第07話「言の葉」
文字数 2,085文字
翌日の夕方、銀の銃弾の鋳造を終えたジャンが家に帰ると、元気な声が迎えてくれた。
「おかえりなさい! お父様!」
弾が貫通していたとはいえ重症だったはずのアンヌが、歩きこそしないまでも、ベッドの上に半身を起こし、マリアの作ったミートパイを頬張っていた。
「アンヌ! もう体はいいのか?」
「はいお父様。……私、どうしてこんな怪我をしたのか覚えてないの。お父様が助けてくださったんでしょう?」
無邪気に笑う娘を見て、ジャンはアンヌに近づくと髪を撫でる。
この愛らしい娘が獣に魅入られているのだ。
数ヶ月もしないうちにとり殺されてしまうのだ。
「あぁそうだよ。お前は森の動物に襲われて気を失っていたのだ。気をつけなくてはいけないよ」
「はい。ごめんなさい。お父様」
「あら、おかえりなさい。あなた」
台所からスープの器を持ったマリアが現れる。その顔は幸せに満ちていた。
「あなた、見てください。アンヌったらミートパイを2つも食べて、スープも2杯目なんですのよ! すっかり元気になって……」
「お母様やめて。恥ずかしいわ」
微笑み合ってはしゃぐ2人を見て、ジャンは改めて必ずアンヌを救うと心に誓うのだった。
それから数日間、ジャンは毎日銃の訓練を続けた。
足が不自由になる前は軍でも十指に入るほどの銃の名手と言われたジャンだが、長いブランクは確実に腕を鈍らせている。
自らの不甲斐なさを呪い、しかし神と家族のために生きると誓ったジャンは、だんだんと昔の感を取り戻していった。
10日ほど経ったある晴れた日、マリアは久しぶりにアンヌを村の市場への買い物に同行させた。
驚くことにこの頃には、アンヌの傷は殆ど癒え、歩き回れるほどになっていたのだ。
市場でアンヌたちは、数日前から村の教会に来ているダリウス司祭に会った。
「おや、おはようございます。マリアさん。アンヌの怪我はもういいのですか?」
ダリウス司祭の笑顔の中で鋭く目が光り、アンヌを睨みつけるように見つめる。
「おはようございます司祭様。ええ、もう全然じっとしていなくて困ってしまいますわ」
挨拶は返したものの、いつもの優しいダリウス司祭とは違う雰囲気に、2人は戸惑いを隠せない。
「そうですか、それは良かった。ではこれで」
胸の木製の十字架に手を添わせ、軽く頭を下げたダリウス司祭が通り過ぎる。
「ごきげんよう。司祭様」
こちらも挨拶をして通りすぎようとした2人に、司祭が思い出したように声をかけた。
「あぁ、そうそう。酒飲みのジャンに言っておいてもらえませんか? ジェヴォーダンの獣は今夜私が神の名において退治すると。あの酒飲みの堕落した男に必ず伝えてください。よろしいですね?」
アンヌもマリアも、周囲に居た村人たちも一斉にざわついた。
あの温厚なダリウス司祭が名指しで人を貶めるような事を言ったのももちろんだが、ジェヴォーダンの獣を退治すると、たしかにそう言ったのだ。
「司祭様、どうやって退治するので?」
近くでチーズを売っていた男が司祭に尋ねる。
「もちろん、神の聖名において調伏するのです。ちょうどいい、皆さん知り合いに伝えてください。今夜私はジェヴォーダンの獣を退治するために山に入ります。危険なので誰も立ち入らぬように」
どよめきが広がる市場の中で、マリアは信じられない言葉を耳にして呆然としていた。
その横でアンヌが胸を抑えてうずくまる。
「……お父……様……は、堕落……した男じゃ……ない……」
「……アンヌ? どうしたの?!」
(サバカレルベキハ……コノ……シサイダ)
急激に周囲の音が消え、心臓の音だけが耳障りに響きまわる。アンヌの心が軋み、心臓から四肢へ冷たい液体が送り出されるような感覚が体を襲った。
「アンヌ!」
母親に抱きしめられ、アンヌの心は市場に戻る。
「……お母様……」
ざわつく市場の中で抱きしめ合う親子を一瞥すると、ダリウス司祭はゆっくりと立ち去った。
マリアは娘を立ち上がらせると、周囲からの好奇の目を無視しながら市場での買い物を済ませ、なるべくいつもと変わらないように振る舞い、ジャンの待つ家へと帰っていった。
「ダリウスがそう言ったのだな?」
家に帰るなり糸が切れたように眠ったアンヌをベッドに寝かせると、ありのままを語ったマリアに、庭で銃の訓練をしていたジャンが聞き返した。
「はい、私もまだ信じられません。あのダリウス司祭が貴方の事をあんな風に言うなんて……」
「いや、そこは重要ではない。確かに今夜と言ったんだな?」
「……はい。間違いありませんわ」
「アンヌも聞いたのか?」
「……はい」
「そうか。マリア、ダリウスのあれは真意ではない、気にするな。アンヌの傷が癒えた祝いだ、今夜はうまい飯が食いたいな」
そう話すとジャンは銃の訓練をやめ、手入れをするために部屋へ戻る。
