第23話 阿刀田高、色川武大
文字数 1,545文字
1979年、阿刀田高『干魚と漏電』は小川真由美(現在は眞由美)さん主演のテレビドラマを自分も観ました。原作のテイストを活かして、ラストも怖かったです。
この時期の阿刀田さんはたくさんドラマ化されて、元々国立国会図書館の司書で、向いておられたのか推理協会とか日本ペンクラブとかの会長に。
中学生の頃にハマって、当時までに刊行されていた「奇妙な味」の短編はほとんど読んだはずです。
思えば『干魚と漏電』は『ししゃもと未亡人』というタイトルでフジテレビ系列で放送。『世にも奇妙な物語』の放送が開始される直前のシリーズだったので、関係あるのかしらんとプロデューサーを見てみましたが、カブっていませんでした。とほほ。
阿刀田さんは後年、文壇の権威的な存在になられてしまい、離れていた時期も長かったですが、日本にブラックユーモアを広めた功労者であり、いま先の短編とか読むと伏線の張り方とかレトリックとか、とても上手い!
奇妙なショートストーリーがお好きな向きには、いまでも楽しめるのではないでしょうか。
あと、本筋と関係ないところで衝撃の記述が。
入浴の曜日。そうでした、忘れていた、自分が子どもの頃、お風呂は一日おきとかでした。
自分の家だけではなく、どこの家でもそんな感じで、たぶん、80年代後半に朝シャンが流行り始めて、その前後くらいからお風呂は毎日入るものになった気がします。
ほんの30~40年前のことですのに、カルチャーショック。
『日本文学100年の名作』の読み直しを進めていて再確認しましたが、自分は世間にフィットしないひと、大きな状況の前に無力なひとびとを扱った作品が好きなようです。
元々その傾向はありましたが、自分がそれに近い立場になり、より強く感情移入するようになったようです。
色川武大(あえての敬称略)には父親との関係を軸にした物の他に、無頼な暮らしを送る中で袖すり合ったひとびとを描いた佳作がたくさんあります。
虚実が入り混じっているでしょうが、『花のさかりは地下道で』、『赤い灯』、『友よ』、『明日泣く』などが思い浮かび、『日本文学~』収録の『善人ハム』もその一本。
肉屋の善さんは一兵卒なのに勲章をもらい、何度も戦場に駆り出されて無事に帰ってきて、無為と傍目には見える生活を送っています。
彼は戦場でひとを殺め、戦争だったからとの言い訳を己に許さず、己を罰するような生き方を貫いています。
作中、初めて善さんが胸のうちを吐露する場面、訥々とつぶやかれる言葉に涙腺が緩みかけました。
無頼な暮らし、路上で出会ったひとびとをモチーフにした作品の中では、『風と灯とけむりたち』が白眉と思うのですが、『善人ハム』を始め前述した作品群のタイトルを記しただけで、各作品の忘れがたいシーンが鮮明に思い出されました。
色川さん(あえてのさん付け)は風呂嫌いだったそうですが、自分の父も自分が生まれて以来50年ほどの間に、10ぺんくらいしかお風呂に入らなかったです。
あれで臭わなかったのは、なんだったのでしょう。不思議。
この時期の阿刀田さんはたくさんドラマ化されて、元々国立国会図書館の司書で、向いておられたのか推理協会とか日本ペンクラブとかの会長に。
中学生の頃にハマって、当時までに刊行されていた「奇妙な味」の短編はほとんど読んだはずです。
思えば『干魚と漏電』は『ししゃもと未亡人』というタイトルでフジテレビ系列で放送。『世にも奇妙な物語』の放送が開始される直前のシリーズだったので、関係あるのかしらんとプロデューサーを見てみましたが、カブっていませんでした。とほほ。
阿刀田さんは後年、文壇の権威的な存在になられてしまい、離れていた時期も長かったですが、日本にブラックユーモアを広めた功労者であり、いま先の短編とか読むと伏線の張り方とかレトリックとか、とても上手い!
奇妙なショートストーリーがお好きな向きには、いまでも楽しめるのではないでしょうか。
あと、本筋と関係ないところで衝撃の記述が。
夫婦は六時に起床し、十時に眠った。テレビを見る時間も決まっていたし、入浴の曜日も一致していた。
入浴の曜日。そうでした、忘れていた、自分が子どもの頃、お風呂は一日おきとかでした。
自分の家だけではなく、どこの家でもそんな感じで、たぶん、80年代後半に朝シャンが流行り始めて、その前後くらいからお風呂は毎日入るものになった気がします。
ほんの30~40年前のことですのに、カルチャーショック。
『日本文学100年の名作』の読み直しを進めていて再確認しましたが、自分は世間にフィットしないひと、大きな状況の前に無力なひとびとを扱った作品が好きなようです。
元々その傾向はありましたが、自分がそれに近い立場になり、より強く感情移入するようになったようです。
色川武大(あえての敬称略)には父親との関係を軸にした物の他に、無頼な暮らしを送る中で袖すり合ったひとびとを描いた佳作がたくさんあります。
虚実が入り混じっているでしょうが、『花のさかりは地下道で』、『赤い灯』、『友よ』、『明日泣く』などが思い浮かび、『日本文学~』収録の『善人ハム』もその一本。
肉屋の善さんは一兵卒なのに勲章をもらい、何度も戦場に駆り出されて無事に帰ってきて、無為と傍目には見える生活を送っています。
彼は戦場でひとを殺め、戦争だったからとの言い訳を己に許さず、己を罰するような生き方を貫いています。
作中、初めて善さんが胸のうちを吐露する場面、訥々とつぶやかれる言葉に涙腺が緩みかけました。
「当時のいいかたでいえば、志那兵ね」
「兵隊じゃない。普通の人ですよ。お百姓だ」
善さんは、まずそうに酒を呑んだ。
「なんというのかな、あたしがもしできないってことになると、金鵄勲章に恥をかかすような気が、してたんですね。どうかしてたんだ、あたしゃァ」
(中略)
「忘れようよ、善さん、そんなこと」とハンコ屋がいった。
善さんは、また銃剣を突きだす恰好をした。
「--ああ、自分の一生は、これで終わったな。そう思いました。やってしまった瞬間にね。へへへ、どういうわけかそう思っちゃった。自分はもう、何もできないな、って」
無頼な暮らし、路上で出会ったひとびとをモチーフにした作品の中では、『風と灯とけむりたち』が白眉と思うのですが、『善人ハム』を始め前述した作品群のタイトルを記しただけで、各作品の忘れがたいシーンが鮮明に思い出されました。
色川さん(あえてのさん付け)は風呂嫌いだったそうですが、自分の父も自分が生まれて以来50年ほどの間に、10ぺんくらいしかお風呂に入らなかったです。
あれで臭わなかったのは、なんだったのでしょう。不思議。