転校生になった、春の始まり

文字数 8,149文字

「ひゃっ!」
 
 目の前で眩い光がフラッシュして、つぐみは白昼夢からいっきに現実へと引き戻された。

如月(きさらぎ)さん?」
「え、あ、ここって、そっか教室」

 隣に立つ女性教師が困惑する声で、つぐみは我に返った。
 穏やかな春の気配が溢れる教室の黒板に、自分のフルネームが書かれている。
 転校生のつぐみは、午前の授業の最後に行われるホームルームで教壇に立ち、自己紹介をしている最中だった。

「どうかなさいました?」
「い、いま一瞬すっごい怖い夢が見えて」

 今日初めて教室にやってきた転校生がうろたえる様子を、クラス中の生徒が目をまん丸にして見ている。しまった、とつぐみは慌てて大きく手を振った。

「あ、あのわたし、緊張してた……みたいです。目の前真っ白になっちゃいました」
「貧血かしら。あんまりひどいようなら保健室へ行きましょうか」
「いえ、ほんと一瞬だったんで、大丈夫です。えっと、よろしくお願いしますっ!」

 つぐみが深々とお辞儀をすると、少しだけ遠慮がちな拍手が教室に広がった。
 目の前に並ぶ生徒は全員、つぐみが想像する“お嬢様”を絵に描いたような少女たちだ。
 ワンピースタイプの制服のスカートや襟や袖を隅々まで見ても、シワひとつ見当らない。
 どの子も日焼けのない白い肌で、髪は光の輪を乗せたようにつやつや輝いている。

双葉葵(ふたばあおい )学院』。
 
 京都市中心部からやや北東にあり、広大な敷地と百年以上の歴史を持つ私立の女子高だ。
 家柄重視で、名家の子女のみが通うとされた閉鎖的な学校につぐみは転入した。
 おまけに四月も半ば、高校二年生からという中途半端な異例の転校生だ。

「では如月さんはあちらの席に」
「はい」
「さて、皆さんご存知でしょうが、本日は午後の通常授業が――」
 
 つぐみが窓際の席に座った時、桜の花びらがひとひら舞い込んできた。つぐみはため息をつき、ここに来るまでに見た景色の中に残っていた桜色を思い出す。
 市内を走る路面電車から、陽だまりの落ちる桜並木を小学生くらいの子供がぴょんぴょんと飛び跳ねているのが見えた。住み慣れた街を離れて京都へ転校することを選んだのはつぐみ自身だが、なぜかひどく感傷的になってしまう光景だった。
 ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り、すかさず生徒の一人が、起立・礼と号令をかける。教師が出ていくととたんに騒がしくなるのは、このお嬢様学校でも同じようだ。

「如月のお家の、ご親戚なのかしら」
「だってお名前がそうなのですもの。双葉葵(ここ)にわざわざ来てはるんやし、間違いなんてありえないでしょう?」
「ですわ、だって転校される方はいても、入ってらっしゃる方って初めて見ましたわ」
 
 クラスメイトたちの好奇心がつぐみの周りを飛び交っている。だがはっきり面と向かって話しかけてくる子は一人もいない。つぐみは席を離れるタイミングを見失ってしまった。

「皆さん、お昼の時間ですよ? 今日は天気もよろしいですから、素敵な時間を過ごせそうですね」

 教室の中のざわめきを止めたのは、可愛らしい丸みのある声だった。
 声の主はつぐみの斜め後ろに座っていた子だ。少し垂れ目で、二つにくくった少し癖のある柔らかい髪が肩先で揺れている。おっとりとした外見だが、クラスの空気を変える威厳も持ち合わせていて、ほとんどの生徒が彼女の声で昼食のことを思い出したように席を立ち始めた。

「あの……はじめまして、つぐみさん。私、霜鳥一伽(しもとりいちか)と申します」
「えっ?」

 教室の空気を変えた生徒――一伽(いちか)がつぐみの席の前に立った。

「ひとつ伺ってもいいですか?」
「う、うん。さっきわたし、あんまり自己紹介ちゃんとできなかったし……」
「では、額に触れても良いでしょうか」
「へっ? お、おでこ?」

