Phase 02 牢屋の殺人

文字数 16,242文字

 スマホが鳴っている。――朝か。今日から僕は松島電器の社員である。とりあえず、沙織ちゃんから受け取った制服を身に纏い、入館証を首から下げた。あとは、阪急で淡路駅に向かうだけだ。
 アパートのドアを開けると――お隣さんもドアを開けていた。僕はお隣さんに対して軽く会釈をする。
「あら、礼華さん。おはようございます。――松島電器で働くことになったんですか?」
「少し訳ありで働くことになりました。――期間工です」
「へぇ。松島電器って、最近CEOが殺害されて大変なことになっているらしいからねぇ。礼華さんも気をつけた方がいいんじゃないのかな」
「分かっています」
「また、詳しいことを追々聞かせて欲しいわねぇ」
「そうですか。――出勤しなきゃいけないので、僕はこれで失礼します」
 そう言って、僕はアパートの階段を降りていった。ちなみに、お隣さんの名前は「増岡美弥子(ますおかみやこ)」と言う。彼女は所謂「夜の仕事」で働いているのだが、その仕事内容は――性的サービスを伴っている。要するに、男性の性欲を満足させるためのサービス業に就いているのだ。もちろん、性的サービスは同意の元で行われているので――彼女は思っている以上に前向きである。確か、源氏名は「ミヤビ」だったか。――もっとも、僕が踏み入れる世界じゃないのは確かなのだけれど。
 芦屋川から西宮北口で特急に乗り換えて、十三で再び特急に乗り換える。――少し面倒だが、淡路から吹田までは松島電器の送迎バスが出ているので多少の面倒も見逃すべきか。とはいえ、十三から淡路までは2駅で着いてしまうのだが。
 淡路駅の駐車場に、「MATSUSHIMA」のロゴが入った青色のバスが停まっている。――松島電器の送迎バスで間違いない。
 バスに乗ると、運転手が社員を点呼し始めた。僕の名前もそのうち呼ばれるのか。そう思っていると――運転手が「卯月礼華さん」と点呼した。僕はすかさずその点呼に対して「ハイ」と答えた。バスに乗っていた社員の数はおよそ20人だっただろうか。大半は外国人――特にベトナム人が多かったが、日本人も数名いた。
 僕は、数少ない日本人の男性の隣に座った。――バスの席はそこしか空いていなかったのだ。
「――君が、噂の卯月礼華?」
「そうだが、それがどうしたんだ?」
「なんだか、僕と似た匂いを感じるなって思って。――ああ、僕の名前は岩嵜慶太(いわさきけいた)だ。松島電器のオートモーティブ事業部でプログラマーとして働いている」
 岩嵜慶太と名乗った男性は、黒縁のメガネにセンター分けの髪型をしていた。――少し胡散臭いが、多分彼が一連の事件に関わっているという可能性は低いだろう。
 彼は話を続けた。
「卯月さんは既に知っていると思うが――最近、松島電器の社員が相次いで殺害されている。遺体は千里ニュータウンの公園に人知れず放置されていて、なぜか鳥が啄んだ跡が見つかっている。――言いたいことは分かるな」
 煽りに対する答えは分かっていた。
「――犯人は鳥葬を行おうとしていた。そうだろう?」
「その通りだ。この事件は、化野CEOの邸宅が燃やされる少し前から発生していた。大阪府警はよりによって一連の事件を『不審死』と処理したが――僕は別の可能性を考えている」
「別の可能性? 詳しく教えてくれ」
「良いだろう。CEOがゾロアスター教を信仰しているのは既に知っていると思うが、ゾロアスター教では火葬はタブーとなっている。だからこそ――犯人は鳥葬で社員を殺害しようとした。もちろん、CEOも同様の手口で殺害された。僕はそう考えている」
「なるほど。――実は、僕も似たような考えを持っていた。もっとも、慶太さんとはまた違う考えだけど」
「それ、詳しく教えてくれないか?」
「教えたいところだが――バスが工場の前に着いてしまった」
「そうだな。――行こうか、卯月さん」
 そう言って、僕は松島電器の敷地の中に踏み入れた。住宅の大半が廃墟と化した千里ニュータウンを見下ろす丘の上に建っているその社屋は、なんだか牢屋(ろうや)のようにも見えた。それも、入れた者を決して出さない悪夢のような牢屋である。
 オートモーティブ事業部は、そんな社屋の3階に配属されていた。松島電器の現在の主力事業であり、カーナビの製造から自動運転システムのプログラミングまで――仕事内容は多岐に渡る。
 僕が配属されたのは、オートモーティブ事業部の中でもカーナビのプログラミングを担当する部署だった。――沙織ちゃんも、ここに配属されていたな。そう思っていると、見覚えのある女性が声をかけてきた。もちろん。松島電器の制服を着ていて帽子も被っている。
「――卯月さん、おはようございます!」
 それは紛れもなく西川沙織という女性だった。入館証にもそうやって書いてある。
「さお……西川さん、おはようございます。私は、今日からオートモーティブ事業部に配属された卯月礼華と言います。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。仕事内容は――とりあえず、このマニュアルを読んでもらいましょうかね」
