アリス・イン・シーフードスパゲッティ

文字数 5,323文字

 徳島には知る人ぞ知る泡魚という珍味がある。
 海老、鯛、アワビ、その他懐かしのご馳走をいっしょくたにした味わいと評判で、あまりの美味に泣き出すものさえあるという。生鮮品売り場に山と積まれた、ゼラチン質の透明な筒、というか樽は、溶けたペットボトルみたいでいかにも醜い。土地に馴染みの薄い諸賢はおおかた眉をひそめるだろう。でも珍味とは元来そういうものだ。目下の食糧難、ひと昔前みたいにオーガニックだの無添加だのとこだわっている余裕はない。一風変わったホヤの仲間で、気候変動で死んだたくさんの魚のかわりに、こいつばかり穫れるようになったのです、なんて説明される間にひとくち味見すればそれで、それだけでもう虜になる。
 実家近くの海岸の、思い出のウミガメ水族館はもうなかった。跡地にNOA(米国海洋開発局)の研究所が建っていた。そこがどうも泡魚の繁殖に一役買っているらしいと気づいたのは、ぼくの姉がNOAの重役に就いた、と人づてに聞いたのがきっかけだった。
 姉の真那子は徳島の公立高校を出たあとMITに進学、卒業後は念願かなってNASAに就職する。その数年後、世界中の海で致死的な赤潮が発生、これに呼応してNASAが派生機関NOAを設立したのを機に、アカデミックな使命感に燃えた姉は海洋生物学者へと転身する。三二歳のとき、臨床心理士のルイス・ジョンストン氏と結婚、一女をもうけた。公私ともに順風満帆に思えた彼女だが、ある晩「排水溝が詰まるのはどっちの髪のせいか?」をめぐって夫と激しい口論になり、ついには別居。以来、当時一歳にも満たない娘のアリスは、徳島の祖父母に、ぼくの両親に育てられた。
 アリスは幼稚園に行きたくないとゴネては、人形作家だった父さんの真似ごとをしたそうだ。小学校にあがると、教科書のかわりに、美術解剖学のテキストを穴が開くまで眺めた。父さんはまんざらでもなかったに違いない。娘や息子には見向きもされなかった生業だ。アリスに筋があると認めるや大胆にも義務教育を放棄して、正式に弟子として迎えた。かくしてアリスは、若干一三歳にして、父さんに比肩する腕前の人形作家になった。
 ***
 両親からの頼みで、ぼくは徳島に帰ってきた。
 父さんは長年の座り仕事で腰をやっているし、母さんも目に見えてやつれた。アリスの面倒を見てやれる自信が、もうないという。ぼくが仕事やお金のことを言うと、二人はいかにも申し訳ないという顔で「真那子に相談したらね、可以那のこっちでの仕事、用意するって言うんだよ」「海岸とこにできたバカでかい施設、お前も見たろう」「あそこの職員ですって」「研究みたいなことも、すこしはやれるみたいだぞ」。それならまあ、とぼくはこたえた。それで二人ともすごく安心したみたいだった。
 数年ぶりに再会したアリスは僕より背が高かった。子供であることにぜんぜん未練を感じていない雰囲気はその年頃の姉そっくりだ。父親譲りらしいブルーの虹彩を、まるでそれが恥ずかしい欠点だとでもいうように、たっぷり伸ばした前髪で隠していた。二階の姉の子供部屋を仕事場に改装して、一日だいたい一〇時間を製作にあてている。
 ぼくにとってはこの点が最大の謎なのだけれど、アリスがつくる人形は、ほかでもない彼女自身をモデルにしていた。アリスはたしかに、年齢のわりに独特の美しさを有してはいたが、特段自分の容姿を気に入っているようには思えなかった。父さんがおもに文楽人形を作ったのに対して、彼女はどこまでもリアルな人体造形にこだわっていた。似ている、なんてものじゃない。彼女の人形はある意味で人間よりもよく出来ていた。「エリカちゃんていうの」。初めて作った分身に、アリスがみずから名付けたそれは、今ではよく知られた商品名になっている。「エリカちゃん」シリーズは一体二〇万円以上という高級品ながら全国にファンがいた。だからインターネットには事実上、アリスの顔写真が溢れている。ぼくがいちばん驚いたのは、ファンの一部がエリカちゃん人形そっくりに整形していることだった。彼女たちはエリカちゃん人形に近づきたい一心で肌を漂白し、かつらを被り、頬骨を削った。そして青のカラーコンタクトを片時も外さなかった。勇気があるのなら、#elicathecloneddoll のハッシュタグで検索してみるといい。