 びっくりするつぐみの額に、一伽の手がぴとっと触れる。

「な、なに?」
「ああ、良かった。お熱はないみたい。さっきあんまりぼおっとしてはったから気になって」
「そ、そんなに気になるほどぼーっとしてたかな」
「怖い夢を見てらしたって、ほんまですか?」
「えっと……うん。それはホントなんだけど」
「私、このクラスの委員長なんです。だからもし、体調が思わしくないようでしたら保健室にお連れしなあかんなと思ってました。ほんまに、気ぃとか使わないで言ってくださいね」
「それは大丈夫! 貧血とかじゃないから――」

 そう言ったとたん、つぐみのお腹がぐうと鳴った。初めての登校にバタバタしていて朝食はヨーグルトだけしか口にしていない。

「……お昼ですものね。もしよろしければご一緒しませんか?」
「ありがと。あの、ここって売店あるかな。今日はお弁当なくって」
「ばい……てん? お昼のご注文をされてはったら、お支度部屋にお届けされますけど」
「えっ? おしたく?」
「私のも届いているはずですし、行きましょうか」



「あああ、やっとわかった。霜鳥さん、わたしここのこと全然わかってなかったみたい」
「わかったけど、わかってなかった……?」

 昼休みを迎え、つぐみは校舎を囲む広い庭園の一角のベンチで頭を抱えた。その様子を、隣に座る一伽が心配げに覗きこんでいる。

「た、たぶん私の案内も上手じゃなかったからだと思いますよ。私たちも中等部にあがった最初の一週間は上級生のお姉さまがたに連れられて校内じゅうを歩くんですから!」
「本当? 一週間って……もうそれ訓練って感じじゃない?」
「訓練といえば、訓練です。私、覚えきれなくて補習になりましたもん。今日は暖かいなあってお庭に出て、そのまま校舎に戻れなかったことだってあります」
「大変すぎる……あ、でもそれだけじゃないの。校舎が広いとかそれ以前の問題」

 ホームルームの後、つぐみは一伽に連れられ校舎のなかを歩いた。
 今まで通っていた学校の雰囲気とは違い、昼休みでも騒がしい笑い声や走り去る足音なんて聞こえてこない。真っ白な漆喰の壁と、黒檀で出来た木枠の窓にぴったりな静かな空気が流れていて、そんな廊下の先に辿りついたのが『お支度(したく)部屋』と呼ばれている場所だった。

「ねえ、さっきの部屋ってロッカールームって感じだよね」
「ロッカールーム……」

 つぐみにとってあたりまえの言葉が、どうもうまく通じていない様子で、一伽は首を傾けている。

「あ、ごめん。あの部屋に並んでいた箪笥って、一個ずつが生徒の私物置き場なんでしょ?」
「はい。舞やお茶の授業の時のお稽古道具をしまうので……あっ! わかった。つぐみさんがいらした学校では、ロッカールームって呼んではったんですね」
「う、うーん。いや、でもあそこをロッカーって言うのはちょっと乱暴すぎるかな」

 『お支度部屋』は教室とは違い畳敷きで、いくつもの和箪笥が並べられていた。一つずつ家紋が彫られていて、一伽が言うには、ここに通う生徒は代々自分の家の紋がついた箪笥を使うらしい。つぐみは知らなかったが、如月家の家紋のついた箪笥ももちろんあった。

「ね、霜鳥さんはわたしの従姉妹と仲は良かった?」
「実は……お隣のクラスだったので、あんまりお話したことなかったんです」
「そうなんだ! わたしてっきり従姉妹と同じクラスに転入したんだと思ってた」

 つぐみは従姉妹の顔を思い出そうとして、小学校くらいの幼い印象しか覚えていないことに気付いた。従姉妹はこの『双葉葵学院』にずっと通っていたお嬢様だ。
 つぐみの伯母の娘で、如月家本家の箱入り娘。つぐみはそんなほとんど顔も思い出せない従姉妹の身代わりに、双葉葵(ここ)へ転校することになったのだ。

「つぐみさん、やっぱり今年の“十家(じっけ)”に如月のお家が選ばれたから、来はったんですか」
「……っ!」
「あ、あの、話したくなかったら全然いいんです。でもあの……私も、なんで」
「もしかして、霜鳥さんも“十家”ってやつなの?」