「マニュアル?」
 そう言って、僕は沙織ちゃんからタブレットを渡された。――このタブレット端末の中に、マニュアルが入っているのか。画面には「新製品プログラミング手順」と表示されていた。
 沙織ちゃんが、手順を説明していく。
「とりあえず、卯月さんには新製品のデバッグをやってもらいましょう。――現状のシステムには、僅かながらバグが残っている。このバグが残存したまま発売してしまうと、事故に繋がりかねない。特に、カーナビという製品は運転手をサポートするための道具。バグは許されません」
「分かりました」
 タブレットに内蔵された仕様書とにらめっこしながら、僕はソースコードを見ていく。当然の話だけど――ソースコードは門外不出(もんがいふしゅつ)である。というか、こんなモノが外部に流出したら、それこそ悪用される危険性がある。
 ソースコードを見つめていると、なんだか文法がおかしい箇所を見つけた。僕は、コードの異常箇所を沙織ちゃんに伝えた。
「西川さん、もしかして――ここじゃないでしょうか?」
 沙織ちゃんは、僕の指摘に対して「なるほど」という顔をしていた。
「流石卯月さん。――期間工じゃなくて、正式な社員として雇いたいぐらいです。もっとも、上長が許してくれたらの話ですけど」
「いや、私はそこまでの待遇を望んでいません。どうせ――障がい者として虐められるのがオチですから」
「いや、そんなことはないですよ? 私の同僚のプログラマーに岩嵜さんという男性がいるんですけど、彼も発達障害を抱えていますからね」
 ――同じ匂いって、そういうことだったのか。障がい者特有のオーラを、彼は感じ取っていたのか。
 そんな話をしていると、後ろから誰かが僕の背中を叩いた。
「やあ、卯月さん」
 背中を叩いたのは、岩嵜慶太だった。
「噂をすればなんとやら。――岩嵜さん、新製品のソースコードにバグが見つかりました。もちろん、バグは卯月さんが修正してくれました。今度プログラミングをする際は、バグのないようにお願いしますね」
「分かっています。――すみませんでした」
「いや、謝る必要はありませんよ? 間違いは誰にでもありますから」
 沙織ちゃんのその言葉で――僕は中学生の頃を思い出した。その頃の僕は――どうしても数学のテストで同じ間違いをしていた。数学の先生から「学習能力がないのか」と叱られたこともあった。その先生はたった1年で中学校からいなくなったが――今から思えば左遷だったのか。
 そして、僕は2年生の時にある先生と出会う。名前は杉本恵介と言ったか。僕が所属していた部活である情報部の顧問だったということもあるが――とにかく僕の数学の躓きに対して熱心に向き合ってくれた。その時に言われた言葉が、「間違いは誰にでもある」だった。もしも、あの時に杉本先生が数学を担当してくれなかったら――僕は中学校でも不登校になっていたかもしれない。杉本先生、元気にしているんだろうか。
 そんなことはともかく、僕は次々とバグを見つけては修正していった。――この製品がバグを抱えた状態で出荷されてしまったら、それこそ恐ろしい。人命に関わるデバイスのプログラミングだから、余計とそう感じるのか。
 修正途中でチャイムが鳴った。――昼休憩である。僕は、社員食堂で改めて岩嵜慶太と話をした。
「慶太さん、隣に失礼する」
「――別に構わない。どうせ1人だったし」
「1人?」
「僕は社食でも孤立しているんだ。というよりも――人と話すのが苦手なんだ」
「それは僕も同じだ」
「そうか。――それで、バスの中で話していた件だが、続きを話してくれないか?」
「ああ、分かっている。――突然だが、慶太さんは『蘇魯阿士徳の会』という宗教団体を知っているか?」
「もちろん、知っている。――日本で唯一となる『ゾロアスター教系の宗教団体』を掲げている教団だが、それがどうしたんだ?」
「化野CEOは、その宗教団体に入信していたんだ。その証拠に――この『信者からの声』というページを見てくれ」
 そう言って、僕はスマホで岩嵜慶太に対して例のページを見せた。
「これ、紛れもなくCEOの顔写真だな」
「矢っ張り、そうか。――メッセージの中に書いてある『M電器』は、確実に弊社のことを指しているだろう。僕はそう思っている」
「――そう思わなくても、これはCEOのメッセージだ。会社案内パンフレットに書いてあった文言に似ている」
「会社案内パンフレット?」
「ああ、弊社の会社案内パンフレット――これだな」
 そう言って、彼は僕に対してパンフレットを手渡してきた。パンフレットの表紙には「松島電器 令和×年度会社案内」と書かれていた。――今年度の会社案内パンフレットか。
 くだらない綺麗事が並べてあるパンフレットをパラパラとめくって――「CEOの言葉」というページを開いた。そこに書いてあったのは、確かに「蘇魯阿士徳の会」のサイトに書いてあったメッセージに似ていた。――これって、所謂「コピーアンドペースト」というか「剽窃」なのでは?
