第1話 花水木 

文字数 1,227文字

 2020年3月、ぼくらに卒業式はなかった。
 2020年4月、ぼくらに入学式はなかった。
「新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点により」――。どのトピックにも同じ見出しがついている。オンライン授業はまだ始まらない。5月6月のイベントもはやばやと中止が発表されている。

 誰が撮ったのか、大学のキャンパスの桜の写真がアップされていた。桜たちはぼくのiPhoneの中で咲き、iPhoneの中で散っていった。
 この場所にぼくは本当に所属しているのか。

 新学期を9月始まりにしたらいい、と、偉い人たちが言っている。
 千載一遇のチャンスですよ、これは。
 何が「千載一遇」なのか、誰にとっての「千載一遇」なのか、ぼくにはわからない。少なくとも、ぼくのためではない。
 美宇(みう)のためでもない。

 美宇は死んだ。
 あっけなかった。もともと腎臓が弱かったからだと思う。白い布に包まれた箱になって帰ってきた。その箱にさえ、ぼくはさわれなかった。iPhoneを通して見た。彼女のお父さんが彼女のTwitterに上げていた。
 ぼくらがこっそり会っていたことを、美宇のご両親は知らない。

 2月の末、ほんの40日前。なんか怖いね、という会話はまだ冗談まじりのレベルだった。でもさー騒ぎすぎだよねみんな。うち豪華客船とか乗るお金なくてよかった、マジで。
 3月。えーなに外出禁止って。フェイクじゃね? え、政府って国民にそんな命令する権限あんの。外出したら逮捕されんの? いやいま出てる人全員逮捕したら牢屋とか足りないっしょ。なに牢屋って。うける。江戸時代?

 外に出ようとするたびに「どこ行くの? なんで行くの?」と親に訊かれて、ぼくらのストレスはかるくピークに達してた。これって完全に濃厚接触だよね、と笑いながら、暮れていく公園のベンチでキスをした。何度も、何度も。手も、恋人つなぎで握って。だってもう限界だったから。
 白木蓮が開き、花水木が開いた。ぼくは桜より花水木が好きだ。まっすぐな幹。白にほのかに紅が混じって、無邪気に大きく開く花。美宇に似ていた。

 入学式が9月に延期されようと、美宇は戻ってこない。ぼくの2020年度は永遠に始まらない。ぼくはずっと宙に浮いている。ぼくはどこにも所属できない。これはきっと罰だ。
 ぼくがうつしたのか。
 この思いをぼくはこれから一生背負っていくのか。

 ロックダウンの直前、難病ものの悲恋ものの映画を美宇と見た。映画館で。恋人つなぎして。なんの難病かもう思い出せないけど、とにかく死ぬのは女の子で、男のほうは、少なくとも、

 彼女にその病気をうつしていないし、

 彼女からその病気をうつされる危険性もなかった。

 なんだかここ数日、気温が高い。異常に高くないか、これ。
 高いのは気温なのか。
 みんな暑いのか。暑いのはぼくだけなのか。息が苦しいのは。
 こんなに息が苦しいのは、美宇が、

 お母さーん。ポストに入ってたよ、マスク。うける。
 妹がキッチンで笑っている。

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