 ***
 ぼくは実家にいながら、ほとんど使用人みたいに暮らしていた。両親のかわりにあらゆる家事をこなし、アリスが行きたい場所(たいていコンビニ、あるいはゲームセンター)へ車を走らせる。
 合間を縫って週に三回、NOAの研究所へ出勤した。
 なるほどそれは傍から見れば「研究みたいなこと」かもしれない。でもぼくたちパートタイマーに任されるのは学部生レベルかそれ以下、本国から送られてくる論文の試料を提供するだけの、言ってしまえば雑用だ。米国政府はどうも、泡魚(英名をAwaFishといった)をメキシコ湾で繁殖させることに躍起になっている。食料自給率に寄与することは間違いないが、腰の入れようからして食欲だけが理由とは思われない。
 研究所中央にあるアクアリウムで泡魚の連鎖個体が漂っている。数珠つなぎになった円環は、泡魚の奇数世代における個体だ。奇数世代の彼らは、無性生殖によってクローンを作る。そして今みたいに輪になって踊る。踊りに飽いたら輪をはなれ、独特の香りでお相手を誘ってまぐわう。
「吐き気しちゃうよ」。顔見知りの職員が通りがかりに愚痴をこぼした。よく見る光景だ。「朝飯に泡魚のせごはん、昼食は泡魚フライのサンドイッチ、夕飯は泡魚のしゃぶしゃぶ。おまけに仕事場にまでうようよいるんだから」。ぼくの食生活も似たようなものだけれど、そんなふうに考えたことはなかった。嫌なら食用コオロギでも食べればいいのに。
 ぼくは研究所に勤めだしてからも変わらず泡魚を食した。ふだんは健康を気遣って刺し身や酢の物が多いが、いちばん好きなのは泡魚のすり身でつくるフライだ。現代版フィッシュカツといったぐあいで、チョンと醤油を垂らして食べるとなんとも懐かしい心地がする。両親もこれが好きだった。アリスのお気に入りは断然、泡魚のシーフード・スパゲッティだ。具は炒めた泡魚と大葉、ニンニクのみじん切り、それだけ。オイルでべとべとしてるくらいのを頬張るとき、彼女は一三の少女に戻った。
 ある日の食事中アリスが「生きてるこれが見たい」と言うので、次の休みにホットスポットが望める公園に連れていった。護岸の裾あたりに目を凝らすと、凪いでいるはずの海面が膨らんでは崩れ、膨らんでは崩れを繰り返している。磯臭いなかに、花のようにふくよかな香りが幽かに混じった。生きた泡魚をはじめて見たアリスは、予想どおりではあるが、少しがっかりしたようだった。
「なんか、まずそう。」
 ぼくはアリスが泡魚ぎらいになるんじゃないかと、その日の夕飯まで気が気じゃなかったけれど、海鮮チャーハンを嬉しそうにかきこむ彼女を見て、ほっと胸をなでおろした。
 ***
 七月最後の土曜日は、アリス一四歳の誕生日だ。
「私今年こそお誕生日会がしたい。可以那おじさんは料理担当ね。友だちたくさん呼ぶから、食材はたっぷり用意しておいて。」
 お安い御用だ。
 当日の会場は、神社の境内にある立派な農村舞台だった。竹林に囲まれ、すぐ横を流れる川の音が涼しげだ。父さんがかつての仕事仲間に掛けあったと見える。舞台上手の太夫座には浄瑠璃語りがすでに正座していて、ぼくたちがひとまず客席に着くと、絡みつくような三味線の音が始まった。演目は「傾城阿波の鳴門」だった。
 アリスはというと、まだ来ていなかった。かわりに見慣れない外国人男性が目に留まる。ライトグリーンのスーツに同色のシルクハットというエコなファッションだったが、それを補ってあまりあるほど顔面が整っていた。
「ルイス・ジョンストンさん、アリスの父親だよ。」
 母さんがそう耳打ちしてくれた。彼はぼくらの正面に着席すると、ジャケットのボタンを片手ではずし、英語で挨拶の文句を一〇くらい並べ立てた。そして申し訳ないが日本語が話せないのだと詫びた。ぼくは英語が分からないフリをした。顔のいい臨床心理士はコミュニケーションの断絶を悟ったのか、長い足を斜めに組んで、ポケットから細い草みたいなものを取り出しそれを()んだ。いい頃合いだったので、ぼくは席を立ち、料理の仕込みにかかった。クーラーボックスの中で、大量の泡魚がキラキラ輝いて、ぼくに捌かれるのを待っていた。
 五分ほどあとで、野太いエンジン音とともに観光バスがやってきた。ドアが開き、降りてきたのはアリスだった。青のワンピースを着て、エナメルのパンプスは一対の星だった。主役は拍手で迎えられた。人形浄瑠璃が中断し、もう一度冒頭から始まった。さっきまでのはリハーサルだったのだ。