「CEOの言葉」には、以下のように書かれていた。
 ――私は、「死にかけていた松島電器を建て直す」という使命の元にCEOに就任しました。その結果、5年で弊社はV字回復を果たし、「技術のマツシマ」の復活に貢献いたしました。大学生の皆さん、私の元で働いてみませんか? 楽しい仲間が待っていますよ?
 そして、僕は教団のサイトから「信者からの声」のページを開いた。
【化野光雄(M電器)】
 ――私は、「死にかけていたM電器を建て直す」という使命の元、M電器のCEOに就任いたしました。その結果、5年でM電器はV字回復を果たし、「技術のM」の復活に貢献。私はこの教団に入信したお陰で、M電器のCEOとして成功を収めました。
 矢張り、文面が似ている。「卵が先か鶏が先か」という言葉は好きじゃないが、恐らく教団は会社案内パンフレットの文面を剽窃した可能性が高い。
 スマホと会社案内パンフレットを見比べた岩嵜慶太が、言葉を発する。
「会社の闇を暴くって、面白いじゃないか。――まるで池井戸潤の小説だな」
 僕は、彼の言葉に対して――それ以上の「答え」を返した。
「いや、これは池井戸潤の小説よりもドス黒い『何か』で出来ている。――それだけは確実に言える」
 そんな話をしていると、昼休憩終了のチャイムが鳴った。元の仕事場に戻らなければ。
「――今の話、内密に頼む」
「分かっている。これは――僕と慶太さん、そして沙織ちゃんだけの問題だ」
 それで松島電器が経営破綻や倒産に追い込まれたとしても、今の僕には関係のない話だった。というよりも、関係があるとすれば――矢張り、ガッツ大阪のことだろうか。まあ、ガッツ大阪の今季のリーグの成績は関西4クラブの中で最下位だったのだが。
 昼休憩が終わった後も、僕はデバッグ作業に追われていた。――とはいえ、ほとんど人命の危機につながるバグは修正したのだけれど。しかし、デバッグが終わってしまうと僕の仕事はなくなる。僕は別にデバッグをするために雇われた訳じゃなくて――化野光雄という男性の怪死事件、そして松島電器の社員を狙った連続猟奇殺人事件を追うために探偵ごっこをやらされている状態である。つまり、僕の本当の仕事は午後5時30分に鳴る終業チャイムの後である。
 ――終業チャイムが鳴った。当然、一部の人間を除いて帰宅しなければならない。僕は淡路からバスでここまで来ているので、仕方なく淡路駅行きの送迎バスに乗った。当然、座席の隣には岩嵜慶太がいる。
「何か、事件について分かったのか?」
「いや、全然。寧ろ――事件は混迷を極めている」
「そうか。――残念だ」
 バスに乗って5分程経ったが、発車する気配がない。どうしたのだろうか?
「あの、どうかされましたか?」
 僕は、バスの運転手に対して声をかけた。
「実は――送迎するはずの社員が1人いないんだ。名前は『キム・ゴ・ヒエウ』と言うベトナム人なんだが――彼はソリューション事業部でシステムエンジニアとして働いている。――そうだ。卯月さん、探しに行ってくれないか? ソリューション事業部は、この社屋の2階にある」
「分かりました」
 ――もしかしたら、彼は何らかのトラブルに巻き込まれたのだろうか? そう思った僕は、なんとなく胸がざわついていた。
 オートモーティブ事業部とソリューション事業部は、入館証1つで社屋内での行き来が出来るようになっていた。――まあ、この2つの部署は共同で開発することも多いだろうし当然だろうか。
 ソリューション事業部のドアの前で、僕は近くにいた社員に対して声をかける。
「すみません、少しお伺いしたいことがありまして……」
「何の用でしょうか?」
「私は、オートモーティブ事業部の卯月礼華と申します。ソリューション事業部のキムさんはいらっしゃいませんでしょうか?」
「ああ、キム・ゴ・ヒエウさんですか。――そういえば、昼休憩からこっち彼の姿を見ていないですね。どこに行ったのでしょうか?」
「彼がいないと、淡路駅行きのバスが発車できないんです」
「ああ、そうでしたね」
 僕は、ソリューション事業部の社員と一緒にキム・ゴ・ヒエウを捜すことにした。
「キムさんは、昼休憩をどこで過ごしているでしょうか?」
「社内庭園でサンドイッチを食べていることが多いですね。――曰く、『社食のサンドイッチは故郷の味がする』とのことだそうです」
「そういえば、ベトナム式サンドイッチって聞いたことあります。確か名前は『バインミー』って言いましたか」
「ああ、それです! ウチの社食、サブウェイと提携してサンドイッチを提供しているんです。それがどういう訳かベトナム人社員に好評らしくて……。とにかく、キムさんは社内庭園でそのサンドイッチを食べながら1人で過ごすことが多いんだそうです」
「なるほど。――厭な予感がするな」
 12月となると、外が暗くなるのも早い。午後6時前だと、既に夜の装いを見せている。――流石に、社内庭園は照明が点いているのだけれど。
 ――そこで、僕は見てはいけないモノを見てしまった。
