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文字数 4,432文字
理科実験室から飛び出した
目指すは生徒会室――
金文字が記された摺りガラスの扉を力一杯開ける。
両壁に並んだ本棚から各クラスの集合写真が載っている学生年鑑を5冊選び出した。
今年と去年と一昨年とその前。1938/1937/1936/1935/1934……
それらをテーブルに積み上げて1冊ずつ繰って行く。
「
最初の犠牲者・毛利天優を、入学以来のクラスの集合写真から割り出そうと思い立ったのだ。
「あった!」
だが――
どれも小さくてどんな顔なのか今ひとつ明確にはわからない。
「だめだ! こんなんじゃ、街の中で摺れ違っても彼だとはわからないよ!」
「毛利の写真を探してるのか?」
背後からの声にギクリとして振り返る。
そこに立っていたのは副会長だった。
いつも影のように生徒会長の
「
「え、ああ、錦織副会長さん――」
吃驚した。ずっとこの室内にいたのか。
実は衝立の向こうは机が設置してあってちょっとした作業ができるようになっている。
ここで志儀は気づいた。そういえば自分が来た時、生徒会室の鍵は開いていたんだった。僕は鍵を使用していない。中に誰もいない時はここは施錠してあるはずだから、その時点で、誰かいると気づくべきだった……
とはいえ、別に悪いことをしていたわけではない。
気を取り直した志儀は、むしろ渡りに船とばかり副会長に訊いてみた。
「そうです、僕、毛利さんの写真を探してるんです。もっと他に、大きいやつで、毛利さんがはっきりと写っている写真ってないですか?」
怪訝そうな顔をする錦織に率直に志儀は明かした。
「ちょっと思うところがあって。ほら、僕、毛利さんの顔、知らないんですよ。入院中の彼は包帯を巻いてるし」
「しかし、なんだってまた急に毛利のことを気にするんだ? 君が求められているのは〈謎の襲撃者〉の正体を暴くことだぞ?」
衝立の向こうへ戻りながら副会長は言う。
どうやらそこでガリ版の原稿を作成していたらしい。
「それは何です?」
覗き込んで志儀は尋ねた。
「修学旅行用のプリントだ。旅行日程や訪問コースをまとめて冊子にして全5年生に配布するのさ」
書きかけの原稿をかざしながら副会長は笑う。
「今年は奈良から四国を廻る予定だ。当地の史跡や歴史、見所なんかをわかりやすく伝えようと奮闘している最中だよ。僕は、本年度修学旅行の生徒側の最高責任者だからね。知ってると思うが――学園祭の最高責任者が生徒会長で、副会長は修学旅行を受け持つと言うわけさ」
K2中の副会長は肩を竦めた。
「全く、忙しいよ! 全部
(それだ!)
先刻の
「ねえ、錦織さん? 何故、毛利さんは副会長を引き受けなかったんですか?」
「!」
ゆっくりと顔を上げる錦織。
「僕、聞きました。ここK2中の生徒会選挙は例年1位が会長、2位と3位が副会長に就任する慣わしなんですってね。それで――実は毛利さんが2位だったんでしょ?」
ズバリ、志儀は核心を突いた。持って廻った言い方は自分のスタイルじゃない。
「でも、毛利さんは辞退した。何故です? 三宅さんと確執があったからではないのですか? 毛利さんと三宅さん、二人は仲が悪かった?」
錦織敬輔はガリ版用の鉄ペンを置くと一つ大きく息を吐いた。
「君は誤解している。三宅と毛利は大親友だった。あんな悲劇が起こるまでは……」
「え?」
「悲劇?」
聞き捨てならない。
「何です、それ? ぜひ僕に教えて下さい!」
K2中の探偵であるこの僕に……!