マリアは腑に落ちないように首を傾げたが、夫の言葉を信じる事にして部屋へと戻っていった。
「おかえりなさい! お父様!」
弾が貫通していたとはいえ重症だったはずのアンヌが、歩きこそしないまでも、ベッドの上に半身を起こし、マリアの作ったミートパイを頬張っていた。
「アンヌ! もう体はいいのか?」
「はいお父様。……私、どうしてこんな怪我をしたのか覚えてないの。お父様が助けてくださったんでしょう?」
無邪気に笑う娘を見て、ジャンはアンヌに近づくと髪を撫でる。
この愛らしい娘が獣に魅入られているのだ。
数ヶ月もしないうちにとり殺されてしまうのだ。
「あぁそうだよ。お前は森の動物に襲われて気を失っていたのだ。気をつけなくてはいけないよ」
「はい。ごめんなさい。お父様」
「あら、おかえりなさい。あなた」
台所からスープの器を持ったマリアが現れる。その顔は幸せに満ちていた。
「あなた、見てください。アンヌったらミートパイを2つも食べて、スープも2杯目なんですのよ! すっかり元気になって……」
「お母様やめて。恥ずかしいわ」
微笑み合ってはしゃぐ2人を見て、ジャンは改めて必ずアンヌを救うと心に誓うのだった。
それから数日間、ジャンは毎日銃の訓練を続けた。
足が不自由になる前は軍でも十指に入るほどの銃の名手と言われたジャンだが、長いブランクは確実に腕を鈍らせている。
自らの不甲斐なさを呪い、しかし神と家族のために生きると誓ったジャンは、だんだんと昔の感を取り戻していった。
10日ほど経ったある晴れた日、マリアは久しぶりにアンヌを村の市場への買い物に同行させた。
驚くことにこの頃には、アンヌの傷は殆ど癒え、歩き回れるほどになっていたのだ。
市場でアンヌたちは、数日前から村の教会に来ているダリウス司祭に会った。
「おや、おはようございます。マリアさん。アンヌの怪我はもういいのですか?」
ダリウス司祭の笑顔の中で鋭く目が光り、アンヌを睨みつけるように見つめる。
「おはようございます司祭様。ええ、もう全然じっとしていなくて困ってしまいますわ」
挨拶は返したものの、いつもの優しいダリウス司祭とは違う雰囲気に、2人は戸惑いを隠せない。
「そうですか、それは良かった。ではこれで」
胸の木製の十字架に手を添わせ、軽く頭を下げたダリウス司祭が通り過ぎる。
「ごきげんよう。司祭様」
こちらも挨拶をして通りすぎようとした2人に、司祭が思い出したように声をかけた。
「あぁ、そうそう。酒飲みのジャンに言っておいてもらえませんか? ジェヴォーダンの獣は今夜私が神の名において退治すると。あの酒飲みの堕落した男に必ず伝えてください。よろしいですね?」
アンヌもマリアも、周囲に居た村人たちも一斉にざわついた。
あの温厚なダリウス司祭が名指しで人を貶めるような事を言ったのももちろんだが、ジェヴォーダンの獣を退治すると、たしかにそう言ったのだ。
「司祭様、どうやって退治するので?」
近くでチーズを売っていた男が司祭に尋ねる。
「もちろん、神の聖名において調伏するのです。ちょうどいい、皆さん知り合いに伝えてください。今夜私はジェヴォーダンの獣を退治するために山に入ります。危険なので誰も立ち入らぬように」
どよめきが広がる市場の中で、マリアは信じられない言葉を耳にして呆然としていた。
その横でアンヌが胸を抑えてうずくまる。
「……お父……様……は、堕落……した男じゃ……ない……」
「……アンヌ? どうしたの?!」
(サバカレルベキハ……コノ……シサイダ)
急激に周囲の音が消え、心臓の音だけが耳障りに響きまわる。アンヌの心が軋み、心臓から四肢へ冷たい液体が送り出されるような感覚が体を襲った。
「アンヌ!」
母親に抱きしめられ、アンヌの心は市場に戻る。
「……お母様……」
ざわつく市場の中で抱きしめ合う親子を一瞥すると、ダリウス司祭はゆっくりと立ち去った。
マリアは娘を立ち上がらせると、周囲からの好奇の目を無視しながら市場での買い物を済ませ、なるべくいつもと変わらないように振る舞い、ジャンの待つ家へと帰っていった。
「ダリウスがそう言ったのだな?」
家に帰るなり糸が切れたように眠ったアンヌをベッドに寝かせると、ありのままを語ったマリアに、庭で銃の訓練をしていたジャンが聞き返した。
「はい、私もまだ信じられません。あのダリウス司祭が貴方の事をあんな風に言うなんて……」
「いや、そこは重要ではない。確かに今夜と言ったんだな?」
「……はい。間違いありませんわ」
「アンヌも聞いたのか?」
「……はい」
「そうか。マリア、ダリウスのあれは真意ではない、気にするな。アンヌの傷が癒えた祝いだ、今夜はうまい飯が食いたいな」
そう話すとジャンは銃の訓練をやめ、手入れをするために部屋へ戻る。
マリアは腑に落ちないように首を傾げたが、夫の言葉を信じる事にして部屋へと戻っていった。