「――あの、あなたの名前を教えてくれませんか?」
「急にどうしたんでしょうか? 僕の名前は沢城元貴(さわしろもとき)と言いますが……」
「沢城さん、今すぐに警察を呼んで下さい」
「警察? どういうことでしょうか?」
「――キムさん、死んでいるみたいです」
「えっ」
 僕が見た「キム・ゴ・ヒエウだったモノ」は――鳥に啄まれたような跡が残っていた。これは、紛れもなく誰かが彼を鳥葬しようとしていたのか。
 僕は、沢城元貴を遺体の前へと連れて行く。
「こ、これは――キムさん……」
「ああ、キムさんは――多分、誰かに殺害されたんでしょう。ほら、最近この辺を騒がせている連続猟奇殺人事件は知っていますよね?」
「もちろん、知っています。ウチのCEOも事件に巻き込まれましたからね」
「それなら話は早いです。多分、キムさんを殺害した犯人はCEO殺しと同一犯で間違いないでしょう」
「じゃあ、この事件って……」
「私が思うに、この連続猟奇殺人事件は――ゾロアスター教の儀式だと思っています」
「ゾロアスター教? それって何でしょうか?」
「とりあえず、詳しいことは警察を呼んでから説明しようと思っています。――私はとりあえずバスに戻りますから」
「わ、分かりました……」
 こうして、僕は送迎バスに戻った上で――運転手に対して「キム・ゴ・ヒエウが何者かに殺害されたこと」を説明した。当然、そこには岩嵜慶太もいる。
「――卯月さん、なんだか大事になってしまいましたね。もしかして、この事件を解決するつもりなんでしょうか?」
「そうだな。――これは、僕がなんとかしないと」
 果たして、この猟奇殺人事件を引き起こした「アンリ・マユ」は一体誰なのか? 僕はそんなことを思いながら大阪府警が来るのを待っていた。

 大阪府警のパトカーが停まっている。――僕が沢城元貴に対して「警察を呼んでくれ」とお願いしてから30分ぐらいで駆けつけてきたことになる。矢張り、刑事事件に対する日本の警察のフットワークは軽いと思った。
 遺体の発見者ということで、僕と沢城元貴は刑事さんから聴取を受けることになった。
「えっと、あなた方が遺体の発見者で間違いないでしょうか。僕は大阪府警捜査一課の阿川理と申します。――あなた方の名前を教えてもらえないでしょうか?」
「――私は卯月礼華と申します」
「僕は沢城元貴と言います」
「その制服を着ているということは、2人共松島電器の社員さんで間違いないと」
 阿川理(あがわさとる)と名乗った刑事さんの質問に対して、沢城元貴が答えていく。
「そうですね。――僕はソリューション事業部でシステムエンジニアを、卯月さんは期間工としてオートモーティブ事業部でプログラマーとして働いています」
「なるほど。――もう一つ質問があります。これは卯月さんへの質問になりますが、遺体発見時の状況を詳しく教えてもらえないでしょうか?」
 正直、質問に答えるのは億劫だったが――刑事さんの質問となると答えざるを得ない。
「――遺体は、社内庭園の木の下に放置されていました。遺体には、鳥の嘴のような傷が複数付いていました。なんというか、犯人はゾロアスター教の儀式に倣って鳥葬を行おうとしていたんじゃないかと思っています」
「分かりました。――そういえば、最近この近辺で似たような遺体が相次いで見つかっていますね」
「それは――友人から聞きました。友人の名前は西川沙織と言って、弊社のオートモーティブ事業部でプログラマーとして働いています。というか――私が弊社で勤めるきっかけを作ったのは、彼女なんです」
「ということは、松島電器の期間工というのは仮の姿であって――本来は探偵として吹田で発生している怪事件の解決を任されたと」
「多分、刑事さんが言う通り――そうなんだと思います」
「――面白いですね」
 阿川刑事は笑っている。――何がそんなに面白いんだ。そして、話題は千里ニュータウンで発生している事件へと移った。
「コホン。失礼しました。今回の被害者であるキム・ゴ・ヒエウさんもそうですが、ここの所、吹田――千里ニュータウンでは、鳥の嘴のようなモノが付いた遺体が相次いで見つかっているんです」
「被害者の詳細、詳しく教えてもらえないでしょうか?」
「ああ、事件の犠牲者はいずれも松島電器の社員で、今まで3人犠牲になっています。1人目は、坂下大希(さかしただいき)という男性です。所属部署はオートモーティブ事業部で、年齢は31歳。2人目は松平和輝(まつだいらかずき)という男性で、年齢は28歳。3人目は勢喜佳菜子(せきかなこ)という女性で、年齢は35歳。――松平さんと勢喜さんはホームエレクトロニクス事業部で働いていました」
 刑事さんが被害者の詳細を説明した所で、沢城元貴が口を挟んだ。
「弊社の中でも白物家電(しろものかでん)の開発を担当しているホームエレクトロニクス事業部ですか。――ホームエレクトロニクス事業部は、オートモーティブ事業部やソリューション事業部とは行き来が出来ない場所にあります。矢っ張り、最新の白物家電は開発に先立って『守秘義務(しゅひぎむ)』がありますからね」