 一伽は眉を少しだけハの字に寄せて頷いた。
 つぐみが転校してきた理由、それは双葉葵学院に昔から受け継がれている神楽舞(かぐらまい)のためだ。
 夏に行われる古祭『御水洗い《おんみずあらい》』で舞う『祓神楽(はらいかぐら)』の舞手は、高等部の生徒から選ばれる。誰もが憧れる誉れ高い役目だが、どの生徒にもチャンスがあるわけではない。
 そのチャンスは毎年“十家”と言う決まりで十人にしか与えられず、その中の四人が舞手候補に選ばれ、最終的には神楽舞にふさわしい二人が晴れの舞台に立つのだ。
 
 “十家”は生徒たちの各家に十年に一度のサイクルで持ちまわっている。今年はちょうど如月家が“当たり”で、双葉葵に通うつぐみの従姉妹が十人のうちのひとりだった。
 だが従姉妹は二年生になってすぐに事故に遭い、長期入院してしまった。名誉ある“十家”を諦めきれない伯母は、ちょうど同い年のつぐみに泣きついてきて――つぐみは転校を決めた。

「わたしの従姉妹、ここでどんな風に過ごしてたんだろう。やっぱりちゃんとお嬢様だったのかなあ」
「ごめんなさい、何もお役に立てなくて」
「あ、そ、そんなの気にしないで、わたしだってもうずっと会ってなかったんだから」
「……あの、お弁当食べましょうか」

 一伽が丁寧に風呂敷鼓をほどくと、大きな二段重ねの重箱が出てきた。漆塗りの重箱なんて、つぐみは正月にしか見たことがなかった。

「さっきの部屋にそれが届いたの見て、めっちゃびっくりしたんだよ」
「こ、こんなに大きいのは今日だけですよっ。半分はつぐみさんのぶんですから。転校生の方が、もしお弁当のご用意されてなかったらなあって思って」
 
 重箱の中には、彩り鮮やかなおかずやつやつやしたきつね色の稲荷寿しが詰まっている。

「ほ、ほんとに? うわ、美味しそう。まさか売店も食堂もないなんて思ってなかったから」
「小等部の頃は給食でしたけど……他の学校は違うんでしょうか」
「お弁当を持ってくるのは同じだけど――うーん、でもやっぱ全然違う。さすがお嬢様学校って圧倒されちゃった」
 
 双葉葵ではお昼はお弁当を持ってくるか、前日までに仕出し料理を頼むのがルールらしい。一伽がお弁当を分けてくれなければ、つぐみは昼食をとりそこねるところだった。

「まだここに来て一時間もたってないのに、驚くことばっかりだよ。でも霜鳥さんみたいに親切な人がいて良かった。ありがとね」
「クラス委員ですから! でも本当はそれだけじゃなくて、実は……」

 一伽の声は、教室の空気をいっきに変えた時とは正反対の、自信なさげなものだった。

「ほんまは私、“十家”に選ばれた子と、お話してみたかったんです。今年、うちのクラスから選ばれたの……私と美硝(みすず)さんだけで」
「もう一人いるんだ」
「でも、美硝さんはその……あんまりクラスの子と話したりしないタイプの人で。だから不安やなあとか、十家に選ばれたんどんな気持ちなんやろって話せる友達が欲しかったんです」
「不安だったりするの?」
「そうですね。あと、どうして私がここにいる時に順番が回ってきたのかなって。なりたい子は他にもたくさんいるのに。そういうの、時々怖くなっちゃうんです」
 
 一伽は、気持ちを吐きだしたせいか頬を赤く染めていた。

「ねえ、霜鳥さん。笑ったりしないで、聞いてくれる?」
「はい、もちろん」
「霜鳥さんは“十家”に選ばれた後……変な夢を見るようになったりした?」
 
 一伽はきょとんとつぐみを見つめた後、首を横に振った。

「そっかあ、じゃああれって“十家”に選ばれたから見るって感じじゃないんだ」
「もしかして、さっきぼおっとしてはったんはその夢が原因ですか?」
「うん。怖いっていうのもホント。伯母さんから双葉葵(ここ)に伝わる神楽舞の話を聞いて、転校してくれないかって言われた時から見るようになったの」
「どんな……夢ですか」
「こう、黒いムカデみたいなのがうぞぞぞっていっぱい出てきて」
「ひゃっ!」
「わわわ、お、お弁当ひっくり返っちゃう」
「ご、ごめんなさい! その怖くて変な夢、神楽舞と何か関係あるんでしょうか」
「わからないの。でも巫女さんみたいな着物も見える時があるの」