 さて、バスからもうひとりのアリスが姿を現したとき、ぼくらの喝采はどよめきに変わった。二人どころではなかった。七人目、八人目が出てきたあたりでは、舞台上の黒子すら異変に気づいていた。結局全部で一三人のアリスが一堂に会した。
 一三人は円卓を囲んで楽しそうにおしゃべりしている。そのうち一人がぼくに言った。「おじさん、乾杯しましょう。全員に飲み物を用意して」。とても自然な流れに思えたので、頼まれるがままコーラを注いで回った。べつのアリスが拡声器を構えて音頭をとり、パーティは正式に開幕と相成った。
 しばらくの間、ぼくは料理を作りつづけた。なにしろ主役が一三倍に増えたのだ。幸いアリスはトランプ遊びに興じていて、食事にはあまり手をつけていない。一三人もいてゲームが成立するだろうか、とぼくは心配したが、よく見るとプレイに参加しているのはせいぜい四人くらいだった。ジョンストン氏は娘に何度か接触を試みるも一顧だにされず、今は隅っこのほうで蚊を追い払うような仕草をしている。そろそろスパゲッティを茹ではじめてよさそうな頃合いと見て、ぼくは家にあったいちばん巨大な鍋を火にかけた。ちょうどそのとき一台のタクシーが到着した。後部座席から降りてきた女を見て、声を上げたのは母さんだった。
「真那子!」
 夏だというのに、姉はレモンイエローのロングコートをまとっていた。腰まで伸びた直毛を振り乱しながら大股で歩く姿は、ぼくの記憶のなかの姉とあまりにかけ離れている。徳島にいたころの麦倉真那子はもっと陰気で地味で、でも眼だけが不気味に大きくて、同級生から宇宙人とあだ名されるような、そういう姉の面影は、けれど綺麗に消えていた。後から知ったことだが、真那子はこのとき『泡魚の全ゲノム解読結果,および脊椎動物における共有意識の前途について』と題した論文を広島の学会で発表するため来日していたのだった。
 水を打ったような境内に、義太夫節と三味線だけが変わらぬ音量で響いた。《ととさんやかかさんに会いたさゆえ、それで(わし)一人、巡礼するのでござります……》。気づけば一三人のアリスが鈴なりに真那子を取り囲んでいる。
「ママ、会いたかった!」
「ママなら来てくれるって信じてたわ!」
「ママ、あっちでトランプしましょう!」
 ピピピ、ピピピとタイマーが鳴った。麺が茹で上がった。蒸気が眼鏡を曇らせる。ぼくはすかさず湯切って油を絡め、泡魚とニンニクと大葉を載せて、皿を円卓の真ん中にどん、と置いた。
「ほらアリス、大好きなシーフード・スパゲッティだ。」
 八人のアリスが席についてシーフード・スパゲッティにがっついた。五人のアリスは引き続き真那子を取り囲んでいた。
「ねえママ、本物のアリスが誰かわかる?」
 拡声器のアリスが最初にそう尋ねたとき、姉はまだ科学者然とした冷静さを保っていた。はにかんでさえいた。円卓でスパゲッティを飲んでいるアリスの肩に手を置いて、
「あなたが私の娘。」
 暗号めいた声でそう囁いた。言われたアリスはとたんに「違う、違う! ひどいわママ!」、子どものように首を振り、泣きながら舞台の裏を流れる川のほうへと消えた。ぼくはその光景を眺めながら追加のスパゲッティを茹でていた。一二人のアリスはケタケタ笑って同じ質問を繰り返した。
「ねえママ、本物のアリスが誰かわかる?」
 真那子はちょっと怯んで見えたが、別のアリスに囁いた。ところがそのアリスも、同じように泣きわめいて川のほうへ消えた。残った一一人は楽しくて仕方がないというふうに笑っていたし、ぼくはスパゲッティを茹でていた。
「アリス! お母さんを小馬鹿にするような真似はやめなさい!」
 英語ですごんだのはジョンストン氏だった。アリスは動じず、彼にも同じ質問をした。
 臨床心理士は悩んだ末、一人のアリスを指差した。しかし結果は同じだった。うなだれた緑色のスーツは竹林にいい感じに紛れた。
 その後もアリスは問い続け、真那子は誤り続けた。とうとう、アリスは全員消えた。消えたと同時にぼくは知る。アリスの望みを痛いくらい知る。川のほうからかぐわしい花の香りが押し寄せて、ピピピ、ピピピとタイマーが鳴った。

(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み