「沢城さん、そうなんですか」
「ホームエレクトロニクス事業部は、この社屋の2階に配置されています。当然の話ですが、出入りには入館証が必要なんですけど――オートモーティブ事業部やソリューション事業部とは互換性がない入館証になっているんです」
「まあ、そこまでしないと開発部署には入られないですよね。――でも、3人の詳しい殺害時刻って分かるんでしょうか?」
 僕の質問に対して、阿川刑事が答えた。
「司法解剖の結果――死亡推定時刻はほぼ同時刻でした。午後5時です」
「――そうですか」
 午後5時となると、キム・ゴ・ヒエウの死体が発見された時刻とほぼ同時刻となる。――でも、鳥の嘴の跡が気になって仕方ない。犯人は何らかのカタチで鳥葬を行おうとしていた。それは紛れもない事実だ。矢張り、犯人はゾロアスター教の信者――もしくは「蘇魯阿士徳の会」の信者なのか。
 なんとなく、僕は「化野光雄の事件」の話題を振ることにした。
「そういえば、怪死事件と同時期に弊社のCEOも何者かに殺害されているんですよね。名前は化野光雄って言うんですけど」
「ああ、そうでしたね。――自宅が火災に遭ってすぐくらいに、彼の遺体が千里ニュータウンの公園に放置されていたんですよね。もちろん、遺体には鳥の嘴のような傷痕が無数に付いていました」
「――なるほど」
「何か分かったんでしょうか?」
「これは私の推測に過ぎないんですけど、多分――化野CEOの殺害事件と一連の事件は同一犯による犯行と見て間違いないと思います」
「同一犯? でも、そんなことを出来るのは――松島電器の社員しかいないと思いますが」
「だから、この事件は――松島電器を恨む人間による犯行と見て間違いないでしょう」
「松島電器を恨む人間――内部犯!」
「そういうことです。――あの時間帯にオートモーティブ事業部、ソリューション事業部、そしてホームエレクトロニクス事業部で残業を行っている社員を集めてください」
「でも、どうやってソレを割り出すべきなんでしょうか?」
「――勤怠システムです」
 沙織ちゃんから聞いた話だが、勤怠システムはその日の最初に担当事業部の入館証を翳した時点で「始業」が記録される。そして、終業チャイムが鳴る時間――午後5時30分以降に入館証を翳した時点で「終業」が記録されるようにプログラミングされているらしい。――初歩的な勤怠システムのアルゴリズムだ。ちなみに、データはCSVファイルの中に記録されているので――総務担当者のパソコンを見れば、勤怠の状況はひと目で把握できるようになっている。
「つまり、勤怠システムで『午後5時30分』に松島電器を退勤していない人物が――事件の被疑者であると言いたいのでしょうか?」
「そうなりますね。――沢城さん、総務と連絡は取れますでしょうか?」
「分かった。連絡してみます」
 そう言って、沢城元貴は社用のスマホで総務部に連絡を取った。――矢張り、事件を受けてか連絡はすぐに取れたようだ。
「――卯月さん、とりあえず総務部へと向かいましょう。もちろん、刑事さんも付いてきて下さい」
「分かりました」
 そう言って、僕は沢城元貴の後ろを付いていくことにした。――その後ろには阿川刑事もいる。なんか、こうやって見ると不審者でしかない。
 総務部があるのは1階だった。――総務部と名乗っているぐらいだから当然だろうか。オフィスの中は、まだ明かりが点いている。
 ドアをノックすると、中から女性が出てきた。沢城元貴が声をかける。
「――江口さん、お疲れ様です」
「ああ、元貴くん。こんな時間にどうしたの?」
「実は――本日分の勤怠を確認したくて」
「元貴くんの後ろにいるのは誰かしら?」
「えっと――こっちがオートモーティブ事業部の卯月礼華さん。そして、こっちが大阪府警捜査一課の阿川理という刑事さんだ」
「刑事さんってことは――何かあったのね」
「――社内で殺人事件が発生した」
「そっか。――一連の事件と何か関係があるのかしら?」
「それはどうだろうか? とにかく、勤怠システムから容疑者を割り出したいと思って」
「なるほど。――卯月さん、私の名前は江口篤子(えぐちあつこ)よ。なんだかどこかで会ったような気がするけど、多分気の所為よね」
 江口篤子と名乗った人物は――確かに見覚えがある顔をしていた。丸顔に赤縁のメガネ。――僕にとって見覚えがあるようなないような、そんな気がした。
「それはともかく、見るべき勤怠システムは――オートモーティブ事業部とソリューション事業部、そしてホームエレクトロニクス事業部だけね。――分かったわ」
 そう言って、彼女はパソコンのキーボードをカタカタと動かしていく。
「――ハイ、これが今日の勤怠データよ。えっと、まだ退勤していないのは――オートモーティブ事業部は2人、ソリューション事業部は3人、そしてホームエレクトロニクス事業部は1人だわ。もちろん、卯月さんと元貴くんは既に終業時刻が記録されているわね。――アレ、なんだかおかしくない?」