 はっきりとは覚えていないが、いつも黒くて不気味な何かが印象に残っていた。

「いつもはね、明け方――目が覚めそうな時によく見てたんだけど、今日は初めてあんな風に、起きてるのに一瞬夢を見てるみたいな感じになった」
「白昼夢ってやつですね。神楽舞は百年以上続く伝統もありますし……何か不思議なものがあってもおかしくないかもしれません。もし良かったらちょっと調べてみていいですか」
「え、霜鳥さんってそういう部活に入ってたりするの? オカルト研究会みたいな」
「お……おかる? いえ、私の家は代々、京都の水をお祀りする役目なので古い文献もたくさんあるんです。お父様の許可が出たら読めるかも」
「す、すごいな。伝統とか、百年とか、なんかやっぱりスケール違うんだね……」
 つぐみがため息をつきながら三角形のお稲荷さんをほおばった時、下級生が近くを通りかかった。
「――先輩、ごきげんよう」

 下級生の二人がそう挨拶すると一伽はふわりと柔らかな笑みを返す。そんな一瞬のやりとりが、つぐみには時間が止まったように見えた。

「わあ、いまの、なんか映画みたいな感じだった。霜鳥さんもあの子たちも」
「あの、つぐみさん。私のこと一伽と呼んでいただけませんか?」
「い、いきなり!?」
「私もつぐみさんと、お呼びしています」
「そう、だけど……いきなりすぎてびっくりしてるの、まだ」
「はっ、あの、変な意味はないです。名前で呼び合うのもここの伝統なんですよ」

 つぐみがあまりに驚いた表情を見せたからか、一伽は慌てて伝統の事を話し始めた。
 上級生はそのまま先輩と呼ぶ。時にはお姉さまと付ける子もいる。同級生は互いの名前を、下級生には親しみを込めて名前を愛らしく呼ぶこと。だいたいの生徒が、下級生にはちゃん付けを使っているらしい。

「最初は、家柄で優劣を感じさせないようにって意味だったそうです。でも今は、信頼関係を早く築けるようにって教えられるほうが多いかな」

 生徒数が一学年に百人程度。中等部から高等部の六年間をほぼ同じ面子で過ごすには、そんな決まり事があったほうが楽かもしれない。
「なので、つぐみさんも早く慣れていただければと思います」
 つぐみは一伽の意気込みに負けて、口の中でい、ち、か、と舌を動かしてた。

「じゃあ、一伽。一伽って呼ぶよ。あの、さっきみたいに後輩に微笑むのって、わたしもしなきゃいけないとか?」
「そうですね。だってつぐみさんも高等部二年生ですから。上級生は、下級主の手本になるふるまいをしなければならないんです。姿勢正しく、礼儀正しく、優雅であること――って」
「わあ、やっぱりか……難しいよ。登校一日目なのに、心折れそう」
「大丈夫です、できるまで練習おつきあいします!」
「練習って――うーん。やっぱほんとにここ、お嬢様学校すぎる……」
「つぐみさん? 大丈夫? 練習なんて嫌だったかな」

 再び顔を覆ったつぐみを、一伽が覗きこんでくる。

「ううん、違うよ、なんかそんなお嬢様っぽいことしてる自分、想像つかなくて」

 つぐみが苦笑した瞬間、つむじ風が吹き荒れた。
 一伽が手元から飛んでいった風呂敷を追いかけベンチから立ち上がり、つぐみもつられて腰を上げた時――視界の隅に人影が見えた。
 裾がふわりと広がるワンピースの制服から覗く、すらりとした足。
 腰まであるだろうまっすぐな長い髪が風になびいて、顔は見えなかった。
 なのに、つぐみはそこに立つ少女を美しいと感じていた。