「そうだな。君は知る権利がある。これは興味本位の噂話とか友人を貶める陰口と言うのじゃないから」
自分自身を納得させるように頷くと副会長・錦織敬輔は話し出した。
「三宅貴士と毛利天優は幼馴染で親友だった。あの不幸な出来事が起こるまでは」
天井を見上げる錦織。
今更ながらに志儀は気づいた。生徒会長選挙3位だけあって眼鏡のよく似合う知的で端整な容貌である。
「毛利は恋をしたのだ。一つ年上の女学生だった。だが、その女学生が愛したのは毛利ではなく三宅だった……」
「わかった! それで毛利さんと三宅さんは犬猿の仲になったんだね?」
笑い出す副会長。
「君はまだ若いな、
息を吸って吐く。
「毛利はね、相手が大親友の三宅ならと潔く身を引いたのだ。ところが、三宅の方は、女学生にすぐ飽きて、紙くずを捨てるように捨ててしまったんだとさ!」
「え?」
諦観した様子で錦織は首を振った。人差し指で丸縁眼鏡を押し上げる。
「あいつは、まあ、女にも男にもモテるからなあ! 女学生の一人や二人、モノの数ではなかったんだろうよ。だが、純情な女学生は深く傷ついた。心身を病み、やがて……」
「やがて?」
「女学生は遺書を残して儚い命を散らした」
「そんな――」
「以来、毛利は三宅とは口をきいていない。選挙は他薦で毛利が自分で立候補したわけじゃないから、2位になったものの三宅の下で一緒にやっていくつもりなどハナからなかったってわけさ。ちなみに僕は自ら立候補したんだよ。あの二人を相手に良く健闘したと我ながら満足している。フフフ」
「何てことだ! そんなことが……?」
副会長の話の最後の部分は志儀は聞いていなかった。
「自殺だなんて……そこまで思いつめるとは……可哀想過ぎるよ!」
女学生の悲しい末路に憤りを抑えられず、声を荒らげる志儀。
「酷い! ほんとに酷い! 僕、三宅さんは立派な人だと思ったのに、がっかりだよ! これじゃ聖人じゃなくて悪人だ!」
そんな下級生を黙って見つめていた錦織だったが。
やおら立ち上がると入り口近くの本棚の前へ行った。
「君は今回、我がK2中の探偵だから――いいか、これは特別だぞ?」
「?」
錦織は一番下の棚から書籍を1冊抜き取った。パラパラ捲って、挟んであった紙片を取り出す。
「以前、僕がこの生徒会室で偶然拾ったんだ。三宅が落としたのだろう。写っているものが写っているものなので、何と言って渡せばいいのかわからなくて……結局、ここに隠しておいたんだよ。ほら」
「これは――」
寄り添っている制服姿の男女の写真。
一人は三宅貴士。そしてもう一人は……
「そう、その人が、毛利が愛し、三宅が捨てた、悲劇の女学生・
「くろいし?」
顔にどこか見覚えがある。今さっき、アルコールランプの揺れる火影で見たあいつ……
強張った志儀の表情に気づいて錦織が囁いた。
「君、黒石鑑と面識があるのか? うむ。似ていて当然だ。この人は、5年V組、演劇部の黒石鑑のお姉さんだよ」
闇の中に一筋キラリと見えかけた糸。
怨念の糸。怨嗟の糸。
―― 生徒会長を恨んでいる人間は多い。三宅貴士にはたくさんの敵がいる。
―― 襲撃者の立場に立って考えてみろ。世界は違って見えるから。
黒は白に、聖人は悪人に。そして、襲われた者と襲う者……
それから、僕の探偵・
―― 見えているものと見えていないものに注意を払うべきだ、フシギ君!
志儀は身を翻すと生徒会室から飛び出した。
背後で副会長の声が響く。
「おい、君、きちんとドアを閉めて行きたまえ!」
だが、そんなことには構っていられない。
全速力で廊下を走り抜け、階段を駆け降りる志儀だった。
「おっと!」
「ワッ? 危ないっ!」
曲がり角でぶつかったのは――
「チワワ君?」
「海府君!」
縺れ合って床に転がった二人。しがみついたまま
「君! 今日は1日中、何処へ姿をくらませてたんだよ? 僕、ずいぶん探したんだぜ?」
両手で強く志儀の腕を掴むと、
「僕、昼食を一緒に食べようと、ママに頼んでお弁当を二人分作ってもらったんだ。それなのに君、何処にもいなくて――学校中探し回ったんだよ?」
「え?」
(ああ、あれか!)
志儀は即座に思い当たった。
若葉の机の上に置いてあった豪華な重箱の弁当箱。麻の葉模様の風呂敷にしっかりと包んであったあれ……
「昼休みの間中、捜しても君は見つからない。午後の授業にも出なかったろ? それで、僕、今、毛利医院まで行って捜して来たところさ。それでもダメだから、これから生徒会室を覗いてみようと思って……」
一層強く若葉は志儀の腕を掴んだ。もう二度と離れまいとするかのように。
「僕は君の助手なんだからね? 一緒にいる権利がある! 君だって何処へだろうと僕を連れて行く義務がある!」
投げつける激しい言葉。そこには怒りと言うより悲しみが強く滲んでいる。
そう、若葉は悲しげだった。悲しくて――寂しげだった。
「それとも、君、僕の協力なんて要らないというのか?」
瞳を潤ませて若葉は繰り返す。
「君には、僕は必要ないんだね!?」
「ごめん、一人で動き回っちゃって」
志儀は心から詫びた。本当に悪いことをしたと思った。
「今日は、ちょっと、色々あったんだよ。だが、そのおかげで光が射してきた!」
意気揚々と志儀は告げた。今度は志儀の方から若葉の細い肩を掴む。
「聞いてくれ、チワワ君! 僕は襲撃者の正体がわかった気がする!」
「え?」
一瞬若葉の顔を過ぎったフシギな翳。
「そうだな、その名を聞いたら、君は信じられないかもな。だが、『綺麗は汚い、汚いは綺麗』って言うだろ?」
「シェイクスピアだね!」
助手の若葉は即、その名を言い当てた。探偵の志儀としては少々面白くない気がしたものの、
「うむ。そして、こうも言う。『全ての可能性を消して行って残った結論がどんなに奇妙でも、ソレこそが真実である』」
「……ゲーテ?」
「シャーロック・ホームズさ! 基礎だよ、チワワ君!」
勝ち誇って志儀が叫んだ時、もっと大きな声が廊下に響き渡った。
「誰か――!」
「大変だ! 生徒会長は何処にいる?」
「生徒会長を呼んでくれ! 早く!」
「襲撃者が現れた!」
「第6の犠牲者が出た……!」
床に腰を落としたままの志儀と若葉――K2中の探偵と助手は凍りついた。
「