「江口さん、どうされたんでしょうか?」
「うーん、これは大変なことになっちゃったわ」
 彼女が指摘した勤怠システムの違和感は――目に見えるカタチで出ていた。
「キム・ゴ・ヒエウさんの終業時刻、チャイムが鳴るよりも前になっているわ」
「――ということは、午後5時30分よりも前なのか」
「そうよ。――彼、午後2時30分に退勤したことになっているのよ」
「となると、残ったソリューション事業部の3人が――容疑者なのか」
「そうとは限らないわ。――だって、ソリューション事業部とオートモーティブ事業部は行き来ができるようになっているじゃないの」
「――ちょっと待って。そうなると、容疑者は5人ということになるのか」
「万が一のこともあるから、ここはホームエレクトロニクス事業部の1人も入れておきましょう」
 そう言って、彼女は容疑者リストを作成した。
【オートモーティブ事業部】
 ・西川沙織
 ・金崎夏彦(かなざきなつひこ)
【ソリューション事業部】
 ・藤原誠(ふじはらまこと)
 ・宮澤武史(みやざわたけし)
 ・グエン・チャン・アンディ
【ホームエレクトロニクス事業部】
 ・稲森朱音(いなもりあかね)
「――なるほど。友人が入っているのは少し怪しいが、これで容疑者の絞り込みは一気に行えたな。感謝しています」
「友人?」
「ああ、西川沙織っていう人物が私の友人です」
「もしかして、卯月さんって――ミステリ研究会の卯月礼華さん?」
「よく分かりましたね。――あれ? もしかして、あなたは……」
「そうよ。結婚して名字こそ変わっているけど、私の旧姓は畷谷よ」
「ああ、矢っ張り。畷谷篤子(なわてだにあつこ)は――確かに見覚えがある名前です。吹田に住んでいたんですか」
「吹田というよりも豊中よ。――あまり変わらないけど。それはともかく、礼華ちゃん――この事件に深入りするつもりなの?」
「――友人の前だから話すけど、その通りだ」
「そう。――あまり深入りしすぎると、後悔することになるかもしれないよ? それでもいいの?」
「いいんだ。――沙織ちゃんが犯人じゃないことを願うしかないが」
「そうね。ミステリ研究会のリーダーが一連の事件の犯人だと――却って本末転倒よ」
 ため息を吐きながら、江口篤子はカロリーメイトを口にした。矢張り、総務部は僕ら以上に忙しいのか。そんなことを思いながら、僕は彼女から勤怠システムのCSVデータを印刷してもらった。
「じゃあ、これ――本日分の勤怠のCSVデータだから。事件解決、頑張ってね」
 確かに、僕は江口篤子という人物から勤怠システムのCSVデータを受け取った。彼女がシロだとしても――沙織ちゃんがクロなら意味がない。これは、僕にとっての裏切り行為になってしまう。
 通路で、僕は沢城元貴と話をした。
「それで、卯月さんは本当に聞き込み調査を行うんですか?」
「当たり前です。――とりあえず、まずはオートモーティブ事業部から当たってみましょうか」
「そうですね。――私はオートモーティブ事業部の入館証を所持していますから、聞き込み調査もすぐに行えるでしょう」
「じゃあ、僕はソリューション事業部で聞き込みを行ってきます。――こういう時、作業は分担した方が良いじゃないですか」
「そうですね」
 そう言って、僕はオートモーティブ事業部のゲートの前に立った。
「それじゃあ、僕は自分のシマで聞き込み調査を行ってきます。――いい情報が得られることを祈っています」
「それはお互い様ですよ。――それじゃあ、私はこれで」
「――僕はどうすればいいんでしょうか?」
「ああ、刑事さんは――ホームエレクトロニクス事業部の方へ行ってもらえないでしょうか。入館証が無くても、多分ゲートの前でインターホンを鳴らしたら誰かが出てくれるはずです」
「そうですか。――それじゃあ、僕も行ってきます」
 そう言って、互いの牢屋の中で――僕たちはそれぞれ聞き込み調査を行うことにした。――これって、本来は刑事さんの仕事だよな。どうして僕がしなければいけないんだ? まあ、こういうことはレアケースだし、別にいいんだけど。

 デスクで、西川沙織がパソコンをカタカタとしている。僕は彼女に対して声をかけた。
「――残業か」
「あら、ウッキー。どうしたのよ?」
「件の連続猟奇殺人事件だが、新たな犠牲者が出てしまった」
「そういうことだろうと思った。――私は事件に関わっていないわよ?」
「それは分かっている。沙織ちゃんの無罪は、僕が証明する」
「それで、被害者は誰なのよ」
「ソリューション事業部の『キム・ゴ・ヒエウ』というベトナム人の男性だ。年齢は27歳で、ソリューション事業部ではシステムエンジニアとして働いていたとのことだ。――これが遺体の写真だ」
 そう言って、僕は沙織ちゃんに遺体の写真を見せた。
「矢っ張り、鳥の嘴のような傷痕が付いているのね」
「そうだ。――一連の殺人事件と同一犯であると見て良さそうだ。ところで、沙織ちゃんはどうして残業していたんだ?」