「びっくりしましたね、急にあんな風が吹くなんて。つぐみさん?」
「今そこに誰かいたような気がしたんだけど」

 戻ってきた一伽と一緒に目をらしてみたが、人影は跡形もなく消えていた。

「あれ。なんかすっごくキレイな人がいたと思ったのに。髪とか足とかすらーっとしてて」
「もしかしたら、美硝さん……かな」
「え、でもホームルームの時にはあんな髪の長い子いなかったよ」
「ええ。朝は教室にいはったのに、ホームルームの時に急に姿がお見えにならなくて」

 一伽の顔色がわずかに曇った。

「もしかして、苦手なの」
「いいえ――たぶん、美硝さんのほうが私たちのこと苦手なんじゃないかなと思うんです。十家どうこうよりも、クラス委員として心配で」

 ちょっと言い澱むように、一伽の唇がもごもごと小さく動いた。

「皆、美硝さんのこと“氷の女王”って呼んではるんです。話しかけづらいし、いつもお一人でいらっしゃるから」

 冷たい眼差しで長い髪をなびかせ、美しい唇はわずかな笑みも浮かべない。
 誰も近寄ることができない、孤高の存在。
 顔も知らないのに、つぐみの頭の中にはそんな想像が広がっていった。

「でも、きっと私の心配なんておせっかいかなあなんて」

 一伽が少しだけ寂しそうに笑ったので、つぐみは大きく首を横に振った。

「そんなことないよ、親切だよ。転校一日目のわたしが保証する!」
「……ふふふ」

 空っぽになったお弁当箱を包みながら、一伽が大きなため息をこぼした。
 それはマイナスな雰囲気じゃない、むしろ憧れの思いがこもったような吐息に近かった。

「私ね、神様に捧げる舞を踊る人を選ぶなら、きっと美硝さんみたいな人やろなあと思うんです。きっとこの後の『四神選抜(ししんせんばつ)』で絶対に前が呼ばれるちゃうかなって」
「四神選抜って……?」

 聞きなれない単語に、つぐみは首をかしげた。

「もしかしてつぐみさん、知らなかったの? だから今日転校してきはったんやとばかり」
「ウソ、え、今日なの? 今日決まるの?」
「はい。学校の奥にある泉で“十家”のなかから誰が選ばれるか占うんです。それが『四神選抜』と呼ばれる儀式」
「……伯母さん、ちゃんと言っといてほしかった……」

 つぐみが項垂れていると、ピンポーンとチャイムが鳴り、校内アナウンスが流れた。

『二年、霜鳥一伽さん。至急クラス委員会室までお越しください』

 一伽がばっと立ち上がり、顔色を変える。

「わ、忘れてた! 『四神選抜』の前に委員会で打ち合わせするんでした!」
「うそ、は、早く、早く行ったほうがいいよ!」
「ごめんなさい、つぐみさんは教室に戻ってください、選抜は昼休みあとすぐに始まるので」
「わかった、ありがとね! さあ、行って行って、一伽が怒られちゃう」

 勢いよく走り出した一伽が、来た道とは違う方向に走っていった。
 こっちのほうが校舎に戻るのに早いのかなと、つぐみも同じ道を辿り始めたが、気が付くと見覚えのない一画にたどりついてしまった。

「どこ、ここ。うっかり学校から出てないよね……?」
 
 小道の左右に背の高い針葉樹が並んでいる。
 校内の広い庭園のなかで一番鬱蒼としている場所のようだ。
 自分がどのあたりにいるのかさっぱりわからず、校舎に戻る方向も、『四神選抜』が行われるという泉へ向かう方も見当がつかなかった。
 きょろきょろと辺りを見回していると、再び校内アナウンスのチャイムが鳴った。

『生徒の皆さんにお知らせいたします。今期の四神選抜の儀が始まります。高等部一年生と二年生は(おく)の泉に集まってください』

「ど、どうしよ、本当に迷子になった? 間に合わなかったらどうな……」

 きぃんと耳鳴りがして、つぐみは思わず目をつむる。
 耳鳴りがやむと、今度は遠くから鈴が鳴る不思議な音が聞こえてきた。
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