【1】番の席に、この人を連れていき、前のポケットに入っているアイマスクをかけてください。作業が終わったら戻って来てください。次の人は【2】番の席に、その次の人は【3】番の席に座らせてください。』
 質問したいことは山ほどあったが、黙って指示に従うしかない。
 座席を示す数字は、ランダムに配置されているようだった。【1】番の数字が当てられていたのは、後ろから二列目の座席である。
 一人目の女性の服の裾を引き、そこまで連れていく。
 彼女を座らせてから座席の前のポケットを覗くと、黒のアイマスクが入っていた。それを女性に着けてから最前列まで戻る。
『二人目のお客様、お願いします』
 詠葉が戻ると、すぐに運転手より次の指示が飛んだ。
 二人目の乗客が現れ、教えてもらったやり方で両手首を結び合わせると、詠葉の後ろから手を伸ばし、フードの女が締め具合を確認した。
 その後の流れは、一人目の乗客と同じだった。
 膝掛けが置かれていた一列目の座席には、最初から乗客がおらず、運転席と客席を遮るカーテンはそこに設置されている。
 渡された座席表には、二列目と三列目に番号が書き込まれていない。二列目と三列目を空席にすることに、何か理由があるんだろうか。
 爆弾が仕掛けられていると脅されたからか、詠葉が人質になっているからか、両手を拘束されても、目隠しをされても、反抗らしい反抗をする者はいなかった。
 フードの女は詠葉の背後に身を置きつつ、運転手の動きにも注意を払っている。
 流れ作業のような時間が続き、八番目に現れたのは、詠葉の母だった。
「この子は私の娘なんです。お願いします。一緒に席まで戻らせて下さい」
 最前列までやって来た母は、カーテンをめくるなり、早口でまくし立てた。
 母は背中を向け、カーテンのこちら側を見ないようにしていたものの、会話禁止の指示には背いている。
 フードの女がバスを爆破するかもしれない。背筋に嫌な予感が走ったその時、
『口を開くことは誰にも許されていません。二度目の警告はありません』
 強張った声で運転手からのアナウンスがおこなわれた。
 この状況も想定済みだったのだ。
 アナウンスを聞き、肩を震わせた母が、続けて口を開くことはなかった。
 何か言いたかった。母に伝えたいことが、沢山、沢山あった。
 けれど、喋ることが出来なかった。
『君がしゃべったら、みんな死にます。』
 覚えている。最初に、はっきりとそう警告されている。
 たった今、運転手は二度目の警告はないと言っていた。もしも、ここで自分が口を開けば、バスが爆発するかもしれない。そんなこと……。
 詠葉は母の拘束だけ、意図的にほかの人よりも緩くした。そのくらいなら見逃してもらえるかもしれないと思ったからだ。
 しかし、願いは空しく打破される。母の拘束状態を確認したフードの女は、躊躇いもなく両手を結んだ結束バンドをきつく締め上げていった。
 フードの女は真後ろから、自分の仕事をしっかりと見張っている。その目を欺くことなど出来ないのだ。

 運転手と詠葉、フードの女を除く、乗客全員の拘束と目隠しが完了すると、運転手が立ち上がり、次の作業を始めた。
 バスに載せられていたすべての荷物が、通路を塞ぐ形で三列目の座席に置かれていく。
 フードの女は、荷物を使って、乗客たちと自分の間にバリケードを作ったのだ。
 ランダムに座席を移動させられたとはいえ、後方なら小声での会話が可能だろう。隣の席の人間に協力してもらえば、椅子の陰に隠れ、両手の拘束を外すことも出来るかもしれない。だが、このバスには後ろに扉がない。通路を封鎖するように高く積まれた荷物をどかさない限り、フードの女を攻撃することも、逃げ出すことも出来ない。
 気付けば、運転席の左側に、視界を遮る垂れ幕が下げられていた。運転手は拘束されていない。だが、これでは車内の様子どころか、斜め後ろにいるフードの女の動向すら把握出来ない。
 今や車内は、完全に女の支配下に置かれていた。
『それでは、出発前に再度、注意事項を伝えます』
 運転席に戻った運転手がアナウンスを始める。
『今後は不定期に結束バンドの拘束を確認させて頂きます。一人でも拘束を解いている人間がいた場合、即座に爆弾を起動します。偶然、外れてしまった方は、速やかに申し出て下さい。その場合のみ、発声を許可します。アイマスクを外すこと、窓のカーテンを開けることは誰にも許されていません』
 フードの女は何処までも徹底していた。
 乗客は両手を封じられ、目隠しをされている。窓はすべてカーテンで覆われており、乗客席の灯りは就寝時と同様、消されたままだ。
 自由に動けるのは二人だけ。運転手と詠葉だが、詠葉は七歳、小学一年生である。大人に力で勝てるはずがない。運転手は常に見張られているし、詠葉が人質になっているせいで、迂闊なことは出来ない。
 車内アナウンスが終わると、フードの女は運転席と客席の間に設置されていたカーテンを少しだけ開き、詠葉を一列目に座らせて、自分は二列目に一人で座った。
 バスが動き出し、背後から再びメモが差し出される。
『これから君にもアイマスクをつけてもらいます。肩を2回叩かれた時だけ、アイマスクを外して、メモを読んでください。』
 手首を拘束されることこそないものの、自分も視界は奪われるらしい。
 後ろからアイマスクが着けられ、暗闇の中に放り込まれる。
 視界を奪われたことで、再び内奥から激しい恐怖が湧き上がる。
 全員が黙って従えば、誰も傷つかない。女はそう約束した。
 夕方には解放される。今はただ、祈るように、その時を待つしかなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み