「なんとなく、新しいカーナビのシステムにおいて整合性に自信がなくてね。それで――一からリビルドしてたって訳」
「なるほど。沙織ちゃんらしいな」
「そうかな? 私はただ『やるべきこと』をやっていただけだけど……」
「コホン。――それで、金崎夏彦という社員にも話が聞きたいんだけど、彼はどこにいるんだ?」
「ああ、金崎くんね。――彼なら、試験場で自動運転システムの最終チェックを行っているところだわ」
「そうか。――分かった、試験場に向かえば良いんだな」
 オートモーティブ事業部の試験場があるのは、すぐそこの個室である。――実車を模したシミュレーターの中に、金崎夏彦はいた。
「失礼します」
「ああ、君が卯月礼華か。西川さんから話は聞いているよ。――事件が大事になるとは思っていなかったが」
「――私は思っていましたけど」
「そうなんですね。――卯月さん、弊社のCEOのことは当然知っていますよね?」
「知っています。化野光雄さんですよね」
「知っていましたか。――それなら、話は早い。化野家は、吹田の中でも有数の名家だ。松島電器が倒産の危機に瀕した時に、化野CEOは巨額の資産を投じて建て直したんだ。それは、彼に莫大な財力があったからなんだ。――その時の彼の役職は、CEOじゃなくてある部署の部長だったんだけど」
「部署?」
「かつて、松島電器には『モバイルコミュニケーション事業部』が存在していた。――所謂携帯電話事業部といえば良いのだろうか。でも、経営再編で松島電器は携帯電話事業から撤退。その時に人事異動で経営の方に飛ばされたんだ。――日経新聞でも報じられるぐらい、異例の抜擢だったらしい」
「なるほど。――そういえば、松島電器のガラケーといえば相当なシェアを持っていたはずなのに、スマホになって一気に韓国のソンサム電子みたいな外資系に食われたのを覚えています。――もっとも、私が使っていたガラケーは松島電器のライバルメーカーであるカシムラ計算機のモノでしたけど」
「懐かしいですね。――カシムラ計算機って、現在どうしているんでしょうか?」
「携帯電話事業から撤退した時に、CEOが『時計事業と電子楽器事業に注力する』と言っていたのを覚えています。――言われてみれば、私の腕時計はカシムラですね。そんなことどうでもいいですけど」
 そうなると――この犯行は当時「モバイルコミュニケーション事業部」に所属していた社員による犯行なのだろうか? 事業撤退で長年散り積もった化野光雄に対する恨みが――犯行のトリガーになっている。僕はそう推理した。そして――閃いた。
「そうだ。――この勤怠表の中に、モバイルコミュニケーション事業部に在籍していた人間はいないのか?」
 僕は金崎夏彦に対して件の勤怠表を見せた。
「ああ、います。宮原武史がそうです。ちなみに、僕もモバイルコミュニケーション事業部に1年だけ在籍していました。――もっとも、あんな赤字部署に飛ばされるなんてこっちとしては不本意だったけど」
「分かりました。――ソリューション事業部は、沢城さんが聞き込みに行っています」
「へぇ、沢城さんねぇ」
 金崎夏彦は、顎に手を当てている。何か思う部分があるのだろうか。
「沢城さんとは知り合いか何かでしょうか?」
「いや、同期入社なだけです。僕にせよ沢城さんにせよ――平成24年度入社ですから」
「平成24年ということは――2012年か。そういえば、ガッツ大阪が2部リーグに降格した年って――2012年ですよね?」
「あっ、確かにそうですね。――僕、そこまで意識していませんでしたけど」
「あの年の松島電器は多額の赤字を垂れ流していて、おまけに前年2位だったガッツ大阪を17位で2部リーグに降格させるという体たらくだったのを覚えています。――今から思えば、偶然が積み重なっただけだと思っていますけど」
「そうですよね。2008年に起こったリーマン・ショックから――日本という国はマジでオワコンになりかけていましたからね」
「今も十分オワコンだと思います。――まあ、あの頃に比べたらマシなのは確かですけど」
「でも、時の総理大臣が暗殺されてからこの国は混迷を極めているじゃないですか。――同時期に『蘇魯阿士徳の会』に対する献金問題も明るみに出てしまいましたし」
「そうですね。『蘇魯阿士徳の会』は、所詮カルト宗教です。だからこそ――教団に対して恨みを持つ人間が一定数いるのも確かです。だからといって、政治家を殺害するのは間違っています。――それが、私の考えなんですけど」
「まあ、とにかく――宮原さんの見解を聞いてみるのが一番良いですね。僕から言えることはこれだけです」
「そうですか。――それでは、私はこれで失礼します」
 そう言って、僕は試験場から踵を返した。デスクでは、相変わらず沙織ちゃんがパソコンのキーボードをカタカタと叩いている。彼女は、気だるそうな声で僕に話しかけた。
「――脈アリみたいね」
「大アリだ。ソリューション事業部の宮原武史が何か鍵を握っている可能性が高い。現在、沢城元貴という社員が聞き込み調査に向かっているところだから――そのうち手がかりが分かるはずだ」
「なるほどねぇ。――私は、もうちょっとここで仕事しているつもりよ。また何かあったらいつでも声をかけて」
「分かった。僕はとりあえず沢城元貴と合流する」
 通路に、人影が見える。――沢城元貴のもので間違いないか。僕は、オートモーティブ事業部の開発室から外に出た。
「沢城さん、何か手がかりは掴めましたか? 特に宮原武史さんから色々と話を聞きたかったんですけど」
「ああ、宮原さんですか。僕は彼が一連の事件の犯人だと疑っていたんですけど、その可能性は消えてしまったようです」
「どういうことでしょうか?」
「完全な密室状態で――殺害されていました」
「――え?」
「だから、宮原さんはサーバ室の中で息絶えていたんです。それも――身体中に鳥の嘴の跡が付いた状態で」
 僕の心臓の鼓動が――悪い意味で高鳴る。
「それ、詳しく見せてもらえないでしょうか?」
「良いですよ。――もちろん、阿川刑事もそこにいるはずです」
 こうして、僕はソリューション事業部の方へと向かった。事務室の中では、2人の社員が青褪めた表情をしている。
「――武史さんは本当に殺されたのですか?」
 流暢な日本語で話すベトナム人は――グエン・チャン・アンディだろうか。彼の隣には、藤原誠がいる。
「ああ、沢城さん。お疲れ様です」
「藤原さん、探偵を連れてきました。――多分、彼女ならこの事件をなんとか出来ると思います」
「いや、私は探偵なんかじゃないんですけど……」
「こういう事件には、探偵役が必要ですからね。とりあえず、名前を教えてください」
「はい。私の名前は――卯月礼華と申します。オートモーティブ事業部の方で期間工のエンジニアとして働いていました」
 色々と自己紹介をしつつ、話は本題に入った。
「それで、宮原さんの遺体は本当にサーバ室にあったのでしょうか?」
「はい。第一発見者は――グエンさんです」
 あのベトナム人が、遺体の第一発見者なのか。僕は、グエンさんに簡単な日本語で話しかける。
「グエンさん、宮原さんが見つかった時の状況を詳しく教えてほしいです」
「分かりました。――武史さんは、ぐったりした状態でサーバの隣に寝かされていました」
「そうですか。――サーバ室は、どこにあるんでしょうか?」
「こちらです」
 グエンさんが、僕を案内する。プレートには、「部外者以外の立ち入りを禁ず」と書かれている。
「この中で――宮原さんは殺されていたんですか?」
「そうです。一応、刑事さんも呼びました」
「刑事さん――阿川刑事ですか」
「そういう名前なんですか。――分かりました」
 僕は、サーバ室のドアを開けた。そこには、確かに阿川刑事がいた。
「阿川刑事、お疲れ様です。――ホームエレクトロニクス事業部での聞き込みはどうだったんでしょうか?」
「それが……肝心の稲森さんが不在だったんです。仕方がなかったので、僕は一足先にソリューション事業部へ戻ってきました。そしたら――男性の悲鳴が聞こえたんです」
「――グエンさんの悲鳴ですね。多分、宮原さんを探そうと思ってサーバ室のドアを開けたら、そこに『宮原さんだったモノ』が横たわっていたと。そういうことですね」
「そうです。――もちろん、鳥の嘴のような傷痕も付いていました」
「そうなると、この事件は混迷を極めそうですね。――そうだ、ある人物を呼んで良いでしょうか?」
「誰でしょうか?」
「岩嵜慶太というオートモーティブ事業部の社員です」
「ほう。慶太を呼ぶのか」
「藤原さん、知り合いかなんかですか?」
「いえ、同期入社だっただけの話です。――当時の配属先は、オーディオビジュアル事業部でした」
「オーディオビジュアルということは――テレビとかブルーレイレコーダーとかを開発している部署になるのですか」
「そうですね。――もっとも、弊社がブルーレイ事業から撤退した後は、専ら音響機器専門の事業部になっているんですけど」
「なるほど。これは――キナ臭い話になりそうですね」
「キナ臭い話?」
「まあ、とにかく私は岩嵜さんを呼んで来ます」
 そう言って、僕は駐車場の方へと向かった。結構な距離だと思いつつも――運動になるからいいのか。
 バスの中では、岩嵜慶太がスマホのゲームで遊んでいた。
「――何かあったのか?」
「とりあえず、ソリューション事業部の方に来てほしい。――話はそれからだ」
「仕方ないな。――どうせ誠からの入れ知恵だよな?」
「その通りだ。とにかく――来てくれ」
「分かった。――そっちに向かう」
 こうして、僕は岩嵜慶太を連れてソリューション事業部の方へと向かうことにした。それにしても、岩嵜慶太と藤原誠が同期入社だとは知らなかった。まだまだ、世の中には知らないことがいっぱいあるな。――もっとも、僕がそんなことを知ったところで何かが変わる訳じゃないのだけれど。
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